マスク 書き下ろし作品 石川哲子
休日。
最近では、朝一で洗濯機を二回回し、気分の良い日は掃除をする。コロナが流行りだし、職場で患者さんが一人帰るたびに触ったところを全部、消毒し、掃除するので、疲れて自宅の掃除が適当になり、おかげで気分が晴れない。
今は、2020年5月。下旬に入り、関東の緊急事態宣言も、解除されるかどうかというところだ。
昨日は、半ドンで、今月に入ってから、トータル人数は昨年より激減しているものの、新患さんが、勤務のたびに、数名ずつおいでになる。
片付いていない、私の部屋。開けないノートパソコンの上には、東急の袋に入ったままで、レシートもそのままの、箱入りマスクが乗っかったままだ。これは、たまたま、ある火曜に、東急で売られていることを知り、白衣のまま、走って買えたものだ。前回、前々回と、間に合わず、あっという間に完売していた。コロナの影響で、マスクが本当に貴重なものとなった。わたしは、看護師だ。昔はナースキャップもしていたし、マスクをつけるのは、処置の時ぐらいだったものだ。
人生の中で、初マスクは小学校の給食のときだ。皆、給食着を着て、布製の白いマスクをし、手洗い、消毒をし、給食を貰いに並んでいたな。マスクは、ガーゼ生地で出来ていて、すぐ縮むので、定期的に、新品を買っていたように思う。
看護師になり、マスクが、あまり馴染みではなかった頃、先輩が、雑談で、歯医者に通っていて、そこの先生が、マスクの似合う、瞳の綺麗なイケメンで、密かに、「マスクの君」と心の中で慕っていたらしいのだけれど、ある日、先生がマスクを外したら、想像と違っていたと、残念がっていた。わたしは、なるほど、そういうこともあるのだな、と思った。
その後、私は、手術室に異動となり、全員マスクの世界に飛び込んでしまった。それまで、気楽に働いていたのが仇となり、真剣な、厳しい環境となり、毎日怒られてばかりとなった。ストレスがたまり、プライベートも荒れて、不眠状態となり、入院した。
仕事復帰は、外来からの再スタートとなった。同期の子が、いつもマスクをしていたので、聞いてみると、「昨日、にんにく食べて」と、言うので、なるほど、エチケットか、と理解した。その子は美人で、人妻なのに、他部署の人に、告白されたりしていた。羨ましいのもあって、私もマスクをつけるようになった。
その後、その病院を退職し、さすらいのナースの道を歩むことになるのだが、辞めた当初は、体力も、働く気もなくし、歯医者に通いながら、劇団の手伝いなどして、ふらふらしていた。わたしは子供の頃、階段から落ちて、前歯の永久歯を折って、それ以来、十年に一度くらい、手術を受けているのだ。今回は、インプラントをいれることとなり、前歯を抜かれ、仮歯の日々が一年くらい続いた。仮歯は、見た目も悪く、すぐ壊れるので、仕事もアルバイトしかできず、悶々と過ごし、マスクが手放せない。真夏でも、マスクをしているので、アルバイト先の患者さんに、「一年中マスクしているね」
と、言われてしまったのだが、乙女心が勝ち、そこを退職しても、食事の時以外、マスクをして過ごしている。春と秋は花粉症、冬はインフル予防、夏は日焼け防止、そしてコンプレックス。わたしは、一年中マスクだ。
これが、一時的だろうとは思うものの、世界中マスクの世の中になるとは知らず、肩身の狭い、少数派だった。
マスク不足が深刻になったのは、いつからだったろう。コロナのニュースをわたしが気にするようになったのは、年が明けてからだったように思う。トイレットペーパーの買い占めの方が、後だったのだろうか。わたしは、常日頃マスクを常備していて、今回は、自宅用マスクをたまたま買ったあとで、トイレットペーパーの方が、先に深刻だったような気がする。休みのたびに、ドラッグストアに通い、売られていない日が続き、急がない日用品を買い込み、肩を落として帰る日が続いた。
職場の人たちも、テレビのニュースを見ながら、トイレットペーパーと、マスク、アルコールだよね、と話していた。
ある木曜日、窓の外を見ていた先生が、行列ができてると、事務さんに教えてくれ、幸い患者さんも居なくて、職場の目の前の、ドラッグストアに並んだ。やっと買えたのは、三枚入りの、花粉症用のマスクで、並んでいる間、店内では、良い感じの音楽が流れていて、白衣のままとか、お構いなしで、必死に握りしめて並んでいた。無事に買え、クリニックに戻るエレベーターの中で、何とも言えない感情が湧いて、涙が止まらなくて、戻ってからも、泣きながら、先生にお礼を言った。皆で、もったいなくて、使えない、出番ないといいなと言いあった。
スマホを持つようになってから、わたしも随分経つけれど、おもに、SNSや、音楽、ツイッターなどを利用している。今回は、マスクをネット注文することにした。そのころはすでに、我が家の在庫も心もとない状態で、紙のマスクなのに、休日洗ってほしたものを使いまわしていた。洗った後のマスクは、なんとなく、けばけばするし、処置の後など、本当にどうしようもない時は、泣く泣く捨てた。政府が、マスクを配布すると、発表があり、注文した、紙のマスクは、届かず、政府のマスクを、いまかいまかと待っていた。
ネット注文したのは、50枚いりの2500円くらいのもの、100枚入りの3000円くらいのもの、トイレットペーパー、紙ナプキン、布ナプキンまで買ったのだけれど、ナプキン以外は、全然、と言っていいほど、届かず。
ニュースでは、政府が、全国民に10万円ずつ、給付するとか、発表されていたけれど、待っても、待っても、わたしのところは、なしのつぶてで、感染者数もどんどん増加するし、検査を受けられず、亡くなってからわかったり、医療崩壊で、大病院は疲弊し、クリニックや、診療所は、閑古鳥が鳴いていて、経営不振となった。
ネット注文したマスクは、いつかとどくのだろう、と、半ば諦め、ドラッグストアに通い、仕事の後は、マスクを洗い、干す。その頃のマスクは、ひと箱2万から3万まで、値がつり上がり、悪質だとされ、世論が政府を動かし、転売者が、検挙されていた。
新しい生活様式、自粛生活、などなど、新しい言葉が生まれ、アフターコロナをどう生きるか、といった記事がネットに載り、わたしは、ストレスが溜まって、いつもイライラしていた。休日も、落ち着かず、スマホばかり、いじっていた。
ネット注文したマスクも、政府のマスクも届かず、悶々としていた頃、医師会から、クリニックへ、マスクが届いた。50枚入り2箱だったと思う、1箱、クリニック用とし、もうひと箱は、スタッフで分け合った。そして、私の手元には、使いまわしもふくめて、20枚くらいになった。でも、それでも、安心できず、東急で売られていると聞けば、走り、売り切れていて、の繰り返しだった。
そんなある日、患者さんが途切れたので、皆で待合室のテレビを見ながら、雑談していると、下の階の料理店のオーナーが現れ、
「先生のところ、マスク足りてますか?うち、今、10000枚あって、1枚45円でお売りできますよ」
と言ってきた。院長は、少し考えていたが、
「うち、在庫あったっけ?」
と事務さんに尋ねた。
「まだあります」
「そしたら、足らなくなったら、お願いするかもしれない」
「解りました。いつでも言ってください」
値段的には、やや高いように感じられたけれど、事務さんの話では、その頃の、ネットの相場と同じくらいとのことだった。
「あるところには、あるねえ」
皆で言い合った。
テレビのニュースや、SNSでも、いろんなメーカーが、商売替えや、事業のひとつとして、国内でマスクを生産するようになったり、100円ショップや、ユザワヤなどで、ゴムひもや、ガーゼ生地の売り切れなどが報じられるようになった。ツイッターのフォロワーさんも、自作の手縫いのマスクをアップしている人が居て、マスク作りを仕事には、したくないと呟いていた。その本意はわたしには、少しわかった。自主的に、という精神と、売り物にせざるを得ないほど、このコロナが蔓延されては困る、といったところではなかろうか。
6月中旬くらいだったか、自宅に謎のマスクが中国から送られてきた。送り主は頼んだ業者とは違うし、外国製のマスクは何となく気が引けて、使う気になれない。そのかわり、無印良品が、洗えるマスクというものを販売したとネットで見つけて、即注文した。夏用ではないらしいけれど、割とすぐに届いて、自室でガッツポーズした。その頃から、徐々に、マスク事情は改善されていった。ネットで、他社製の洗えるいろいろなマスクも、続々売られるようになり、職場にも、不織布のマスクが、東京都や、医師会、何処かの会社の社長さんなどから、寄付していただいた。
ドラッグストアでも、やや高値ではあるものの、棚に並ぶようになった。
しかし、コロナは依然として蔓延していて、決定的な治療薬は見つからず、感染者は200人、300人と、日に日に増えている。本当に、新しい生活様式などという言葉通りの世の中になるのだろうか。通勤から、在宅ワークとなり、子供たちはタブレットを使って学習し、職を失う人やオンラインで婚活する人なども現れ、世の中ひっくり返ったなあと、院長はテレビを見ながらぼやいていた。
みんな、何かしらの我慢を強いられ、ネットのニュースでは、これから、女性の非正規職員やパートには、不利な世の中になるとあった。私の様な、能力のない、末端看護師は、一体どうしたらいいというのだろう。言い知れぬ不安は募り、焦り、やけになりそうだ。
いつか、全て笑い話と言える世界になってほしい。と願うばかりだ。
作者注、これは、2020年5月頃の時点の頃のお話です。