ふるさと(2)
文藝軌道2019.10月号 石川詩織
赤羽を過ぎ、電車は荒川を通過する。
東京を離れたという感覚がある。何がどうとは説明できないけれど、風景や人が、違って見える。リクルートスーツの女子大生も、親子連れも、いつの間にかいなくなっている。派手な子がいない。気取らない感じの若者たち。おっとりして、のんびりした何か懐かしい感じ。そんな風に思うのは、私だけだろうか。
「埼玉に戻ってくれば?」
以前友人に言われた。そうしたい気持ちも、無くはない。離れてから二十年以上経っていて、帰る実家も無い。『さいたま市』になって、スーパーアリーナが出来、私が住んでいた頃とは、大分変わってしまっているような気がしている。
この間会った友達は、浦和はあまり垢抜けないで欲しいと言っていた。別の友達は、垢抜けると嬉しいと言う。私はどうだろう。発展するのは嬉しい反面、自分の知らない街に変わってしまいそうで、少し寂しいような気がする。
前に住んでいた、家のあたりを思い出す。祖父の退職金で買った一戸建て。引っ越してすぐ、近所の子が遊びにきた。その二人の女の子は、今でも付き合いのある幼なじみだ。今は二人とも文蔵には住んでいない。昔遊んでいて、スカートを破ったり、どぶにはまったり……。お転婆だったな。今の外環自動車道の辺りは、果てしない原っぱだった。四つ葉を探したり、レンゲの首飾りを作って遊んだ。段ボールの子猫や子犬。連れ帰るたびに、祖母にしかられた。
常にべったり、というわけではないけれど、いつも、誰かが困っているときには集まって、励ましあいながら、一緒に成長してきた。私が救われることの方が多かった。二人が何かあった時には、良い時も悪い時も、出きるだけかけつけるようにしていた。
恵子は、地方へ転職するかもしれない。絵美は結婚して、幸せに暮らしている。三人は、離れて、それぞれの生活をするようになるのだ。きっとまた、いつか会える。そう思って、私はすぐに泣きつく癖を直さなくてはならない。
幼なじみと、工事中の外環自動車道に沿って三十分歩いて南浦和中学へ通った。幼稚園と小学校は、近かったけれど、中学だけは遠かったなあ……。
中学に入り、父に言われて、水泳部に入った。本当は、演劇部に入りたかった。担任の先生が、毎日相談に乗ってくれた。勇気を得て、父に部活を変えることを言えた。先生は、国語の担任で、同時に演劇部の顧問もしていた。背の高い、女の先生だ。
先生は、私を一個人として、迎え入れてくれた初めての大人だ。
放課後の職員室。紙と、インク、そしてかすかなコーヒーの香り。積み上げられた書類や本。先生は、お茶をごちそうしてくれた。
「あなたは、三パーセントしか、力を出していない気がする」
「どういうことですか?」
「可能性がある」
私は、褒められてうれしかったが、優等生でもないし、これと言った特技もなかった。演劇部にあこがれている話、父に言われて水泳部に入ったことなどを、正直に話すと、親の言う通りでいいのか。自分が本当にしたいことは何なのか。今のままでいいと思っているのか。実際に、先生がそう言ったかは覚えていない。私は、私であって、自分の意志や、気持ちや、そういったものを、表に出しても良いんだよ、ということを毎日語りかけてくれたのだと思う。
先生のおかげで、今の私があるといっても、良いだろう。ピンクの原付に乗っていた。多感な時期に、影響を受けた先生。今頃、どうしているだろう。会いたくても、気軽に会えない人がいる。先生は、どこの学校に勤めているのかも分からない。埼玉には、住んでいるのだろうけれど。同窓会とか、あるといいのに。今、先生に会ったら、何とアドバイスしてくれるのだろう……。
中学生といえば、あの頃は、女優になりたかった。
演劇部では、主役をもらうことはなかったけれど、役を演じたり、照明や音響のスタッフをしたり、楽しくてしょうがなかった。やっと入った演劇部。中学二年の夏休みは、部活一色だ。夏休みの間だけ、自転車登校が許された。運動部が終わった後も、練習は終わらなくて、演劇部だけの体育館になった。ステージに向かって走るツバメ役の子を、二階の柵に取り付けた、体より大きなスポットライトで私が追う。冷房のない体育館。暗幕。舞台は暗転し、真っ暗な中、私のライトが、ツバメを照らす。
「カット!」
「もう一度!」
先生の声が響く。夜の閉め切った体育館。今思えば相当暑かっただろうけれど、私は夢中で走り回るツバメを追いかけた。
常盤女子高校に入ってからも演劇部で、それなりに楽しくて、看護師になるまで演劇一筋だった。
衛生看護科の高校だった。将来看護師になりたいと思って入学したみんなは、元気な子ばかりだった。部活の仲間と、北浦和の駅前のハンバーガー屋さんで、ファーストフードを食べながら、演劇に限らずいろんな話をした。いくら話しても、話は尽きなかった。夏休みの合宿では学校に泊まって、みんなで冷やし中華を作った。夜は教室に布団を敷いて、先輩の持ってきたポンジャンで遊んだ。少人数だったけれど、仲良かったな。
学生時代は、とにかく演劇好きで、芝居を観たりやったりするのに夢中になっていた。シェークスピアや、ミュージカル、小劇場など、いろいろ観た。非日常的な話が好きだった。劇場へ行くとワクワクしたものだ。時はバブルで、今よりも安いチケット代でも、クオリティは高かったように思う。ずいぶん贅沢な時代だったな。
高校卒業の春休み。浦和の高校の演劇部の卒業生同士で、卒業記念公演をした。そのころの仲間は、今でも年に一回集まっている。仲間に会うと、昔に戻ったような感覚になる。
ある夏、皆で海に出かけた。岸壁の手すりに座りながら取り留めのない話をしていた時、
「月並みだけど、こうして海を見ていると、自分ってなんてちっぽけなんだとか、思うね」
あれは、誰が言ったんだったっけ? 思い出せないけど、良い科白だったな。海、しばらく行ってないな……。皆で見た水平線は、弓状になっていた。遠くに見える水面は、きらきらと輝いていた。船が、通り過ぎていく。いつまでも、ここに居たい。何もいらない。そう思うと、自分がいかに小さなことで悩んでいたのかと思えてくる。これは、現実逃避なのだろうか。私は、私を取り戻したい。今の自分は、あまり好きではない。自信なくて、うじうじして、実績もないのにプライドだけ高くて。首になるのには、それなりの理由があるのだろう。それを克服しなくては。どうすればいいか……。誰か、教えてほしい。
看護師になったのも、お金をためて、演劇の学校に入るまでと思っていた。就職して、仕事が大変だったり、楽しかったりして、あっさりと夢をあきらめた。自分は、大人になったのだと思っていた。
その頃、他の友達は芝居を続けていた。その子たちが、羨ましくもあり、幼くも見えていた。その後もプロアマ問わず、芝居を観に行ったけれど、仕事がきつくなったり、予定が立てづらくなったり、恋愛したりいろいろあって、次第に遠のいていった。芝居を観るエネルギーもなくなっていった。以前は、純粋だったのではないかと思う。芝居を観ながら、物語の世界に入り込んで、インスピレーションを受けていた。衣装、照明、舞台装置。魅力的な役者さん。かっこいい科白……。美しいものや楽しいものに囲まれて、感性が磨かれていくような感覚を味わっていた。
埼玉にいた頃の私は、心が、まっすぐだったように思う。今、あのころに戻れたら、悩みはなくなるのだろうか。まっすぐが故に、歪まざるをえなくなったのではないか。……よくわからなくなってきた。
窓の外を、なんとなく見る。のどかな風景の中、ピンク色の原付が、通り過ぎていく。先生だろうか。まさかと思う。
車内を見渡す。近所の子に似た小さい子供と、白いワンピースを着たおばさん。コンバースの靴を履き、イヤホンをつけた女子高生。おじいさん、おばあさんたち。大きな黒縁眼鏡の社会の先生に似たおじさん……皆、初めて会った気がしない。
私は水色の電車に乗ったのではなかったか。この電車は、大宮行きの京浜東北線ではなかったか。そういえば、もう、随分乗っている気もする。ここは大宮よりも手前なのだろうか。それとも、乗り過ごしているのだろうか。混乱している私と、会ったことのあるような、乗客たちは、目をあわすことは無い。
不安になって席を立ち、車内を歩いていく。二つ目の車両のところで、ドアが開く。駅名を見ようとすると、大きな荷物を背負った行商のおばさんが入ってきて、避けると、ドアが閉まって発車する。
行商のおばさんは何が入っているのか、大きなつづらを背負っている。ゆっくりと、車内を歩いていく。私も後についていく。乗客たちは、私たちの様子を気に留めることも無く、半笑いで俯いている。
車両が変わるたび、乗客が増えていく。腕が、背中が、私の行く手を阻み、右に左に揺れる。ぶつかるようにすれ違った野球帽の少年は、小学校のいじめっ子にそっくりだ。すっかり、おばさんを見失った。めまいがする。
ふと見上げると、クリーム色の中吊り小説が、扇風機の風に揺られている。
やっとの思いで、最後尾の車両に着く。車掌室は、無人だ。行商のおばさんがいる。振り返ったおばさんと、目が合う。
「この電車は、どこ行きなのでしょうか」
「ふるさと行きですよ」
日焼けした顔を、しわくちゃにして、笑いながら言う。
と、電車が、止まった。
「君は行かないの」
振り返ると、虫歯男がこちらを見ている。電車の中の人たちは、皆居なくなっている。男と目が合う。よく見ると、愛嬌のある顔をしている。おばさんも、居なくなっている。男は瞳を輝かせながら、ドアの向こうを軽く指さし、優しい声で言った。
「終点」
私は今、歩いている。広大な敷地。等間隔に並べられた、墓石の群れ。蝉の声が遠くに聞こえる。熱風が時々通り過ぎ、木々の葉を揺らしている。
飲み物を買い、ベンチで流し込む。親子連れが近付いてきたので、ベンチを譲る。帽子だけでは心もとなく、日傘をさす。縁石に沿って、歩いていると、ほどなく、渋い色のワゴンが通り過ぎる。中の従兄妹と目が合い、お互いに、手を振る。
叔父が墓を洗う姿を、見つめる。線香を分け合い、順番にあげ、手を合わす。神聖な気持ちになって皆、静かに、祈る。
墓参りの後、叔父の家にお邪魔した。扇風機、蚊帳、ゴーヤのカーテン。手作りの西瓜。ぶどう。新鮮な野菜。なんだかタイムスリップしたような気分になる。
夕飯をごちそうになり、洗い物を手伝っていると、叔母が、
「お金、困っているんじゃない?」
心配そうな表情で言う。
「……今はまだ、大丈夫です。本当に困ったら、相談します」
それならと、自家製の野菜をお土産に包んでくれた。
帰り際、叔父が真剣な眼差しで、
「いつでも来ればいいよ」
と言った。祖父に顔が似てきたと思い、なんだか祖父に言われたような感じがして、しんみりした。
叔父が駅まで送ってくれた。北浦和から、京浜東北線で南下する。夜ももう遅い時間なのに、電車は混み始める。雑誌から抜け出てきたような若者たち。じろじろ見るわけにもいかず、目を閉じる。
前は逆の立場だったのに。夜遊びは好きだった。夜になると、ワクワクしていた。お酒を飲んで、歌って、はしゃぐのが好きだった。今は、夜の街が、何となく、怖い。暗闇が、何かを隠しているような気がして、昼間出かける方が好きになった。私もおばさんになったのかな。
行商のおばさんを思い出す。
『ふるさと行きの電車』と言っていた。おばさんは、つづらに自慢の野菜を詰め込んで、街で売り、代わりに、何をふるさとに持ち帰ったのだろう。
私には、帰れるふるさとは、もしかするとないのかもしれない。けれど、ふるさとは、私の中にある。それでいいんじゃないか。昔の自分に戻ったような感覚。訳もなく癒される感じで……。有難うと言いたくなる。そして悲しくなる。私は、自分で思うほど、不幸ではないのかもしれない。世間は広い。私よりも大変な思いをしている人も、面白おかしく暮らしている人もいる。そうやって、皆、生きている。
部屋に着く。闇。ここが、今の私の住処。浮足立った感覚が徐々に闇に侵食される。
「ただいま」
返事はない。また一人ぼっち。もう、行くところはどこもない。
「仕事、探そう」
呟くと、ふと、先生の言葉が頭に浮かんだ。
『要領悪くても、人が好けりゃあいいんじゃないか』
先生……。涙が、つうと流れた。 了