8月 2020.8.石川詩央里
今日は8月9日。長崎の原爆から75年経った日だ。原爆と言うと、中学の頃、演劇部で、広島の原爆をテーマにした芝居を演ったことを思い出す。戦後75年、今、生徒に戦争をテーマにした芝居を演らそうとする先生など、居ないのだろうか。
節分の、鬼は外にしたって、最終的には鬼と仲直りして、子供たちとハイタッチさせているらしい。日本以外の国は、今でも、どんどん武力を強めているし、憲法九条は、どうすべきか、正直今、私の中では曖昧になってきている。
ほそぼそながら作家活動を続ける中で、今まで私は、政治や、戦争などについては、発言していない。正直ノンポリで、選挙もB層だ。なぜなら、私は看護師だから。看護師は、本来、全員相手にしなくてはならないから。右左関係なく、看なくてはならない。マイノリティーだろうとなんだろうと、共通していることは、けが人、病人、であるということなのだ。
今は、コロナのおかげで、世の中がひっくり返って、先がわからない。私は無力な、名前だけの末端看護師だ。仕事は、はっきりいって私には向いていない。けれど、今は、自分も生きるために、これしかない。と、今の職場で働きながら、考えるようになってきた。それでも、やる気をなくしたり、テキトーになったりしながらも、逃げようとは思わない。やっと、人生の答えが出たくらいの気持ちになって、今はスカッとしている。夏休みまであと一日、目いいっぱい頑張ろう。
今日は8月13日。待ちに待った夏休みも2日目。今年はなんと、シフトの関係で6連休なのだ。
一番マシに撮れた自撮り画像を、家族にラインで送ると、母親からは、肌に張りがないし、疲れて見えると、ダメ出しを喰らい、凹んだ。父親は、がんの薬の副作用で肺炎になったというが、コロナではないとは言うのだが、本当だろうか。妹は、教師なのに、スタンプがピカチュウで、受けた。
友人たちも、それぞれ、活躍しているようだ。子供たちも成長しているらしい。人生いろいろだ。
今の時代、仕事がある、というだけで、良いと思わねば。無い頭も使うし、試行錯誤の毎日で、私は逆境に会うと、燃えるタイプなのかもしれない。と、最近自覚した。
今年の文藝軌道の締め切りまで2週間。編集長からは何の連絡もない。そろそろ手紙が来るはずなのだが。原稿は、出来ているので、送るのみ。いつも、急かしてしまうので、今回は我慢して、気長に待とう。
今日は8月20日。シフトの関係で休みだ。夏休み気分がまだ抜けず、やや浮かれている。
先日テレビで見たジブリ映画のおかげで、通勤途中の電車から見える、木々や街並みが、際立って美しく見えた。
仕事はここのところ、水を飲む暇もないくらいバタバタしていて、新患さんたちがコロナ前と同じくらい来ている。まだ、暑いせいか、皆午前中にまとめてくるので、昼休みも気が立って眠れない。そうゆうのも、多分ストレスになっていて、今はハイなのかもしれない。
私は、やる気のバロメーターが、極端な方で、今は体調もそこそこに良く、夏休み明けで機嫌が良いせいか、妙に前向きだったりする。コロナはピークを過ぎたとか、繰り返し再発するとか、今でも色々な情報が飛び交っている。
とりあえず、私が今やるべきことは、感染対策を出来る限りすること、冷静に行動すること、無駄使いを辞めること、気をしっかり持つこと、健康管理。といったところか。
今日は8月31日、休み。
先週がきつかったので、今日の休みは洗濯のみして、後はごろごろしている。といっても、ずっとスマホをいじっていて、母とラインしたり、ネットサーフィンしているので、寝転がっているものの、ゆっくり休んでいるとはいえない。
先週は、職場で、2回ほど点滴した。2回とも、一発OKだったものの、かなり冷や汗をかいた。他にも、診察の人が結構いて、赤ちゃんまで来院しバタバタだった。
金曜は、首相が、体調不良のため、辞意を表明した。いつからからだったか、顔色が悪く見えていたので、しんどかったろうと思う。やり残したことは、後輩たちに、うまくタスキを渡せるといいと思う。
私も、体調不良で仕事を辞めた経験がある。ボロボロだったから、気持ちはよくわかる。さぞかし、苦渋の決断だったろうな。
話は変わるが、夏休みに始めた、メルカリというフリーマーケットが、二週間たってもまだ1品しか売れていない。価格は、アプリのお勧めに従っているので、品物に魅力がないんだろうな。今朝、母と話して、妹にいらない服を上げることにした。他人様に売るより、気楽かも知れないと思った。
コロナは相変わらずだけど、明日から9月。気持ち新たに頑張っていこう。