扉 石川詩織
文藝軌道2012.10月号
朝。
いつもは早く起きるのに、今日は寝坊した。仕事があるというのに。昨夜夜更かししたからだ。寝ぼけながら、自室のドアを開ける。外の空気が入り込む。一歩出ると、ひんやりとした空気に包まれる。少し、眠気が飛ぶ。商店街を抜け、駅へ向かう。今日も、一日が始まる。
少し動いただけなのに、サマーセーターの中では、もう汗ばんでいる。駅前のパン屋さんから、焼きたてのパンの香り。私は、朝ご飯を食べない。何年、そんな生活をしているのだろう。寝ぼけて食べて、気持ち悪くなったことがある。それ以来、食べていない。仕事に影響ありそうだけれど、気持ち悪くなるのと、どっちを取るかで、食べないことにしている。
浅草線から、新宿線に乗り換える。連絡通路の歩く人波。反対方向が、いつも人が多い。女の人たちの服装をちら見しながら、もう少し裕福だったら、おしゃれしたいとか、思ってしまう。
ドアが開き、女性用車両に乗り込む。九時十二分本八幡行きは、日によって、混んでいたり空いていたりする。
電車の中、馬のことを考えている。馬喰横山の駅の中の、馬。勤めて初めの頃はそんなに気にしていなかったのだけれど、ある日、以前に見たことがあるような気がして、それ以来、いつのことだか、時々考えるようになった。別の日の、行きの電車のなかでは、その日の仕事の流れを、イメージトレーニングする。イメージ通りになることより、うまくいかないことの方が多い。それは、ある程度仕方のないことかもしれない。職場の最寄り駅に着き、自動改札を抜け、ほどなく階段を登れば、地上だ。今まで地下鉄には縁がなかった。通勤らしい通勤もしたことがなかったから。以前、母が言ったことを思い出す。
『通勤も、割といいものよ。メリハリも付くしね』確かに。そういえば、母とは一年以上会っていない。メールや電話はするけれど。元気にしているかな。
鉄の、重い扉をあける。ここは私の職場だ。といっても、バイトだけれど。私は看護師だ。ここは、クリニックだ。どことなくアルコール綿の匂いがする。何となく、視覚的に白い感じ。私は診察の介助をしたり、電話を取ったり、会計したり。個人の先生のクリニックだから、いろいろする。パタパタとしているうちに、一日があっという間に終わる。前の職場を辞めて、しばらくごろごろ過ごしていたので、まだ、慣れない。週三回のバイトで、もう、三か月がたってしまっているというのに。
ここで勤めて、初めの頃は、帰りの寄り道が楽しかった。夕飯を買ったり、ウインドウショッピングしたり。初めてバイト代が入った日、嬉しくて、自分へのご褒美とか言って、五反田でマッサージ受けて、外食して帰ったりした。私は時々、収入に見合っていないお金の使い方をしてしまう。反省。そう思ったら、ひどく味気ない気分になる。皆、どうやってやりくりしているのだろう。
地下鉄の車両の窓に、私の姿が映る。自分の、姿かたちが嫌い。ふと、思う。不細工なのに、愛嬌もない。年のせいか、固太りするようになってしまった。眉毛はぼうぼうだし、目は垂れ目。肌は荒れている。夏らしくなく、気持ち悪いくらいやたらと青白い。髪は、今時、ワンレングス。……お化けみたい。
以前、ある人に言われた。
『おまえ、お化けみたいな女だなあ』
ショッキングだった。ある人は続ける。
『見えているものが、その人のすべてなんだ』
その言葉の、本当の意味を、私はまだ、理解できていない気がする。
今日は平和な一日。電車が遅れることもなく、外来がてんてこ舞いになることもなく、定時で帰れる。当たり前のように何もない日。最近、そんな日が、とても大切に思えるようになれた。
前の仕事を辞める時、実は少し揉めた。転職もなかなか思うようにいかず、失敗ばかりしていた。病気が原因で首になったり、ほかのスタッフと気が合わなかったり。いろいろあって、流れ流れて今のところへ来たのだ。
ここの人たちは、皆、優しい。私の感じ方の問題なのだろうか。今までとは、また違う感じで。久しぶりに、働くのが楽しいと思い始めた。というか、思い出してきた、といっても良いかもしれない。自分では、そんな風に感じる。
帰り道。いつも通り馬喰横山で降り、浅草線に乗り換えようと、改札を抜ける。東日本橋のホームには、点々と人が居て、私から少し離れたところに、就活スーツの女子学生が立っている。そこへおばさんがやってきて、しきりに女子学生に話しかけている。
きっと、乗り換えがわからないのだろう。学生さんも、地元でなければ、説明は難しいだろうな……。と考えながらちら見していると、今度はおばさんがこちらへ来て、
「ここへ行きたいんです」
メモには、馬喰横山で乗り換えとあった。今いるのは東日本橋。
「改札出て、階段降りると案内出ていますよ」
「外でないって言われているんです」
おばさんは、ややパニックしているのか、額には玉の汗をかいている。そして、少し訛っているように思えた。
繰り返し説明すると、改札の足元の案内を見つけ、
「わかりました。ありがとうございましたあ」
と、改札を抜けていく。着いていこうか、とも思ったのだけど、一旦、浅草線の方に入ってしまったしなあ、とか思っているうちに、おばさんは急ぎ足でその場を去って行った。
私も、初めての時は迷った。確か。あれはいつだったっけ。……そうだ。新人の頃。学生時代の友人の寮に行こうとした時だ。馬も、その時に見たことを思い出す。そうか。やっと繋がったような気がする。
馬。
ゲートが開いて、一斉に駆け出す。トゥインクルレース。初めての体験。前の職場の人たちと行ったことを思い出す。ライトアップされた競馬場。きらめく鬣。馬って、美しい生き物なのだと思った。あの頃。生きるのは、楽しむことだと思っていた。何も知らずに、目の前のことをこなしていた。充実していると思っていた。それは、ある意味、真実かもしれない。幸せなことだったのかもしれない。今は違う。生きるのが精いっぱい。人に頼りたいけれど、負けず嫌いだから素直になれない。ある人の言葉を思い出す。
『あなたは、人生の楽しみを、何一つ経験していない』
そんなことはない、と思っていた。でも、それは大いなる勘違いだと、今頃になって理解する。私は、私のやり方で、生きていくしかない。生きる喜びも、経験してみたい。こういうのって、希望っていうのかな。
ガラスのかまくら。
私以外の、誰も入れない、一人用のかまくら。外の様子も見えるし、曇っているから外からはあまり見えないはず。いつからあるかはわからない。というか、初めは壁だけだった。そのうち、後ろとかも気になりだして、ガラスのブロックをコツコツと積み上げ、今のかまくらの形になった。
うん。バリアみたいなものかな。誰も守ってくれないから、自分でこさえるしかなかった。結局、他力本願は良くないということなのだろうか。
休日。
アルバイトの身なので、時間に余裕が持てるようになった。午前中は掃除。昼ご飯を作り、食べ、午後は美容院へ行く。髪をいじられながら、雑誌を読んでいると、私みたいなのは、『お籠り女子』タイプなんだそうだ。出かけるのはお金使うし、他の人に気兼ねせず、自分のペースでいられるから、やっぱり一人で部屋で過ごすのは好き。たまに心細い夜とかもあるけれど。そんな日は、音楽をタイマーにして、薬を飲んで、寝てしまう。
そんな感じで、日日過ぎていく。最近、人生は、こういう繰り返しの連続なのではないかと思うようになった。そんな中から、幸せの芽を見つけよう。毎日、というわけにいかなくても。
震災から一年が過ぎた。
もう? という感じだ。私の気持ちも、少しかはわからないけれど、変化した気がする。天災は、おこるのだ。もし、生き残っても、もし、死んでも。自分の力では、どうしようもないこともあるのだ。
部屋の中を見回す。本棚。CDラック。洋服。パソコン。これらのものたちが、いざとなったとき、どれほど必要になるというのだろう。と、考える。多分、何もいらない。
いつ死んでもおかしくないのなら、先のことばかり考えて、暗くなっていた自分が、滑稽に思えてくる。外は嵐。被災地の人々を思う。
今、私は扉を開こうとしている。くすんだガラス戸。四方を自分で積み上げてきたガラスのブロック塀に囲まれて。
私は今まで、何をしてたんだろう。なんで、ここに閉じこもっていたんだろう。よくわからない。丸裸で生きていくのが、恐ろしかった日々。周りの人が怖くて、怯えていた。タバコの脂で戸はくすみ、燻製小屋のような部屋の中。ゴミの山、いろいろなものたち。くつろぐとは、決して言えない環境で。小さくなり震えながら、私は生きていた。
そこを、今、出ようとしているのだ。これはいったいどういうことか。今、また生まれていくような、そんな未知な思いだ。
ある人に言われた。
『心の扉を開いて』
了