5月 2020.5 石川詩央里
GWは、というと、初日に家のことを殆どすませ、あとは友人たちとライン三昧だった。
休み明けの土曜、いつも土曜は決まって半ドンなのだけれど、最近にしては珍しく混んで、入ったばかりのころの比ではないけれど、感染予防の掃除も加わっているせいか、体力的にきつかった。すべて終わり、いざ帰ろうとすると、最後の最後で、消毒していないスリッパを発見し、もはや半泣きだった。
注文していた花を、クリニックのビル内にある、花屋で、受け取り、家主のお婆さんが、じきじきにお会計してくれ、お嫁さんが包んでくれた。
暑い中、帰宅すると、更年期のようないらいらや、のぼせもあり、何だか悔しいような、悲しいような気分になり、お昼も食べずに、不貞寝した。
翌朝、母にラインする。母の日と、母の誕生日には、いつも連絡している。今年は予算の都合で、カーネーション一輪。ラインは画像も送れるので、部屋を少し片付け、撮った写真を、送る。母は、熱が出ることも無く、父がリビングを陣取っているせいで、部屋の片づけをする気になれない、とぼやいていた。私もそうなのだけれど、母は、というか私の家族は、話をややオーバーにするところがあるから、本当は、ちゃんと、片付けていると想像する。
私は看護師だから、当面、友人や家族に会えない。SNSがあって良かった。
GWが終わり、全国的な自粛も、徐々に解除されてきている。注文していたマスクたちも、ちょいちょい届いてきてはいるのだけれど、外国製のせいか、枚数が違っていた。通販サイトの書き込みも、出来なくなっている。なかなか届かず、気をもんではいたけれど、以前の書き込みを見ると、みな、私と同様のものが、少なく送られているようで、直接業者に問いあわせる勇気も無く、泣き寝入りして、使うしかないかもしれない。
もやもやしながら毎日が、流れていく中、職場で、オレンジをたくさん頂いた。種が多いけれど、甘くておいしい。果物は、今の私には、なかなか買えない。肌荒れも、少し良い。ビタミンCかな。ありがたく、食べている。
昨日は、自分の受診日だった。
昔、手術室勤務の時、過労とストレスで、一時期見当識障害状態となり、二回ほど入院した。その時の主治医の先生は、もう、20年以上のお付き合いとなる。
昨日は、コロナと、仕事の不安で、眠りが浅く、再発までは行かないものの、とにかく休んで、少し、ストレスを和らげましょうと、薬が増えた。普段、あまり薬をいじらない先生なので、ああ、私は、今はぎりぎりの精神状態なのだ、と自覚して、悔しくて、帰り道、泣けた。主治医の荷川先生とは、喧嘩したり、励まされたり、飴と鞭まではいかないけれど、不思議と、自分が、俯瞰しているような感覚にしてくれる。
私の場合、黙っていれば、他の人たちには分からないのか、免許センターの更新で、診断書持ってきてなどと言われてしまうほど、回復しているらしい。入院した当初から考えると、本当にいろいろなことが起こったけれど、名医のさじ加減で、どれだけ救われてきたことかは、計り知れない。恩人の中の一人。感謝しかない。今夜も眠れない。ipodが、子守唄となる前に、聞き終わってしまいそう。今は、サザン。音楽含め、電気代を節約しないと。この後、梅雨になり、夏が来る。
今年も猛暑だろうか。
5月末、と以前言われていた緊急事態宣言が、昨日、少し早めに解除された。テレビでは、しきりに新しい生活と、言ってはいるが、人々の価値観は、どう変わっていくのだろう。今日、職場の人たちは、もう、公衆トイレは怖いよね、と言い合っている。私も、今は抵抗あるかな。これから、やむを得ない場面ももちろんあるのだろうけれど。
電車も少しすいている。以前はすし詰めだった。テレワークも、段階的に解除とのことだったし、会社によっては、そのまま、テレワーク勤務というところもあるとか。
居酒屋さんで、フェイスシールドを貸し出しする映像など、どこの職場も、試行錯誤している様子が、ネットやテレビに映し出される。
そんな中、職場の近所にユニクロができたと、皆、喜んだ。ドンキもオープンしたとか。東急の駅ビルも、名前が変わるタイミングで、自粛となり、近いうちにオープンするのだろうか。
街は、姿を変えながら、刻一刻と、進化している。街は、生きている。少し、明るいニュースだ、と今日は感じる。
マスク、といえば、手持ちのマスクを良くないけれど、洗って使っている。医師会や、寄付のものを、小分けにして、スタッフで分け合ったものだ。正直、情けない。そんな中、
一日、頑張って働いて、小雨の中、帰宅すると、政府からのマスクが届いていた。