三月 2020.3石川詩央里
三月に入り、桜もちなどを食べてはみたものの、コロナコロナで気分は晴れない。ドラッグストアのマスクは売り切れが続き、我が家の残りも、あと僅かとなった。
テレビでは、トイレットペーパーの在庫ありますから、慌てて買わないでと、大型スーパーのトイレロールの山を映している。学校は、休校が続き、在校生不参加の卒業式で、校歌を歌わず三年生が卒業した。
職場の人たちと、問題は、マスクだよねと、言い合う。ドラッグストアでも、ナプキンも、マスクも無く、ネットでは、やたらと高額で売られていて、買う気も、お金も無かった。
昼休み、近所の自宅に帰っていた影井さんが、休憩時間が過ぎても、戻ってこない。先生が、青田さんに、目の前のビルの、ドラッグストアで、行列できてる、と言った。
青田さんは、
「マスクかも!ちょっと見てくる!」
と、財布を持って、走って行った。私は、戸惑いながら、留守番するつもりでいた。少し経ち、先生が、下の看板がガタガタしてるから、直してきて、と言うので、下に行くと、看板は、しっかり固定されており、ドラッグストアの方を振り向くと、青田さんが、必死でこちらに手招きしている。おいでおいでと言っている。横断歩道は丁度青で、わたしは、思わず、走った。影井さんもいて、三枚入りのマスクを握りしめ、行列に並ぶ。白衣のまま並んでるとか、花粉症用のマスクとか、関係なかった。無事に買え、クリニックのビルに帰りながら、何だかわからない感情がこみあげてきて、泣けた。
コロナとは関係あるか不明だけど、春先ということもあって、仕事がバタバタだ。人数は少ないけれど、重症度の高い患者さんが来院する。外国人のひょうそ、蜂かしき炎の年配者・・・2月の終わりから、三月の半ばまで、出勤日は必ず点滴があり、点滴が苦手な私は、正直、集中力を使い果たし、ぎっくり腰にもなり、休日はすっかり引きこもりがひどくなった。
それでも、家事と仕事は、最低限でもせねばならず、しんどい。今年は、東京でのオリンピックの開催も、どうなるのか、という感じとなり、オリンピックの後に不況が訪れると、先日まで言われていたが、株は暴落し、失業者が増え、政府は、国民の経済対策として、現金給付や、公共料金の支払いの延期、などを行うと、発表している。
自分の健康や、仕事、住まいの問題も、もはや他人事ではない。できるだけ、冷静に対応しなければならないけれど、いざという時に失敗する私は、救われないかもと、情けなく感じる。家族、友人、いままでの、出会った人々は、今、どうかんがえているのだろう・・・
最近、季節的なものか、気分の浮き沈みが激しい。ぎっくり腰をしてから、食料を買いだめして、自室にこもってる。
以前は家事もがんばっていた時期もあったけれど、今年に入ってから、すっかりやる気が失せている。
休日の朝は、洗濯機を2~3回回し、ブラックコーヒーをすすりながら、ツイートする。スマートフォンで、ダウンロードしたJ-POPを、聞きながら、ネットのニュースをチェックし、洗濯が終わると、調子のよい日は、掃除と片付けもする。
そのままの勢いで買い物に出かけ、1週間分の買いだめをし、大荷物で帰る。どうも最近、胃が大きくなったようで、かなり、色々増えている。物価もさりげなく上がっているし、コロナ消費もすごい。家計のやりくりも、疲れてきた。
「東急に、マスクあったよー!」
時差出勤で遅れて来た青田さんが、入ってくるなり言った。小島さんと、わたしは、朝の準備が終わっていたので、慌てて財布を持って走った。結果は売り切れだった。
休日、近所のドラッグストアで行列ができていて、最後尾の女性に尋ねると、
「マスク」
と、教えてくれたので、私も並んだのだけれど、五分か十分後には、本日分は、売り切れましたあ!と店の男性社員が叫んだ。
背に腹は代えられず、ネットでマスクを注文する。価格は、五十枚入りで、二千五百円。
政府がマスクを配布すると言うと、『アベノマスク』と言われたり、東京がロックダウンするとかしないとか、いろいろな情報が錯綜する。
とにかく、マスクを手に入れなければ、という思いばかりで、休日も、緊張していて、不安が広がり、気がつけば、生理が止まっていた。
食欲だけは充分あり、花粉症はあるが、熱も無く、乾燥しているのか、空せきがたまにある。自分が感染したら・・・とも、いろいろ考える。ひどく疲れていて、落ち着かなくて、やり場のない思いを、ずっと抱えている。
小島さんが、教えてくれた、医療用品の、通販も、注文した。ネットも注文した、白衣の通販のところも、ファックスした。あとは、マスクさえ無事に届けば・・・という矢先に、自宅に荷物が届いた。頼んだところとは、違うところから、謎のマスクが届いたのだ。こわいしかない。スマートフォンに、非通知の電話も入るし、怖くて、電気をつけたまま、一人の夜を過ごしながら、いつの間にか、眠っていた。
翌朝、気分が悪くて目覚めると、束になったマスクが視界に入り、せっかく誰かが贈ってくれたのに、不安が解消されることはなく、途方に暮れた。