ねこ
文藝軌道2020,10月号 石川哲子
職場の小島さんに、雅叙園のチケットを、譲って頂いた。
先日、小島さんのご家族の方が、体調を崩してしまい、行けなくなったらしく、私に白羽の矢がたったのだ。
猫がテーマの展示会で、幼馴染の絵美に振られ、だめもとで猫好きのツルを誘ってみると、やや渋ってはいたものの、OKしてもらえた。
「写真撮影OKだし、土足禁止だから、靴下持って行った方がよいよ」
小島さんのアドバイスを、そのままツルにもメールした。
土足禁止かあ。しかも、階段が百段あるとかで、ここ数年体力の落ちている私は、少し躊躇したが、折角だし、という思いの方が勝っていた。
美術展なんて、何年振りだろう……。
そう考えると、学生時代に行ったきりのような……そういえば、湯河原で一人旅をしていた時、旅先で、行ったわ。それも、もう、十年ほど前の話である。
今思えば、なのだが、十年ほど前までは、体力もあったし、好奇心もあったな。最近は、更年期の始まりの、おばさん約一名、というところだ。
雅叙園は、大きな病院に勤めていたころ、忘年会か何かで、一度訪れたくらいだと思っていたけれど、かなり昔、祖母に連れられて行ったような、曖昧な記憶もあるようなきもした。靴下、という話で、なんとなく、祖母のお友達が、用意してくれていたような、記憶がぼんやり脳裏に浮かんだ。
約束の日、私は午前中仕事だったので、ツルと五反田で待ち合わせた。レミイという駅ビルの、イタリアンのお店で、窓際に座らせてもらい、五反田の街を眺めながら、昼食をとった。私はカルボナーラ、ツルはぺペロンチーノで、おいしいねと言い合いながら食べた後、ツルが、
「にんにくくさい人、入れないかな」
と言ったので、そんなことはないよ、と笑った。
デザートのケーキもあっという間に食べ、私たちは、目黒に向かう。山手線の車内で、
「電車苦手なの」
と、どこにも掴まらずに、ツルは、ふらふらと揺れながらゆうので、
「手すりに掴まるといいよ」
と、教えた。
五反田から、目黒はひと駅である。チケットの地図を頼りに、坂を下りていくと、五分ほどで雅叙園に着いた。
新緑の中庭の見えるロビーから、すぐ左手に、百段階段の入口があった。
受付でチケットを渡すと、ビニール袋を手渡され、装飾の綺麗なエレベーターで、3階に着くと、靴を履き替えるフロアーがあり、先ほどのビニール袋の出番となる。半日仕事で汗をかいていたので、足の臭いが気になったが、そこは、皆同じ、とやや開き直り展示室へと向かった。
入口には、大きな猫のぬいぐるみ的なオブジェがあり、その横には、猫耳のミュージシャンの人形が、楽器を持って並んでいた。
階段を十段ほど上り、初めの展示室に入ると、リアルな猫の置物が、何匹も、気持ちよさげな表情で横たわっていて、ツルは、
「ニャー!」
と歓喜の声を上げた。畳のところに、何匹も、思い思いの格好で寝そべっていたり、よじ登ろうとしていたりで、私たちは、かわいいかわいいと二人とも、何枚も写真を撮った。
百段階段、というのは、実際には九十九段らしく、途中途中に、展示や、物販のフロアがあるようだ。お客さんたちも、どこか猫っぽい方たちで、かばんに、猫の缶バッチや、キーホルダーを付けていたり、小さめのぬいぐるみを、かばんのポケットから覗かせている人もいた。土曜だったせいか、作者の方も、何人か、お見かけした。
私と、ツルは、順路に沿って階段を上っては、フロアの展示物を見て回った。個人的に気に入ったのは、源氏物語のワンシーンという感じで、十二単を着た猫が、寄り添いあっているのと、お相撲さんの、化粧回しを着けた猫が、土俵にぐるりと並んでいるフロア、最上階にある、おみくじのフロア、等だ。
おみくじは、何体あったか忘れてしまったけれど、引いた番号に、其々いろんな招き猫の置物が、飾られていて、その猫の置物の、ポストカードが貰える、というものだった。
ツルは、やる気満々で、臨んでいた。
一通り見終えて、雅叙園のなかを散策すると、お高そうなブティック、結婚式の相談窓口などがあり、中庭の前にたどり着いた。
「中庭、よさそうだよね。入れないのかな」
と、ツルに話しかけていると、丁度、ガラス戸が開き、人が出てきたので、入ってみることにした。
結婚式の、下見なのか、お見合中なのか、若いカップルと入れ違いに、中庭にはいると、見事な新緑の庭になっていて、すべて黄緑色の、草木たちが、計算されているかのように、美しく、植わっている。これから色がつくのか、黄緑色のアジサイもあり、チケットを譲ってくれた、アジサイ好きの小島さんを思い浮かべ、温かい気持ちになった。
雅叙園を後にした、私とツルは、お茶をしに、駅近くの、アトレに入り、タリーズコーヒーで各々飲み物を買い、店外の、石のベンチに陣取った。
そこで、いろいろ話をした。ツルは、夢中になれる、何かが欲しいと言う。また、仕事はきついそうで、体力的にも、厳しいらしい。
ツルは、いま、ハンデのある子たちの施設で、アルバイトをしている。続かないだろうと、友人皆、心配していたが、十年近く、続いていて、見直した。ご主人の実家に、引っ越しすること、手術を受けるかもしれないこと、なども打ち明けてくれ、あまり良いタイミングのお誘いとは言えなかったか;;と、心が、ちくりとした。
そのあと、小島さんが、猫三匹と、犬一匹とくらしていることなど、とりとめなくはなし、夕方近くになってきたので、ツルは、私と反対方向の山手線で、帰って行った。
ツル、といえば、ハナという、美しい猫を昔飼っていた。白と茶と黒の三毛猫で、芝居仲間のアイドルだった。
ハナは、皆の輪に入り、可愛がられ、気が向くと、家の外へ遊びに行き、すこしすると、ちゃんと戻ってくるような感じだった。ハナは病死し、ツルは今、違う子を飼っている。
何歳まで生きたかはわからないけれど、仲間たちは、とても悲しんだ。私も、ツルに頼んで、ハナの写真をいただいた。
ペットは、死ぬと悲しいから、と祖母にゆわれ、父親がねずみ年で猫嫌いなのもあって、
私は、今まで猫を飼ったことは無い。
SNSでは、可愛い子犬や猫の画像が溢れているけれど、私は、経済的にも、気持ち的にも、今は余裕がないから、飼えないなと思う。
おみくじの招き猫のポストカードを、なんとなく、飾ろうと思い、食卓に置いたのだけど、そのあと、いろいろちょっとしたラッキーが続いている。ご利益だろうか。仕事の帰り道、エレベーターのボタンを押したとたんに、丁度、その階に、エレベーターが居たり、
通勤電車でたまたま席が開いて、座れたり。
ここ数年、冴えない感じで過ごしていたから、戸惑うけれど、正直、嬉しい。ツルも、何か良いことがあったらいいな。
誰かの幸せの陰には、誰かが不幸せだったりする、と昔どこかで聞いた。苦労性で、心配性の私は、良い思いをしたら、罰が当たるんじゃないか、と考えがちで、逆に悲観的になることがある。少し良いことがあり、浮かれると、必ず転がり落ちる、その繰り返し。
芝居をしていたせいか、病気のせいか、どうも感情表現が、いちいちオーバーで、若い頃のように、通用しないのに、ちょっとした不満が募って、イライラしたり、心配性になったりする。猫のように、優雅に立ち回れたら、どんなに素敵だろうか。
そんなことをカードを眺めながら考えていたら、黒猫が表紙の、文藝軌道が届いた。