たいやき

 たいやき
               文藝軌道2018.10月号 石川詩織

 雨。
 十月も終わったというのに、今夜は台風がくるそうで、私の住んでいる街にも朝から雨が降り続いている。
 今日は日曜。この悪天の続く中、できるだけ出かけなくて済むように、週末の内に食料を買い込み、浴室乾燥機で洗濯物を乾かす。一人前の夕食を作り、食べ、さて何をしようかなとお茶を淹れると、何か甘いものが食べたくなる。あのたいやき、食べたかったな。

 私は今、アルバイトの看護師をしている。
大きな病院を辞め、転々とし、今の職場にたどり着き、気づけば4年と少し、続けることができた。大きな病院を辞める時、自分がひどく締め付けられているような圧迫感を常に感じでいて、かなりのストレスを抱えていた。正社員だったので、休みは週一回か、もらえて二日、祝日や正月も休みなく働き、兎に角休める時間が欲しかった。

 今の職場で、私は、週三回のアルバイトだが、もう一人の看護師さんは、掛け持ちもしている。私は今のところここだけにしている。休みの日は、家事。といってもまだまだ修行中だ。けして、安穏と暮らしている訳ではない。節約もしなくてはならないし、仕事も、いつもいろいろあって、悶々とイメージトレーニングしたりする。ストレスを感じることもあるが、それでも、あの大病院を辞めてからの方が、余程生きているという気がする。
充実とまで満足はできてはいないけれど。
 ここは繁華街の中の、小さなクリニック。今回の職場は、整形外科。美容の方に間違われやすいが、骨の方だ。
 院長は八十代。元気いっぱい働いている。話が好きで、一日中話している。
 患者さんは、いろいろだ。骨折、怪我、傷、腰痛、リウマチ、痛風、頸椎症、交通事故、喧嘩、労災、子供たち、学生、サラリーマン、飲食店、近所の売店のおかみさん、外国人、などなど。年齢問わず、性別問わず、国籍問わず。
 一日八時間の勤務だが、土曜日は半ドン、月八十から九十時間働く。昼休みは二時間あるので、通勤や残業も合わせると、十時間から、十一時間の拘束時間だ。毎日へとへとで、先輩の看護師が、掛け持ちもしている元気に比べると、少々情けないが、私は心臓も悪いようで、体力も落ちている現状だから仕方ない。

 ロコモティブシンドロームという言葉を知っている人はどの位いるのだろう。
 製薬会社さんの作成したパンフレットにあった。加齢とともに、筋力が落ちたり、骨粗鬆症や、骨の変形などが生じて、歩行機能が落ちた状態を、総称して云う。
 院長はロコトレの考え方に、賛同しているらしい。ロコトレとは、ロコモを予防する筋力トレーニングで、続けることで寝たきり予防に繋げていくというものだ。
 立位で手すりや机などに掴まりながら、片足立ちをする運動、スクワット、踵上げ、など日々おこなう。
 私は今、四十代前半だが、すでにロコモ予備軍のようで、運動は苦手だし、ロコトレの軽い運動でさえ、どうしたものかと言ったところだ。
 現在、日本では、超高齢化で、院長の話では、東京だけでも、今年七千人以上百歳を超えるお年寄りがいるらしい。
 日本の医療が良かっただけでなく、色々なことが、各方面の先輩である今のお年寄りたちが作り上げてきたからだと、私は考える。寿命が延び、治療法が改善される中、医療における課題は、老人の骨折だと、院長は常々話す。クリニックやリハビリに通うのも、ロコトレの一つだとのことだが、続く人は、富裕層の、比較的元気な老人が多いような気がする。

 クリニックに、リハビリで通院している人たちの中に、九十近い、認知症のおばあさんが居る。一人暮らしで、介護保険などは一切使わず、食事も自分で作り、あちこちに遊びに行っている自慢話を、受付の人に話す。
 私も含め、スタッフは、皆、彼女のことを心配しているが、本人も、考えていますとか、言いながら、来るたびに、診察券を忘れ、財布をなくし、保険証を再発行してもらった話などをする。
 若い頃は、キャリアウーマンで、生涯独身、お金は自由に使えるらしく、未だにあちこち遊びに行き、疲れをとりに癒されに来ている。   
後期高齢者のため、現在のリハビリ代は、一回百二十円程度のせいか、毎日の様に来る。夏は猛暑の中、ふらふらと、冬も雪の中、来て、院長にまで、休みなさいと注意を受けるが、ケロリとして、毎日来る。
 私も、おばあさんに、介護保険を使ったら、とか、保健師さんに相談したら、などとアドバイスをしたこともあったが、状況は変わらなかった。
 言うことを理解できないのではない、忘れてしまうのだ。いつも笑顔で、ふらふらしているのに、ひたすら通い続ける、ここのクリニックの、ロコトレ代表の様な、おばあさんが、もどかしく感じる。
 そのおばあさん、と言えば、ある日私に、
「看護師さん、甘いもの好き?」
と言ってきた。
「はい」
「この辺に、昔からあるたい焼き屋さんがあってね、良く買うの」
「そうなのですね」
「しっぽに秘密があるの。食べてみてね」
「今度、散策してみます」
なんとなく、聞き流してしまっていた。しかし、たい焼きは、好物なので、気になっていた。
 
 先日、ツルに会った。といっても、ロコモのおばあさんではなく、鶴田という学生時代からの友人だ。
 既婚だが、子供はおらず、パートで有閑マダムといったところか。有閑マダムというよりは、シロガネーゼとでも呼んであげたいような風情の女史で、気さくな人柄と、時々感じさせる気品のごちゃ混ぜのような、不思議な存在だ。
 昼に待ち合わせをし、小雨だったので、駅の歩道橋を渡ってすぐのラーメン店で昼食を食べる。ツルはここのラーメンが気に入ったらしく、
「次に来た時は餃子も食べたい」
と、微笑んだ。
 店内は、何故か学生ばかりで、何となく落ち着かず、私が前から気になっていた、例のたい焼き屋を探しに、歩道橋を降りた。平日のランチタイムに差し掛かって、ソニー通りは昼食を食べるお店に並ぶ人々が、あちこちで溢れている。ファミリーレストランを過ぎ、一つ目の信号を曲がり、つきあたりまで歩いたところで、ツルが先に、たい焼き屋の幟を見つけた。
「どうする?」
「今は甘い物の気分じゃないかな」
と、ツルが言うので、小雨も降っているし、駅ビルへと引き返した。 

 ツルと私は、駅ビルを散策し、喫茶店に入って、取り留めのない話をする。ケーキ、奢るわよ。と言ってくれたので、お言葉に甘えて二人でコーヒーと、別々のケーキのセットを注文する。ケーキは、其々、お洒落な感じの盛り付けで、とても写真映えのする感じだ。二人分を並べ、スマートフォンで、撮影する。
お互いの仕事のこと、最近の体調、家族のこと、共通の友人、かつての芝居仲間の近況、最近好きなもの、こと、などなど話した。
 
 喫茶店を出、若い女性向けの、ファッションや、アクセサリー、バックの店などを二人でウロウロして、夕方には帰ってきた。
 一人の自室に戻り、お茶でも飲もうかと思った時、たい焼きのことを思い出し、なぜかしんみりした気分になってしまった。
 何時だって買えるけれど、ツルと食べてほしかった。お洒落なケーキも良いが、昔ながらのたい焼きだって、全然負けてない。と、私は思う。
 ツルに、
「千佳ちゃんには、白髪がないのね」
と、笑われたが、目立つ所に、数本ある。服も、何着ても似合わない。眼も悪くなってきていて、充分、たい焼きと日本茶の似合う年頃になってきた。
 たい焼き、そのうち、買いに来よう。少し歩いて体力をつけなくては。ロコトレのおばあさんより、私の方がへとへとでは、情けないだろう。

 そういえば、たい焼きの、しっぽの秘密とは、何なのだろうか。
 
               了
作者より。現在、たい焼き屋さんは、閉店したようです。2021.7.25siori