子供の頃、母の実家に遊びに行った。
私が小学生の頃だったと思う。川で水遊びをした。
大きい子達は、高いところに上って、どんどん川面に飛び込んでいく。
臆病で、気の小さい、運動音痴の私は、
「楽しいからやってごらんよ」
田舎の子供たちに言われる。
プールしか知らなかった、都会っ子の私は、みんながうらやましくなって、気弱さよりも、勇気が勝ち、飛び込む。
飛び込むと、まず見えたのは、泡の粒。たくさんの粒子。川の中ってこんなに美しいんだ。思う。
顔を出さなきゃ。顔を出さないと、泳げない。流れの中に巻き込まれる。何もしなくても、自分が、川の中でぐるぐる回っているのが分かる。
顔を出すのは無理。流れるままにしよう。いずれ、おだやかな流れのところについたら、ゆっくり顔を出そう。小学生の癖に、妙に冷静になっていて、そして、楽しささえ感じていた。
頭を出して、しばらく流されながら泳いで、水から上がると、川のほとりにいたみんなが
「随分流されていたね。心配したよ」
と寄ってくる。
「すごく楽しかった!」
私が言うと、みんなは喜んだ。
人気のない木陰で、着替えて、母の実家に帰ってくると、スクール水着を置き忘れてきたことに気が付いた。
三年四組、いちかわまりこ。
あの水着、どうなっただろう。
引っ越したら、したいこと。
私の中で、もやもやとした、新生活への憧れのようなもの。
現実問題として、寮は出たくないのだけれど、事務の人に面と向かって言われた今。潮時とはこういうことをいうのかもしれない。だったら、もう少し、明るい方向に考えてもよいのではないか。
無理していないか? 私。自分に問いかけてみる。本当にそれでいいの?
どこか、まだ半信半疑のところもある。
寮の六畳間は、新築のときから入っているし、親元を離れてから、この十三年。ここは、すっかり私の居場所なのだ。
汚くしているし、狭いけど、愛着もある。実際、休日はほとんど遊びに行く。平日も。寮費は、借りて住むより安いので、お金の面は、何も考えずに使っている。
そんな自分を、みっともないと思うようになった。結婚もできずに、見た目ばかり着飾って、遊びほうけている……実にみっともない。
自分の生活も管理できずに、人の健康に関わるなんて、大うそつきか、偽善者だ。生活をきちんとすることが出来たら、一人前の大人になれる。自立した女性になれる。きちんとしている人は、いつか誰かと、結婚できるかもしれない。私が今まで独身なのは、生活が荒れているのを、男の人に悟られるからではないか……なんて。考えすぎ。
このままじゃいけない。いつからか、そう思うようになった。
目標。まずひとつとして、引越しをする。お金の管理をきちんとする。泥棒の入ったような部屋にしない。ご飯を作る。電化製品を買い換える。煙草とお酒を減らす……なんか、いい感じ。
久しぶりに、母に電話する。
私は、困ったことがあると、いつも母に助けを求める。母は、大卒で、頭がよい。私は専門卒だから、大卒イコール頭がよい、という短絡を持っている。母のイメージは、頭脳明晰。なんでもこなす。インテリ。ちょっと近寄りがたいけど、困ったときは、誰よりも的確なアドバイスをくれる人。
引っ越すことにした、と告げると、
「なんで?」
と返ってきた。そして、
「本屋で研究をすると、相場が分かるわよ。住宅情報誌とか、あるでしょ」
早速、本屋に行くと、かなり安いお値段で、住宅情報誌が売られている。軽く感動する。母の言うとおり、引越しのノウハウも書かれている。
部屋を探すに当たっての、最重要項目は、私の場合、値段。そして、広さ。収納。日当たり、病院に近いこと、ガスコンロがあること。お風呂が清潔であること、と続く。条件を上げるときりがない。寮より、ちょっとでも良いところに住みたい。という思いもある。
「だって、せっかく引っ越すのだもの。楽しまなきゃ」
電話を切る前の、母の言葉。
本当にそうだよな。と思う。結果的には、寮を追い出されたのだけど、生活を充実させるような住まいを見つけられたら、それはそれで良いことだ。
そのためには、計画的に、よりよい引越しをしなくては。やる気がふつふつとみなぎる。引っ越したいような、そうでないような、という迷いが、母の一言で飛んでいった。
住宅情報誌を見ながら、いつのまにか、私は楽しんでいる。
秋晴れの休日。
不動産屋めぐりをすることにする。住宅情報誌は、分厚い本だった割に池の近くの物件数が少なかった。駅前の商店街に、何軒か不動産屋があったことを思い出したのだ。
まず思いついたのは、駅の目の前のところ。二十代のとき、駐車場を借りたところだ。車は今、ない。
あの頃は、遊ぶのに夢中で、せっかく免許を取りにいって、車も買ったというのにほとんど乗らなかった。それに、毎月お金が出て行くのがいやになって、結局手放した。
今考えてみると、ちゃんとやっていれば車貧乏になることもなかったろうに、とも思う。
駅前の、不動産屋のおばさんは、印象は悪くない。私の条件を、あれこれ言うと、すぐ三軒ほど紹介してくれて、内見にもつれて行ってくれた。病院に近いところでも良かったのだけれど、駅の近くのお薦め物件まで紹介してくれる。
とんとん話が進んでいくので少し不安になった。渋っていると、おばさんは、
「ここの駅の近くだけでも、五軒、不動産屋があります。全部回って、納得してから決めてもいいと思いますよ」
食らいつかないところが気に入った。たいした物件でないときは、必死に勧めるものだ。前に、中古のマンションを買いそうになったとき、父が言っていたことを思い出す。
そのあと、何軒か回ったけど、どうもおばさんの言う、駅前のお薦め物件が、一番よい。そこにすることに決めた。決めるの早すぎるかしら。