女ごころ

 女ごころ
                     石川詩織
              文藝軌道2011 4月号

初めは、好奇心のつもりだった。
私は、『あずさビューティークリニック』でビューティーアドバイザーという肩書で働いている。具体的には、初診の人の問診をする仕事だ。
 看護師の免許を取って、普通の病院に勤めていた。三十歳を過ぎてから、じわじわと環境を変えたい欲求が高まり、十年勤めた病院を辞めた。
 いざ辞めてみて、一ヶ月くらいはあっという間に過ぎた。さて何かやろうかと思ったところで、イベントナースみたいなのはどうかと思いつき、浮かれた勢いで人材派遣会社に連絡した。その会社はイベントナースは扱っていなかったが、渋谷や六本木、原宿などのクリニックを紹介してくれた。その中で、あずさビューティークリニックを選んだのだ。
 問診票を基に、患者さまの話を聞く。若い女の人とか多いのかなと思っていたけれど、意外と老若男女なのに驚いた。男の人なのに二重にしたいとか、わずか二ミリのシミを何とかしてほしいという女性。鼻を高くしたい、たるみを何とかしてほしい、胸を大きくしたいなど。でも、綺麗になりたいという女性たちは、そのままでも十分綺麗な人が結構いるというのも不思議なものだ。
 
「美容外科?」
友人たちの反応は、様々だ。
「整形かあ……。私はブスだけど、親にもらたった顔、傷つけたくない」
一番仲の良い友人にそう言われ、ズシンと胸に響いた。それ以来、モチベーションは下がりっぱなしだ。
 それから、こんなこともあった。不動産屋のおばさんに、就職が決まったことを伝えると、
「美容外科とかは、商売柄美人は採用しないらしいわよ。お客さんのプライドが傷つかないようにするんですって」
 私は、自他共に認めるブスということかと、いささか傷ついた。でも、うちのクリニックは美人のスタッフ多いけどなあと思う。
 
「辞めたいんですけど」
「え? どうして?」
「女の人たちの、お金かけてまで綺麗になりたいという気持ちについていけなくて」
 水森梓院長は、表情を曇らせる。
「野崎さん、あなたまだ入って間もないわよね」
「はい」
「もう少ししたら、ここのいいところも、解るんじゃないかしら」
「いいところってどんなところですか」
「皆、人生、生きてくのって大変じゃない?」
「はあ」
「悩みが一つ解決することで、前向きになれたり、幸せを感じたりするものなのよ」
「……」
「美容外科はね、まだまだ保険の関係で決して安くはないわ。でもね、それでもいいから何とかしてほしいって覚悟決めてやってくる人がほとんどよ。ここに来るまでに、悩んで、悩んで、苦しんで、苦しんで来ているのが解らない?」
「……」
「来週あたりから、野崎さんが問診した人たちが再診に来るわ。手術をしにね。そのあと何回か通うから、診察に入ってみたらどうかしら」
「……考えさせてください」

 今、私は海に来ている。岸壁にある、手すりに座りながら、弓状になっている水平線を見つめている。
 空は、澄み切った青空だ。遠くに入道雲が見える。私は、ずっと座りながら、どこかとつながっている海と、果てしなく青い空を、眺めている……。
パシャっと、音がした。
 音の方向を向くと、男が、カメラを構えて手すりの外の小さな白い花を撮っている。横顔の眼差し。少し首をかしげている。美しいものを観てきたんだろうなという印象を持つ。
 男は、一枚撮り終えると、私から少し離れた所に座り、リュックからおにぎりを出して食べ始める。おいしそう。そう思ったら途端、おなかが鳴る。
 聞こえたかな? 顔が赤くなっている自分に気づく。
「よかったらどうぞ」
 男は、アルミホイルに包まれたおにぎりを差し出す。
「いや……」
「三キロ先まで食べ物売っている所なんてないですよ。しかも高いし。遠慮しないで大丈夫」
 男は微笑んだ。
 しばし、沈黙の中、二人でもぐもぐ食べていた。塩むすびだけれど、とても美味しい。何か言わなきゃ。お礼。
「月並みだけど、こうして海を見ていると、自分ってなんてちっぽけなんだとか思いますよね……」
「……」
 返事が思いつかない。
「自然の力には敵わないそんな気分になりませんか」
 男と、目が合った。綺麗な瞳をしている。この人には、私はどう見えるんだろう。そんな気がして、どこかで聞いたヘップバーンの言葉を思い出す。
『美しい唇であるためにはやさしい言葉を使いなさい。美しい瞳であるためには他人の美点を探しなさい』
そうか。そういうことか。とぼんやり思う。
                            
 了