2020.7

7月    2020.7.石川詩央里

7月に入り、ちょっとばたばたと、過ごしている。
仕事も、患者さんたちが、纏めてきては一気に帰るの繰り返しで、事務さんも、わたしも、結構バタバタだ。
先週の金曜は、皮膚科に行った。前ほど混んでいなかった。先生も、受付の人も、マスクはしていなかったような気がする。その代わりに、窓口には透明シートがぶら下がっていた。
土曜は半ドンのあと、やっと美容院に行けた。どんな感じだろうと、緊張して行ったものの、席には仕切りは無かった。マスクも、付けても付けなくても、OKです、と言われ、マスクをしたままにさせてもらった。店長さんも、スタッフさんも、マスクをしている。客は、わたしと、時間差でひとり。四つある、座席のはじとはじに座った。髪は、いつも店長さんに切ってもらう。今回は、切りっぱなしボブにしてもらった。少し内巻きにブローしてもらい、やや年相応な感じではあるものの、まずまずの仕上がりとなった。会計を済ませ、店を出ると、隣のマンションの植え込みには、青いアジサイが、咲いていた。
日曜は、都知事選で、そのあと買い物もしたかったので、午前中に行った。会場の小学校の、体育館の入口に沿って、中から列が繋がっていて、1メートルおきに、場見ってある。入口にはおじさんが立っていて、手指消毒用のアルコールを、手に吹きかけてくれる。用紙を受け取るところは、やはり、透明シート、投票机は、ひとつ置きに使用するようになっていた。皆、混乱することはなく、スムーズに終了した。印象的だったのは、わたしの前に並んでいた人が、鉛筆持参で並んでいたこと。あれは、感染予防だったのだろうか。

緊急事態宣言が解除をしてから、一月くらい経つけれど、感染者数は日に日に増え、東京では200人越えの日が続いていて、この週末は、皆自主的なのか、街に遊びに行っていないらしい。というのも、私自身もこもりきりで、ネットの情報で知った。
先月頃だったか、母が、何か渡したいものがあると、ラインしてきたけれど、気分的に人に会う感じではなかったし、アレルギーもなかなか良くならなくて、断ってしまった。そのすぐ後くらいから、感染者数が増えていってしまったので、ああ、もしかすると私はタイミングを逃してしまったのか、と思った。
私は、元来、行動がとっぴで、失敗ばかりで、鈍くさいから、良いチャンスも逃がしてしまう。その時は落ち込むけれど、忘れっぽいから、同じようなことを、繰り返している。良い歳だし、もっと落ち着きたい。
不安ばかりで、もがいている。コロナの前は、私が一番もがいていると思っていたけれど、コロナのせいで、世界中が困難なことになっている。早く、治療薬が開発されて欲しい。SARSのときだって、ワクチンができて、すぐに終息したではないか。これは茶番ではない、現実なのだと思うと、やるせない。毎日、もやもやとしながら過ごしている。
九州で、梅雨だから、と暢気に言えないほどの大雨が降っている。土砂崩れや、橋が濁流にのまれ、老人ホームでは、たった一人の介護師が、老人たちを避難したとニュースになった。
異常気象も、毎年何かしらの災害が常に起こっていて、後手後手の対策で、救われない人、救ってもらえない人も出てくる。
わたしは、看護師だから、助ける側にまわるのだろうか。持病があって、ハンデもある。難しいことは何もできない名前ばかりの看護師に、一体何ができるというのか。考えていると、自分の無力さを痛感してしまう。
避難袋も、一応用意しているけれど、避難所は急な坂の上だし、入れるかも、受け入れてもらえるかも、周囲の人たちと、うまくコミュニケーションがとれるかも、わからない。
ただ、ひたすら、自室で布団にくるまって、過ごすしかないのかもしれないな。

今は、7月下旬。本当なら、今頃オリンピックが東京で行われるはずだった。私は、運が良かったのか、チケットの抽選が当たっていたのだけれど、中止になるかもしれないと、ニュースにあった。スマホのメールには、1年後開催するようなことが書かれていたけれど、コロナのおかげでどうなるか、見当がつかない状況だ。
いつからだったろう、異常気象とか言って、夏は毎年酷暑となり、ゲリラ豪雨とか、熱中症などと言うようになったのは。地球温暖化とか、太陽が活発に活動しているとか、諸説あるけれど、更年期と、持病と、猛暑で、職場は蒸し風呂のようになるし、ここ数年で、夏が苦手になった。嫌いと言っても良いくらいだ。
コロナは終息する気配を見せず、連日感染者数が200人、300人と増えている。自分が感染するのも、もう、時間の問題ではなかろうか。先日、荷川先生のところを受診して、薬がかわったおかげか、強かった不安やイライラは、今のところ少しおさまっている気がする。
今日は祝日含めての3連休で、一日中音楽を聴きながらごろごろした。ここのところ、仕事と、家事などで追われるように過ごしていたので、本当は、やらなきゃいけないことも色々あったけれど、休む時間も今の私には、とても大事なのだ。