花 文藝軌道2021年5月号 石川哲子
サクラ
今日、買い物のために外に出たら、洗足流れの桜が、もう、だいぶ散っていて、道が花弁のじゅうたんになっていた。
今年の桜は天候に恵まれて、早咲きではあったものの、長く楽しめることができた。
私は、毎年洗足池に花見をしに行く。社会人になり、初めて場所取りをして、寒くて大変だった頃から、もう、二十年以上だ。
東急池上線、洗足池。この二十余年住んでいる。職場は転々としているが、引っ越しは今のところ、一回で済んでいる。
ここに来た当初、駅前の、洗足流れという用水路沿いの、歩道が整備されたばかりで、桜も、細くて、若い木が、等間隔に植えられていたのだが、今ではもう、だいぶ立派な桜並木になっている。今年の花見は、洗足流れ沿いに、学研通りまでのコースと、洗足池公園の二回にした。公園内の桜も、樹齢が長かったらしく、何年かまえに植え替えられたが、今年は、思っていたよりも成長していて、嬉しい。今年も、無事、桜を見ることができたのだと、笑顔で公園を後にする。
春は必ず来る。桜もちゃんと、毎年咲いてくれる。
先日、近所で、以前の職場の北山さんに、ばったり会った。お互いマスクをしていたけれど、すぐにわかって挨拶をした。私が仕事に不慣れな頃から、かなりお世話になった人だ。私が辞めてからは、ほとんど会うことはなかったけれど、彼女があまりに変わってなかったのと、まだ、頑張ってるんだと少し安心した。近況報告程度の会話ではあったものの、懐かしい気持ちになれた。
最近、自分の働き方について、少し思うところがあって、時々ぼんやりとしてしまうところがある。体力が落ちてきたのと、プレッシャーからの逃げも正直あり、今は、パートで働いている。確かに、一日働くと、いつもぐったりとしてしまう。休日は、やや引きこもりで、食べることと、寝ることが、楽しみのような毎日。同じ年頃の友人たちは、皆、正社員で頑張っているというのに、と、後ろめたい。
私は、どうも、胸が悪いらしい。時々痛くなる。心臓は、若いころから何度か指摘はされているけれど、特に治療せず、今に至っている。
私は看護師だ。けれど、実はあまり、死に深く関わらずに来てしまった。自分自身の健康にも。最近になって、体調が悪くなり、やっと少しずつ、考えるようになった。
私の休日といえば、だいたい洗濯から始まって、掃除、買い物、昼食、少し休むつもりで、昼寝、夕食の準備、という感じだ。
好きなことは、こうして、思っていることや、頭に浮かんだことを、ちょこちょこ大学ノートに書くこと。書き始めのころは、気張って、何百枚とする小説を書いたこともあったが、最近は、詩だったり、書いても十枚前後の超短編といったところか。
今は、週3日のパートの身で、一日置きの勤務なのだが、仕事が忙しかったり、体調が悪かったりすると、最低限のことしか出来ない日もある。ちょっとした文章でも、書く気力のあった日があれば、充分だ。
今の職場にたどり着くまでと、慣れるまでは、これでも結構大変だった。やっと最近になって、書く時間が増えてきて、良いことだと思っている。
作家になりたいなどと、大それたことを思いついたのは、就職してからだ。学生時代は演劇部に所属し、十代から二十代の前半くらいまでは、芝居大好き人間だった。看護師も、資格だけとって、芝居の学校に行きたい、と、夢を膨らませたりもしていた。
就職して、芝居どころではなくなり、夜勤もしていたので、観劇すら予定の立てられない状態となり、それでも、何か一人でもできる表現方法はないか、と考え、小説を書いてみようと思ったのだった。幸い、中学のころ毎日日誌を書いていた経験もあり、文章を書くのは、そんなに辛くはなかった。文章の学校に通ったりもしながら、賞に応募もしたりしたが、なしのつぶてで、自分の力量を痛感した。
ある人に勧められた自分のホームページと学校に通ったご縁で続いている同人誌で今のところ活動しているのと、自作の料理の画像をSNSに投稿したりして楽しんでいる。もともとは友人に勧められてHPの宣伝に使えるのではないかと始めた。
SNSで最近は、皆、桜の写真を投稿している。それぞれ、日本のあちこちに住んでいるのが、桜前線の北上とともに実感できる。桜並木の下を、見上げながら歩く動画や、ライトアップされたもの、私も自分の撮影したものを、毎年投稿している。
昔は、車で見に行って、目的地で咲いてなかったりして、住まいのほかの地域では、難しいと思っていたが、SNSのおかげで、今年は、全国の桜を見ることができた。もちろん、どの桜も、良かった。
アジサイ
自炊を本格的に始めたのは、今から5年ほど前。ツイッターで何か、話のタネになりそうな気がして、食事記録として始めたのだ。
確か、初めての料理は、冷やし中華だったから、ちょうどこの季節だった。
初めのころは、フォロワーさんも少なく、リアルの友人たちにあの私が料理をしだした、というやや自虐的なアピールも含めていた。
レパートリーも少なく、作れるものが、あまりなかった。そこで思いついたのが、幼少期の食事を再現するという企画だ。
『懐かしの味再現企画』と、勝手に銘打って、母や祖母、近所の友達のお母さんなどが作ってくれたものを作った。きゅうりとバナナのサラダ、リンゴのサラダ、ポテトサラダ、卵サンド、ニラ玉、マーボ豆腐、ビーフストロガノフ、ピーマンの肉詰め。レパートリーも徐々に増えていく。
それと並行して、スーパーにも頻繁に行くようになり、トマトの種類の多さに着目。
『トマト食べ比べシリーズ』として、日本各地のトマトを食べ、感想をツイートした。青森産、茨木産などが、わりとよく食べた。
あとは、カレー好きなところがあるので、レトルトカレーの食べ比べもして、これは自分では楽しかった。
最近は、節約も意識しつつ、似たようなメニュウになりつつあるが、たまに、スパイスのカレーに挑戦したりしている。
職場の人の影響で、焼き菓子や、蒸しケーキを作ったりもした。体重も増えたが、私的にはかなり初めと比べて、豊かになったと思う。
最近の職場の事務さんの話題はアジサイだ。ご自宅で育てているらしい。種類もたくさんあるらしい。図書館でアジサイの本を借りてきたりしている。私もアジサイは好きだが、ベランダしかないので、勧められたが、断念した。以前いただいた、小さなおりずるらんは、部屋のテーブルに置けるサイズなので、なんとか。とったところだ。
私の部屋の、ベランダから見える、近所の花壇をチラ見しながら、一軒家に住むと、そういう楽しみかたもあるのだなと、考えた。そして、アジサイを植えたいと言いながら、叶わなかった、祖母のことも、なぜかふっと思い出した。
アジサイは、私も好きな花だ。いつからか、梅雨時にあちこちで見かけるアジサイを、チェックして楽しむようになった。
通勤電車の窓から見える、線路沿いの家やお店の植えられているもの、近所の買い物途中に咲いているもの、出かけた先の、花屋さんなどなど。最近では、テレビでも遊園地のアジサイが見ごろだとか、ニュースで言っていて、一緒に見ていた事務さんも、行こうかなと話していた。
大輪のアジサイは見事だ。私もかつて、何箇所か見に行ったことがある。鎌倉が自分としては一番思い出深い。学生時代、平日でしとしと小雨が降っていて、とても情緒深かった。
そう考えると、最近というか、何年も、桜以外に花を見に出かけるなど、粋なことはしていない。何も知らない若いころ、私は、今よりも大分好奇心が旺盛だった。ああいう気持ちを、忘れてしまっただけなのか、もう、戻れないのかは、分からないけれど。
ある日、ふと思い立って、散歩がてら池に行ってみた。池のほとりに、お伊勢さまが祀られているので、年始の挨拶と、お願い事をしたいときや、ピンチの時など、たまに訪れるのだ。
今年は、桜を見に行ったとき、人も多くて、お参りはしなかった。最近また、職場が慌ただしくなり、プライベートを含め、なにかとアンラッキーが続いているので、気分転換の意味もあった。
平日の午前中、天気は曇り。雨は降っておらず、そんなに暑くもなかった。池は、ボートが一艘浮かんでいるのみで、水面も穏やかで、周りも静かだ。花見の時とは違って、人もまばらで、やや神経質気味になっている私には、丁度よい感じだ。池のふちに沿って歩いていると、ほどなく、すこししおれたアジサイが咲いている。すかさずスマートフォンで撮影する。それだけのことではあるが、今の私には、なにか少し、安心できた。
後日、職場の人たちに画像を見せた。色がきれいと言われ、なんとなく誇らしかった。誰かが、アジサイも、もう終わりね……と少しさびしそうにゆっていた。
アサガオ
アサガオは、早起きした人しか、見れないのよ。
母か、祖母に言われた記憶がある。子供のころ、夏休み前に、アサガオの鉢を家に持ち帰った。土も入っていたし、小さかった私は、ひいひい言いながら、帰ったものだ。
祖母が植木をしていたので、水やりようのジョウロなどもある家だった。
南浦和の、祖父母宅で、私は育った。今思えば、家にはありとあらゆるものがあった。畑道具から始まって、工具、誰かの剣道の防具、サーフボード、アニメのビデオテープ、漫画本、テニスのラケット、ステレオ、テレビ、エレクトーン、家庭用のカラオケ、マッサージチェアー、盆栽、置物などなど。そこで私は15年ほど住んでいた。
最近、昔のことをあれこれ思い出している。何かの前触れなのか、自分が年をとったからか、お盆の季節だからかはわからないけれど。
祖母は、通知表を持って帰ると、決まって私の好物を作って待っていてくれた。バンバンジー、白和え、そうめん、お中元でいただいた、あんみつや、果物の缶詰、アイスケーキ。
夏休みの始まりは、いつもわくわくした。
そういえば、祖母は夏に亡くなった。そのあと大分経って、祖父も夏に亡くなった。いつも、私のことを気にかけてくれていた二人だった。きっといまも見守ってくれているだろう。恩返しらしいことは何もできなかった。みんな、そんなものなのだろうか。
祖父母の家で看護学校の途中まで過ごし、そのあと少し、横浜で住んで、就職し、寮に入った。寮も含めて東京は人生の中で、一番長くなった。
ここ数年の、異常気象の中、この夏も酷暑だという。連日経口補水液が手放せない。近所のドラッグストアで休日に買う。
近所、といえば、昔と言えるだろう。十年ほど前まで洗足池にはバーがあった。私も毎週末通った。今は、バーどころか、お酒を飲んでいない。ある日、翌日以降の仕事に差しさわりがあることに気付き、東日本震災のころ、一念発起して、辞めた。
お酒をやめると、飲み会が楽しめないが、身体はだいぶ楽になった。バーに通い詰め、お酒が題材の小説などを書き、煙草をふかして酔いつぶれていたあの頃、今思うとかっこ悪い女性だったなあと苦笑する。
朝帰りして、アサガオに気付くことも無かったのではないか。
私にとって、自分の本を作る、というのはいつごろからか夢になっていた。
書くようになって、PCで、初めて自分の作品をプリントアウトした時も、当時通っていた文章の書き方の学校の冊子に、投稿して、初めてその冊子を手にした時も、相当嬉しかったものだ。
先日、今の職場の院長が、私の下の名前を聞いた。何でだろうと、思いながらその日は働き、土曜だったので、半ドンが終わると、院長が袋をごそごそして、院長の自費出版の本をわたされた。
すごいじゃないですか!と、思わず失礼なことを言ってしまったが、開くと、私の宛名が書かれていて、ああこのことか、と分かった。さぞかし、嬉しいだろうと思い、ありがたく頂くことにした。
今、あちこちで、前例のない災害が、次々に起こっている。
以前は、自分がどうなるのかと、漠然と不安でいた。今まで、自分自身を見つめる作業を、こうして書くことでしてきたわけだが、つい、今日、自分自身で何か気をつけて、どうなるものでもないなと、思い始めた。
ライフラインや、流通が、ままならなくなったとき、皆、無力だ。私は、看護師だが、持病のある、病人でもある。薬を飲みながら、今の職場で、やっとこさっとこ働いている。あまり、愚痴をはくと、自分で自覚してしまって、私の場合、負のスパイラルに陥る。
顔で笑って心で泣いて、昔誰かが言っていて、私にも、それがあっているようだ。
ただ、有資格者だから、自分が被災したら、何らかの行動をとらざるを得ないだろうと思う。
私自身だけの心配など、している場合ではなくなるかもしれない、と、今は考えている。