ベランダ

ベランダ                          

                  文藝軌道2018.5月号   石川詩織

 今日は曇りだというのに、洗濯を回してしまった。
 冬枯れのベランダで、セーターやら、バスタオルやらを干す。平日のせいか辺りはとても静かで、余計に寒さが身にしみる。
 早く春にならないかな……
 私は、仕事の続かない看護師だ。大きいところを辞めてから、職場を転々としている。それでもなんとかなっているけれど、仕事を探している時期は、収入がないから、ひもじい思いもする。看護師は、稼げる方だと色々な人に言われ、皆、どんな苦労をしているというのかと思う。人のことはわからないもので、私の住まいのあたりは、富裕層が多いみたいだから、近所を歩くと、自分が一番さえていないような、そんな気になる。
 洗濯を終えると、スーパーへ買い出しに行く。何回も行くと出費がかさむので、冷蔵庫がほぼ空になるまでねばる。そうしていたら、大雪の日に豆腐一丁しかなくて唖然とした。ぼんやり料理をしていてフライパンをひっくり返したり、お湯が湧いていないのにポットに入れたり。家の中に居るだけなのに、ひどく疲れていて、失敗ばかりしている。集中力も、持久力も、気転も何もあったものではない。看護師という仕事は、気を張るので、今は反動で何もできないのだろうか。何か、全てのことの歯車が合ってなくて、努力が足らないからだと、自分をつい責めてしまう。
 ふと、昨日の面接を思い出す。現地に行く途中の道端で、バギーを押したおばあさんに話しかけられた。
「ねえ、ちょっと」
 怪訝な顔の私に、おばあさんは続けた。
「これ、春の七草じゃあなあい?」
「あ……どうでしょうね。かわいい花ですね」
「突然話しかけてごめんなさいね。あまりに花がかわいかったから」
 朗らかな笑顔で私たちは別れた。
 そのまま、なんだかほんわかしたような気分で面接もリラックスして臨んだけれど、残念ながら不採用だった。
 花かあ。しばらく、花を観る余裕なんてなかったかもしれない。

 花屋に行こうと思ったのは、よく晴れた日の午後だった。
 あの時の小さな花は、何の花だったのかと、時々思い出していたから。あのおばあさんの笑顔も。
 いつも素通りする、商店街の小さな花屋。店の人は私に気をとめることもなく、働いている。一通り、軒先の花を見たものの、あの花は置いていなかった。他の花でも良いから買おうか……一鉢百五十七円。でもやっぱり違うと思うと買う気にはなれなかった。店の人は相変わらず、奥に居て作業していたので、ごめんなさいと思いつつその場を去る。帰り道、野草だったのだろうかと、気になったけれど、パソコンで調べようという気にはなれなかった。
 私は、この四十年近く何をやってきたのだろうか。思い返すのは、恥ずかしくなるような馬鹿ばかり。今では、外を歩くのも恥ずかしい。人は見ていないようで見ているというが、見られていると思うのは、自意識過剰ということになるだろう。
 折角生きているのだから、もう少し、人生の楽しみも味わいたい。挫折とかじゃなくて。喜びとか、幸せとか、そういったもの。逆に幸せに対して貪欲なのだろうか。
 なんとなく、外の空気を感じたくて、ベランダに出た。春、と思う。うまく説明できないけれど、少し気温が上がったような感覚。ベランダから見える、近所の風景が、穏やかな日差しに溶け込んで、なんとなく、ほのぼのしたような、ほんわかしたような気になって。洗濯物が緩やかな風に吹かれて揺れている。日差しが暖かい。もうすぐ桜が咲いて、皆、新しくなる。私も、前に進みたい。

 桜が咲いた。
 今年は例年より早いらしい。祝日、幼なじみ二人と会う約束があり、花でも見に行かないかと提案した。二人とも、喜んで受けてくれる。もう、三十年以上の付き合いだ。いいところも、悪いところも、知っている。恵子は私と同じく看護師で、この四月に地方に転職する。絵美は転勤族で無敵に見える。デパートの地下で弁当を買い、新宿御苑へ行く。桜は見ごろを迎えていて、私の持ってきたゴミ袋を一人一枚配布し、お尻に敷く。絵美は弁当のほかに、キムチと、苺も買ってきている。ここのところ、外食もしていなかったし、料理らしい料理もしていなかったから、弁当が、格別にうまい。絵美は、三人の中で一番大きい弁当を半分ほど食べたところで、
「最近、同じものずっと食べると飽きる」
と、言う。私は、三人の中で一番安い弁当だったが、満足している。恵子と顔を見合わせ、苦笑する。恵子は微妙にパエリアを食べていた。

 四月に入り、周りの空気が変わったような感覚を覚える。私は、立ち止まったまま。相変わらず求人を探す気にもなれず、かといってじっとしているのも嫌で、洗濯と、掃除をする。フルタイムで働いていたころに比べれば、生活自体は向上しているのだけれど、満足していてはいけないような、焦りもある。
ぼんやりと、恵子や絵美に嫉妬している自分に気づく。そんなの、駄目。いつも話を聞いてくれたし、躓くたびに支えてくれた幼なじみ。二人に、嫉妬などしてはいけないと、イライラをもみ消す。これが、反対の立場じゃなくて、良かったではないか。暗いもの、重いもの、苦しいものは、私が受け止めよう。二人が幸せなら、それだけで良いのだと言い聞かせる。
気づくと、外は雨。桜も、終わりかな。窓を網戸にし、外の様子をうかがう。私の部屋の、斜め向かいのマンションの人。多分、男の人だろうと思っていたが、どうも引っ越したらしい。いつもかかっている洗濯物がなくなり、カーテンもなく、空き室になっている。その人の姿を見たことはなかったけれど、まめに洗濯しているようだったので、えらいなと、感心していた。
そうか……春。その人の環境が、何か変わったのだろう。あれこれ詮索しても不謹慎だと思い、辞める。でも、なんとなく、おいてけぼりを食ったような気になり、しらけた。

東京に居た時は、自分から連絡することのなかった恵子が、良く連絡をしてくるようになった。絵美が教えた無料通話のおかげだろう。メールも、絵をつけて送れる。
恵子は、早速風邪をひいたらしい。通話しながら、転職すると、体調崩すよねえと、相槌を打つ。関西へ行き、新しい土地、新しい生活を楽しんでいるようで、羨ましい。恵子も、絵美も、新しい環境で頑張っている。気を張りすぎて疲れたのだろうな。働く、ということは大変なことなのだ。皆、当たり前になっている。私は、何をするのが好いのだろう。なんで看護師になったのだろう。あれは確か、祖母の遺言めいた希望だったっけ。何に向いているのだろう。看護師以外に何ができるというのか……電話を切り、暗い部屋の中、少し不安になる。
今の生活は、収入がないことを除けば安泰だ。常勤で、フルタイムで働いていたころは、ストレスも多く、こういう生活にかなりの憧れを抱いていた。仕事中心の生活より、日常生活をきちんとしたくて。休日、乱雑な部屋を少しかたづけるだけしかできず、食事も簡単なもので済ませ、ベランダで煙草を吸い、お金の使い方も下手な私がとても嫌だった。看護師の仕事も、いつの日かやる気をなくし、自分のことばかり考えていた。
とはいえ、貯金も底をついてきたし、いつまでも引きこもっているわけにもいかないけれど、七転八倒しながら働くための意欲が持てない。
祖母は、なぜ私を看護師にしようと思ったのだろう。たしかに、子供の頃からおせっかいなほうだったし。昔の人の考えで、父が離婚者だったから、この子は嫁には行けないだろう。ならば資格を取って働くしかない。とか考えてくれたのかもしれない。
私自身は元々芝居が好きで、女優に憧れていたのだけれど、自分が役者で食べていけるようになるとは、とても思えなかった。
高校受験の時、改めて進路を考えた。気軽な気持ちで看護師になろうとは思ってはいけないような気がして。図書館で看護師の体験談のような本を読み、私も、誰かの役に立ちたい。と思った。これと言った取り柄のない私が、役に立ちたいなんて、とてもおこがましいエゴだったと、今では思うけれど。
祖母の死に立会い、祖父との二人暮らしの中で、淋しい思いが常にあって、私は、誰かに必要とされたかった。そうか。忘れていた。だから私、看護師になったのだった……

いつもの私の部屋。ベランダでは白衣が風に吹かれてゆらゆらと揺れている。もう初夏。スカッとしたという表現が合いそうな晴天。若葉の匂い。さわやかな、風。
窓を開け、微笑みながら、それを眺めている私は、いつまでも、そこにいる。