せかい +++ act.1


そして僕たちは王宮の床に 輝く偽りの歌を刻みつけた

王国/谷山浩子



最近のアベルは、どこかおかしかった。殊更に明るく、ひどくはしゃいだように笑い、そして、ゼロの前でない場所では、ただ、ぼんやりと虚空に視線を飛ばす。まるで部屋の隅に、彼の目にだけ映る何かが存在でもしているかのように。
ゼロには見えない世界を見つめる彼は、その時、ただ、ひとりだった。
闇の中から何かが現れ、彼を手招く。ゼンマイ仕掛けの人形のように、アベルは伸べられた手を取り、立ち上がる。その目に何も映さないまま、ゼロを映さないまま、アベルは消える。攫われる。
ふと浮かんだ心象風景(イメージ)は、ひどくリアルで、ゼロの心の奥底までも凍らせる。
あんな顔をさせたくなかった。
このイメージを、妄想だと笑って捨てる、そんな現実(リアル)がほしかった。
ゼロがいれば、傍にいれば、彼はゼロを見る。ゼロだけを見る。他の何も見せないように、彼らの間に何の隙間も生じさせないように、だから、ゼロはアベルの傍にいなければならない。いつだって。

細い肩を引き寄せて、その背をかき抱く。だらりと垂れたままの腕は、それでも億劫そうに、力を振り絞るように持ち上がり、ゼロの背へと伸ばされたが、それは、縋るだけが精一杯であったかのように、彼は頭をゼロの胸へと凭れさせる。

日中の光に、ほんの少し、夕闇の色が混ざり掛けた頃。
帰路を急ぐゼロ。家に近づくにつれて、風に混じり出す夕飯の匂い。
外に取り残された洗濯物が風に舞う。取り込みに、慌てたように外に出たアベルが、道をやってくるゼロの姿に、嬉しそうにふわりと微笑う。
そんな幸福の情景は、いつだってゼロの手の中にあったのに。


ただ、一緒にいたかった。
護りたかった。


ずっと、この時間が続くと思っていた。

いや、信じていたのだ。



地へとこぼれ落ちた幸福の情景。

だけど、まだ、その欠片は残っている。

今。

まさに、この腕の中に。



そして、彼らは扉を閉じた。
全てを閉め出して、ふたりになった。同じものをみたい、と切望して。
互いしか見ないために、世界を切り捨てた。
それでも、ふたりは、同じものにはなれなかった。
やはり、独りのままだった。



こぼれたミルクは、戻らなかった。もう二度と。











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