月だけが知る風の行方〜ミシェイル

決して 譲れないものがある

10人程の男達が、その円卓の周りを等間隔に埋めていた。特有の威圧感を醸す尊大な表情を見る間でもない。金糸銀糸も重々しい衣装を纏ったその男達は、紛う方なき貴族である。喧々囂々のその様は、議論を戦わせる、と言うよりも、口を極めて罵り合う、と言った方が相応しいような状態であった。
主座に着いていた国王は、退屈そうに欠伸を洩らした。
常通りに始まった、型通りの閣議は、いつものように、議題など一つも消化できない内に終わりそうな気配である。もう一週間も同じ議題を抱えたまま、話し合いの席が設けられているのだが、勿論ミシェイルは、新設される劇場内の壁紙など、赤地に金でも、金地に赤でも、どちらでも構わなかった。
重要な事、早急な対処が必要な事は己で決定するが、急ぎでない事、彼から見て、どうでもいい、と判断された事は、大貴族と呼ばれる十家から選出された代表者で構成される貴族議会で決めさせる。
ミシェイルが国王位に就いてから、とみに形骸化が進んできた、かつての国政決定機関であったが、無能な貴族達の特権意識を満足させるには、格好の餌ではある。
午後早い内の数時間を、こうしてただ座っているのみ、という、ひたすら無為な時を過ごす事を余儀なくされるという不利はあるのだが、これも義務の一環であると心得ていたし、それについては是非もない。しかし、これは国王としてではなく、マケドニア貴族としての責務なのだから、わざわざミシェイルが出席せずとも、王家の他の者、そう、妹にでも任せてしまえばいいのではないだろうか。
だが、妹は現在不在だったし、そもそも、いたとしても、このような任を命じでもしたら、烈火の如く怒り出すであろう事は必定である。
(…ミネルバが帰ってきたら、引継ぎの手続きを取ろう)
椅子には殆ど横座りといった状態で足を組み、円卓に片肘を預けて、目の前で白熱する会議の様子を見るともなく眺めつつのミシェイルの煩悶は、一瞬だった。人間誰しも、己が一番可愛いものである。そして彼も、自己の精神衛生が最も大切だった。
それにしたって、すぐという訳ではない。国内外の情勢が落ち着いたら、の話だ。そうしたら、ミネルバに国政にも携われる地位を与え、マリアを還俗させる。聖教団に対しては少なからぬ寄進が必要となるだろうが、『王女』という手駒を取り戻す利益の方が格段に大きいだろう。
全ては、この戦役が終わってから。
彼の思い描いたマケドニアという国は、そこから始まるのだから。
ミシェイルの顔から、眠たげな気配が払拭されたのは、卓の上に据えられた椀や菓子の皿を取り替えに来た侍女が、彼に小さく耳打ちした時の事だった。すかさず席を立った彼に、周囲の視線が集中する。その胡乱げな眼差しを余裕の表情で受け止めて、ミシェイルは軽く微笑って見せた。
「とかく、女性というものは、男の仕事を邪魔する事が好きなようだ。協議中のところを済まないが、少々失礼する」
これには、卓のそこここから押し殺した苦笑が洩れた。当然、国王の弁は彼等自身の身に覚えのあるところだった。それもすぐに収まったのだが、国王は場がすっかり沈静化するのを待ちはしなかった。それすらももどかしい、といった様子で、軽く顎を引く事で謝意を示すなり、身を翻す。しかし、威風堂々とした様は崩さずにミシェイルが退室すると、すぐに彼等は皆、事情に通じた者の笑みを見交わせ合った。
若い国王の女性遍歴の華やかさはつとに名高かったが、現在の恋人は、かなりのお気に入りであるらしい。あの国王が、仕事を中断させてまで女の我が儘を聞きに行くくらいなのだから。…尤も、「今のところ」という注釈は必要なのであろうが。
そも昔から、彼は下賤の女を好む節がある。そのような女達は、彼等の責務というものを理解していないのだ。王子であった頃ならばいざ知らず、現在の立場では、少々控えてもらいたいものであったが、何にせよ、羨ましい事だ。等々。
先程までの剣幕は何処へやら、といった和やかさである。元々、火急の課題を抱えているという訳でもない。
貴族達は、何よりも娯楽を欲していた。
「何かあったのか」
しかし、貴族連中に娯楽の種を提供している国王の方は、そうそう和んでなどはいられなかった。先程までとはうって変わった真剣な表情のミシェイルの前で、現在、彼の愛人をも兼任する働き者の極秘諜報員は、ずっと平伏していた顔を上げた。が、彼女のもたらした情報は、にわかには信じ難いものであった。
ディール城が、反乱軍より急襲を受け、陥落。ジューコフ司令、戦死。マリアは、捕囚の身へと落ちた。
「程なく、閣議の場へも報が入る事と存じますが、その前に、陛下の御耳には入れておいた方がよいか、と愚考致しまして…」と締め括った女の言葉は既に、単語の羅列としかミシェイルの耳には入ってこない。
まさか。今の段階で反乱軍が、マケドニアとグルニアに対して、宣戦布告にも等しい暴挙に出るなどと。
そんな理に適わない話があるか?!まるで、気違い沙汰だ!
ミシェイルは、その小さな部屋の据えられたたったひとつの椅子に、どっかりと腰を下ろして、軽く頭を振った。
実際、あったからそういう事になっているのだろう。誤報である、という可能性は果てしなく薄い。そんな事は目の前の女だって考えただろうし、そもそも全ての情報は、彼への報告事項として持ってくるまでの間に、その確実性について、とことん検証済みの筈である。
それにしても、反乱軍共も、今までとは随分と違う動き方をしたものだ。これまでの彼等の動きには、一貫した理性的な思考が感じられたものだったが、一体、どうした事だろう。…参謀が代替わりでもしたのであろうか。もし、そうであったら、彼等の動きをなぞる姿勢も、少々改めなければならないだろう。
新しい参謀は、考え方があまりにも乱暴で即物的であると言わざるを得ない。いや、感情的、と称するべきか?しかし、何にせよ、そういった人物の思考を読むのは、難しい。
「ミネルバが、近くの城に駐留していたはずだろう。近辺の兵をどれ程使っても構わん。必ず、マリアを取り戻せと指令を出せ」
少々の間の後、差し当たっては落ち着いたその心情に相応しい調子で、ミシェイルは言った。が、しかし、その命を受けた女は、非常にらしくない事に、数瞬、言い淀んだ。
「……赤竜将軍閣下は……」
「どうした。……もしや、ミネルバまで既に」
捕まった?そんな馬鹿な!それこそ、有り得ない。
顔色の変わったミシェイルに、一瞬、苦しげな表情を見せた女は、数度首を緩やかに横に振ると、そっと俯いた。
「将軍閣下のお姿は、反乱軍内で確認されました。報告によりますと、虜囚となった、という風にはとても見えなかった、と…」
「……それは、どういう事だ……」
彼から微妙に目を逸らせて、早口に語る女が何を言いたいのか、ミシェイルには判らない。正確には、それを認識する事を頭が拒否している。
「ミネルバ姫様、謀反の由に、ございます」
女の言葉は、まさに最終通告であった。
「…………ミネルバは、マリアと共に、反乱軍の虜囚に落ちた。そのように発表いたせ…」
「無理です。マケドニアの息の掛かった場所でならばいざ知らず、ディールは、グルニアの領事地です。マケドニアの赤竜将軍の裏切りを目撃したグルニア兵は、多数存在します。そのような公式見解を発表すれば、グルニアへ弱みを握られる事になります」
「その間諜には、グルニア兵の口封じをする知恵も回らなかったのか!」
ミシェイルの激昂に、女は小さく息を呑んだ。だがしかし、すぐに我に返った彼は、胸の溜まった重いものをすっかり吐き出し切るかのような細く長い息をついた。
そんな事は不可能である。女の言う通り、ディールはグルニアの領事地なのだ。駐屯兵も多数いただろうし、情報を持ち帰る伝令兵や他国の間諜だって、いなかった筈がない。そんな場で、マケドニアによるグルニア兵殺害、などという愚挙に出る訳にはいかなかったろう。
額から後ろへと掌を滑らせて、落ちかかる長い髪を撫でつけながら、背後へと寄り掛かる。椅子の背凭れがぎしりと重い音を立てた。
「……すまん。少し、混乱しているようだ」
「御意」
今は、無感情な女の対応がいっそ、ありがたい。
そのまま暫く、ミシェイルは掌で己の目を覆っていたが、それもそう長い時間の事ではなかった。次に女へと向けられた視線は、冷ややかに落ち着いた、常のミシェイルのものと全く相違なかった。
「公式発表の内容を、変更する。
『我が国の王女にして元赤竜将軍ミネルバ、乱心により、謀反。然るに、これはマケドニア本国とは何ら関わりのない事にて、貴国との友好には何の触りもない事を信ずる。なお、この件に関しては、あくまでも我が国内の事なれば、謀反人の処置も、当方が責任を持って執り行う事を御約束する』
これを文書にして、ドルーア、グルニア、それと、グラへと伝令を飛ばせ。早急に、だ。より詳しい事は、判り次第、また御連絡する、とも添えておくように」
「御意」
飛竜の飛行速度を最大限まで生かしたマケドニアの伝令は、この大陸世界最速と言っても、過言ではない。上手くすれば、現在ディールからグルニア本国へと向かっているであろう伝令をも、追い抜く事が可能かも知れない。
対応の早さをマケドニアの誠意として受け取ってもらう事。それが、現在彼等が打てる、せめてもの手だった。
女は優雅に腰を折り、静かに退出していく。これも、普段と何ら変わらない様子で。
一人になったミシェイルは、再び深く溜息を吐きながら、椅子の中で躯を伸ばした。もうそろそろ、閣議の場へと戻らなくてはならない時分だったが、しかし、足が立ち上がろうとしない。今は指一本たりとも、動かしたくはない気分だった。
彼は今まで、グルニアへと預けた妹マリアの事は、全く心配してはいなかった。グルニアがマリアを傷つける事など、万に一つも有り得ない。ミシェイルにとっては常日頃、足枷にしかならない騎士道精神も、この時ばかりは便利なものだ。彼等はどんな時でも、マリアの身の安全を確保してくれる事だろう。
人質となりながら、その実、それこそが、マリアの心身と共に、彼女のマケドニア王族としての立場をも護る最良の策である事を、ミシェイルはこれ以上ない程に熟知していた。
この戦役が終わった後、ドルーアへと与した過去のない王族、戦役に関わったという染みのない王位継承権者の存在は、最終的な保険として、マケドニアにとっては有用である。
ミシェイルは、虚ろな視線を中空へと向ける。
ありとあらゆる場合を想定して、常に最善の手を打ってきたつもりだった。しかし、まさに青天の霹靂として目の前に落ちてきた事実、ミネルバの裏切り、などという状況の仮定は、予想だにした事のなかった自分に、ミシェイルは今、初めて気づいていた。
何て事だろう。
ああ、本当に。
「……何て事だ…」
END・
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