鳥となる花花になる鳥〜シーダ


空を駆けて あなたと行こう
宝物を 探しに行こう
雲間を飾る 光の鎖
星屑の首飾り 月影の鏡
朝焼けの天鵞絨が世界を包むまで
あなたと一緒に 空を行こう



手の中の青は繊細に透き通っていて、空に溶けてしまいそうな気さえする。
彼女は飽かず翳して眺めていた首飾りをようやっとその手の内に戻すと、如何にも大切そうに一撫でしてから、それをそっとマントの下にしまい込んだ。が、しかし、それから幾らも経たない内に、またぞろそれを引き摺り出して、今度は掌に囲って、光を弾く角度に傾けながら、つくづくと眺めやって、感嘆の息を吐く。
なんて綺麗なんだろう。
「いい加減にして下さい、姫」
間近から掛けられたうんざりしたようなその響きに、シーダはふと我に返った。そういえば、今この場にいるのは、自分一人ではなかったのだ。すると、先程からずっと同じ行動を繰り返していた事に思い当たって、ちょっと恥ずかしくなる。
シーダは、ばつの悪そうな顔をすぐ隣に座している者へと向けた。
「だけど、とっても綺麗だと思わない?ほら、素敵でしょう」
が、しかし、首飾りを相手に見せるように掲げながらの誇らかさを混ぜ込んだ微笑に対して、バーツは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「前に、王から賜ったのも、青い石の入った物だったでしょう」
その言に、最も新しい父からの誕生祝いの品を思い出して、シーダは顔を顰めた。
あれは、豪奢でありながら、重くなり過ぎない華麗さを備えた聖王国製のそれは見事な、見ているだけで肩の凝りそうな程に見事な代物だった。
紅珊瑚で作られた簪と大粒真珠の髪飾りは、北の騎士王国グルニアで珍重されている物だ。金糸銀糸の刺繍でずっしりと重くなったドレスや鮮やかな鳥の羽で作られた扇は、竜王国風。数々の貴石を連ねた流麗な細工の帯飾りは、アリティア渡り。
父が与えてくれる物は、全てそうなのだ。新型の軍艦が一隻買えるだけの価値なんて、気に入らなければ何の意味もありはしない。シーダは、己の箪笥や宝石箱の中で、何がどれ程埋もれているのか、その正確なところも覚えてはいなかった。実際、それらが本来の目的を達して、彼女の身を飾った事など一度でもあればいい方で、貰ってすぐ、衣装箱という名のゴミ入れに直行した物達も数多い。
故にシーダは、潜めた眉の辺りに否定の意を滲ませて、軽く首を振った。
「だって、こっちの方が好きなんですもの」
しかしバーツには、そんなシーダの感覚はきっと理解できないだろう。事実、今もシーダの言に対して、反論めいた事は一切口にせず押し黙ってはいるが、如何にも不服そうな顔をしている。シーダも、それ以上は何も言わず、首飾りからそっと手を離した。
先日マルスから贈られて以来、その首飾りはシーダの一番の宝物となった。片時もその身から離せない、大切な大切な宝物。
首飾りは馬車の揺れに合わせて、マントの上で小さく踊る。シーダは、それを見て愛おしげに微笑った。
『あまり甘えかかるような態度にならないように。ここはタリスではなく、今の王子は軍の総帥でもあるのだから』と、オグマに注意された事もあって、自分でも踏み込み難くなってしまったせいもあると思う。が、最近、マルスはたくさんの人達に囲まれていて、シーダが近づけるような余地などなくなってしまっていたから。
忙しくて彼女の事ばかりに構っていられないのだと、判ってはいたけれども寂しくて。
だから、ワーレンでの休日、街に遊びに出たのだ、とそう言いながら、彼が首飾りと皮の小袋に収められた魔除石を差し出した時は、天にも昇りそうな心地だった。
魔除石は、既に有翼馬の鞍の脇に括り付けられている。「これはシフェラに」とマルスが言ったから。
現在、幌付き馬車の荷台に乗せられているシフェラザードは、さぞかし窮屈な思いをしているだろう。御者台に座った己でさえ、空に出たくてうずうずしているのだ。それともこの胸に溢れる、切ないまでの渇望は、心を繋いだ相手の感情が流れ込んでいるのだろうか。
空に焦がれているのは、シーダか、シフェラザードか?
もうどちらでも構わない。
有翼馬は目立つから、と、目的地に着くまで飛ぶ事を禁じられたシーダは、溜息を吐いて空を見上げた。今、隣に座って馬を操っているのは、バーツだ。軍の部隊長に任ぜられたオグマもやっぱり、常にシーダの側についているという訳にはいられなくなってしまって、それもまたシーダの不満の種だった。…別に、バーツが嫌だという訳ではないのだが。
無骨で真面目なバーツは、オグマの最も信頼する部下であるという事をシーダは知っている。だからこそ、バーツが己の護衛に就いているのだという事の意味もまた。
だけど、彼はオグマではない。腕が立つとか、真摯だとか、そういった事は関係ないのだ。オグマは、いつでも己の側にいなくてはならないのに。
「今日は、オグマは何処に行っているの?」
心情をそのまま現した不機嫌な声音に対して、バーツは軽く横目でシーダを伺った。が、すぐに何気ない様子で返す。
「聖王女殿下の護衛に就いていらっしゃると思います」
「…聖王女様には、オレルアン公だって、いらっしゃるのに…」
聖王女の護衛は、オレルアン公自身が買って出て、決して他者に任せるような事はないという話を聞いた。公爵は、オレルアン一の武芸達者であるという。ならば、オグマまでその任に就く必要など全くないではないか。
子供そのままの拗ねた物言いが、シーダの心情を如実に語っている。バーツの今度の返答は、苦笑混じりだった。
「まぁ、それはそうですが、当のオレルアン公も本当なら護衛が就いていても全然おかしくない方ですし」
ようするに、王女とオレルアン公双方に就けられた護衛であるという事らしい。それだけ、オグマが高く評価されているというのは、無論喜ばしい事なのだが、やはり釈然としないものがある。
シーダの複雑な表情を見取ってか、バーツは続ける。
「オレルアン公は、さっぱりとした御気性の方で、オグマ隊長をとても気に入って下さったらしいです。やっぱり、同じ武人という事で、何処か相通じるものがあるんでしょうね」
自分達の隊長が軍の部隊長という重責に就き、尚かつ、他国の王族と相対しても全く見劣りしない、という事実が、余程誇らかであるらしい。
「年の頃も同じくらいに見えるわよ。だからじゃないの」
こんな事なら、只のオグマでいてくれた方がずっとよかった、とふてくされているシーダの内面は、その対応に如実に現れていたのだが、バーツには通じなかったようだ。ぞんざいな言葉を言葉通りに受け取って、「なるほど…」と感心したように呟いた。
「そう言えば、聖王女殿下も姫と同じくらいの御年令、でしたか。姫は、御会いになった事があるんですよね。お綺麗な方だそうですね」
「ええ」
シーダもつい先日までは、他の大多数の人達と同じように、遠目で見た事があるだけだった。マルスに誘われて、共に王女の部屋を訪れるまでは。
王女の部屋での茶会の様子を思い出して、シーダはうっとりとした息をつきながら言った。
「とても優雅で、お綺麗で、ああいうのを姫君っていうんだわ、きっと」
染み一つない白い肌も、丈なす黄金の髪も、小作りな造作も、ほっそりとした姿も、どれを取ってもとても綺麗で、まるで極上の絹糸を縒り合わせて作った人形のようだった。そして、そんな彼女と一緒に居たマルスは、ひどく自然で。本当に似合いの王子と姫君で。
「姫だって、『姫』じゃないですか」
「私は違うの。私は、ただお父様が国王だったってだけ」
シーダは、己の手の甲を見下ろして、溜息を吐いた。
浅黒い肌だ。姫君に比べれば、真っ黒だと言ったって過言ではない。おまけに、幼い頃からつい最近まで、さんざっぱら転んで擦り剥いた部分は、あちこち色が濃くなってしまっている。
「…本当に、同じくらいの年なのよね…。……嘘みたいだけど」
聖王女様のお話相手になって差し上げて欲しい、と、マルスに請われたのも、それが理由だった。同年代の女の子は、シーダの他にはいないから。
それは、途轍もなく不安で重荷な話であった。姫君の話し相手なんて、本当に自分に務まるのだろうか。
「…私も、もう少し大人しくした方がいいのかしら…」
「それはもう!」
間髪入れずに返ってきた答えに、シーダは上目遣いな視線を送る。
「そうしたら、私も姫君みたいに、綺麗になれると思う?」
バーツはつい、返答に窮した。真面目で正直、という彼の性質が、完全に裏目に出た好例であるとも言える。それを見て、シーダは世にも悲しげな様子になった。
「そうよね。やっぱり無理よね」
「…っ、姫様の取り柄は、元気な事じゃあないですか。そんな顔、似合いませんよ」
しかし、それは『お姫様』の美点では、決してない。
タリス人らしく、あまり複雑ではない思考形態を持つ彼等であったが、不幸な事に、愚かであるという訳ではなかった為、二人とも、それにすぐに気がついた。
気まずい沈黙が、その場を支配する。
空を見上げながら吐かれたシーダの溜息と、己の口からまろび出てしまった大失言とで、バーツは既に自縄自縛である。
ごとごとと、荷馬車は揺れる。
目的地ディールは、なお遠い。



END







 ◆→ FORWARD〜PASCAL 8-2
 ◆◆ INDEX〜PASCAL