光咲く海遠い空〜ナバール


いざや歌え 勲士(いさおし)の歌
頌えよ 禍つ竜を退治た 光の勇士を
頌えよ 禍つ世を救う 光の勇士を



丈の短いマントのフードを目深に被った、顔立ちもよく判らない少年が、不思議と人目を引いたのは、その足取りがひどく軽やかであったからだろうか。
ワーレンの街の大通りに面した、一番大きな脇道であるそこは、両脇にずらりと露店が建ち並ぶ、活気に溢れる場所だ。威勢のいい、物売りの声。香ばしいパンの香り。たれを絡めた肉の焦げる匂い。真新しいなめし革の匂い。食べ物に食材、飾り物、日用雑貨。ありとあらゆる物がひしめき合って、ごった返す。それは等身大に生きる人間の匂いがありありと感じられる、ごく日常的な街の風景であった。まるで覇を競うかのように軒を連ねる、厳めしい武器や防具を商う店々の姿さえなければ、恐らく、それは平和時と少しも変わらないものだったに違いない。
しかし、少年はそんなもの達が、とてつもなく珍しいかのように、きょろきょろと辺りを見回す。マントの影で、少年の瞳はきらきらと輝いているのだろう事がありありと判る程に、彼の全身がその驚喜と興奮とを語っている。よそ見をしながらの、まるで空を踏むかのような歩みは、道行く人にいつぶつかってもおかしくはなかったろうに、それが一度もなかったのは、ひとえに、彼の背後を追うように歩む人物の存在故だった。
少年とは対照的に、憮然とした様子の伺える、しかし、隙のない所作。長く、しかし不揃いなその髪は、日の光を跳ね返すほどに深く、暗い。といっても、今日は眩しい陽光など照らし出してはいない曇り空であったのだが。
大陸人らしからぬ、ある種の滑らかさを感じさせる面立ちを、その鋭い眼光が引き締めている。如何にも使い込まれたといった風情の緩やかな曲線を描く長刀を腰に差した彼は、誰がどう見ても、傭兵だった。それも、かなりの腕利きの。
その仮面のような顔には表情として現れておらず、闇色の瞳は感情を映しはしなかったのだが、何処か不機嫌さを発散させた彼に、周囲の人々は近寄ろうとしなかった。何でも手に入る街ワーレンでは、己の剣の腕を売る傭兵達の姿も決して珍しくはなかった為、街の人々も、傭兵の礼節というのがどの程度の代物なのか、よく知っていたのだ。結果として、その前を歩む少年の周りにも人影はまばらだったし、更に、奇妙に目を引く二人連れとして、周囲からの好奇の視線を随分と浴びていもしたのだが、彼はそんな事は気にした風もない。如何にも楽しそうにふわふわと歩き続ける。
兎に角、目立つ二人であった。何故かは知らず、人目を引く、という少年と違って、傭兵の場合は、彼の形成する強烈な磁場に、否応なく引き寄せられる、といった風で、二人は同じように目立っていても、その本質は随分と違うものだったのだが。
そんな少年の足が、急にぴたりと止まった。周辺の大方の人々と同じように、少年を目で追っていたその露店の店主は、一瞬、ぎょっとしたようだったが、すぐに職業的な愛想笑いを浮かべて、その表情を打ち消した。地に直接敷いた布の上に、上質ではないが魅力的な異国風の細工物を無造作に並べただけの露店である。
「どうぞ、自由に見てっとくれ」
その呼びかけもまた、決まりきった文句であったのだが、それを受けた少年はすぐに、露天の前にしゃがみ込んだ。傭兵は少し離れた所から、彼等の様子を見ている。その視線を浴びせられた店主は、少年に声を掛けた事を激しく後悔した。
「どうだい、坊や。何かひとつ、買っていかないか?可愛い娘への贈り物にぴったりだよ」
しかし、身についた商人魂が目の前の客への対応を崩させない。幸いな事に、少年はすぐに商品の中から、ひとつの首飾りを選び出した。些かの迷いもなく、その手に取る。細工としては些か稚拙なその首飾りは、中央に配された碧い石が一際目を引く。それは、海の碧だ。それもワーレンに面した外海の、ではない。内海、内陸の海。例えば、アリティア、グラといった国の優しく穏やかな海の色だった。
「ああ、これは目が高い。それは、昨日入ったばかりの新作でね、もう残りは、それだけなんだよ」
少年は首飾りを軽く空に翳した。アリティアの海が、薄く透ける。
「…綺麗だね」
少年の声に、懐かしむような響きはなかったろうか。
「安くしとくよ」
その言葉に我に返ったかのように、少年は店主へと視線を戻した。
「いくら?」
誰でも好感を持たずに入られないような魅力的な笑顔を向けられて、店主の顔にもお愛想ではない笑みが浮かぶ。店主の指し示した金額が、明らかに地元の人間ではない者に対するには破格の安値であると知ってか知らずか、少年はすんなりと懐から金を取り出した。そうして、今彼の物になったばかりの首飾りを大切そうにマントの隠しにしまい込む少年に、店主は面白そうに目端で笑った。その子供子供した仕種がひどく微笑ましかったのだ。先程の笑顔一つで、すっかり彼を気に入ってしまってはいたのだが、これが少年に対する、気後れという名の敷居を店主から取り払った。
「意中の娘っ子にかい?」
「妹にだよ」
「おやおや、色気のない事だ。だけど、きっと可愛い娘なんだろうね」
「勿論」
マントの奥の少年の面差しを見取った店主の揶揄を、彼はあくまでも真っ直ぐに受け取ったらしい。今時珍しいその素直さ加減に、店主も思わず苦笑を洩らす。
「参ったね、こりゃ。それじゃあ、その可愛い娘におまけだ」
少年の手に落とされたのは、小さな緑柱石の原石。
「緑柱石は、魔除けになるよ。可愛いその娘が、いつでも幸福に包まれていますように」
「ありがとう!」
少年は屈託なく、本当に嬉しそうに笑った。露店を離れて道の中央付近に戻ると、もう一度店主に微笑い掛けて、大きく手を振る。その姿は、不幸など少しも知らない、まるで運命に愛された子供のようだった。



「シーダにいっぱい、お土産ができちゃった」
ほくほくとした様子でマルスは、マントの隠しに緑柱石を落とし込んだ。
「…そんなに楽しいか?こんな事が」
「すっごく、楽しい」
即答である。余程嬉しかったのだろう、背後からのかなりぶっきらぼうな声音に怯む事なく、まるっきり子供のような顔でマルスは振り向いた。
「前を見て歩け」
しかし、すかさず返ってきた、限りなく命令に近い忠告に従って、慌てて向き直る。それは『少し後ろからの方が、周囲が見易く、護り易い』という理由によるものだったのだが、縦一列編成という状態は、あまり会話に適しているとは言えない。しかし、それについて意見するには、『きょろきょろせずに、真っ直ぐ歩け』という基本的なお達しを破りまくっている現状では、マルスの立場はひたすら弱かった。なので、彼も取り敢えずは大人しく、いう事を聞くことにしたらしい。
だがしかし、そんなマルスの緊張感も長くは続かなかった。さして時を置く事もなく、再びうきうきと、まるで田舎から出てきたばかりといった風に、周囲に視線を飛ばし出した少年と、最近つとに名高い同盟軍の象徴の片翼、噂の『青の王子』とを結び付けて見る者など、誰もいないに違いない。
「…マリクとカインも一緒だったらなぁ…」
感嘆の息と共にまろび出た独り言は小さな呟きであったのだが、風向きの関係か、ナバールの耳にしっかりと届いていた。
「誘えば良かっただろうが、初めから」
そうすれば、王子の護衛、などという名目で、延々歩く事を余儀なくされるのは、カインであった筈なのだ。そもそも、目的地の定まらない遊歩、というのは、ナバールにとっては時間の無駄、体力の無駄の代名詞である。そして、ナバールは『無駄』という言葉が大嫌いであった。しかし、不機嫌が滲み出るその言葉を、マルスは軽く肩を竦めただけでいなしてみせた。
「だってカイン、僕が出かけるなんて言ったら、絶対、『供をする』って言い出すからさ。カインは最近、色々忙しいから、少しゆっくりした方がいいんだ。折角の休日なんだから」
その心遣いの結果が書き置きを残しただけの事後承諾、無断脱走では、カインの胃に余計な負担を掛けるだけ、という気もするのだが、それはさておき。マルスの性格を考えれば、完全に一人だけで出かけようとはしなかっただけ、ましというべきかも知れない。ナバール個人の休日については一切、言及されていないという事実はあったにせよ。
マルスは続ける。
「それに、マリクとは…」
「あの魔道士が、お前にとっては個人的な存在だというのは、皆知っている。今更、気にする事もあるまい」
「いや、それとも、また違う理由なんだけど…」
『私的な理由で特定の人間を優遇する、と見えたら、きっと皆、嫌な思いをするだろうし、第一、マリクにも悪い』というマルスの拘りのようなものは、マリク当人からの「僕が優遇されるのは、当然です。何といっても、僕はそれに足るだけの有能な魔道士なんですから。だから、マルス様は思う存分、僕を贔屓して下さい」との、胸を張っての大真面目な返答を受けての爆笑で、すっかり溶解してしまっていたのだが。
「今はちょっと、会わない方がいい状態なんだ」
小さく肩を竦めて、マルスはその話題を切り上げた。
「今のは、そうだったらいいな、っていう、ただの希望。だから、いいんだ。それに、ナバールと一緒だと周囲が安心するんだよ。僕も気楽だしね」
ナバールはこれまで長い事放浪生活を送り、それこそ顔も覚えておらぬ程に…元々、ナバールが、自分も含めた人の顔というものに興味を持っていない、という事情はあるにせよ…たくさんの雇い主を持ってきた。そんな中でも、一緒にいると気詰まり、と言われた事は多々あれど、気楽、などと言われた事は、未だかつてない。
「何せ、ナバールは僕の指輪を持っているから。何かと便利だね、そういうのも」
また、指輪である。これが周囲に波紋を投げ掛けている事に気がついてはいた。しかし、人々の諸々の思惑など、ナバールには全く興味のない事だったので、そのまま放置しておいた。拡がりきった波紋は、その後、ゆっくりと飲み込まれて消え、これでようやっと静かになったと思っていたのに、最近、新たに魔道士が参入してきてから、またぞろ騒々しくなってきたのだ。
「…これに、何か意味があるのか?」
周囲に注意を配しながら、ナバールは、己の左手の小指に目をやった。如何にも、うっとおしそうに…。契約の手付けとして受け取って以来、何となく、填めっぱなしになっている銀の指輪がそこにある。
「ううん、全然。だけど、みんなは意味があると思ってるみたいだね。まぁ、いいんだよ。だからって、別に不都合がある訳じゃない」
「面倒がないなら、別に構わんがな」
「うん。僕も面倒は、極力避けたい」
二人の会話の論点は、微妙にずれている。しかし、彼等は二人とも、細かい事には全く拘らない人種であった。これも、円満な関係を築き上げる秘訣、というものなのかも知れない。…もしかしたら、であるが。
その時、心持ち横を向くようにして話しながら歩いていたマルスの横から、何者かが飛び出してきた。その一瞬、何が起こったのか、マルスには判らなかった。急に、背後から凄い力でマントを引かれて、突き飛ばされたのだ、という事実に至ったのは、ナバールが傭兵らしい二人連れの男に、抜き身の曲刀を突き付けているのを目にした後であった。特に身構えた様子もないその姿勢から、一瞬にして激しい攻撃に転じる、彼独特の剣技を、マルスはよく知っている。
「…ナバール、手を貸してくれないかな」
尻餅をついたままの状態でナバールを見上げて、マルスは手を差し出した。困惑と怯えをありありとその面に浮かべていた傭兵は、それをマルスの助け船と気付いたらしい。ナバールよりも先に、二人の内、年上であろう方の傭兵が、マルスに手を差し伸べてきた。
「大丈夫だったかい、坊や。ごめん、びっくりさせちゃったね。…お前が、急に飛び出すからだぞ、ラディ」
ラディと呼ばれた、まだ少年のようなあどけなさをその面に残した傭兵は、身に着けた革製の胸当ての前辺りに、ナバールに向かって掌を晒した格好で立ち竦んでいたが、相棒…恐らく…のたしなめを受けて、ぷっと頬を膨らませた。
「……だってよぉ…」
「ナバールってば」
マルスの言葉にも含まれていたたしなめを聞いて、というよりは、目の前のラディに害意がない事を確認して、ナバールはようやっと剣を引いた。張り詰めっぱなしだったらしい息を深く吐きながら、未だ引き吊り気味の、明らかな無理の判る様子ではあったのだが、兎も角、ラディは笑った。
「…びっくりしたぜ、本当に」
耳に入っているのかいないのか、ナバールは無表情のまま、剣を鞘に滑り込ませる。脱げ落ちてしまっていたマントのフードを直しながら、横にマルスが戻ってきた。
「ごめんね、僕がぼおっとしていたから…」
「いや、こっちこそ悪かったよ。ちょっと、むしゃくしゃしてたもんだからさ」
如何にも済まなそうなマルスに、目の前のナバールに対する反感は、取り敢えず、霧散したらしい。軽く頭を掻きながら、ラディはマルスに照れ笑いを見せた。
「そうそう。闘技場に入るにも心許ない腕しか持たず、未だ実戦経験全く無しを酒場でからかわれて、大喧嘩、なんてお子様のする事だから」
なる程、彼等とぶつかり掛けたのは、酒場の出入り口付近である。
「この街には、闘技場があるの?」
マルス達そっちのけで、顔を真っ赤にして相棒に噛みついていたラディが振り向いた。
「ああ。知らないのか?有名なんだぜ、ワーレンの闘技場っていえば」
闘技場自体は、知っている。尚武の国アリティアの城下町にも、それはあった。しかし、見た事はない。マルスはアリティアでは、宮廷から外に出る事すら、稀であったのだ。
「一度見ておくといいよ、話の種に」
「ちっくしょお。ちょっとくらい、経験積んでおかないと、同盟軍に志願しても入れてもらえないぜぇー」
空に向かって喚き出したラディを、どうどう、と相棒…二人の会話の端々を捉えて、彼の名がシーザであると判っている…が宥める。
「同盟軍?」
「おいおい、それも知らない、なんて言うなよ。今噂で持ちきりだろうが、『聖アカネイアの王女様が帰ってきた』ってのは。アリティアの勇士を伴ってのお帰りだってんで、〈新たな聖王女〉と〈青の王子〉との怒濤の恋物語、なんて、吟遊詩人共がジャカジャカ歌ってやがんぞ」
六百年に渡る聖アカネイアの歴史の中、王女の姿は多々あれども、〈聖王女〉と呼ばれるのは一人だけ。百年前の〈聖王女〉アルテミスだけだった。しかし、『王家でただ一人、生き残って落ち延び、アリティアの勇士を味方にして、反撃の狼煙を上げた』という、あまりにも当時と似通った現状が、そのような風評を生んだのだろう。〈戦場に咲く恋の華、アンリとアルテミスの、今度は誰もが祝福するだろう愛の物語〉は、若い娘達の間で一種異様な盛り上がりを見せる、一大流行歌であった。
「…凄いねぇ、それ」
「だから、誰でも知ってる事だって。そんなんでびっくりして、どうする」
如何にも感心したマルスの風情を、ラディの情報通振りに対してのものだと判断したらしい。眉を顰めて、首を振る。そして、声を潜めて囁いた。
「…んじゃ、これは知ってるか?『ドルーア帝国は、マムクート共を飼っている』」
「……え?」
「真偽の程は判らない、ってのも、付け加えるべきだぞ、ラディ」
今まで黙って、しかし、ナバールとは違って穏やかな様子でマルスとラディのやり取りを聞いていたシーザが、口を挟んだ。先程までとは別人のように冷徹な、傭兵らしさがほの見える口調で。
「不確実な情報に踊らされては、死期を早める。傭兵の鉄則だ」
「判ってるってばよ」
そういった表情をすると、更に子供じみて見える事を理解しているのか、ラディは膨れっ面で頷いた。
「…そろそろ、行こう。あっちの酒場で、仕事の話を拾うつもりだったろう。早く行かないと、割のいい話は、すぐに埋まっちまうぞ」
「おっと、そうだった。全く、面倒くせぇなぁ」
「お前があそこで喧嘩なんかおっ始めなけりゃ、場所替え、なんて必要はなかったんだけどな?」
「判ってるよ、悪かったと思ってるよ。しつこいぞ」
少しも深刻そうでなく言い合いながら、彼等はその場を離れ掛ける。
「…じゃあな、坊や。縁があったら、また会おうぜ」
そう言って笑い掛けたラディの顔は、ただただ明るい。先程までよりも微妙に硬いマルスの表情に、気付いた様子は少しもなかった。



「彼等が、同盟軍に入るつもりなんだったら、また会えるよね。びっくりするかな?僕を見たら。するよね。だけど、今回は収穫だった。結構、ばれないものなんだって判ったし。そんなに光が当たったりしなければ、僕の髪は青くは見えないから大丈夫だって、教わったんだけど、大正解だったね。みんな、僕は本当に真っ青な髪をしている、と思っているんだって。本当にジュリアンは物知りだな」
二人と別れてから、マルスは際限なく喋り続けている。話を途切れさせた後の沈黙を厭うているかのように、それとも、ナバールが口を開く事を恐れているかのように。
「それにしても、全然知らなかったよ。あんな流行歌があるなんてさ。みんな、色々考えるものなんだねぇ。だけど…」
「おい」
ナバールの一言で、マルスは口を噤んだ。しかし、足は止めなかった。無言のまま、歩き続ける。ナバールの声は、すぐに続けて背中に当てられた。
「マムクートというのは、何だ?」
これは、予想外の言葉だった。つい足を止めたマルスは、背後を振り向いた。ナバールもそこに立ち止まっている。二人は、川の中央に突き出した石のように、人の流れを割らせていたのだが、そんな周囲が目に入った様子もなく、マルスは続ける。
「…知らないの?僕達とは、別種族の…。あ、もしかしたら、ナバールの国では、全く違う言葉で呼ばれている、とか」
「いや。いないだろう、多分。別種族なんて謂われのものは、聞いた事がない」
「……そうなの?」
拍子抜けしてしまった。絶対に、そこから更に突っ込んだ、今は極力聞きたくない話、マリクとの対立の原因ともなった、バヌトゥに関する否定的な話になってしまうと思っていたのに。そうなると、ナバールの事だから、バヌトゥの顔も覚えてはいないのだろう。もしかすると、存在自体も気付いていないのかも知れない。それはそれで、問題であるのだが。
「だから、僕達とは別種族の人達なんだよ」
マルスは溜息を吐きながら、不承不承といった調子で口を開いた。
「人とは交わらずに生活しているから、滅多に見かける事もないらしいんだけど。…彼等はマムクート、なんて呼ばれてる。僕達とは…違うから」
『魔道士』という、この大陸中で、ほんの一握りにしか満たない少数民族であると言って過言でない者であるマルスの友人は、彼等をそう表現した。
「彼等が何か悪い事をしたか、とか、そんな事は大して関係ありません。人間は、自分とは違うもの、異質なものを決して受け入れないんです」
決して表立っては語られない、魔道士隔離の根本的な理由も、その一点に起因する。
魔道士の持つ強大な〈力〉に対する不審と恐怖。
外見が全く同じ人間である魔道士だって、そうなのだ。マムクートと呼ばれる彼等がどのような扱いを受けるか。考えるまでもない事だった。
透けそうに白く薄い肌。ほっそりとした姿。先細い指の先端に配された爪は、狭く尖っており、時に金属的な色合いを見せる瞳は、瞳孔が縦に割れたように長い。その事が彼等を、爬虫類的に見せるのか。二脚蜥蜴などと侮蔑的に呼称される彼等は皆、不思議な事に老人ばかりなのだという。
つい、マルスは溜息を吐いてしまう。マリクは続けて言ったのだ。人は、自分の居場所を常に確認していたがる。だから、それを脅かすようなもの、自分達の排斥したものを擁護する者も、共に排斥しようとするのだ、と。
「軍内では、そうでもないかも知れません。だけど、外からは、民衆にはどう見えるのか。…正直言って、断言はできない。だけど僕は、マルス様に傷ひとつ、染みひとつ、つけたくない。この事に関しては、危ない橋なんか、渡る気はありません。軍に参加させる事を覆す気がないのなら、せめて、彼には近づかないで下さい」
それでも、マリクの言葉に頷く気には、なれなかった。彼の論理は判るのだ。多分、判り過ぎる程に。
〈ナーガの巫女姫〉と呼ばれた姉姫に対する畏敬。次代の国王に対する崇拝と期待、期待通りにならない事への非難と怒り。過去の宮廷での生活は、黄金作りの鳥籠への隔離であり、やんわりと丁重な排斥だった。
彼等に同情している、という訳ではない。そもそも、マムクートと呼ばれる者達を初めて見たのもつい最近、レフカンディでバヌトゥと会ったのが最初なのだ。同情という程に深い感情を、彼等の種族全体に抱くまでには至らない。ただ、マルスは話してみたかっただけなのだ。バヌトゥ個人に興味を持ったから、話してみたい。それが何故、忌避されなければならないのだろう。
しかし、ナバールはそんな全てを一蹴した。
「下らんな」
「…そう思う?」
「何を基準に『違う』と言うんだ?そもそも、自分以外の生き物など全て違うものだろう」
ああ、だからなのだ。だから、ナバールと一緒に居るのは、落ち着くのだ。彼は、マルスを特別視しない。彼にとって、全ては『違うもの』であり、その観点ではマルスが別個のもの、象徴や崇拝の対象とは成り得ないから。
「だから僕、ナバールが好きだよ」
ふんわりとマルスが微笑う。それに対し、いつもの事ながら、現在の雇い主は、かなりの変わり者であるとの認識で、ナバールは全てを納得し、許容した。
「…闘技場がある、と言っていたな」
突然の話題変換にも、マルスは怯まない。興味がなくなったものに対する、ナバールの切り替えの速さを、マルスはこれまでに随分と学習していた。
「うん。僕も、見てみたいな」
マルスは、ひたすら好奇心に瞳を輝かせている。
「…お前を送り届けてから、俺一人で行く」
「えぇっ、そんな!」
「……自分が、ドルーアの一級賞金首だという自覚を持て」
ナバールは、うんざりと言い募る。
「もういいんだったら、さっさと帰るぞ。遅くなったりしたら、また赤毛の坊やに噛み付かれる」
「うん、それは判ってる…んだけど…」
答えながらもマルスの目には、また町中の露店を彷徨う。
「あ!あれは何かな。見た事ない」
ナバールが遊歩から解放され、闘技場で思う様、剣を振るえるまでには、もう少し時間が必要なようであった。



END







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