はじまりの終わりはおわりの始まり〜序



「皆、生き残っているか?」
それ程大きな声ではなかった。未だ戦場の狂乱が消えやらぬ城内で、しかし不思議とその声は、その場にいる者全ての耳に入ってきた。
「こっちは大丈夫だ」
少々離れた位置から軽く手を振ったのは、カイン。彼の傍らにいる幾人かの者と、声に呼ばれて、改めてその広間に顔を出した者達を確認して、オグマは小さく頷いた。
玉座の間に程近いそこは、元々謁見前の詰め所ででもあったのだろうか。過去、貴族や騎士、政治を預かる高官といった地位の高い人間が使用するものと思われるそこは、血と死体の散乱する現在でも、未だ壮麗さの名残のようなものを宿している。それこそが、より荒廃を強調している事もまた確かな事実なのであるが。
差し当たって、周囲の死体の中に味方の者はいないようだ。すると後は、南側に行っていた者達だけか。
芸術も文化も、戦闘の中では全て二の次だ。彼等戦士にとって、破壊されたものに対する感傷など無縁のものである。…そうでなければ、務まらない。何も生み出す事のない、破壊するだけの存在(せんし)など。
「南には、誰が行っていた?」
「盗賊が」
「ジュリアンの護衛に、だ。…誰もついていない訳じゃあないだろう」
注意して血溜まりを避けつつ、歩み寄ってきたカインの答えを待つまでもなかった。丁度その時、広間にジュリアンが、文字通り飛ぶような勢いで転がり込んできた。彼の血の気の失せた顔を見るまでもない。
「…ナバールか。あいつは、まぁ、大丈夫だとは思うが…」
オグマの苦笑気味な言葉に、ジュリアンは小刻みに幾度も首を縦に振る。それからすぐであった。ナバールが、普段通りのゆったりとした足取りで広間に姿を見せたのは。
だがしかし、その様は全く普段通りとは到底言えぬものだった。鞘に収められぬままに握られ、その手に提げられた血に濡れた剣のみに於いてではなく。
ナバールの姿は、まさに凄惨の一言に尽きた。鎧らしき物など、革製の肩当てと心の蔵を守るだけにしか役立たないような胸当てのみ。あくまでも敏捷性を重視したその拵えばかりでなく、この大陸に於ける一般的な剣とは違い、敵を切り裂く刃を備えた長刀…それは、よりナイフに近い…を武器とする彼は、敵の血にまみれて戦う事を常とするのだが、今回は輪をかけて凄絶だった。
顔に飛んだ血を拳で拭ったのか、塗り延ばされたようなそれは彼の片頬を彩る。当初の色も分からぬ程に、すっかり黒ずんでしまった剣帯。浸したような返り血は髪にまで及んでいるらしく、彼の長い髪は、色でこそ分からぬものの、幾筋かの束に分かれて固まりかけている。その姿のみを見ても、彼の戦い振りを想像するのは如何にも容易かった。
「…敵よりも怖かった…」
唇まで白くなったジュリアンの呟きに、周囲から同情の視線が注がれる。ただ一人、カインのみを除いて。
カインはナバールを見ていた。彼の姿に、皆一様に眉を顰める中、怒りにも似た感情を露わにした様子で、ただナバールを睨み据えていた。
ナバールに対して、ここまで強く己をぶつけられる者は他にいない。それは、長所なのか欠点なのか分からない、カインの真っ正直な気質によるものであり、オグマにはそれは如何にも得難いもののように思えるのだが、しかし、ナバール当人にとってはそんなカインも周囲の者達も全く変わらぬものであるらしい。…どちらに対しても興味を持っていない、という観点では一緒なのだろうナバールは、彼等を一顧だにしなかった。
しかし、目の前をただ通り過ぎられたカインが、更に腹立たしい思いに晒されるであろう事は、想像に難くない。彼が周囲から離れ、オグマの横をもすり抜けようとした時、オグマは素早くナバールのみに聞こえるような声で囁いた。
「頼むから、部隊内で騒ぎは起こさんでくれよ」
オグマが、カイン相手の騒動を指しているのは、明白である。しかしナバールはそれに、鼻で笑う事で答える。
「それは俺に言うべき事じゃあないだろう」
ナバールの言う事は、正しかった。確かに、彼から手を出している訳ではない。そして、何もしない事に対する罪を追求するだけの権利など、彼が必要最低限の義務と規則を守っている以上、誰も持ってなどいないだろう。
言葉に詰まってしまったオグマに皮肉な笑みを残して、ナバールは奥の間へと歩み去った。
玉座の間には、王子と彼を守る部隊が先行していたから、そこが集合場所となるはずだ。オグマはその場の壁に体を預けて、大きく深く息を吐いた。
王子も、とんでもない男を預けてくれたものである。オグマは部隊長としてのみならず、王子直々にナバールと周囲の者との橋渡しを懇請されていたのだが、これは難物だった。
差し当たって、ナバールがオグマの言う事を比較的訊いているのが救いといえば、救いである。…間諜であり、従って大陸内事情に精通しているオグマから、できるだけ情報を引き出したいナバール自身の思惑はさておき。
全く、困ったものだった。ナバールがあれでもう少し協調性があるか、腕が立たないか、存在感が薄いか…何故、あんなにも己を主張する事のない男が、あんなにも圧倒的な存在感を有しているのか…していれば、あそこまでカインを刺激したりはしなかったろうに。…如何に王子の指輪を得た者であろうとも。
オグマはもう一度、今度は小さく早い息をついて、軽く身を起こした。
己の巻き込まれてしまったゴタゴタは嘆息ものだが、そう溜息ばかりついてもいられまい。幸いカインには、彼の親友であるという騎士がいる。オグマ自身はあまり話した事もないのだが、妙に淡々とした、しかし冷静で考え深そうな騎士だった。親友というのが何だか奇妙な思いのする程、カインとは正反対な印象の青年だったが、カインの方はきっと彼が押さえてくれるだろう。…些か楽観的な希望に過ぎるかも知れないが。
オグマ自身は、ナバールのみを押さえればそれでいいのだ。それだけで当面、問題は起こらない。…それだけの事が、なによりも難しいのだという事実からは目を背けたい。
戦闘が終わり、今日も命を繋いだという事実のみを噛み締めたい。
今まで、生き長らえてきた。今日を生き残った。明日も生き延びる。生き続ける事こそが、戦士にとっての戦いであり、勝利だ。
己の力を信じる事。それこそが、人の運を左右するといわれる移り気な女怪を、永く己に繋ぎ止める。
そしてオグマは、先に消えたナバールの後を追う形で、奥の間へと足を向けた。
それは、いつ終わるとも知れず続く、新たな戦闘への道でもあったが、戦士(オグマ)の足取りに揺るぎはなかった。



END







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