記憶の中に棲む永遠〜チェイニー

再会を約して 初めて出会う
だから告げよう
埋もれた記憶の中に棲む人へ
昔 夢で出会ったあの人へ
「やっと会えたね」

「ねぇ、チェイニー」
王子サマがこちらを窺う。何か、言いたい事があるらしい。だけど、訊いてもいいのかどうか、迷ってる、みたいな。
そんなに気ぃ使う事ないのにな。言っただろ?あの丘で。何でも言いたい事を言えって。聞くだけだったら、幾らでも聞いてやるって、さ。
無言で、続きを促すと、そんな言わずもがなな空気に後押しされてか、王子は意を決したように、口を開いた。
「チェイニー、弟いる?」
「…弟?昔はいたけど」
唐突。何で急に、弟?
実際、いましたケドね。すっげ、憎ったらしいのが。
だけど王子サマ、そう言ったら、ちょっと目を見開いた。この答えは予想外だったらしい。だけど、表情は、微妙によそいき用、入ってる。それって、王子サマ教育の賜物ってヤツ?それとも、性格かね。
懐っこいようでいて、決して、相手に踏み込まない、踏み込ませない。
だけど、その手の小賢しさは、俺好み。どうやって、その垣根を取っ払ってやろうかって考えると、わくわくする。
決して人に懐かない鳥が、俺だけに甘えるのって、想像するだけでも気持ちいいだろ?
「『昔はいた』って…、今はいないの?」
「うん。死んだから」
途端に、王子の瞳が揺れた。悪い事を訊いた、とでも思ってんの?人間同士って普通、こういう時には「ごめんね」なんて言葉が返ってくるもんなんだけど、何に対して謝ってるのか、よく判らない。
だって、お前、知らなかったろう?俺の弟の事なんて。知らなかったから、訊ねて、初めて知って、それで謝るってのは、知ったのが悪かったって事なのかね。
王子サマ、困ったような顔をして、それでも、俺から目を反らさない。
そういうトコも結構、気に入ってんだけどな。
薄暗い廊下を、無言のまま、歩く。
別に、俺が喋るところじゃなかったし、王子サマは、喋りたいんだけど、どうしようかって感じで、これは王子サマ主体の沈黙。それが、十何秒か続いたろうか。
「……ごめん。僕、こういう時、どう言うべきか、よく判らなくて」
溜息まじりに、白状した。
素直で、しかも、正直。
取り繕おうとしないところは、二重丸。
「別に、何も言わなくてもいいんじゃん?」
そう言うと、王子サマは、ますます困った顔になる。俺を理解しよう、なんて、思わなくてもいいんだけど。
出血大サービス。俺サマ、相手をフォローする事なんて、滅多にないんだぜ?知んねーだろうけど。
「お前、親ぁ死んだって事について、今更、なんか思う?」
王子サマは、きょとんとしてる。思いも寄らない事を言われたって顔。
だけどお前、哀しくなんかないだろう?今更、というより、死んだその時だって、悲しくなんかなかったんだろう?
そんな時は悲しまなくちゃいけない、ああしなきゃいけない、なんて事、ひとつもない。
対外向けの仮面なんて、つけなくてもいいんだよ。俺の前ではね。
王子が、戸惑ったような、それでも何となく、安心したような顔で、自信なさげに呟く。
「…それと同じ?」
「同じ」
ちょっと混乱してるらしい。
今まで、相手が自分と同じ風に感じてるだろうって、考えた事もなかったんだろうなぁ。
確かにそういうところ、人間にはあまりない部分かもな。どっちかっていうと、『一族』向き。
それでいて、周囲から逸脱しないように、気を遣って気を遣って生きてきたんだろう?『王子サマ』って立場も、大変だね。
何か沈思黙考してた王子サマ、やがて、小さく頷いた。
「………そうか」
相手との間の親密さって、空気の密度が違ってくるから、すぐわかる。
これでまた俺の事、少し、受け入れた。
何でか、この王子サマ、話せば話す程に、気に入ってくる。
いつもみたいに引っかき回すんじゃなくて、もっとゆっくり慣れさせて、俺を信用させて。
気の置けないトモダチ役ってのを演じてみるのもいいかな、なんて思うくらい。
我ながら、珍しいよな、ホント。人間を気に入る、なんて、ここ百年、全くなかったのに。奇跡的だ。
…そうか。百年か。
そう言えば、アンリの末裔(すえ)だったんだっけ。王子サマ。
懐かしいアンリは、俺のトモダチだったけど、アンリの末裔だから、気に入ったって訳じゃない。俺はそんなに甘ちゃんじゃあないんだよ。自分で言うのも何だけど。誰の血を引いていようが、人間は人間にしか過ぎないんだし。
ただ、お前はトクベツだって、そう思うからさ。
「あ。でもね」
何か、気になることでもあったかな?
「親はともかく、兄弟はちょっと違うよ」
おやおや。
「僕、姉上が死んだら、きっと悲しいと思う。…別に、姉上がどうかなってる、なんて思ってないけどね」
慌てて、フォロー。それって、希望、というより、願望?
「姉上は、死なない。…僕より前には、絶対に、ね」
王子は、小さく呟く。それは祈りにも似て、俯いた横顔は、ただ静かだった。
なるほど。『姉上』に関してだけは、『人間』なんだねぇ。
こりゃまた、興味深い。
コレ見てると、ガトーが拘ってた実験ってのも、何となく、判るような気がしてくる。
人間なんか、観察対象にして、どこが面白いのかと思ってたけど。
『同程度の力量を持つ正反対の人間を、同条件下で育成したら、どうなるか』
くだらない事この上ない研究テーマ。
条件に見合う二体の実験動物は、奴に魔道を仕込まれた。当の奴が人間に与えた子供だましじみたのじゃなくて、『一族』としての本物の魔道技術(アート)ってヤツを。
魔道ってのは、どうしたって精神に負荷をかける。
魔の領域に対する耐性の少ない人間の身では、さぞかし負担になったんだろう。結果、飼ってた実験動物のうち一体が、まんまと檻を破って逃げ出した。奴にとっては、それもまた、予想されたうちのひとつ。その際、禁呪の書を持ち出したってのも、また。
だけど、これ以上の事態の悪化は避けなければならない。人間が滅びてはならない、とは思わないけれど、この星の生き物の行く末は、この星の生き物の中でのみ、決定されるべきなのだ。
一族の介入の為、人間が滅びるような事があっては、この星の生体バランスを崩してしまう。
ガトーの言は、一部は正しい。ただ、問題は、きっかけを作ったのはあいつの個人的な実験とやらで、実際、現況では、自分で事態の収拾をつけるより、人間を使った方が楽なんだって事だろう。それで更に、どう転ぶかを見極めるってのも、実験の経過として肝心なところで、元々の研究テーマを進める事にもなるし、奴には、一石二鳥ってトコなんだよな。
ここになって、また、新しいコマが現れてたりするし。
竜王国の若い王と、この王子サマ。
ガトーの用意した箱庭に育った実験動物達とは全く別に、『同じような環境下に育った、同程度の力量を持つ正反対の人間』が、今しも、世界の覇権を争い合い、戦っている。
出来過ぎのような気もしなくはない。まるで、始めから設定されていたかのような状況は、それでも、何者の作為も含んではいない、はずだ。
例え、誰かの策謀だったとしても、…いや、だったとしたら、か?…それはそれでまた、面白い。
決定された未来。予定調和という名の結末。かくあれかしと定められた、世界を形作る黄金律。
そんなものをぶち壊してやったら、きっと気持ちいいに違いない。そりゃあもう、とんでもなく。
「…チェイニー?」
問いかけの視線は、正面から跳ね返して。
ぎゅっと抱きしめたら、戸惑いの気配。それでも、拒否や拒絶の色はない。
イイコすぎるね、王子サマ。
さぞかし、周りの人間に、大事に育てられてきたんだろうねぇ。けど、もうちょっとばかし、警戒心を持った方がいいんじゃないかなぁ。
王子の肩口に頭を預けたら、目の前にあるのは、白い首筋。血管の透けるような、薄い皮膚。この辺の皮の下には、頸動脈ってヤツが走ってたりするんだけど、知ってる?
それでなければ、肩胛骨の少し上、骨と骨の間から、真っ直ぐってのは、どうだろう。
肋骨みたいな障害物のない、心臓までの最短距離。例えば、鋼鉄のように硬い『一族』の爪を長ーく伸ばして、突き立てて。きっと、さっくり入っていくだろう。
今、この王子サマがいなくなったら。
どうなるのかな?情勢って。
そっと首筋に指を這わせる。爪はもっと長く、もっと鋭い方がいい。もっともっと長く、切られた事にも気付かないくらい、鋭く。
王子の背中から手を回して、王子には見えないだろう角度から、長く伸ばした爪先で、ちょうどいい位置を探す。
すいっと撫でた先、うっすらと赤い線ができた。
当人も無意識のままだろう微量な傷。人間には気付かれないだろう程度の、仄かな血の匂い。
ごめんな、王子サマ。
トモダチ、やれなくなっちゃって。
だけど俺、王子サマの事、本当に気に入ってるし。
痛くないようにするよ。
すぐに済むし、何があったか判らないうちに、眠るように逝けるから。
今後の事考えると、かえってそっちの方が、王子サマにとって、いいかもな、なんても思えるしな。
ああ、俺ってホント親切。
じゃあな、王子サマ。
おやすみ。
………………………全く、イヤになっちゃうよ。
王子サマは、まだ、俺の背中をさすってる。
「チェイニー、僕は姉上の事、本当に信じてるんだ。だから、大丈夫だよ。あの人、すごく強い人だから。絶対、無事でいるし」
ぽんぽん、さすさす。
まるで、子供にするみたいに。
「チェイニーの弟さんもね。きっと、お兄さんの事、好きだったよ。だから、思い出してあげて。色々な事、今までにあった事、受け入れてあげて」
穏やかな声と共に刻まれる、一定のリズム。
「僕の両親は、親である前に王だったし、王妃だったけれど、だけど、それでも、僕を嫌いだった訳じゃない、と今は思うよ。受け取り方ってそれぞれだけど、見えるものや感じる事って、時間と共に変わってくるものだから」
甘ちゃんすぎる。王子サマ。
けど、確かに、それもまた、真実の一面ではある。
ああ、認めるよ。渋々だけどね。
俺と同じ遺伝子を持った男。
最後に、決して解けない呪いを吐いて死にやがった、サイテーなヤツ。
思い出すと、腹が立つけど、でも、今はそれだけ。
あの頃みたいな憎悪はない。確かにね。
ひとつ、溜息。
興が殺がれた。
ま、いいか。もうしばらく、このままでも。
それくらい、譲歩してもいいよ。時間なんか、たんまりあるんだし。
また、気が向くまでは、トモダチのままでいてもな。
「で。何で、いきなり『弟』だったん?」
やっぱ、コレは訊いとかんと。
あまりにも唐突な質問だったもんな。
「チェイニーによく似た、でも、10才くらいの子供を見かけたって人がいてさ。もしかしたら、チェイニーの兄弟なのかな、と思ったんだ。でも、違うよね」
「…違うんじゃん?」
だって、あいつが死んだのって、もう…千年くらい前だっけ?
人間、そんなに生きるなんて、訊いた事ねーもんな。
それに、俺に『よく似た』子供って…、そりゃ、どっちかって言うと…。
「他人のそら似とか、見間違えとかじゃねー?」
「そうなのかなぁ…」
王子サマ、胡散臭そうにこっちを見る。
『他人のそら似』ってのの、何処がそんなに嘘っぽいってんだ。
失礼な。
でも、王子サマ、このまま誤魔化されてくれそうもない。そんな目をしている。
だけど、そんな子供姿なんざ、いつ頃、使ったのか覚えてないし、どのあたりで目撃されたのかも判らない。状況如何によっては、ここでの立場がまずくなる。
それに何より、言い訳するのが面倒臭い。
まかり間違って、この王子サマに、昔、一度だけ会った事がある、なんて気が付かれちゃった日にゃ、目も当てられない。
この王子サマの反応は、今ひとつ、想像しきれないけど、精神的優位ってのは、こんな小さな秘密の積み重ねからできあがっていくもんなのだ。
仕方がない。
かくなる上は。
「ここ」
つんつんと、さっきまでの『一族』の影は微塵もない、今ではすっかり人間と同じになってる指先で、首筋をつつく。
「血ぃ出てるぜ」
「え?」
王子サマは、ちょっとびっくりしたような様子。
「いつの間に?」
「さー。だけど、そんな大したもんじゃないな。こんなん…」
ぺろり。
「うひゃ?!」
「舐めときゃ治る」
もう、血も止まって、傷口も塞がりかけてる。薄ーい傷だったから。
だけど、王子サマは及び腰。
「自分でやるから。チェイニーは、何もしてくんなくて、いいから」
傷の辺りを手で押さえて、じりじりと俺から遠ざかろうとする。
「自分じゃ舐めらんないだろ」
「だから、舐めなくていいんだったら」
顔赤くなってるしー。
なんか、挙動もぎくしゃく不審になってるしー。
「………カワイー奴ぅ」
「ぎゃー、止めてよーっ」
じたばたする体を抱え込む。取り敢えず、この場を誤魔化せればそれでよかったんだけど、この王子サマったら、本当に、面白い。
久しぶりに見つけた楽しい玩具。
さっき、壊さなくて、よかったのかも知れない。もっともっと、遊んだ方が、きっとずっと楽しい。
きっとね。
相手にじゃれつき、軽口をたたき合う。そんな他愛のない時間さえ、心地いい。
本当に、久しぶりな感触。
王子サマが逃げていった先を透かし見て、小さく笑う。
これからの事を考えると、自然と頬が緩んでしまう。
何がどう転ぶかは判らない。けれど、しばらく退屈だけはしないですむ。
舌に残った、王子サマの血の味。もう乾いていたそれは、口の中で仄かに溶けて、今では己の血となり肉となった。
互いに絡み合う二重螺旋。生物が生物である情報を貯め込んだ大図書館。それには、あの王子サマの魂も写し取られている?
綺麗で可愛い、お人形。
まるで、俺のために作られた逸品。
ガトーの玩具にだけはさせない。
アレはもう、俺のだから。
だけど、まぁ。
これから、どうしようか。
さしあたっては、具体的に。
「…マリクのご機嫌窺いに行ってみようかな〜♪」
口調は、こんなもん?声の出し方は?
…よーし、オッケー。
じゃあ、いってみっかー♪
軽く、身を翻す。その仕草さえ、既にチェイニー自身のものではない。
罪もない少年達の笑い声も、今はその場から遠くなり。
後には、何事もなかったかのような顔をした、常と変わらぬ夜があるだけ。
END・
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