淵となりぬる〜ジョルジュ

君に 幸せあれ

すっきりと晴れ渡った青天が広がる朝だった。ジョルジュは、何だか既視感を覚える。あの時と現在とでは、全く、周囲の環境は違う。目に入る景色は、もう緑の稜線に縁取られてはいない。黄色い丘が延々と横たわる、砂の世界だ。
それでも、彼の元へと近づいてくる人影は、あの時と全く同じ。貴族的なものではない小さな微笑みに口元を綻ばせて、ジョルジュは口を開いた。横に立つ人物に向けて。
「アストリアは、熱を出して寝込んでるそうですね」
現在、彼女が看病についている、という話だった。邪魔をしては悪いかと思って、結局、見舞いにも行っていない。元気になる前に、一度、からかいに行ってやりたいものだが。
しかし、彼女はあっさりと返した。
「知恵熱ですわ」
そこで、ようやっとジョルジュは彼女に向き直った。
ミディアが、そこにいた。堂々と、胸を張って。
「『知恵熱』という事は、どうやら彼は自覚してくれたようですね」
「ええ。おかげさまで」
彼女は軽く頷く。それでは、この恋人同士はようやっと最初の一歩を踏み出せた、という事なのだろうか。それはそれで、めでたい事だ。ジョルジュの様子に、理解の色を見たのだろう。彼女は、少し目端を綻ばせた。真っ直ぐにジョルジュを見据える眼差しにも、今までのような敵対心はない。…まだ、多少の対抗心は残っているようだったが。
「…取り敢えず、お礼を言わせて戴きます」
しかし、少なくとも、彼女は公正な人間であるらしかった。
「私は、殆ど何もしていませんよ」
「だけど、きっかけは作って下さったわ。だから、…ありがとう、ジョルジュ」
ジョルジュの驚きは、その形のいい眉を小さく上げる事のみで表現された。無論、そこに負の感情はない。聖王家に連なる血族である己に『ジョルジュ』と呼びかける、というのは、護衛官であった彼女にとっては、とても勇気のいる事だったろう、とは、容易に察せられる。
「美しい女性のために労を得るのは、男として当然の事ですよ」
ジョルジュは、晴れやかに微笑した。それは、典雅に美しい貴族的微笑ではなかったし、彼の親友であり、彼女の許婚者である男以外、見た者も数える程しか存在しないような、そんなものだったのだが、その物言いはあくまでも貴婦人に対するもので、だから彼女も、彼女に対するジョルジュの微妙な変化には、気づかなかったかもしれない。
「そういう言い様は、嫌いです」
見るからにむっとした様子で、彼女はその目を眇めた。
「普通に話してもらいたいわ。…アストリアに対してするように」
「それは、少し危険です」
ジョルジュの言に、上がる眉。
「そのうち、アストリアに決闘を申し込む羽目になるかもしれない」
このジョルジュの言葉に、彼女は少し困ったような顔をした。どう反応すべきか、逡巡しているようだった。結局、軽く息をつき、腰に手を当てて、怒っているかのような素振りをみせる。ジョルジュの軽口に乗ることにしたらしい。
「嘘つきね。そんな気なんか、ないくせに」
「心よりの言葉ですよ。今までに嘘なんてついたなんて、…まぁ、多少はありますが」
後半、肩を竦めての言に、ミディアは小さな微笑を洩らした。
周囲は、ひどく穏やかだった。ジョルジュは、彼女相手にこんなに静かな時間を過ごせる日が来るとは思ってもいなかったが、それは彼女も同様であったろう。
黙っていても、それでよかった。とても、暖かな空気だった。
彼女は、ぽそりと呟くように言う。
「…別に、貴方の事は、嫌いではないわ」
「それは嬉しい」
屈託なく微笑むジョルジュにバカにされたとでも思ったのだろうか、彼を一睨みして、ミディアは身を翻す。憤然としたその歩調に、また笑いを誘われてしまう。そんな事をしたら、ますます彼女に嫌がられてしまうとわかっていたのだが。
アストリアが、彼女のことを『女らしい』ではなく、美しい、と評したのならば、ジョルジュはすぐに首肯した事だろう。それこそ、疑いもなく。
宮廷の園遊会でドレスに身を包んだ彼女は、その魅力の半分も映してはしなかった。
戦場こそが、彼女の世界。その中でこそ、彼女は真価を発揮する。
なんと生き生きとした、晴れやかな美しさ。血と鋼鉄と狂気とに彩られた戦場で、自身も返り血に塗られ、それでも彼女は美しかった。まるで、戦神に付き従うという麗しの戦乙女。
それは、ジョルジュの目をも、釘付けにするほどの。
「…ま、しょうがないな」
親友の初恋の邪魔をするなどという野暮をする気はない。ならば、深入りする前に、とっとと身を引くのが重畳というものだ。
ジョルジュは小さく息を吐く。それは、全く重いものは含まない吐息。
だから、彼等に見せてほしい。もし、真実この世界に愛などというものが存在するのなら。
この己が、遊戯ではない、本物の恋愛とやらをしたくなるような、そんな感情を。
END・
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The battle of ARITIA・
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