WATER GARDEN〜水の王国 +++ 深緑のエデン編Ver.1





カガリヤ。
今では伝説とされるウガタ王国の衛星都市(サテライト・シティ)として発展し、王国滅亡後、全ての王国を統べるカノール帝国の直轄領となった国。世襲制でその地位を受け継ぐ大公を筆頭とした、現代では珍しい貴族共和制。東方と西方を融合させた、独特なその文化。
これらは全て、乳兄弟であるウツノミヤの受け売りだったが、マエダにとっては何の意味も持たない情報だった。
大切なのは、今現在のカガリヤは、世界有数の経済都市国家である、という事。そして、建国500年祭とやらで、今この街は裕福な観光客や自分達のようにあらゆる国々を渡る隊商(キャラバン)で賑わっている事。
事実、目の前では通りに面した店々の間を縫うように、種種様々な露店が建ち並び、ありとあらゆる人種の観光客が通り過ぎていく。しかし、何処の国人が歩いていても珍しくないこの国でも、何処の国にも属さない〈流浪の民〉は人目を引くものであるらしい。
闇夜のような黒髪。浅黒い肌。その鋭い瞳がしなやかな身ごなしと相まって、まるで彼を野生の獣のように見せる。
背が高くすらりとしていたが、ひ弱そうには見えなかった。危険と隣り合わせの旅の生活が鍛えたであろう、隠された力を感じさせる。
多分、まだ少年と言ってもいい年齢であったろう。だが、その堂々たる体躯と不遜にすら見える態度とが、彼をひどく大人びて見せている。
砂漠を渡る者の扮装を分厚い旅用マントに隠してはいたが、マエダは誰がどう見ても、『自由と誇り以外には、身を尽くすものを何も持たぬ』といわれる流浪の民、そのものだった。
彼の前を通り過ぎる時、殆どの者が興味深げにそちらを見やる。それを全く意に介さず、マエダは頭を巡らせて、周囲に目を向けた。
興隆期にある都市のみが持ちうる、高揚した空気がそこにある。
『世界中のどんなものでも手に入る』といわれる、このリヤルト通りは、活気という点でも世界のどの場所をも圧していた。商売にかける時間に比例して、儲けも大きくなる事は確実である。つまりは、かきいれ時なのだ。
マエダは、大きく息を吐く。
それを、何だって自分はこんなところに来ているのだか。隊商に帰った時、文句を言う者もあるだろう。まだ、ほんの赤子の頃、隊商に拾われた養われっ子である自分には、やらなくてはならない事もたくさんあるのに。
そんな時、何かと自分によくしてくれるウツノミヤの両親が脳裏に浮かんで、マエダは己の長く伸び過ぎた前髪を手荒く掻き上げた。乱れ気味の髪がますます乱されるが、それはマエダの癖のようなものらしい。当人は全く無頓着に、今現在の自分の育て親の事を考える。
一人息子と分け隔てなく育ててくれたあの人達は、学者肌で優しい心根が災いして、今ひとつ商才に欠ける自分達の息子よりも、マエダに期待をかけているところもままあるのだ。
しっとりと水を含んだ風が吹く。微かに潮の香を孕んで。それは、マエダの知る風とは全く違う。彼にとって、風とは、常に太陽と砂の匂い、そして、しばしば高熱を伴った激しいものだったから。
優しい、穏やかな風。この国の風は、つい先日知り合った少年を思わせる。
マエダは、この国で一番高い〈塔〉を仰ぎ見た。
最上階が鐘突堂となっているその塔の鐘が、時間を知らせる。他に正確な時間を知る手立てのない一般市民にとって、それが挙動の区切りとして利用されているという事は、もうマエダもよく判っていた。
三点鐘が、澄んだ音を立てて鳴り響く。
いつも、その鐘が鳴る頃、マエダの待っている人物は姿を見せる。名前くらいしか知らない相手。
別に、会う約束をしている訳でも何でもない。マエダは、いつも約束めいた事は何も言わない。それは、長年の放浪生活がマエダにさせている事。
いつ、この国を出る事になるか判らない。街の人間と親しくなどならない方がいい。別れが辛くなるだけだ。守れないかもしれない約束など、初めからしない方がいいのだ。
そんなマエダの心情を理解しているのか、彼もまた、何も言わない。ただ、マエダと「会えて嬉しい」と言う。そして、その言葉を違えぬ笑み。
…変なヤツ、なんだよなぁ…。
マエダは、しみじみと考えた。
初めて彼を見た時、女だと信じたくらい、綺麗で優しげな面立ちをしている。着ているものは上物だし、聞いている方が思わず赤面するような台詞をさらりと口にするとんでもなく世間ズレした感覚といい、日にもろくに当たった事のないような白い肌といい、多分、金持ちの坊ちゃんなんだろうと思った。
街を歩く時も、道にはひどく詳しいのに、見るもの聞くものが物珍しくって仕方がない、とでも言いたげな顔をする。まるで、外を歩くのが初めてでもあるかのように。
子供のように無邪気に笑う。なのに、ふと見せる表情は、達観した大人のようで。
不思議な少年。
そもそもマエダは、自信と力に満ちた、そんなタイプの人間が好きだった。彼はそういうタイプでは全くない。強いて言うなら、マエダの苦手とするミルク飲み人形タイプだ。もしかしたら、大嫌いな貴族という人種なのかもしれない。
だけど、彼の事は決して、嫌いじゃないのだ。人の好き嫌いのはっきりしたマエダにとって、これはとても珍しい事。
彼は違うという事だけは判る。何が『違う』のか、そんな事は自分でも判らなかったけれど。
ただ、彼に会いたい。それだけだ。
だから、ここで待っている。彼と初めて会った場所。大公宮前の広場で。
マエダはそれ以外、彼と会う術を持たなかったから。
「…遅い」
マエダがぼそりと呟いた時。
「マエダくーん」
彼が裏路地から姿を現した。小走りに走ってきた彼は、少し離れた位置に架けられている橋には目もくれない。二人の間を阻んでいる大きめの小川程度の運河にまっしぐらに向かい、思い切りジャンプして飛び越えようとする。
「ケンタ?!」
その如何にも不慣れそうな飛び越え方に、マエダが弾かれたように駆け寄った。
「…ち、ちょっと危なかった、かな?よく街の男の子達がこうやって川を飛び越えてるのを見て、僕にも出来るかな、と思ったんだけど」
「反射神経の差というものを考えろ」
「まるで、僕がものすごく鈍いみたいな事、言わないでよ」
「…お前、今の自分の体勢を見て、物を言ってるのか?」
冷たく言われて、ケンタは改めて今の状態を見直した。縁に足をかけてしまい、もう少しで運河に転げ落ちるところを間一髪、マエダが抱き留めてくれた、そのままの体勢でいる自分を。
「ご、ごめん」
慌てて離れた。
ケンタの背に回していた手を緩める時、その体温が離れていくのが名残惜しく感じられたのは何故だろう。
兄弟同然のウツノミヤにだって、こんな感情を抱いた事などなかったのに。
「ありがとう、マエダ君。これ落としたら、ちょっと悲しい事になるところだった」
にこにことケンタは、懐の小袋を指し示す。訝しげな顔を見せるマエダを促して、ケンタは歩き出した。
「珍しいお菓子をもらったんだ。マエダ君と食べようと思って持ってきた。この先に庭園があるから、そこに行こうよ。木陰が涼しそうなところだよ」
いつも楽しそうだけど、今日はとりわけ明るいケンタの笑顔に目を細めて、マエダもケンタの示す路地に入る。迷路のように入り組んだこの街の裏路地になど、一人で入り込んだら迷子になること請け合いだったが、ケンタと一緒に歩くのはとても楽しかった。
運河に分断された狭い土地を有効に活用するためだろう。林立する背の高い石造りの建物の、隙間を縫うように作られている狭い路地。路地を抜けると小さな運河。架けられた橋を越えて、また路地に入る。
同じような古い建物の石の壁と運河が、方向感覚を狂わせる。同じところをグルグルと回っているような、そんな感覚。そして、マエダには「さっき通った」と思えるような路地を抜けると、いきなり、目の前の景色が拓けた。
一面の緑。
マエダがそう錯覚してしまったものの正体は、たくさんの大きな木々だった。そう言えば、何でも揃っているこの街で、植物の緑を見た事はあまりなかった、とマエダは今、気が付いた。
「この庭園の反対側は、大運河になってる。この国では、こういう土地の使い方は、すっごい贅沢なんだよ。ここも元々、大公様の持ち物で、国民に解放されている場所なんだ」
確かにそれは、とてつもない贅沢であったろう。
この小さい国の狭い土地にひしめくように立ち並ぶ家々を見ても、そう思う。その上、大運河に面している、といったら、海から入港する大型商船を乗り入れて、直接、横付けする事のできる数少ない場所なのだ。商業上の重要地であり、国内でも一等地になるだろう。
「僕、一度ここに来てみたかったんだ!」
踊るような足取りで庭園に入ったケンタが、マエダを振り返る。
緩やかな風が梢を揺らす。ゆったりと流れる運河によるものではない、水のせせらぎ。それに、声域の違う小鳥の囀りが微妙に重なり合って、二つとない妙音を奏でている。風のそよぎに任せて、光が踊る。
光と影で綴れ織られた緑の大地。
木漏れ日の中を、ケンタが駈けていく。
当初、何故この場所を潰して商業地区を広げないのかと訝しく思ったマエダも、ケンタの輝くばかりの笑顔に、その理由を見たような気がした。
灰色の建物に囲まれて暮らすこの街の人々にとって、この場所は緑の楽園なのだ。
それはきっと、砂漠の中のオアシスのようなもの。
「…ああ、そうか」
「マエダ君?」
小首を傾げて自分を見つめるケンタに、マエダが微笑みかける。
「なんかさ。わかった」
「何が?」
「俺にとってのお前って、この国でのここみたいなもんなんだって事」
その言葉を良く理解できないらしいケンタは、困ったようにマエダを見つめている。
「判んなきゃ、いいさ」
マエダが、年相応の顔をして笑う。
ただ、彼に会いたいと思った。彼といると、自分が自分のままでいられる。まるで、生まれてこの方ずっと一緒にいたかのような身近さ。
頬を撫でる穏やかな風のように、自然で。
今まで自分の傍らに彼がいなかった事の方が信じられない。
「……なくせねーよなぁ…」
例え、他人に何を言われようが構わない。
彼でなければ駄目なのだ。自分にこんな想いを抱かせた人間なんて、他にはいないのだから。



今、二人にはこの緑の楽園が世界の全てであり、彼等はただ、自分自身の王様だった。少年達にとって、この穏やかな時間は永遠に刻み続けるものであったし、その一刻一刻の積み重ねである彼等自身の歴史の中に、互いの姿がない、などという事は、考えられなかった。
世界は楽園などではないし、時間というものは、彼等の感情など歯牙にもかけず、流れていくものだ。
その事はよく知っているはずなのに、夢を見た。
幼き頃より大人達の中に立ち混ざって、彼等に感歎の息を吐かせてきた少年達とて、所詮、小さな子供に過ぎなかったのだ。
そう遠くもない未来、彼等は幼い頃からその身で学んだ、現実、というものをもう一度、眼前に突きつけられる事になる。



END
(1994.9.4発表) 



我ながら、趣味丸出しな感じがベタベタです。
その上、書いてた当時もこんなに書きやすい話はなかったです。
という事は、そのシリーズっていうのは、一番、私らしい話なのかもです。








 ◆→ FORWARD〜WATER GARDEN/GREEN-Ver.2
 ◆◆ INDEX〜NEWTON