WATER GARDEN〜水の王国 +++ 深緑のエデン編・序





何処までも青い空を、太陽神は王者然と世界を睥睨するようにゆっくりと渡っていく。
ここ、カガリヤの国は、無数の運河に国土を分断された、水の都だった。国中で一番太陽神に近い、その塔の最上階近くの一室からは、そして大きくもないこの国の大半が一望できる。
たくさんの商船の横付けされた港では、波が光を弾いて目を射った。東洋風の衣装に身を包んだ男と典型的なカガリヤの商人といった風な男が、何事か論じ合いながら通りを足早に通り過ぎる。北の国人らしい女性が、砂漠の国のアクセサリーを売る露店を熱心に見て回っている。その横の同国人らしい男性は、商品の買い付けだろうか、女性よりも品を見る目が冷静なようだ。南洋の海の男達を乗せた船が、滑るように出港していく。
世界中の人種を集めた、おもちゃ箱のよう。
カガリヤには、世界中の物が集まる。〈世界経済の中心地〉といわれるのも頷ける、それは壮観な眺めだった。
風が少年の髪をなぶる。カガリヤ人には珍しい漆黒の髪は、少年の東方の血を窺わせたが、その翠の瞳は確かに、カガリヤの民のものだった。港の人々と風の動きとで時間を計っていた少年は、開け放たれていた木窓をそっと閉めると、手早く丈の短いマントを身につけた。
急がなくてはならない。約束の時間まで、後幾らもない。早くしなくては、ここから抜け出す事もできなくなってしまう。
マントの下は、いつもの長衣から、やっぱり動きやすい丈の短い胴衣に着替えてある。肩に掛かる髪を後ろで一つに縛ってフードを目深く被ると、今まで少年をひどく少女めいて見せていた様相は隠されて、この年頃の少年らしい悪戯っぽさを覗かせるそれが現れた。鏡を覗くと、そこにはほっそりとした下町の少年が一人。
少年は満足げに笑むと、小さな革袋を握りしめて、忍び足で扉の方へと歩き出した。その時。
「何処へ行く気だ?ケンタ」
背後から掛けられた、今ここにいるはずのない人の声に、ケンタと呼ばれた少年は、文字通り飛び上がった。
「しっ、シブヤ君っ!どーして!!さっき、導師様のお遣いがきてたじゃない!」
赤を基調としたすっきりとしたデザインの近衛のお仕着せに身を包んだ、多分、ケンタよりも2、3才年上であろう少年が、そこに立っていた。
「導師の用事は、さっき来客のため延期の旨、通達があった。…それより、俺の質問にまだ答えてないぞ。『何処へ行く気だ?』」
ケンタはこくりと息を飲み込み、身を竦ませた。しかし、それは恐怖のためではなく、罪悪感からである事を知るシブヤは、少し声を柔らかくして続ける。
「俺が気づいてないとでも思ってたのか?ここんとこ、毎日何処かに行ってるだろう。正確には、3日前の建国500年祭からだ」
完璧にバレていた、という事実に、体中の力が抜けそうになる。もう誤魔化せない。大体、誤魔化しのきく人間ではないのだ。このケンタのお目付役は。
「お願い!見逃して!!」
「理由によるな」
間髪入れずに返されたシブヤの言に、ケンタは素早く周囲に視線を走らせた。そんなケンタに気づいたのか、シブヤはさりげなく扉の前に移動している。
その扉が、部屋からの唯一の出入り口。例え、他に逃げ道があったとしても、見習いとはいえ、近衛であるシブヤから逃れられるはずもない。ケンタはがっくりと肩を落とし、シブヤに促されるままにマントを脱いだ。



目の前のテーブルには、小さな焼き菓子。ケンタは、シブヤのカップにハーブ・ティを注ぎ入れた。シブヤは取り敢えず一口含んで、喉を湿らせた。息を吐いて、カップを置く。
「…つまり、500年祭の時、酔っぱらいに絡まれたのを他国人に助けられて、そいつと友達になった、と、そーいう訳なんだな」
ケンタは、神妙な様子でこっくりと頷いた。
「そして、そいつと会うために、ここ最近、〈塔〉から抜け出している、と」
こくこく。
シブヤは軽く目を閉じたまま、淡々と話す。それが良くない傾向である事を、ここ7年間身近な存在としてつき合ってきたケンタには、判りすぎるほどによく判っていた。
そして。
「何考えてるんだ、お前はぁっ!!!!!」
シブヤが声を荒げるのと、ケンタが耳に蓋をするのは、ほぼ同時だった。
「〈塔〉の住人が無断で外に出ちゃならないっ事くらい、お前もよーく知ってるだろうが!んな事がバレたら、どーなると思ってんだ!!…ああ、こんな事になるんだったら」
「ごめん!シブヤ君に黙ってたのは、本当に悪かったと思ってるよ。だから、『こんな事になるんだったら、建国祭の時に、脱走の手引きなんかするんじゃなかった』なんて言わないで。僕、すっごく感謝してるんだから」
ケンタに台詞の先を封じられて、シブヤは思わず黙り込む。
「マエダ君とも、友達になれたんだもの」
至上の幸福のように語るケンタに、シブヤは冷たい視線を投げた。
「俺はそいつに問題があると思うね。大体、そう毎日毎日〈塔〉の人間呼び出して、お前の都合とか考えてんのかよ、そいつ。常識ねーんじゃねー?」
「そんなんじゃない!マエダ君は悪くないよ!僕が勝手に会いに行ってるんだ。…マエダ君は、僕が〈塔〉の人間だなんて、知らないんだから…」

魔道研究所。
その外観から、通称〈塔〉と呼ばれるそれは、一般市民や他国人には、将来の政治中枢を担う才能を持った者のための特殊教育機関、として認識されている。〈塔〉を出た者は、輝かしい未来が約束されているのだ、と。研究所の真の姿を知るのは、国内の一握りの者のみ。
本来、魔道は人外のものと言われてきた。しかし、世界は何故か、体内に魔法を持った子供を時折、輩出する。だが、そういった子供の多くはまた、自分の持つ魔法に自分でも気づかぬまま、平穏な一生を終える。不幸にも魔法を発現させてしまった子供は、神聖神殿によって〈魔物憑き〉とされ、聖なる炎で3日3晩炙られ、『浄化』される事を余儀なくされた。しかし、それもカガリヤ以外の国での話だ。
カガリヤにおいて、更にいうなら、その政治中枢にある人々にとって、彼等の価値は高かった。国土の小さい、総じて人口の少ないカガリヤでは、魔道の持つ無限の可能性に着眼した。
例え、〈魔物憑き〉であろうとも、利用価値さえあればそれでいい。
その徹底した現実主義が、この小さな国を経済大国に成さしめたのだ。
そして、子供達の魔法を実用可能な域に押し上げると共に、国に対する忠誠心を軸とした教育を施す。
〈塔〉とは、そういったものだった。

今にも泣き出しそうなケンタに、シブヤは目を伏せて、カップに口を付けた。
ケンタの様子からすると、その他国人は多分、建国祭合わせでやってきた観光客なのだろう。ならば、建国祭後1週間続く祭りが終われば、いなくなる人間なのだ。
「判った。行ってこい」
ケンタは、弾かれたように顔を上げた。シブヤを凝視するその視線が、ケンタの心情を如実に物語っている。
「………本当に?」
「ああ。でも、早く帰ってこいよ。お前の不在がバレたら、とんでもない騒ぎになるんだからな」
「うん!」
勢いよく立ち上がって、小走りに扉に向かいかけたケンタにシブヤは、椅子に掛けられていたマントを放った。
「忘れ物だ」
「ありがとう、シブヤ君!」
こぼれ落ちんばかりの笑顔を残して、〈塔〉の階段を下りていく。それを見送って、シブヤはそっと息を吐いた。
〈塔〉始まって以来、とその潜在能力を謳われながら、ケンタは未だ魔道士としての〈目〉も〈耳〉も持っていない。所詮、おちこぼれではないか、というケンタ自身の負い目と、その潜在能力故に特別待遇となっている少年への周囲のやっかみ。それ故に、ケンタはいつも独りだった。
まだ、たった15の少年に過ぎないのに。
「俺じゃあ、『友達』にはなれないもんなぁ」
お目付役である自分では、決してケンタとは対等になれない。なってはならない。
「…つらいねぇ」
ぽつりと呟き、既に冷めかけているハーブ・ティを一気に飲み干す。
もうそろそろ、導師の指定した時間になる。
シブヤは、導師の呼び出しに応じるべく、ゆっくりと立ち上がった。



この年、東方の新興国である紗那(シャナ)王国では、王太子慶彦(ヨシヒコ)が新王に即位。間を置かず、紗那は狩野琉(カノール)帝国の首都春花斗(ハルカド)を陥落させた。ここに、西方最古の帝国は滅びの時を迎える。
3年後、紗那は首都を春花斗に移転。これは、紗那の西方への領土野心の現れとして、西方諸国を震撼させる。
篝夜(カガリヤ)公国は、通商全権委任大使として、稲場(イナバ)大公側近である健太(ケンタ)を紗那王国に派遣。
歴史は、人々をその流れに巻き込み、大きく動き出そうとしていた。



そして、物語は始まる。




なんちゃって。



END
(1994.5.22発表) 



初めて作った同人誌に載っけた話。…いえね。ページが足りなくて。
その場限りの話のつもりだったのだけど、これを書くのが面白くなってきちゃってねぇ。
いつの間にか、このジャンルで出す本には、必ず、おまけ的に
この話のシリーズを書くようになってましたね。
しっかし、ものすごく古い文章です。
それなのに、未だに思い出したように(←思い出してるんだな、多分)
「あの話の続き、書かないの?」と言う友人がいたりします。
…まぁ、多分、終わるでしょう。そのうち。
……だけど、その前に友人が忘れる公算の方が高い気がする。








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