楽園幻想 +++ ACT.1-4 楽園幻想





〔…今日未明、富士山麓の軍用地の一角にあたる研究施設で、実験用プラントの故障による事故が発生し、軍関係者等、200人余りの死者を出す惨事となりました。今のところ、生存者は見付かっておらず、事故の原因等、詳しい事は判っておりません…〕
TVから流れる朝のニュースをBGMに、渋谷は熱せられたフライパンに、慣れた手付きで溶き卵を流し入れた。軽く混ぜ合わせてチーズを加え、菜箸で形を整える。火加減も弱火に落としてある。数回、フライパン上でお手玉した後、皿に盛れば、如何にも美味しそうなオムレツの出来上がりだ。
「…完璧っ」
半熟以上固焼き未満の、健太の大好きな、微妙な焼き加減。
「いやー、俺ってば、天才だねっ。自分で言うのも、何だけどっ」
自己陶酔に浸り切った人工生命体の姿は、かなり怪しげである。
「渋谷くーん。こっち、パンと紅茶、できたよー。そっちはー?まだー?」
「もー少しー」
廊下の奥から届けられた健太の声に答えて、冷蔵庫から野菜を取り出す。まずはクレソン。
「クレソン、トマト♪オニオン、レタス♪」
鼻歌交じりにガラス皿に盛られたサラダに、自家製ドレッシングを添える。朝食とはいえ、いや、だからこそ、栄養バランスの整った食事を心掛けなくてはならないのだ。何せ、健太は育ち盛りなのだから。
4年に渡って培われてきた、家計を一手に握る主夫としての自負もあった。が、何よりも、健太は渋谷にとっては、別格に過ぎる存在なのだ。
一般の機械人形や人工生命体と違い、一風、変わった構造で造成された渋谷は、井口博士の手によって、『井口健太』を最優先、最重要事項かつ、最大原則として位置付けられている。
人間の手によって創られたDNAに、まだ生命が形を成す前に刷り込まれた、唯一の項目。
しかし、例えそんなものが存在しなくても、健太の為に生きていくのに、何の迷いもなかっただろう。健太の存在しない世界など、考えられない。
己の唯一の存在。
「…っと。早くしないと、折角のオムレツが冷めちまう」
オムレツとサラダ、二つの皿をそれぞれの手に持って、渋谷は台所から、健太が朝食用のセッティングを整えている居間へと続く廊下を小走りに向かう。…が、すぐに先程と同じく小走りで取って返してきた。
「忘れ物、忘れ物」
ひとまず皿をカウンターに預けると、点けっ放しになっていたTVのスイッチに手を伸ばす。
〔…なお、発見された遺体の一部に、不審な形跡の残っている事などから、何者かが事故に見せかけた殺人である可能性もあるとして…〕
無表情なキャスターの顔も、淡々としたその声音も、そこで消えた。
再び、廊下を小走りに去っていくスリッパの軽やかな音がする。
「井口ー。扉、開けてー」
カチャリ、とノブの回る音。
「サーンキュ。…今日のオムレツは、ちーっと自信作なんだぞ」
「それは楽しみ」
常と変わらぬ、平和で、何よりも幸福な情景。例え、外で何が起ころうとも、ここだけは、いつも暖かい光に満ちている。
そして、高い音を立てて、幸せな世界は閉じられた。

パタン


永遠など望むべくもない、幻想の楽園。知恵の実をイブに食べさせ、人の意識の目覚めを促した蛇は、悪魔の使いだっただろうか。楽園を追放されたアダムとイブは、果たして不幸だったのだろうか。
誰の推測も、意味を持たない。
真実は、彼等自身にしか、判らないのだから。



END
(1995.8.19発表)



1ジャンルに1回、『楽園』ネタ。
昔っから、どーにも好きらしくて。
この「今はもう何処にもない楽園」というイメージが。<苦笑
「楽園」って、出てきた後からが「人生」だよね。
あ、ちなみに作中に出てきた「母親の胎内=楽園」というのは、
別に誰の説っていうんでもありません。
みどう説。(^^)
そーいう考え方もありかな、と、ちと思っただけです。はい。








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