蒼い鳥 +++ act.13


いずれ幸せになるために
ぼくたちにはその鳥が必要なのです

メーテルリンク「青い鳥」



「パーティ?」
花屋でハーブの苗を購入した時の事だった。

「そう。と言っても、そんなに堅苦しいものじゃないよ。立食形式で、仲間内で集まってするヤツ」
他に来るメンバーはと言って上げられたのは、八百屋の若者、雑貨屋の店員、喫茶店のウェイトレス。アリスも見知っている。買い物の時に挨拶くらいはする仲だ。他に上げられた者には、知らない者もいたけれども、どうやら皆、友人であるらしい。
友人同士で行われるバースディやバレンタインといったイベント事のパーティといった風情のもの。それに、私を?
アリスの目にある不審を感じ取ってか、花屋の店員は困ったように微笑んだ。
「君、最近、この辺りに来ただろう?それで、あの、塔に勤めてるみたいだし、僕たち、皆、気になってて」
「ああ…」
成る程、判った。一瞬、馴染みの客を皆、招待しているのかと思ってしまったが、勿論そんなはずはない。アリスが塔の住人だから。前に塔下の菓子店から塔にビスコッティを卸してもらう事にしたのはアリスだ。アリスと何か繋ぎが作れれば、という事だ。
「私、そんなに塔で発言権がある訳じゃないのよ、悪いけど」
済まなそうにアリスが言うと、慌てたように青年が手を横に振る。
「いや、そんなんじゃないよ。何か得になるかもとか、そんな風に思ってるんじゃないんだ」
顔を赤くした彼が少し俯く。
「ただ、本当にもっと話してみたい、というか、さ」
誰からも好かれる余所者。過去、ナイトメアから聞かされた話だ。アリスは外見上、特に目立ったところのない娘だ。力を持った役持ち以外、特に顔なしと呼ばれる人々の目には、アリスは彼等の同類のようにしか映らない。なのに、アリスは余所者で、接する人々全てを惹きつける。或いは好意。或いは悪意。それはどちらも執着だよ、と夢魔は嗤った。
この世界の大多数の者はアリスと仲良くなりたいと思う。また極少数の者はアリスを踏みにじりたいと思う。だから、気をつけなくてはならない。アリスは自身の身を守る術もない非力な存在だから。
そうね、とアリスは思う。目の前の青年を冷静に観察しながら。
幸運にも彼は前者。そのように見える。アリスに対する害意はない。そして、彼は好青年だ。幾度か顔を合わせただけでも判る。パーティの出席者だという人達も皆、いい人達。もう少し親しくなってみたいと思わせる人達だった。
「パートナーがいる奴は一緒に来るけど、一人でも参加できるよ」



「ボリス、私の恋人役をやる気ない?」

「どうしたのさ、急に」
目を丸くしたボリスがアリスに返す。当然か、と思う。

パーティには行ってもいいと思った。それは傲慢な言い方だ。正確には、行きたいと思った。この世界で気軽な集まりに誘われたのは初めてなのだ。友人達だけのパーティ。素晴らしい。マフィアのボス主催のお茶会や城の舞踏会、遊園地の音楽会に比べて、極めて良識的な匂いがする。
アリスの知るアリスの世界のパーティと同じなのか、どこか違うのか、是非とも知りたい。行ってみたい。けれど、そのお誘いにはパートナー付きで参加する事が前提のパーティであるらしいニュアンスがあった。それは問題だった。
「ああ、それで『恋人』ね…」
ボリスは、それだけで察した。
アリスの世界では、パーティへの単独参加はそこで帰り道を送ってくれる相手、パートナーを探すという事に繋がる。つまりは、恋人募集中、という意思表示だ。ボリスの反応を見るに、やはりこの世界でもそれは変わらないらしい。
アリスは小さな溜息を吐く。
パーティに行きたければ、誰か友人につき合って貰わなければならない。そうでなければ、厄介な事になりかねない。何しろアリスは特殊な性質を持った『余所者』で、その上恋人なんて募集するつもりは全くないのだから。
「『役』じゃなくて、本当になるんだったらいいんだけどな」
いつもの言葉遊び。猫が人の手に自らの頭を擦り付けるように、ボリスはアリスとの距離を詰める。その懐に入り込む。けれど猫はモノにも人にも執着しない。その言葉も行動も、表に出るより受ける印象は重くはない。
「私はもう、恋なんてまっぴらごめんなの」
だからだろうか、アリスはいつだってボリスに対しては敷居を作りきれない。人と触れ合う事が苦手なアリスの隣に、いつの間にかボリスは存在している。気紛れで自分のしたいようにしかしないのに、アリスにはその身を擦り付ける。アリスが本を読み始めると膝に上ってきて丸くなる飼い猫ダイナを、いつもアリスが意識していなかったように。距離がないのがボリスとアリスとの適正距離だ。
「何で?」
だから、こんな風にボリスが尋ねてきても、アリスは素直に応えてしまう。
「恋をすると、私は馬鹿になるのよ」
ボリスはぱちぱちと目を瞬いた。


アリスの初恋の人は、家庭教師だった。アリスは彼に気に入られたくて、毎日必死に勉強した。朝も昼も夜も勉強。元々、勉強は嫌いではなかったが、自分でもやり過ぎ、行き過ぎだと思うくらい。趣味、勉強。如何にも可哀想な子といった感じだ。あの頃のアリスはまさに勉強の鬼だった。
そして、ある時、彼は言った。
「君にはもう、僕は必要ないね」


「………アリス」
「…言っていいわよ。『馬鹿』だって。私だってそう思うもの」
何が天才少女だ。頭でっかちになった只の馬鹿な子供だ。自分で自分にうんざりする。なのに、ボリスは妙にうっとりとした様子で深い深い息を吐いた。
「アリス、可愛いなぁ…」
アリスは心底嫌そうに、鼻根に皺を寄せる。
素直に「馬鹿」と言われるよりも馬鹿にされたような気がした。
その後のオチは更に馬鹿だ。
彼がアリスの家庭教師を辞めるつもりだと知ったアリスは、泣きながら彼を引き止めた。勢い余って好きだと告白までしてしまった。彼は目の前で泣くアリスを宥めるためか、辞めると言った事を撤回した。のみならず、アリスの気持ちをも受け入れてくれた。
何という乙女チック展開。ボリスにだって告白できない。本当はアリスの事なんかちっとも好きじゃなかったのに、泣く子供を見捨てられなかった優しい人。そして、それに舞い上がったアリス。馬鹿すぎる。
今では思い出す事も稀になって、けれど、思い出すと少し痛い。ほんの少し。
「先に予定が入ってるんだったら、言ってね。無理にとは言わないから」
「そうしたら、ピアス辺りを誘うんだろう?」
「まあ、そうね」
双子を誘うのは如何にも危険だし、エリオットは忙しいだろう。マフィアのボスなんて論外だったし、白兎も同様。招かれた先で迷惑を掛けるのは必定だ。となると消去法で誘えるのは最早、ピアスくらいしかいない。
「ちぇっ。俺が行けないんだったら、行かない、くらい言ってくれたっていいのに」
唇を尖らせて、ひとくさり。アリスはつい笑ってしまう。嘘ではないけれど、本気でもない。ボリスの言葉は、適度に暖かくて心地よい。
笑うアリスをちょっと睨んで見せて、それからボリスは唇の端を吊り上げた。
「予定なんかあっても断るよ。あんたの方が大事だもん」
だけど、とボリスは呟く。面白そうにその目を瞬かせて。それが意地悪そうに見えるのは、猫の嗜虐的性向の所以だろうか。
「蜥蜴さんには話しておいた方がいいかな」
出てきた言葉は、アリスにとってはあまりにも突飛なものだった。
「え。なんで」
「勿論、俺が一緒に行くけど、蜥蜴さんの許可がないと恨まれそうだからね」
そうじゃない。何故、許可を取らなければならないかを訊いている訳じゃない。
何故、グレイの許可が必要なのか。
それを訊いているのだ。
「あのね、ボリス」
溜息を吐きつつ、首を振る。本当にどうしようもない、とその心情を滲ませて。

「グレイは私のお父さんじゃないのよ」



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