蒼い鳥 +++ act.7


いずれ幸せになるために
ぼくたちにはその鳥が必要なのです

メーテルリンク「青い鳥」



「いやいや、マフィアの本拠地で気楽に過ごすなんて、明らかに無理だから」
既に何度目だかも判らないその遣り取りは、やはりアリスによる常と同じ言葉で終わる。
「だけど、二人が私の事、気にしてくれるのは嬉しいわ。ありがとう」
「こんにちわ」「今日もいいお天気ね」に類するような、ここ最近の定番となった遣り取り。だが、今日は少し違っていた。不服そうに不満そうにアリスを見上げる双子の視線は、含む何かを訴えている。
「…どうしたの?二人とも」
簡易キッチンでお茶を飲む。紅茶はハートの城の限定ブレンドで、その美味しさは折り紙付きだ。そして、たっぷりのミルクと砂糖。双子の雇用主である帽子屋も、アリスに茶葉をくれたハートの女王も眉を顰めるだろう程のミルクも砂糖も、ここでなら使ってもいい。勿論、程度問題というものがあるだろうけれど、双子は一般的に許容されるだろうレベルの甘いミルクティが好きだった。
「ああ、ごめんなさい。話中に」
アリスが、自分の分のカップをテーブルに置いて、立ち上がった。背後にあるコンロに掛けていた鍋の中、ぐらぐらと煮立った湯の中にあらかじめ用意してあった野菜を落とし込む。ポトフは材料を煮込むだけで出来上がる簡単な料理だ。後は暫く火に掛けておくだけでいい。
火を弱めて、改めて双子へと向き直る。二人は更に不平不満を深めた、そんな顔をしていた。
会話中、相手を放って料理をするというのは、確かにあまり行儀がいい事とは言えない。そもそも、アリスから向けた話の途中に、アリス当人が会話の腰を折った訳だったから。如何にアリスが料理をしていたのが先で、彼等がキッチンに訪ねてきた状態だったとしても、失礼な対応だった。
「…あー」
会話の接ぎ穂を探す。それとなく謝意を告げるための言葉を。
「お茶のお代わりを入れましょうか?それとも、お菓子の方?」
アリスの心情を理解しているのか、していないのか。アリスには判らない。彼等の反応は常と同じ、アリスが予想した通りのものであったから。
「どっちも」
「どっちも欲しいよ、お姉さん」
代わる代わる、双子は口を開く。それでも、いつも二人の意見は同じだ。元々、一人の人間だったのが分かたれたような、二人でひとりの人間であるかのような双子の不思議。
「はいはい。どっちもね」
彼等、双子の門番が『血塗れの双子』と称され恐れられている事はアリスだって知っている。けれど、アリスにとって、少年達はいつだって可愛い弟のような存在だ。
手早く菓子と紅茶をセッティングする。たっぷりと注いだミルクに、砂糖は二つ。全く同じカップを二つ。そして、一口サイズのショートブレッドとココアを使ったボックスクッキー。
「さあ。どうぞ」
「わーい。僕、お姉さんのお菓子大好きー」
「僕も僕も。僕も好きー」
途端に無邪気に笑う子供。その口にクッキーを頬張って、幸せを体現したかのような笑顔を向ける。がしかし。双子はその時、我に返ったように目を瞬いた。光に満ちた喜びの世界は霧散はしなかったが、取り敢えず棚上げされる。
「誤魔化されないよ、お姉さん」
「そうだよ、お姉さん。僕たち、怒ってるんだよ」
双子はアリスに詰め寄った。しかし、アリスには何の事だか判らない。なので、
「何が?」
と問うしかない。誓って言うが、アリスには双子を誤魔化すつもりは毛頭なかった。煽る気持ちも勿論ない。しかし、結果的に双子は煽られたらしかった。
「『何が』って、非道いよお姉さん!」
「そうだよ、僕たちを弄んで楽しんでるの」
非道い非道い、と双子は興奮状態で捲し立てる。本気で意味が判らない。しかし、更にアリスが問うよりも早く、理由は双子が教えてくれた。
「狡いよ!何でピアスなんかがお姉さんの手料理食べてるの?!」
「そうだよ。何で僕たちにはご馳走してくれないのさ」
まず最初に思った事は、何で知ってるんだろう、だった。そしてすぐに思い直した。森のネズミはいじめられっ子なのだ。しょっちゅう、猫と双子に虐められている。なのに、それはそれとして仲自体は悪くないとでもいうのか、不思議な友人関係もまた構築している。アリスは、ネズミの人徳、または根本的に愛される性質のためではないかと思っているのだが。
虐めやすい。弄りやすい。つい突きたくなる。通りすがりに蟹挟みを仕掛けて転ばせたくなるタイプなのだ。アリスでさえそう思うのだから、基本的にいじめっ子気質の人間が多いこの世界では、格好のターゲットだろう。閑話休題、だから、ピアス当人がアリスの手料理を食べていると双子に告白した可能性はある。アリスも別段、他言無用を言い含めてはいない上、もしピアスに話す意志がなかったとしても、双子にとってはピアスから情報を引き出すなんて朝飯前であったろう。
「ああ、なんだ。そんな事」
「『そんな事』じゃないよ!」
「そうだよ。重要な事だよ。ものすごく重要だよ」
「有給休暇がもらえるかどうかくらい重要だよ」
「昇給とボーナスの増額が認められるかどうかくらい重要だよ」
つまりは、彼等にとって、命の次くらいに重要な事らしい。
「だって、帽子屋屋敷には腕のいい料理人さんがいるでしょう?」
実際、帽子屋屋敷の料理人はとても腕がいい。アリスも幾度か招かれ、食事をご馳走になった事があるから知っている。アリスのような素人が作る料理よりも、ずっとずっと美味しい。だが、しかし。
「今はいないよ!」
彼等が口を揃えて言った。
それはそうか、と思う。会合中、彼等はクローバーの塔に滞在する事になっているが、基本的にこちらでは食事は出ない。必然的に、外食が主体という事になる。けれど。
アリスは厳かに首を横に振った。
「駄目。あんた達は外に食べに行きなさい。当てくらいあるでしょう?」
何でどうして。双子は叫いた。異口同音に、全く同じ声音で。
何でもどうしてもない。それがルールだからだ。会合期間中、塔に滞在する有力者達の、それがルール。
「みんな、そうしているからよ。あんた達だけ特別扱いはできないもの」
アリスの言に、二人はすっかりふくれかえった。
「ピアスはお姉さんの料理、食べてるじゃないか!」
「だって、ピアスと貴方達じゃ違うもの」
「どう違うっていうの?!」
双子はきちんと自分達で食事ができる。その点、アリスは彼等を信用している。しかし、ピアスは信用できない。アリスが食事を与えなければ、チーズとお菓子と珈琲だけで一日を過ごしてしまうと断言できる。
「………非道い話だよね、兄弟」
「全くだよ、兄弟」
アリスの端的な説明を聞いた双子は、陰々滅々と呟いた。
「僕らと同じく、帽子屋ファミリー所属のマフィアで役持ちで有力者で、なのに何でピアスだけ特別扱いされるんだろう…」
「駄目な奴だからだよ。駄目な奴だとお姉さんに気に掛けてもらえるのさ」
「駄目な奴が得をするなんて、間違ってるよ。モラルハザードを引き起こすよ」
「社会を悪くしていく原因になるね」
「治安が悪化したりとかね」
全くマフィアらしからぬ事を呟き続ける双子に、アリスは呆れたような溜息を吐く。
「あんた達、そんな大げさな…」
塔下の街のレストランには美味しい店が多い。毎日、店を変えても充分対応できる量と質だったし、アリスの作る料理よりもずっと豪華でいいはずだ。
森で暮らすピアスとボリスを、つい心配してしまうのはアリスの我が儘だ。彼等とて有力者。きちんと生活できているのか、食事を取っているのかなんて、アリスが気に掛ける必要などないと判ってはいるけれど。
そういえば、ここまでボリスについての言及は一切なかった。なので、アリスはその点には触れない事にした。ピアスと共にボリスもアリスの食事を取っている事について、どうやら双子は知らないようであったので。
これもまた、猫の如才のなさというものなのだろうか。当人が全く知らぬだろう状況で、奇妙に彼は不慮の災難をすり抜ける。ネズミとは全く正反対だ。
そう思った時、今まさにこの時、ピアスは来た。己の運のなさを証し立てるかのように。
局地的に治安は最悪になりそうだった。



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