蒼い鳥 +++ act.4


いずれ幸せになるために
ぼくたちにはその鳥が必要なのです

メーテルリンク「青い鳥」



「……言っておくが、アリスはお前を嫌ってなんかいないぞ?」
「………ええ、判っています。俺に気を遣っているだけですよね」
ナイトメアは言葉に詰まった。ついでに息も詰まらせ、咽せ込んだ。そのまま吐血しそうになったが、何とか耐えた。グレイの放つ暗黒オーラに血まで添えるなんて、洒落にならない。

*

「え。蜥蜴さん、お姉さんの作ったお菓子、食べた事ないの?」
「お姉さんの趣味なんだよ、お菓子作るの。僕たちのところに遊びに来る時、いつも持ってきてくれるよ」
見かけだけは無邪気そうな子供達は、全く同じ顔を同じ角度に傾け、同じように微笑う。無邪気で残酷な子供の顔で。
「お姉さんに愛されてないんじゃない?」
「なーんだ。お姉さんに愛されてないんだ」
「誰とでも仲良くなるお姉さんなのに、蜥蜴さんの事は嫌いなんだ」
「嫌いなんだ。きっと塔でも気詰まりな思いをしているんだね」
「だったら、お姉さんは僕たちのところに移ってくるといいよ」
「そうだね、お姉さんがうちに住んでくれたら、ずっと一緒にいられるもんね」
「お姉さんだったら、ボスだって駄目だなんて言わないよ」
「お姉さん、ひよこウサギとも仲良しだもんね。…それはちょっと腹が立つけど」
「だけど、これからお姉さんがずっと一緒だ」
「ずっと一緒だね」
「毎日、お菓子を作ってもらおう」
「一緒にお風呂に入って、一緒に寝よう」
「それはいいね兄弟、凄くいい」
「きっと凄く楽しいよ、兄弟」
楽しいよ楽しいね。
そうしようそうしよう、と歌うように囃し立て、浮かれた足取りの双子は走り去っていった。これからアリスの部屋を襲撃する気なのだろうなと思ったが、それを咎め立てる気にはなれなかった。その後、部下達にもそれとなく聞いてみた。
「アリスさんから、お菓子の差し入れですか?貰った事ありますよ」
彼等の仲間の一人のこの言葉に、顔なしの塔職員達は、皆一斉に頷いた。
「『気分転換に作ったものだけど、よかったら』と言って」
「美味しかったよな」
「うん、美味しかった」
ほのぼのと盛り上がる彼等の姿にも、グレイはやはり言うべき何かを見出せなかった。

*

グレイは落ち込んでいる。どん底の下に穴を掘る勢いで落ち込んでいる。咽せた息を整えて、ナイトメアは幾度か深呼吸する。
ちなみに、ナイトメアもアリス手製の菓子を食べた事がある。仕事の合間の珈琲に添えられたクッキーだったが、そういえば、その時、グレイは外回りの仕事に出ていて留守だったな、と思い出す。火に油を注ぎそうなので、あえてグレイに言う気もないが。
双子とグレイの間にあった小競り合いの事は、ナイトメアも知っている。例え聞かずとも、己の領土内で起こった事は全て把握しているのがエリアマスターというものだ。あれはアリスを護るためのものだった。だから、ナイトメアはグレイを咎め立てしようとは思わない。それに双子の嫌がらせターゲットとしてロックオンされたと思しきナイトメアの前に立つ男は、あくまでも平然とした様子だった。子供の戯れ言など気にも留めない。外見上はそんな心情を思わせる全くの無頓着さで、なのにこの男は珍しくもどよどよと根暗く落ち込んでいる。
結果、人の心の表層を読み取れるナイトメアだけが、発せられる障気とその圧迫に耐える羽目になる。間接的に、彼等の嫌がらせはナイトメアへの攻撃となっている。
何やら、腹が立ってきた。
「……ああ。すごーくすごーくすごーーく、な。すごーーーーーく、気を遣っている」
半ばやけっぱちで、ナイトメアは言葉を投げつける。何でこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。私は偉いのに。
今、この国で誰よりも偉いはずなのに、誰よりも気苦労を抱えている。アリスなぞ「それはグレイの事でしょう」と冷たくナイトメアを見下すが、全く勘違いも甚だしい。理不尽だ。
「お前が打ち解けづらいのが悪いんだ、この朴念仁男め」
びしっと指差して宣言する。
殆ど本気ではあったが、言いがかりである。それを知りつつ、彼等はそういった罵りの類も互いに許容できる関係にある。あるが故の言いがかり。しかし、グレイは全く反論もしなかった。ナイトメアの指先から微妙に目を逸らし、深い深い溜息を吐く。
「…お、おい?グレイ」
「ええ、ご指摘通りです。俺は本当に朴念仁男ですから」
「いや、待て!そこで納得するな!確かにお前は朴念仁だが、認めちゃ駄目だろう。諦めたらそこで試合終了なんだぞ!」
「『試合』って何がですか」
「突っ込むべきはそこじゃない!」
ナイトメアはぎゃいのぎゃいのと騒ぎ出した。いつもの軽口は重苦しい空気を取り払ってくれる。少なくとも、表面上は。
アリス=リデル。余所者の少女。クローバーの塔の当主ナイトメアの友人。
始めは、彼の主君であるナイトメアとあまりにも打ち解けた様子に驚いた。ナイトメアを恐れない様子。ナイトメアが彼女への好意を隠そうともしない様子。これまでナイトメアはその身分上、特に親しい女性を作ろうとしなかった。例え友人関係であろうとも。
彼女は今回の引っ越しで、本来の居住地である時計塔から弾かれたという。どんなにか心細いだろうと思った。できるだけの事はしてやりたいと思った。しかし、グレイにとって、それはチャンスでもあった。
ナイトメアは彼女に「時計塔が現れるまでは、ここに滞在すればいい」と言った。それはそのままグレイの願いでもある。精神の安定は体調の安定に繋がる。ナイトメアが憩える相手であるならば、それこそいつまででも滞在していてもらいたい。クローバーの塔の平穏とグレイの敬愛する主君のために。
実際、彼女はいい子だった。賢く、よく気のつくしっかり者で、己の意志を曲げない強さがある。仕事にも真面目に取り組み、物覚えもいい。ナイトメアに厳しい事でもはっきり言える。確かな好意に裏打ちされたそれを、渋々でもナイトメアは受け入れる。彼女はナイトメアを良い方向へと導いてくれる。
誰からも好かれるという『余所者』故か、いつしかグレイ自身も彼女に好意を持った。彼女に対しては、ひどく優しい気持ちになる。彼女を護ってやらなければと思う。多分、ナイトメアが彼女に抱いているのもこんな気持ちだ。彼女が本来在るべき場所に帰るまで、完全に庇護しなければと思う、そんな気持ち。
だけれど、グレイと彼女の間には壁がある。避けられている訳ではない。嫌われている訳でもない。紗のような薄い、それでも確かな壁は常にそこに存在し、やんわりとグレイと彼女との間を隔てている。
彼女はグレイの下心に気づいているのかもしれない。自分の利益のために彼女を利用しようとした利己主義を感じ取っているのかもしれない。だから彼女は打ち解けきれない。グレイを信用しきれない。
双子の言っていた、彼女が『気詰まりな思いをしている』というのは、多分、当たっている。アリスの趣味が菓子作りだなんて、グレイは本当に知らなかった。友人達にはそれを差し入れにしているというのも、全く知らなかった。本当に全く。グレイにはそんなものを差し入れられた事なんか一度もなかったから。

ああ、これだから子供は嫌いだ。純粋さで糊塗した残酷な正直さで、無邪気な振りをした厚かましさで言の葉の刃を振るう。

そのうち、腹立ち紛れで双子に売られた喧嘩を買ってしまうかもしれない。双子を殺したら、今度こそアリスに嫌われてしまうのだろうなとは思うけれど。



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