蒼い鳥 +++ act.1


いずれ幸せになるために
ぼくたちにはその鳥が必要なのです

メーテルリンク「青い鳥」



なのに、いつも上手くいかない。
アリスは深々と溜息を吐く。そもそも、自分はあまり要領のいい人間ではない。その事に関しては自信がある。嫌な自信だ。そして、アリスも嫌な人間だ。
ナイトメアはいい人だ。いい人というのは、多少違うような気はするが、少なくともいい友人だ。そして、グレイは掛け値なしのいい人だ。二人はアリスに気を遣って、優しくしてやらなければと思っている。ナイトメアは、アリスをこの世界へと引き込んだ事に対する責任感から。そしてグレイは、上司であるナイトメアのした事への責任に加えて、この引っ越しによって居住地から置き去りにされてしまった余所者の少女への哀れみから。
ありがたい事だ。もったいない好意だ。おかげでアリスは、雨風をしのぐというには豪華に過ぎる住処のみならず、食べるものにも困らない生活を送る事ができる。なのに、アリスの不相応に高い自尊心は軋む。
アリスは庇護の必要な子供ではない。勿論、可哀想なんかでもない。アリスは自身でこの世界に残る事を選んだ。自分の責任だ。彼等に責任を押しつける気など毛頭ない。
事実、彼等の庇護の元で生きていられるというのに。なんと恩知らずな思考。こういったところが如何にも子供だ。本当に子供っぽい。
クローバーの塔の人達は皆、アリスに優しい。いい人達だ。世話になる身なのだし、彼等とは仲良くなりたいと思う。良好な関係を築ければいいと思う。本心からそう思っているのに、何故か空回る。
アリスは性悪な人間だから。
善い人との相性が悪いのかもしれない。
逃げだと知りつつ、我ながら納得してしまいそうになった。
鬱々とした気分のまま、塔の玄関で客を待つ。来訪した客への挨拶もまた、塔職員の仕事の一つだ。現在のこの国はアリスの知るハートの国ではなく、クローバーの塔が支配するクローバーの国。引っ越し後の会合は、国内の有力者を集めての顔見せ会のようなものらしい。顔見せと顔つなぎ、新たな顔ぶれの中で今後の力関係を見極める、そんな意図もあるのだろうと推察するけれど、実際はもっと深い事情もあるのかもしれない。余所者で子供で一般人のアリスには全てを把握する事はできない。自分にできる事をするだけだ。グレイの横に立って、グレイが客に挨拶するのに合わせて頭を下げる。それが現在のアリスの仕事だ。
アリスの知る役持ちの者達ばかりではなく、顔なし、役なしと呼ばれる人々の中にも実力者はおり、会合に招かれている。ナイトメアの名代であるグレイの横に立つ小娘を、何者かと訝しむように見る。有能そうな塔職員達や切れ者のグレイと共にいるには、アリスは如何にも浮いている。怪しむのが道理というものだ。ああ惑わして申し訳ないなと思う。いっその事、言って回った方がいいような気にすらなる。すみませんごめんなさい。ただの余所者なんです。気にしないで下さい。…なんて自虐的。
鬱々と考え事をしていたせいで、ソレに気づくのが遅れた。
「お姉さん、お姉さんっ」
「久し振りだね、お姉さん。会いたかったよー」
声と共に、どーーーーーんと、激しく鳩尾に入ったものがあった。
「………げふぅ」
目線の先には、赤い帽子と青い帽子。そして、ぎらぎらと光る斧。重量で叩き切る武器なのに、まるで鎌のように刀身が鋭く滑っている。『血塗れの双子』と呼ばれる少年達の主要武器。普段の彼等は特徴的な斧を掲げ、帽子屋屋敷の門前に立っている。但し、自主的に休憩を取っている時以外。
「お姉さん、いい匂いするー」
「嬉しいな、嬉しいな。これから暫くお姉さんと一緒なんだね」
帽子屋屋敷の双子は、大興奮の態でへばり付き、アリスをぎゅうぎゅうと締め上げる。見知らぬ人達への挨拶が続いて、とてもそうとは見えないながらも根深い人見知りの気があるアリスはすっかり気疲れしていた。ここで気心の知れた知り合いの登場は正直、嬉しい。嬉しいのだが。
「…ごめん。ちょっと離れてくれる、かな」
鳩尾を押し込まれて息が苦しい。力任せに締め上げられた体は痛くて、斧はぎらぎら光っている。
「僕たち、お菓子いっぱい持ってきたんだ」
「後で僕たちの部屋においでよ。一緒に食べよう」
「……う、うん。ありがとう。だけど今は、ちょっと離してほしいんだけど、な…」
「わーい。約束したよ。約束したからね」
「約束ー約束ー」
きゃっきゃとはしゃぐ双子に呆気にとられていたらしい塔職員達が今、アリスを救おうとしてくれている。けれどアリスはそれを視線で止める。彼等のしようとしている事は危険だ。双子は特定の人間の言葉しか聞かない。アリスの言葉だって、自分達に都合のいい部分しか聞かない。そして、気に入らないものに関しては、斧を振るう事で解決しようとする。例えば、自分達のしたい事を止められた時。
「あのね、話はまた後でにしましょう。私、お仕事中だし…」
だから、アリスが説得し、彼等自身の意志で離してもらうのが一番いいのだ。ここは塔の玄関口。塔職員であるアリスはお客様を案内しなければならない立場。友人とじゃれ合っている場合ではない。
決然とした意識の元、アリスは引っ付いたままの双子を見下ろす。しかし、その視線の先、あどけない色を称えた二対の瞳がアリスを見つめているのを見た時、アリスは己の強固なはずの意志がぐらぐらとぐらつくのを感じた。この双子があどけないはずがない。知っていてなお、絆されそうになるその上目遣い。
…可愛い。
思わず息を飲む。言葉を飲み込む。その瞬間。
鋼を鳴らす、音がした。
決して揺るがぬはずの双子の斧が軋み、崩れた。力負け、はね除けられた斧を引き戻す動きで双子がアリスから飛び退くのと、アリスの肩が引かれ、双子から剥がされるのはほぼ同時の事だった。状況が理解できないアリスの鼻腔にふわりと漂った煙草の匂い。少し遅れて、抱き込まれた背に当たる堅い素材で作られたコートの感触。
「お姉さんを離せよ」
「…僕たちとやる気?蜥蜴さん」
グレイが、アリスを抱き寄せている。その事実に行き当たり、アリスの頭は真っ白になった。彼が双子の斧を跳ね飛ばしたのだ。剣呑な空気が周囲を支配する。グレイの顔は見えない。けれど、双子はアリスの目の前にいる。血に飢えた、または酔った目をしてアリスの背後にいる男を見ている。声など喉の奥に張り付いて、全く発せられなくなるような。
双子の斧が左右対称に揺れた。彼等が動く合図。次の瞬間、双子の背後から拳骨が二つ、降ってきた。
「いったーーーーーーーーーっ、痛いじゃないか、馬鹿ウサギ!」
「僕たちまで馬鹿になったら、どうしてくれるんだよ、ひよこウサギーーっ」
きゃんきゃんと叫く双子を止めてくれたのは、勿論、帽子屋ファミリーのナンバー2だ。アリスにとっても大切な友人であるエリオットは、双子をただの子供として扱う数少ない人間…ウサギ…である。
「外では大人しくしてろって言っただろうが、くそガキ共が!!」
一喝して双子の襟首を掴み上げ、騒がせて悪かったな、と軽く謝罪を口にする。なんて事のない、問題にはならない、ほんのじゃれ合いのようなものだというように。
対立禁止の会合期間中、中立の塔の玄関口で他陣営の有力者と刃を交じ合わせる事がどの程度のルール違反になるのか、アリスは知らない。だから、袖口のホルダーに素早くナイフを収めて後、片腕でもってアリスを抱き込んでいたグレイがその手をあっさり離して彼女を解放しても、その後はまるで何事もなかったかのようにエリオットと世間話を始めても、それが正常な対応なのかアリスには判らない。
グレイとの会話中、エリオットがアリスにそれとなく笑いかけてくれて、それがまるで慰めて貰っているかのようで面映ゆいけれど安心する。同じようにアリスが彼に笑いかけて、そこでグレイがアリスに言葉を掛けた。視線も合わせないまま、物のついでとでもいった様子の何気なさで。
「君はナイトメア様のところに行っていてくれないか?」
グレイに付いて客に挨拶をするのが、アリスの仕事だった。塔の主に代わってのそれは、とても重要な役目だ。反論しようとして、それでもそれは言葉にはならなかった。双子に悪気はなかったけれど、塔の幹部職員の中に入ったアリスが騒動の渦中にいるのは塔の体面上、望ましくない。まだこれからも客の応対は続く。また騒ぎが起きるかもしれない事を考えれば、問題を起こすアリスは早々に隔離してしまった方がいい。
当たり前の事なのに、言われて傷つく自分が嫌だ。
「判ったわ」と応じる。できるだけ軽く聞こえるように願う。「お姉さんまたねー」とサラウンドで響く声に、彼等を捕まえたままのエリオットに、小さく手を振って、そしてアリスは踵を返した。ナイトメアのところに行く。それが新しいアリスの仕事だ。今度こそ完遂しなければならない。
背後からは遅れて着いたらしい帽子屋の声が洩れ聞こえてきた。既に言葉も聞き取れない、ただ彼の声だと気づけるくらいに遠く。
役立たずな自分の姿を彼の前に晒したくはなかったから、今、この場から離れられる事はアリスにとって救いだといってよかった。



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