それはまるでおとぎ話

おとぎ-ばなし 4 【▽御▼伽話/▽御▼伽▼噺】
(1)大人が子供に語って聞かせる昔話や言い伝え。
(2)現実とは懸け離れた架空の話。夢物語。
三省堂提供「大辞林 第二版」/Goo国語辞書 より

「なんて事のない口約束なんだろうけど。見つかったら凄いなぁ、と思ったんだ」
そう言って、天羽は肩を竦めた。いつもの天羽だったら、幾ら何でもこんな雲を掴むような話だけで人を探そうなんて思わない。けれど、香穂子の関わる事だったから。日野香穂子という少女は何故か、こういったおとぎ話を信じたい気持ちにさせてしまう。
幼い香穂子の記憶の中にあった小さな約束。約束通り、香穂子はこの学院に来たから。相手の男の子だって、いるのかも知れない。夢物語だと判っているけれど、いたらいいなと思った。
そんな気持ちが彼らにも判るものなのだろうか。香穂子が絡んだ話というだけで、全員集まってしまうくらいだから、彼等の心情だって天羽と似たり寄ったりなのかもしれない。
前回の学内コンクールで香穂子の見せてくれた奇跡を目の当たりにした者と、そんな彼女の音に惚れ込み、彼女を追ってきてしまった者と。
ただ、彼女のためだけに。
鼻先で溜息をひとつ、そして土浦は片頬を歪めるようにして笑った。
「……で、『頑固で負けず嫌いで意地っ張り』な孫の条件に、俺が合っていると志水は思った訳だ」
確かに、月森は可能性あるかもな、と続ける土浦に、しかし、珍しく月森は反駁しようとしなかった。ただ、むっつりと押し黙ったままなのは、自身でも否定できないと思ったからだろうか。
「ああそうか。…うん。確かに僕もそういう部分は『ある』かもね」
爽やかに綺羅綺羅しく微笑みながらそう言った柚木には、そんな『部分』など片鱗すら見受けられなかったのだけれど。
同じく、『頑固で負けず嫌いで意地っ張り』からはほど遠く、子供の頃から明るく素直で社交的な性格だったろう火原は、うむむと何事かを考えている仕草を見せつつ、呟いた。
「だけど、その話の流れだと、その子って、香穂ちゃんとお祖父さんの間の遣り取りを全く知らない可能性もあるよね」
祖父が星奏のOBで、現在星奏に通っている男の子。男の子自身には、香穂子絡みの因縁を持っているという自覚はない、かもしれない。
「それに、幾らお祖父さんがOBっていったって、孫が星奏に入れるとは限らないんじゃあ?」
「うーん。そこら辺なんですよねー。お祖父さんが音楽科だったら、孫も小さい頃から音楽やってて、星奏の音楽科にって流れはあるのかなぁ、と思ったんですけど」
「まあ。普通科よりは可能性あるだろうな」
土浦が頷く。
星奏学院普通科の受験は、それなりに難関である。実技がメインの音楽科と違って、きっちりと試験で点数を取れなければ受からない。
「音楽科にだって、学科試験はあるけれどね」
苦笑、といった様子で、柚木が微笑った。
祖父が星奏のOBで、現在星奏に通っている、かもしれない男の子。
「まぁ、普通科も、中等部からの持ち上がりが大多数だからねぇ。高校入試組は確かに狭き門だけどさ」
そう言えば、土浦君って高校入試組だよね、と天羽がじっとりと見上げる。
わざわざ、高等部から編入ってのも、送り込まれた感がひしひしと感じられちゃったりするよねぇ。
志水がくるうりと体毎、そちらを向いた。土浦は無言のまま、俺は違う、と小刻みに首を横に振った。
「お祖父さんの代から音楽科とか、如何にもそれっぽいなぁと思ったのが月森君で、加地君はもう、そのものズバリだと思ったよ。何しろ、初めから『香穂に会いに来た』って言い切っちゃってたし」
『頑固で負けず嫌いで意地っ張り』の条件もクリアしている、とは言わずもがな。
しかし、月森もまた、首を横に振った。
「祖父はそういったパーティには出ていないだろう。忙しい人だからな」
「…っ、月森君!どうしたの!」
「…何がだ」
「だって、いつもだったら『俺には関係ない』とか、『興味がない』とか言って立ち去るところだよ!そこは!」
らしからずあっさりと答えた月森に対する驚きでつい叫び、そして叫んでから気がついた。つまり、月森にとってこの話は関係なくも、興味がなくもない事なのだ。つい、まじまじと彼の顔を見つめてしまった天羽に、月森がそっぽを向いた。その顔がほんのり染まって見えるのは、目の錯覚か、気の迷いというものだろうか。
「これは、いつものインタビューではないんだろう。だからだ」
報道部嫌いでインタビューの類には非協力的な事で定評のある月森であったが、彼は決してアンフェアな人間ではない。そして、彼なりに香穂子に対する親愛の情を持っている事を、確かに天羽は知っている。この彼の回答が真摯なものである事は疑いようもなかった。
「いや、まぁ。…そっかぁ」
天羽は深々と溜息を吐いた。
「加地君はお祖父さん、星奏じゃないって話だったしね。また洗い直さなくちゃ」
残念ながら振り出しだが、条件に合う候補は、捜査線上に浮かんだだけでもまだ幾人か存在している。今度はもう少し綿密に作戦を立てて、裏取りをしていかなければ。勿論、志水に釘を刺す事も忘れずに、と早くも今後の計画を頭の中で整理し始めた天羽であったが、聞き捨てならずそれを引き止めるひとつの声があった。
「そのお祖父さんが学院OBとは限らないね」
周囲の注視をものともせず、柚木はあくまでも優雅に微笑む。
「一定額以上の寄付金を納めた後援者にも、創立祭の招待状はくるから。僕の祖父もOBではないけれど、柚木家への招待状は毎年届いているしね」
天羽にとっては、目から鱗の話である。
非お金持ちであるが故の盲点。
そう言えば、そんな話をちらりと耳にした事があった。地元の企業や団体からの寄付を募るのは、歴史のある私立学校としてはありがちな事であったが、星奏は音楽教育に力を注いでいる関係上、教育関係のみならず、芸術振興、文化事業の名目でも寄付を集める事ができる。実際に少なからぬ金額を支払った後援者が、その金額に見合うだけのものがあったのかどうか、確認するのは当たり前のこと。非支援団体の出来不出来は、支援企業のイメージをも左右するのだから。
一般的にも大掛かりなイベントになる創立祭も、星奏では基本的に生徒主催で運営される。企画力勝負の各演目、ステージ、コンサート。特に日が落ちてからのパーティは、金のかかった盛大さで行われるが、それはまた、後援者に対する格好のアピールの場でもあるのだ。
「それは同感」
加地もまた、あっさりと頷く。彼の家もまた、学院に寄付を入れているという事なのだろう。そういえば、加地家は地元の名士だった。
祖父が星奏のOBかもしれなくて、現在星奏に通っているかもしれない男の子。普通科か音楽科かは不明。
「………あー。もー駄目だー。そこまでフォローしきれないー」
天羽は呻き、天を仰いだ。
「……見つからないんですか、孫の人」
淡々と無感情な風で、しかし、彼が気落ちしているのが判るのは、この少年が何かと香穂子の近くにいる事が多く、故にここ最近、天羽とも共に過ごす機会があるからだ。香穂子が彼の感情、表情を察したり読み取ったりする事が上手く、それを目にしているうちに天羽も何となく理解できるような気がしてきた、というのがより正しい。しかし。
「…『孫の人』」
間違いではないのだが、何やらおかしな表現だ。
胡乱げな天羽の様子をどう判断したものか、全くもって珍しい事に更に志水は言葉を続けた。
「見つからないと困ります」
「……………困るんだ」
淡々と無感情な風で、しかし、何やら思い詰めた様子なのが判るのは、以下同文である。
天羽はまじまじと志水を見つめた。
志水は、天使のようなと称される外見のせいで、その奇行を『天然』と好意的に判断されていたりするが、基本的に自身の興味ある事象以外はどうでもいい事とする無情不精の欠落人間である。彼にとって大切なのは常に音楽だけであり、しかしそれもまた、彼の天才性故と天羽は思っているのだけれど。
その彼が今ここにいる、チェロを練習したり音楽に関わるものについて思索したり、そんな諸々に没頭してフル回転させた脳を休ませるべく所構わず昼寝をしたり、そうやって過ごす常の時間を変えるとは、考えてみたらとっても希有な事なのではないだろうか?
「…そう言えば、志水君は何で『孫の人』探してた訳?私みたいに、ただ興味があって、とかじゃないよね?」
「え。その人の事、香穂ちゃんが探してたんじゃないの?」
火原の素直な言葉は、おそらく周囲全ての者達の心中の代弁だった。
「いーえー。まっっっっったく違います」
そして返る応えは、はっきりきっぱりそれを否定するものだった。
「香穂は元々、その子を探そうなんて全然思っていませんでした。今でも思っていないはずです。この学院を選んだのも『家から一番近かったから』って言ってたし」
確かに近い。
徒歩15分。時々、食パンを咥えたまま学院に至る坂道を駆け上がるというベタな姿の日野香穂子を目にする事もある。
「だから、この捜索はあくまでも私の好奇心です。記事にするなんてつもりもありませんよ?香穂のプライバシーですから」
プライバシー。
天羽の前に、それは時に空しい言葉だ。ここにいる者は誰もが一度は、天羽にそれを侵害された事がある。
しかし、自覚があるらしい天羽は、立てた指を幾度か左右に振った。
「私はこれでも友情には厚いんです。香穂を裏切ったりはしません。…今回はバレたけど」
そして、自らの胸を叩き、高らかに宣言する。
「だけど、これは不可抗力です」
『不可抗力』で全部、彼等に話してしまった。本来、訊かれてもいない事まで全部。しかし、聞いた方としては特にそれを咎める立場にはない。実際、彼等は全部を聞きたかった訳なので。結果、何とも歯切れの悪い沈黙が漂う事になる。が、天羽はそれを気にした風もなかった。
「で。志水君は何で『孫の人』が見つからないと困るの?」
これもまた、興味で好奇心です、とその顔にはでかでかと書かれている。それに対して、志水もまた、淡々と応えた。例によって例の如く、無感情な様子で。
「孫の人が、香穂先輩のものだっていうから。このままだと、香穂先輩の中で孫の人が一番かもしれないですから」
困るんです。
その言葉は天羽の訊きたかった『何故』の部分に掛かっていないような気がしたが、志水にとってはそれは自明の理としてものなのかもしれない。多分、深い意味はない。もしくは、天羽に理解が利く類の論理ではない。故にあまり深く考えない方がいいと判断し、天羽はそれ以上のつっこみを避けた。
「んじゃあ、対抗して志水君も、香穂のものになってみたら?」
「それも考えました」
考えたんだ。
しかし、結局押さえきれない天羽の心中の突っ込みも知らぬげに、志水はさらさらと続けた。
「だけど、それでも孫の人が先だったので、一番なのは変わりません」
そして、ぽつりと呟く。
「何とかして香穂先輩のものじゃなくさないと」
「『香穂のものじゃなく』するって、どうやって?」
「それは僕にも判りません。どうしたらいいでしょう」
質問で返された。
「香穂先輩の前に出てこないようにしたらいいですか?」
さらっと言っているが、何だかブラックな発言である。ぼんやりとした表情が無邪気そうに映るいつも通りの顔なのが、また怖い。このままだと、彼は見つけた相手を物理的に抹消してしまいそうだ。
「…えー、志水君。逆に考えてみたらどうだろう」
「…逆、ですか…」
「そう。その、孫の人は香穂のものだけど、香穂は誰のものでもないんだから、香穂を志水君のものにしてみればいいんだよ!」
孫の人=香穂子のもの。香穂子=志水のもの。
故に香穂子にとっては、志水>孫の人。
「…ブラボーです。天羽先輩」
しかし、知り合いから殺人者が出たら嫌だ、という一心で捻り出した天羽の回答は、
「………天羽。おまえ、何言ってんだよ…」
土浦から、とんでもなく白い目で見られ、
「駄目だよ!香穂ちゃんが志水君の、も、もの、だなんて!」
顔を真っ赤にした火原による力強い抗議(何故『駄目』なのか何が『駄目』なのかについての言及はない)を受け、
「日野さんが誰かの独占物になるなんて、絶対、許されないよ。あの天上の音に対する冒涜だよ」
ファンの鏡といった様子の加地による批判、
「そうだね。誰かの『物』というのは、僕も表現としてどうかと思うよ」
やんわりとした柚木の注意といったものを一斉に引き起こし、そしてまた、白い顔をした月森は、無言のまま己の胃の辺りに手を当てた。
「日野さんが誰かのものになるくらいなら、僕のものになったっていいじゃない!」
「加地君、直前ともう発言内容が変わっているよ」
「あの女と付き合えるって、どんな勇者だよ…」
「土浦だって、前に香穂ちゃんと付き合ってるって噂があったよね」
「…止めて下さいよ、恐ろしい。……いや、単なる噂。噂だから、加地。その呪い篭もった目は止めろ」
「……………………胃が痛い」
「…あの、天羽先輩。香穂先輩を僕のものにするって、具体的にどうすればいいんでしょうか」
既に収拾がつかない。そもそも、全くまとまりなどないメンバー構成だった。それをまとめる事ができるのはただひとり。
「…あ。香穂だ」
天羽のその一言に、周囲はぴたりと黙り込んだ。
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