それはまるでおとぎ話

おとぎ-ばなし 4 【▽御▼伽話/▽御▼伽▼噺】
(1)大人が子供に語って聞かせる昔話や言い伝え。
(2)現実とは懸け離れた架空の話。夢物語。
三省堂提供「大辞林 第二版」/Goo国語辞書 より

星の綺麗な夜だった。
本当は夜に外に出てはいけないのだけれど、今年から幼稚園に通い始めた香穂子は、そのパーティに出席できる事になっていた。父も母も怒らない。祖母が一緒だったから。遠くに住んでいて時々しか会えない祖母が、パーティに出席するために香穂子の家にやってきた時、香穂子を一緒に連れて行く事を両親に頼んでくれたのだ。
香穂子の家の近くにある外国のお城みたいなその建物も、その夜は一際輝いて見えた。
祖母の友達は皆、祖母のように年寄りで、だけど祖母が紹介した香穂子を皆「可愛い」と褒めてくれた。友達と一緒の祖母は上機嫌で、頬を紅潮させて喋る姿がとても華やいでいた。たくさん置かれた灯りが綺麗で、来ている大人達は皆、祖母と同じように嬉しそうで、用意されたご馳走はどれも美味しそうで、パーティってなんて素敵なんだろうと香穂子は思った。祖母は素敵な着物を着ていて、香穂子も新しいワンピースを着ていたけれど、パーティに来ている大人達はみんなとても綺麗な格好をしている。
だけど、次第に香穂子はそわそわと落ち着かなくなってきた。それまで大興奮であちらこちらと見て歩き、覗き廻り、這い回っていたのだけれど、興奮状態も冷めて、落ち着いてきたので、退屈になってきた、といった方が正しかったかもしれない。
祖母は友人との会話に夢中だったし、ここは大人ばかりで、香穂子みたいに小さい子供はいない。一緒に遊べる子がいたら、もっと楽しかったのに。
香穂子はそっとホールから抜け出した。昼間のように明るかったホールから降りると、外はすっかり夜の空気で、洩れ聞こえる喧噪も遠い。大人達のいる場所が明るいから、夜の庭も全然怖くはなかった。そこここに光りが射していた。周囲の高揚した気分が映った、ふわふわとした気持ちのまま、香穂子は大きく身を翻す。ワンピースの裾が一瞬その場に残って、その後に香穂子について翻る。風に靡くように、ひらひらふわふわ。パーティのために買ってもらったワンピース。ひらひらでふわふわのワンピース。何度もくるくると回った。光りも一緒に周囲を回った。体につれて回るスカートが楽しくて、踊るように回り続けた。あの人に出会ったのは、そんな時の事だった。誰かに呼ばれたように気がして顔を上げたら、そこにあの人が立っていたのだ。
ファンファーレが鳴り響いた。だけど、それは自分の耳にしか聞こえていないと香穂子は知っていた。見つけた。見つけた。見つけた。真っ白になった頭の中で、そんな単語だけが響き渡った。
その人の背後から光が差して、まるで彼自身が光り輝いているように見えた。
「それから二人、お庭でダンスを踊ったんですってよ。美しいじゃなーい。なんてドラマチックな初恋のエピソードっ」
こんな時、場を盛り上げようとするのは天羽にとっては習性のようなものだった。実際、絵に描いたようなシーンだと思う。初めて来たパーティ、とっておきのワンピース、夜の庭で会った人と一緒にダンス。なのに、対する男達の反応は天羽の納得のいくものではなかった。
「………そう。それが日野さんの初恋、なんだ…」
ユリイカ。僕も彼女の音に初めて出会った時、そう思った。
いつもだったら、同じで嬉しい、という心情を映して、弾むような軽やかさで続くはずの加地の言葉は、地を這うかの如きであった。
「そ、そうねぇ。正直、もう顔も覚えていないらしいんだけど」
天羽もついつい、らしくもないフォローを入れてしまうほど。
だって、天羽もこの話を聞いた時、思ったのだ。まるで『運命の人』とでもいった風情だな、と。
だからこそ、香穂子の『あの人』を探し出してみたいとの好奇心を抑えられなくなってしまったのだけれど。
火原の反応も加地と似たり寄ったりで、何だか暗い。ものすごく暗い。土浦はその話の乙女チックっぷりにだろうか、げんなりした風な様子で。月森は。
「…あの。月森君、どうかした?気分悪いの?」
「……いや。大丈夫だ」
胃のあたりに手を当てて、口元を押さえている月森の顔はひどく青白かった。既にこの話は知っているはずの志水が無言無反応なのは当然だし、いつもの事でもあるのだけれど、妙にその沈黙が重たいし、常と変わらぬ柚木の優雅な笑みも、何だか微笑み仮面みたいに感じられてくる。
「この学院って、創立祭に併せて卒業生謝恩会とか同窓会やってたりするじゃない。香穂の連れられていったパーティってそれだったらしいのね。香穂のお祖母さんが星奏のOGだったとかでさー」
訊かれてもいない、既に誰も聞いていないんじゃないかと思われる状況で、天羽の舌は軽快に回り続けた。だって、この空気は怖い。何だか怖い。斯くなる上はさっさと話を終わらせて、この場を去りたい。香穂子に見つかるより前に。
「で?」
しかし、そんな天羽の弁に待ったをかけたのは、苦虫を噛みつぶしたようなその表情が声音にそのまま表れた土浦だった。
「『で?』とは?」
「今、この場にいないヤツの初恋話なんか、延々聞くのもどうかと思うんだがな。それが、『祖父が星奏』とどう繋がるんだ?」
「嫌だな、土浦君。それは、日野さんの初恋の男の子が、日野さんと同じようにお祖父さんに連れられて、謝恩会に出席していた、という事だろう?」
優雅に貴族的に微笑みながら、それくらいは察してくれなくては、との裏の声が聞こえてきそうである。
たまに、稀に遭遇する、柚木のこういった言葉や態度の端々が、天羽としては引っかかる訳なのだが、取り敢えず、この柚木の言に土浦は黙り込んだ。そう判断するのが当然なのかもしれないが、しかし、その大いなる勘違いに天羽は口を挟もうとする。が。
「それは違います」
不自然に淡々とした声が、場を制した。
「香穂先輩と一緒にダンスをした人が、お祖父さんです」
微妙な沈黙が降りた。
つまり、香穂子の初恋の人=星奏のOB=お祖父さん。
「いやー、あの子、年上好みっていうかさー。こないだ『宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長が格好いい!』とか言っててさー」
『宇宙戦艦ヤマト』など、タイトルくらいしか知らない現役高校生青少年達には、その言に対するコメントすら差し挟めない。
「まぁ、なんちゅーか。渋いんだよね、趣味がさ」
故に、天羽の出した端的な結論を翻す材料も持ち合わせてはいなかった。
「いや。アレは『突拍子もない』っていうんじゃないか?」
土浦の意見の方が正しいような気はしたが。
「…何だかもう、どうでもいいような気がしてきたんだがよ…」
それでも、ここまできたなら訊いておこう、という心情がありありと判る様子で、土浦が言った。
「その爺さんの孫がどう関わってるんだよ、この話に」
「あー、それなんだけどね。このおじい様、ちっちゃい香穂ちゃんがお約束のごとく『お嫁さんになるー』なんて言った時、真っ正直に『すごく残念だけど、僕は奥さんを愛しているから』なんて真面目に言っちゃうようなお人だったらしいんだけどさ」
「なんだそれ。気障ったらしいな!」
憤然とした加地の様は私怨に満ち溢れており、それは誰の目にも明らかであったのだが、しかし、天羽は深く頷いた。
「そう思うでしょう?思うよね。だからもう、絶対、加地家の男だと思った訳さ!」
「…天羽さん。それ、どういう事かな」
「………いえ、別に。そんな深い意味は」
げふんげふん。
「えー。ともかく。話を元に戻しますとね。その時、そのおじい様が言ったんだってさ。『僕の家にも君みたいな子供がいるよ』」
『頑固で負けず嫌いで意地っ張りで、素直じゃなくて』
随分、ぼろくそに言っていたけれど、その根底に愛情があるのがよく判った、と香穂子は言った。
だって、嬉しそうに笑っていたから。
そう続けた香穂子だって、当時の彼女の想いがどんなものだったのか、窺い知れるような表情をしていたのだけれど。
『君が大きくなったら、会えるから。きっと、この学院においで』
そう言って微笑んだ。香穂子を見て、自分の家の男の子について語った時と同じくらい、暖かな愛おしげな表情で。
『君に、その子をあげるよ』
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