それはまるでおとぎ話

おとぎ-ばなし 4 【▽御▼伽話/▽御▼伽▼噺】
(1)大人が子供に語って聞かせる昔話や言い伝え。
(2)現実とは懸け離れた架空の話。夢物語。
三省堂提供「大辞林 第二版」/Goo国語辞書 より

蛇に睨まれた蛙は、とぼとぼと蛇に従いついていく。襟首を掴まれ(文字通り)、逃亡する事もできない現状ではいう事を聞くしかない。ああ、音楽科のようにジャケット制服だったら、脱皮して逃げる事もできるのに。この時ばかりは普通科のセーラー襟が恨めしかった。
結局、連行された先は音楽科棟の屋上で、人が少ない場所の方が話がしやすいという事なのだろうと思いつつ、人目に触れない場所で話すというのは正直、天羽にとっても有り難かった。何しろ、香穂子に口外無用を誓ったのは、天羽も同様であったのだから。
取り敢えず、加地に事情を話して口止めすればいいのだ。香穂子に気づかれなければ大丈夫。香穂子が嫌がるから、というのは、対加地では正当な理由になりうる。加地ならきっと完全に取り繕ってくれるだろう。
そう結論づけて、天羽は自身を立て直した。そうだ大丈夫大丈夫。
しかし、雄々しく顔を上げた次の瞬間、天羽はその場にへたり込む事になる。
「お待たせ」
加地のにこやかな笑みの先、コンクール参加者男子一同がうち揃って、そこにいた。
彼らが口を揃えて言った。「志水(君)が」
もうそれだけで天羽は全てを理解した。
「俺には『可能性』があるそうだ」
「俺は『条件』に合うって言われたな」
「僕は『ある』そうだね」
「えっと、俺は何も言われなかったけど」
火原は初めから除外だったらしい。その判断は、天羽も正しいと思った。当の志水は無言のまま、ちょこりんとそこにいる。天羽はぐるうりと溜をつけて志水へと顔を向ける。
「志水君、『内緒にする』って香穂に約束したじゃない」
「言ってはいません。訊いてまわっただけで」
「同じだよ!」
妙に冷静な志水の鼻先に、天羽は指を突きつける。
香穂子が言った。「絶対、内緒だからね」と。誰に、とは言わなかったけれど、その対象が何を指していたのか、天羽はちゃんと察していた。なのに、この一年生ときたら、香穂子が秘密にしたかったメンバー全員にそれを訊いて回ったのだ。いっそわざとなのかと勘ぐってしまうくらいだ。
「ああ、もう、絶対香穂に怒られる。嫌われる。絶交されるかもしれない」
「……それは困ります」
「困るのは、私だっちゅーのよ!」
なんせ、志水は香穂子に可愛がられている。しょうがないなで許される余地もある。だけど、天羽にはそれはない。香穂子は滅多に怒らないが、だからこそ怒らせたら滅法怖い。
「お前が一番嗅ぎ回ってたんじゃないのか」
冷静な土浦の突っ込みも、しかし、天羽には届かなかった。
「私はバレないように細心の注意を払ってたもん。対象物を特定したって公表したりする気もなかったし」
『対象物』
それである。
「で。祖父が星奏のOBだったら何なのか?お前は知ってるんだよな?」
「日野さん絡みの話となると、聞き逃す訳にもいかないからね」
普通科男子二人の言葉は、しかし、天羽と志水を除いた者全てに共通する思いである。
説明せよ。場の空気が天羽にそれを強要し、そして天羽はそれに逆らえない。
大きく溜息を一つ吐き、それで天羽は語り始めた。
女の子が集まると必ず出てくる話題にコイバナがある。とかく恋愛話というのは、世の女子を惹き付けて止まないお菓子のようなものだ。現在、ちょっと気になる男の子の事、そして、昔好きだった相手の事。初恋の話。
その時もそうだった。たまたま出会い、共に昼食を取る事になったという志水が香穂子と共にいたけれども、天羽と冬海、香穂子の中に混じっても女同士の会話を阻害する対象とはなり得ない。何しろ志水は、ただただ無言で物を食べ続けるばかりであったので。
「…志水君は、よく日野と昼食を取っているのか?」
「時々ですが。僕が購買のパンを食べていると、先輩がお弁当のおかずを分けてくれます」
「………お弁当のおかず……」
「先輩は、料理上手です」
手料理なのか、と月森は思った。ふつふつと腹の奥で吹き出た熱く苦いものは、不思議と胸を悪くさせるような気がしたのだけれど。
「それで、香穂はどうなの?」
天羽が言った。当人曰く、『恋愛と縁の薄い人』である香穂子であったが、一つや二つは面白い話を持っているのではないかと思ったのだ。何しろ、彼女の現状は『恋愛と縁の薄い人』どころではない。彼女のヴァイオリンのファン男女問わず多数、ファンが高じて恋愛感情を抱く者も男女問わず多数。報道部員として、学院で人目を惹く人々にインタビューし続けてきた天羽が、こんなにモテる女見た事ないと思うほどなのだから。
恐らく、これまでも本人が全く気づかなかっただけで、コイバナは周囲に零れまくっていたに違いないのだ。
それは冬海も同感だったのだろう、それまで口を開かず、少し恥ずかしそうに、だけど誠実に話を聞いていた彼女まで、香穂子へとはっきりと顔を向けた。
「コ、コイバナ、ですか…」
ごふ、と香穂子が咽せ込んだ。「あんたにひとっつも浮いた話がないはずがない。きりきり白状おし!」
「…そ、そうだよね。香穂ちゃんはモテるだろうなって俺も思うよ…」
だって、あんなに明るくて元気で頑張り屋さんで可愛いんだもの…。
「火原。まずは話の続きを訊こう?」
「あ。そうだね。柚木、ごめん。天羽ちゃんもごめんね?」
平身低頭の体で話の続きを促されて、天羽もこほんと咳払いをひとつ。
本当に、先輩だなんて思えないな、この人。
「浮いた話なんか、ある訳ないじゃん」
ないないないない、と妙に軽やかに手首のスナップを利かせて、香穂子はその手を横に振る。
「あ。だけどね。こないだ、一年生の女の子達に調理実習で作ったってクッキー貰っちゃった。女の子達は可愛いかったし、クッキーは美味しかったし、最高だったー」
お礼にキャンディ配っといたけど、大丈夫だよね?
小首傾げて、何を言うやらだ。その女の子に対するマメさ加減は、一体、何なのだろう。天羽の脳裏をふと、21世紀になって久しいこのご時世に親衛隊などという大時代的なものを持つ優美優雅な音楽科の先輩の姿が過ぎった。あのお方は、ここ最近香穂子が親しくしていたハズ。
ちろりと香穂子を流し視る。妙にキラキラした目をこちらに向けた女がそこにいる。このキラキラでヒラヒラでフワフワなカンジ。一部の女の子達が夢中になりそうな、甘い砂糖菓子のようなこの感じ。
絶対、影響されてるわ。
「…冬海ちゃんの前で堂々と浮気宣言デスカ。肝が太いな」
「ああっ。冬海ちゃん、別に浮気とかでは全然!てか、冬海ちゃんより可愛い子なんて、何処にもいないよ!」
赤くなったり青くなったり、あわあわと慌てる冬海を香穂子はがっしりと抱きしめた。
「…相変わらず非道い奴等だな。冬海からかいっぱなしかよ」
「私は兎も角、あの子は本気だと思うなぁ」
だって、いつも本気だもん、と続けた天羽に、加地が呟く。
「そうだね。それもまた、日野さんのいいところなんだけど」
あばたもえくぼを地でいく発言をさらりと残し、加地はひとつ、恐らくは自身の心中の思いに頷いた。
「彼女は本当に冬海さんを可愛がっているから。とんだところに最大のライバルがいたもんだよね…」
「……加地。お前、目がマジだぞ」
上機嫌で抱えた冬海を撫で回す香穂子に、顎をしゃくる。
「で。他には?できれば、対象が異性である話が訊きたいもんなのだけど」
「……むー。しつこい」
「ふっふっふっ。ジャーナリズムはねちっこさが命よ」
「…って、記事にする気だーっ。満々だーっ。やだーっ、絶対言わないーーーーーっ」
「って事はあるんだな!ゲロったな!」
「ああっ、しまったぁ!」
「さあ!きりきり白状おし!」
「いーやーーーーーーっ、絶対、嫌ーーーーーーーーっっっ」
そして。
宥め、すかし、記事にしない、誰にも言わない、ここだけの秘密にする、と散々誓いを立て。そうして、ようやっと香穂子がこっそり教えてくれた話。それが、香穂子の初恋の物語であったのだ。
「…あのー。これ以上言わなきゃいけないですかね」
私も流石に、友情ってヤツを大切にしたいなーなんて、切に思う訳なんですよね。
真剣な面持ちの男達も怖いしなー、と、これは心中だけでの呟きだったのだけれど。
「いやだな、天羽さん。ここからが本題なんじゃないのかい?」
その先輩の笑顔は常の如く爽やかなのに、妙に薄ら寒い。つまり、うっすらと寒い。何故、寒いんだろう。天羽は思わず、身を縮めた。
「続き。聞かせてくれるよね?」
いつもと同じ笑顔なのに、何故、こんなに怖いんだろう。
|