それはまるでおとぎ話


おとぎ-ばなし 4 【▽御▼伽話/▽御▼伽▼噺】
(1)大人が子供に語って聞かせる昔話や言い伝え。
(2)現実とは懸け離れた架空の話。夢物語。
三省堂提供「大辞林 第二版」/Goo国語辞書 より



星の綺麗な夜だった。
『大きくなったら、きっとおいで』
君を待っているから。
記憶の中にただ残る、淡い光り射すその人の姿。



月森は、放課後は主に練習室で過ごすと決めていた。早めに予定を立て希望を出しておけば、確実とは言えなくても高確率で一定時間、練習室を専有することができたし、事実、入学以来、月森のそれは既に日課の如きものとなっていた。今日も今日とて、月森は練習室のある棟へと足を向ける。常と変わらぬ行動、決まり切った反復。しかし、今日は常のようではなかった。真に珍しくも、月森の足を止めさせる者があった。
「月森先輩、お祖父さんが星奏の卒業生だったりしますか?」
「…何だ、志水君か」
一学年下のチェロ奏者が、そこに立っていた。
彼の言葉は、いつもながら藪から棒だ。行動もそうだけれど。そもそも、いつ彼は現れた?先程までは、確実にいなかった。
「月森先輩?」
「ああ、すまない。何の話だったかな」
「月森先輩のお祖父さんが、星奏の卒業生かどうかです」
「ああ。確かに月森家は代々星奏出身だが」
「じゃあ、月森先輩なんですか?」
「……………はあ?」
なんだ。なんだ。一体、なんだ。
「…すまない、志水君。言っている事が全く判らないんだが」
「いえ。すみません。まだ月森先輩と決まった訳じゃないです。他にも候補の人はいますし。ただ、可能性はあるってだけです」
「可能性?」
何の?
「お邪魔しました」
常のように、言いたい事だけを言って、ひとつ頭を下げると、再び妙に気配のない様子で去っていく。その背に負われたチェロケースをひょこひょこと揺らしながら。
「………なんなんだ?」



普通科校舎のエントランスは、購買部や売店、カフェテリアなどが入ったスペースであり、全星奏生徒共有の場とされているが、その場所柄、普通科生徒の溜まり場のようになっている。といって、音楽科の生徒が排斥されるという訳でもなく、事実、普通科の方が生徒数が多いため、数の論理として普通科生徒ばかりが溜まっているように見えるというだけなのだが、ただ、そういった現状故、音楽科生徒にとって居心地は悪い場所ではあるのだろう、別段用事もなくこの場所に足を踏み入れる音楽科生徒はそう多くなく、ますます、この場が普通科の根城めいたものとなっていく。故に音楽科の生徒はこの場に足を踏み入れない。普通科校舎エントランスは、星奏における音楽科と普通科の微妙な軋轢を如実に示す場でもあったのだが、そのような機微など全く読み取ろうともしない者もいる訳で。
「土浦先輩、お祖父さんが星奏の卒業生だったりしますか?」
「……………志水」
部活前の腹拵え、と購買にやってきた土浦は、目立ちまくりの白ジャケットの後輩の姿に呻きに似た声を洩らした。相変わらずのチェロケースが歩いているような姿である。この場で彼の姿を目にするのは、珍しい事だったけれども。
「お前、本当に唐突だよな…」
自由に生き過ぎだ、と常識人を自認する土浦は深く思う。だが、
「ああ、だけど、爺さん、だって?」
その外見が周囲に与える印象に反して、気遣いの人でもある土浦は、志水の突然すぎる質問も真っ正面から受け止めた。
「訊いた事はないけどな。だけど、爺さんの代って言ったら、5、60年前だろ?戦前、戦中はこの学院、結構な金持ち学校だったはずだぜ?」
暗に、自身の中流階級を示唆して、軽く手を振る。あり得ない、と。
「月森先輩のお祖父さんは、星奏の卒業生だったそうです」
「ああ、如何にもそんな感じだよな」
嫌そうに顔を顰める。勿論、祖父も音楽科なのだろう。どころか、設立当初の音楽学校時代から、月森姓の人間が通っていそうだ。あの男の、星奏=音楽科という高慢な意識には、その位の裏付けがあってもおかしくないと思う。考えるだにむかむかしてきて、土浦はひとつ大きく、鼻を鳴らした。それをじっと見つめる志水に気づいて、土浦は再び、その手を横に振る。
「だから、俺は違うって」
「…土浦先輩は条件に合うかと思ったんですけど」
「条件」
って何だ。
「お邪魔しました」
もう用は済んだとばかりに頭を下げた志水は、しかし、当の土浦と違って、目の前の相手の疑問を解消しようとする心遣いなど持ち合わせてはいなかった。



「俺んち?俺以外、星奏に入った人間いないよ」
「そうですか」
火原の言に、志水はあっさりと頷く。
「柚木の家も、音楽一家じゃないからね。お祖父さんが星奏って事はないと思うけど」
しかし、続く言葉には、志水は小さく小首を傾げた。
「僕は、柚木先輩はあるような気がしますけど」
「???志水君の話、よく判らないけど」
正直に言いつつ、それでもそれがネガティブな印象を与えないのは、火原の持つ底抜けに明るい雰囲気と何処までも素直な性情のためだろう。
「あ、でもさ。そう言えば、加地君はお父さんもお母さんも星奏らしいよ。そうすると、お祖父さんも星奏ってありそうじゃない?」
「………加地先輩………」
その情報に対する志水の反応は、火原の想像からは多少外れたものだった。驚き、喜ぶかと思った。少なくとも、捜しているらしい条件に合う人物が見つかったら、ほっとするかなと思ったのだが、そんな火原の意に反して、志水の表情は全く緩まなかった。黙り込み、火原の言葉を吟味するように俯き、考える。やがてぽつりと。
「…あるかもしれません…」
そう、呟いた。
「確かめないと…」
常の如く色のないその言葉が、ひんやりと冷気を伴って聞こえたのは何故だろう。



「ふうん。家族がOB、OGってのは結構、この学院はあるんだねぇ」
「古い学校だし、特色もあるからね。自分の子供や孫を星奏に入れたいって愛校心を持った人はいるんじゃないかな。僕の両親も『星奏に転校したい』って言ったら、あっさり許してくれたしね」
「確かに加地君、辺鄙な時期に転校してきたもんねぇ」
天羽の目がどこか遠いところを見つめる。
時期も辺鄙なら、転校理由もまた辺鄙だった。いくら家族揃っての転居だといっても、前の学校だって通えない距離という訳でもない。星奏に通う事それ自体が目的、と言い切る加地は、相当に奇異の目で見られ、その上不審がられる存在だった。幾ら星奏が名門校とは言っても、例年東大合格者数で上位に名の上げられる有名進学校からわざわざ移ってくるようなものではない。星奏自体が目的などと、そんな馬鹿な事ある訳がない、と。
今では誰もが『そんな馬鹿な事』が、彼にとっては一点の曇りなき真実であったと知っている。正確には、星奏、ではなく、ひとりの普通科の女の子、が目的だった訳なのだけれども。
ちろりと視線を戻してみると、天羽の思考など全く気づかない、正確には気にも留めない加地が、いつもながらの華やかかつ人好きのする笑顔を向けてくる。学院新聞の取材にと、雑談混じりのインタビューを持ちかけた報道部員に対するにしては、営業部分が少ないそれは明らかに、天羽が彼の思い人の親友であるが故である。
しかし、それすらも『主を射んとすれば』的な本音が見え隠れする。前にそれを指摘したら、あっさりと認めた上に「日野さんの心証がよくなるんだったら、それくらい幾らでもするよ」とさらりと言った。真実本音の言葉であったと天羽は断言できる。天羽に愛想を振りまく事で、加地に対する香穂子の好感度が上がるなら、笑顔くらい特売大安売りなのだ。
だけど、天羽は加地が嫌いではない。そのあまりにも真っ正直なストレート剛速球故に。
糞重い、とは思うけれども。

…香穂も気の毒だのぅ。

本人がその重たさに気づいていない、つまりは加地の厚意が好意である事に気づいていない(ナニユエに?!天羽にとって、それは大いなる謎である)のが救いなのか。ひたすら空回り続ける加地は、それでも、香穂子にとっての『クラスで一番仲のいい男の子』というポジションに至極満足しているように見えるので、それはそれでいいのだろうなと思う。アンバランスだけれども奇妙に釣り合った現状は、ずっと続けばいいと、天羽をしてついうっかり思わせてしまうくらいに和やかなものだったから。
「僕の両親は、星奏で出会ってつきあい始めて、結婚までしたから。『お嫁さん見つけてきなさい』なんて背中押されたくらいだよ」
「………そ、そう…」
時々、もの凄いボディブロウをかまされたりもするけれども。

しかし、重いぜ、加地一家。



「興味深い話が聞けたよ。ありがとうね、加地君」
そして天羽は、取材手帳を閉じた。『家族がOBである生徒』に対するインタビューは着々と進んでいる。
「時に、加地君のお祖父さんは、星奏じゃないの?」
何気ない風に、天羽は問うた。如何にも、これはちょっとした興味なんだけど、といった様子で。対する加地もあっさり応じた。
「お祖父さんは違うよ。父方も母方もね」
「…そっかー」
一呼吸分の沈黙を置いて返された言葉は、しかし、先程同様、何気ない様子で。「家族における星奏OBの歴史って、どの辺りから続くのか興味深いところなんだけどねー」なんて、言い訳がましく聞こえないよう、フォローの言葉を呟いて。
「じゃ!本当、ありがとう!」と、ぴしっと手を挙げ、去ろうとした天羽の背中に。
「僕のお祖父さんが星奏OBだったら、僕に『可能性』があって、『条件』に合ってて、『ある』んじゃないかって話になったんだ?」
どこまでも何気なくかつ爽やかに微笑む加地が投げた言葉は、まさしく爆弾だった。



「ちょっ、何、どこまでっ」
先程までのナチュラルテイスト演技も何処へやら、焦りまくる天羽に対して、不自然に綺羅綺羅しい笑顔の加地はさらりと答える。
「志水君が訊きにきたんだよね」
肩を竦める加地の言に、天羽はぐらりと斜めになる。『志水』の名だけで、話の大抵の部分は推察できてしまったので。

しーみーずー。なんてことをー。

直球勝負の人間は、目の前の男以外にも存在した。
天羽が他の生徒にもインタビューを取り、本ボシ加地に当たる前のアリバイを作っているうちに、裏なんか叩いてもひっくり返しても見つからない天然チェリストは直接乗り込み、加地に全部ぶちまけたのだ。
香穂子にくれぐれも「内緒にしてね」と言われ、口外せぬ事を固く誓ったというのに。あーいーつーめー。
香穂子との約束だったら、絶対守ると信じていた私が馬鹿だった、と大きく息を吐く。がしかし。
それならもう、隠す必要もない訳だ。
ある意味、せいせいした。肩の荷が下りたともいう。さばさばした気分のまま、天羽は答える。「お祖父さんが星奏OBの人を捜してどうするの?」との問いに対して。
「志水君に聞いたんでしょ?捜しているのは、ようするに香穂子の許嫁ってやつよ。あーあ。てっきり、加地君かと思ったんだけど、また探し直しかぁ」
答えた天羽の軽い調子と反比例する重く暗い沈黙があった。勿論、対する天羽もそれに気づいた。
「…………………………あ、あれ?」
「…それは、何の事なのかな?是非、詳しい話を聞きたいな」
「………………え?知ってたんじゃないの?」
「カマ掛けてみただけだよ」
さらっと何言ってんだ、この人。
天羽の思考は既に停止状態である。
「確かに天羽さんが来る前に志水君は来たけど、彼の話は要領を得なかったから。天羽さんに詳細を聞こうと思ってたんだよね」
一点も曇りなく晴れ渡る加地の笑顔は、しかし一片たりとも真の意味で笑っていない。全く目が笑っていない。
「で。日野さんの許嫁って、何の事?」
まんまと仕掛けられた蜘蛛の巣に引っかかった天羽は、既に己が退っ引きならない状況に陥っている事を知った。



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