温泉にいこう +++ act.6


さあ Paradise Believer 楽園を探そう
子供の頃に描いた夢をたよりに

パラダイス・ビリーバー/松岡英明



列車は、プラットフォームに吸い込まれるようにして、緩やかに減速する。
荷物を下ろす人々の様子は皆、せわしなく、ホームに溢れる人いきれは、明るく楽しげな匂いを醸す。誰もが週末をゆったりと過ごすべく、この街に来ているかのようにも思える。
こういった気分というものは、伝染する。他聞に洩れず、啓太も、何とはなしにうきうきとした気分になっていた。
網棚に載せていた二人分の荷物に手を伸ばす。それを追うように立ち上がり掛けた成瀬に、軽く眉を顰めて、一言。
「成瀬さんは、あんまり足、使っちゃ駄目です」
まだ、座っていて下さい、と難しい顔を作ると、淡く微笑った成瀬は、降参、と軽く両手を上げてみせた。
「了解。ハニー」
じゃあ、荷物は頼むね、と微笑む成瀬に、笑い返す。
多分、成瀬が軽く手を伸ばせば、簡単に荷物に届いてしまうのだろうけれど、啓太の場合は、少し背伸びをして、ようやっと鞄の端に手がかかる、といった調子なのだけれど、それでも、こうして、仕事を任せてもらえるのは、とても嬉しい。対等に扱ってくれるのだ、とそう思えるから。
ほっこり胸の奥が暖かくなって、こんな気持ちになれたのは、やっぱり成瀬のおかげというもので。こっそり彼を伺い見ると、啓太を見つめていた瞳とばっちり視線が合ってしまった。
「えっと。…何ですか?」
成瀬の視線があんまり甘やかだから、妙に恥ずかしくなる。多分、顔が赤く染まっているだろうから、ちょっぴり唇を尖らせてみせたって、啓太の感情なんて丸判りなんだろうけれど。
それを証立てるかのように、成瀬はふわりと微笑んで、より一層甘く囁く。
「ハニーが僕の世話を焼いてくれるなんて、まるで夢みたいだなぁ、と思って」
『幸せだなぁ。僕は君といる時が、一番幸せなんだ』
ふと、懐メロ番組で聴いた歌に、そんな科白があったのを思い出した。
だって、顔に書いてあるのだ。でっかく。『幸せvvv』って。
……何だか、物凄く恥ずかしくなってきた。
「っもー、成瀬さんはまた、そーいう事言うー」
真っ赤に染まった顔を、怒った振りで誤魔化して、そんな事もやっぱり、目の前の大人な人には気づかれているのだろう。だけど、しょうがない。どうしようもなく、恥ずかしいのは確かだから。
成瀬は、真っ直ぐな言葉や感情をくれる。
啓太に、可愛い、と言い、抱き締め、頭を撫で、触れるだけの軽いキスをくれる。
最初の内は、狼狽えてばかりだった啓太も、今ではすっかり慣れっこで。
『ハニー』なんていうこっ恥ずかしい事この上ない呼ばれようも、単なるあだ名くらいの勢いになってしまっていて。
結局のところ、小さい子供か子犬のような構われ方をしているような気がするし、実際、そのように思われているのかもしれないけれど、彼が本当の意味で、啓太を被保護者のように扱った事はなかったし、それがどんな種類の物であろうと、成瀬が啓太に好意を持ってくれているのは、疑いようもない話で。
真っ直ぐな好意、というのは、何とも面映ゆいものなのだ、と啓太は、成瀬と知り合って、初めて知った。
だけど、そんな成瀬の言動諸々も、許容してしまえば、成瀬はつき合って楽しい、素敵な先輩だ。明るく陽気で、話していても面白い。
もっと、成瀬と仲良くなりたい。そんな気持ちを込めて、啓太は笑う。
「この週末はずっと一緒なんだし、成瀬さんのお世話なんて、これからずっとするんですからね」
成瀬は足に怪我をしていて、啓太は旅行につき合ってもらっている身。故に、啓太にとって、それはあまりにも当然の事。
なのに、テンション高過ぎ、と暗にたしなめた啓太に、成瀬は小さく息を飲み。
「…もー、このまんま、死んじゃいそう…」
天を仰いで、シートにずるずると身を沈めた。
それが本音であったがために、己の言動の危うさに全く気づかない上に、自身、成瀬の事を言えない程に、感情が顔に出るのだとの自覚がない啓太には、その反応は不可解そのものだったのだけれど。



「成瀬さん、足、大丈夫ですか?」
結局、彼らがホームへと降り立ったのは、他の乗客も殆ど捌けてしまった後だった。
決して奪われまい、との決意もありありと、二人分のバッグをしっかりと抱えた啓太は、背後に続く成瀬を振り返る。
「勿論だよ、ハニー」
何気ない様子を見せつつ、啓太が少しでも隙を見せたら、すぐさま、二人分の荷物を奪い取ろう、と画策しているのが丸判りである成瀬は、軽く頷いてみせる。
微笑みつつ、荷物へと視線を送る成瀬と。同じく微笑みつつ、荷物二つを抱き締める啓太。
ひゅるり、と。
不可思議な緊張をはらんだ空気が、二人の間を流れた。
が、しかし。
無言かつ熾烈な攻防は、次の瞬間、唐突に終わりを告げた。それは、啓太にとっては、思いも寄らない方法で。
成瀬はおもむろに、手を伸ばし、啓太の肩を抱き、そして。
「…え?」
未だ状況のよく理解できない啓太を素早く抱え上げると、小走りに駆け出した。
「…えぇえ??」
荷物を抱えたままの啓太は、ただ、呆然としたままだ。
「……ち、ちょっと、成瀬さん、足!足!」
自身が、いわゆるお姫様抱っこをされている事に対して、すぐにはつっこみが入らないのは、それだけ混乱しているからか。
それとも既に、自身が思っているよりずっと、成瀬を許容してしまっているのかもしれない。



 ◆→ NEXT






 ◆◆ INDEX〜FREUD