温泉にいこう +++ act.4


さあ Paradise Believer 楽園を探そう
子供の頃に描いた夢をたよりに

パラダイス・ビリーバー/松岡英明



「伊藤、今週末は、外泊、か」
寮生名簿に印をつける篠宮に、啓太は神妙な様子で「はい」と頷いた。
真面目で堅物といわれる寮長は、寮生に煙たがられる事も多かったけれども、啓太は彼の事が好きだったりする。
丹羽や滝と遊んでいる時、啓太も込みで叱られる事も多かったが、だけど、彼の言う事は、常に圧倒的に正論で、平日の深夜にいつまでも人の部屋で集まって騒いでいるべきじゃないし、共同スペースである廊下でキャッチボールをしたり、自転車に乗ったりしてはいけないのだ。やっぱり。
今までに彼からお説教されたあれやこれやを思い起こしてみるに、叱られるのが当然すぎて、これで逆恨みなんかしてたら、人としてどうか、というレベルにまで堕ちてしまうような気もするし、それに何より、生真面目なこの人は、本当に寮生みんなの事を心配しているのだと知っていたから。
怒られた後も、それが後を引いた事はない。何よりも公正な人なのだ。こまめで、世話焼きで、人に気を遣う。自然に、自分よりも全体を優先させるこの先輩を、啓太は尊敬してもいる。もし、この人に嫌われてしまったら、本当に本当に、へこむだろうなぁ、と思うから、できるだけ叱られないようになりたいと思う。
王様に巻き込まれたり、滝とはしゃいでしまったり、和希を巻き込んだり。
自身が原因だったり、そうではなかったり、その時々によって違ってはいたが、どちらにしても、寮内の騒動の一角をなす事の多い啓太にとって、それは切実な願いというものなのだった。
「…今回は、外泊者が多いな…」
啓太に語るというでもないそれは、独り言だったのだろう。それでも、啓太は顔を上げた。
「遠藤は、伊藤と一緒に出かけるのか?」
「和希と?」
それは、和希も外泊届を提出している、という事だろうか。
島内にいる時には、いつも、届けは出さないのだ、と前に和希が言っていた。外泊中のはずの人間が、万が一にも学園内で姿を見られては、不審に思われるから、と。
その彼が届けを出しているのなら、それは、今回は本当に外に出るのだという事なのだろう。仕事だ、とは聞いていたけれど、それは、サーバー棟に籠もるという事なのだ、と、何故だか啓太は、思い込んでいたのだ。そうであってほしい、と思っていたのかもしれない。
和希には和希の生活があって、そりゃあもう大変な仕事もあって。
本当なら、啓太のような一般高校生のおいそれと近寄れる存在ではないから。
啓太よりもずっと大人な顔をして、啓太には理解もつかない仕事をして、高そうな香水や、外国の煙草や、そんな諸々の匂いのついた仕立てのいいスーツを着た和希は、まるで啓太の知らない人のよう。
夕食のおかずを取り合ったり、宿題を一緒にやったり、馬鹿な話で盛り上がったりする、クラスメイトの遠藤和希、啓太だけの和希ではない人になってしまうから。
和希が、啓太の傍にいてくれるのは、この場所だけだから。
だから、和希に外に出てほしくないのかもしれない。
我ながら、我が儘だ。本当に、子供だ。
もっとしっかりしよう、と決めたばかりなのに。
唇の端を噛み締める啓太を、何か違う風に受け取ったものか、篠宮は軽く眉を顰めた。
「いや。プライベートだったな。すまない」
失言だった、と頭を下げる人に、啓太は慌てて、首を横に振る。
篠宮は少しも悪くない。ただ、啓太が自分の物思いに耽ってしまっただけで、悪いといえば、それはやっぱり、啓太の方が悪いと思う。
「そんな事ないです。和希も外泊なんですね。今回は無断外泊じゃないんだなー、と思って、ちょっとびっくりしました。そんな事言ったら、いけないかな…」
えへへ、と照れたように笑う啓太に、篠宮は柔らかな微笑みを浮かべたが、
「週末は、成瀬さんと出かけるんです」
続く言葉に、その微笑みは凍り付いた、ように見えた。
「………………………………………成瀬?」
「えっと、…はい」
なんだろう。何かマズイんだろうか。あ。もしかして。
「あの。連休でもないのに、生徒同士で旅行なんて、不謹慎?ですか?いけなかったのかな…」
「………いや。『いけない』訳ではない。………そうか。旅行か…」
「えっと、じゃあ…。あ!まだ成瀬さんからの外泊届は出てなかったですか!週末、何か成瀬さんに用事があったとか!」
「………………いや。成瀬からの届は、出ているな。早々と。特に、用事があるという訳でもない」
啓太からの質問とは言えないような質問に、律儀に答えを返しながらも、篠宮の言葉は、常になく歯切れが悪い。
一体、どうしたのだろう。
心配そうに見つめる啓太の視線も、微妙に逸らされているような気がする。
「………あの?」
「…………………………伊藤」
思い切って、とでもいった風情で、ひたりと当てられた視線は、ひどく真摯で、啓太は思わず、姿勢を正す。
「何かあったら、いつでも相談にこい。俺の部屋は知っているな?」
「え?あ、はい」
「例え、どんな事でも、だ。…俺は、お前の味方だからな」
慈愛に満ちた微笑みは、それでもどこか寂しげで。
彼の前を辞した啓太の脳裏には、ひたすらクエスチョンマークが飛び交っていたのだけれど。
ぐるぐる考えているうちに、考える、という事にくたびれてきて、明日も早いし、取りあえず、寝よう、で完結する。
早く出かければ、現地でいっぱい遊べるよ、とは、成瀬の談。それは確かにその通りだから、啓太も賛成したのだが、朝早く起きなければならないのは、ちょっと辛い。
待ち合わせ相手は朝に強そうなので、寝坊でもしてしまったら、大変なのだ。その打開策として、今の啓太にできるのは、早く寝る、という事だけだ。

明日は土曜日。温泉旅行に出かける日。





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