温泉にいこう +++ act.22


さあ Paradise Believer 楽園を探そう
子供の頃に描いた夢をたよりに

パラダイス・ビリーバー/松岡英明



和希は、本当は俺のことを好きじゃないんだと思う。少なくとも、俺が思っているようには。
好きだと思ってくれたのは、本当。大切だと思ってくれているのも本当。だけど、それを俺が勘違いしたんじゃないかって。そして、和希も自分の気持ちを勘違いしちゃったんじゃないかって。そう思う。
和希は多分、俺のことを、弟みたいに思ってるんだ。それは、家族に対するような『好き』で、確かにそれは、代え難いものなんだと思うけれど、俺が両親や妹を思うような感情を持ってくれたんだったら、それはもう、凄く大切なものだし、嬉しいものなんだけれど。
だけど、それは俺とは違うんだ。決定的に、違うものなんだ。
それは、悲しい事だったけれど、認めなくちゃいけない事だった。そうでないと、これから先に進めないのだから。



啓太は、静かに詰めていた息を吐き出した。
気持ちと言葉の整理がきちんとできていたとは言い難くて、話は随分とあちこちと飛んだような気がする。だけど、言いたかった事は言えたと思う。少なくとも、話の途中で泣き出したりはしなかった。少し、言葉尻が掠れたりはしたけれど。最後まで、微笑ってはいられた。
最後まで喋らせてほしい、と前置きした言葉を尊重してか、和希は何も言わず、訥々と語る啓太の話をただ、聞いていた。そして、啓太が言葉を切り、息を吐いた、それを契機とするかのように。
「…それで?」
いかにも、不機嫌そうに、言った。



「………和希?」
むくれている、とか、そういった状況ではない、多分。今まで、ごくたまに和希が見せてきた、啓太の行動、言動に対する不服を示した様子と、現在の和希とでは、全く違う。声は妙に静かで、落ち着いていて、だけど視線は鋭くて、啓太が今まで見たこともないくらい、ひんやりと冷たい。向けられて、どきりとして、胸が痛くなる。そんな視線。
もしかして、怒っている、のだろうか?
今まで、ずっと和希に怒ってほしくて。それが今、和希を本当に怒らせて。奇妙に傷つく。我ながら、我が儘だけれど。
でも、理由が判らない。そもそも、彼が怒るような要素がない、と思うのだが。
もじもじと、啓太が肩を揺する。身の置き所がない、とでもいった風情のそれに、和希は己のこめかみ当たりを押さえて、深く溜息を吐く。そして。
「そこ。座って」
目の前にあったベンチを指し示した。
『有無を言わさぬ』とは、こういった雰囲気のことをいうのだろう。言いなりに、ちょこりとベンチの隅に座る。それでも、奇妙な緊張感は続いていて。
らしくなく、和希が乱暴な様子でどっかりと同じベンチに腰を下ろしたのにも、びくりと身を震わせる。だけど、背中を丸めた和希は、膝に肘を突いて、開いた手に顔を埋めて、深い深い溜息を吐くと、そのまま動かなくなってしまった。
沈黙の帳が降りた。
こんな時、いつもだったらさり気なく状況をフォローしようとするのに、和希は全く無言のままだ。一人分の間を空けて座った、それが今の和希と啓太の距離なんだろうか。和希はベンチの中央に座っただけだし、啓太は自分で隅を選んで座ったのだと思いながら、何だかそのスペースが妙に寂しい。
前方に体を向けて、和希に倣って膝に肘をつけて、立てた手で顎を支える。
遠く響く歓声のようなものは、休日練習中の野球部だろうか。秋の風はひんやりと冷たくて、足元に吹き溜まった枯葉がかさりと音を立てた。秋の日の夕暮れ特有の侘びしさが、そこここに漂う。
ぼんやり、物悲しい気持ちになってきた啓太の耳に。
「…もー、どうしたらいいのか、判らないよ…」
こちらも、ぼんやりとした呟きが届いた。



啓太は、こんな和希を見るのは初めてだった。和希は啓太の前では、いつだって優しくて、鷹揚で、余裕があって。そんな、大人そのものだった。なのに。
「どんな風に言えば、啓太は信じてくれるんだろう…」
今、大きな手の影から現れた顔にのっているのは、寄る辺なさ。
まるで道に迷った子供みたいな、その怖ず怖ずとした不安は、啓太にだってみてとれて。
「…本当の事を、言って」
啓太は、言った。
「俺のこと、宥めようとか、そんな事考えなくていいんだ」
悲しくても、苦しくても構わないから。
「俺、和希が考えてる事を知りたいんだよ」
本当の気持ちを教えてほしい。
幾度か、深く呼吸して。和希は、軽く首を横に振る。
「嫌われたくない」
「嫌わないよ」
間髪入れぬ啓太の言に、和希が笑う。嘘ばっかり、とそう言っているかのような自嘲に、啓太はもう一度、「嫌わないよ」と告げる。
和希を嫌う訳ないじゃないか。
例え、何があったって。
嫌ったりするはずがない。
決して、和希から外れない啓太の視線に、和希はふいと顔を逸らした。だけど、それは否定ではないのだ。不本意ながら、啓太の要望を入れる、という意味で。
「全部?」
どこか、投げ遣りなその様子に。
「全部」
決然と、そう答える。
「俺は、和希の家族だっただろう?」
そう言った啓太に対して。
和希は、こっくりと首肯してみせた。



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