温泉にいこう +++ act.10


さあ Paradise Believer 楽園を探そう
子供の頃に描いた夢をたよりに

パラダイス・ビリーバー/松岡英明



「わー、こんなにもらっちゃって、ありがとうございます」
両手いっぱいに、お菓子やら玩具やらを携えた啓太は、まさに満面の笑みだった。
射的場は、思ったよりも遠くなく、宿から散歩がてら遊びに行くには、ちょうどいい位置にあった。台の奥に並んだ大小様々な物の数々には、統一性など一切ない。大きさのみならず、色も様々、その用途も様々、物の並べられた年代さえも様々である事が見て取れる。
雑多でキッチェで、だけど、そんな混沌としたところが、全てが小綺麗に整っているのが当たり前という、いわゆる都会の子供な啓太には、かえって新鮮である。まるで時間が止まったような、不思議で魅力的な、それは場所だった。
「いいだろ!なんかすっげー、面白そうだろ!昭和ーって感じだよな!」
うきうきと、ぎりぎりで昭和に生まれた学生会々長がのたまう。そんな彼が妙に可愛く感じられるのは、彼曰くの『昭和』の背景の中に、全てが綺麗で整った彼がそぐわない、なのに、とても嬉しそうで、まるで本当は来てはならない場所に大人に内緒でやってきた、背伸びをした子供のようにさえ、映るせいなのかもしれなかった。
「おじさん、一回分!」
声をかけると、彼らの前に小皿が差し出された。これまた、昔、給食で使っていたらしいのを記録映像などで見たことのある、ステンレスでできた皿だ。小さなコルクが幾つか載っかっていて、どうやら、このコルクを弾にして、台上の賞品を打ち落とすらしい。興味津々、見つめる啓太に、丹羽が振り向く。
「ほら、啓太もやってみろよ」
「えっ、俺、できるかな…」
それでもわくわくと、台に立て掛けられた長銃を手に取る。丹羽を見習って、銃口からコルクを落とし込み、目の前の台に肘をつく。
「的は、目の前だ。よーく狙えよ」
銃口の先には、キャラメルの箱がある。落ち着いて、手を揺らさないようにして、まっすぐに。
「よし。撃て!」
引き金を引くと同時に、銃身がぶれた。コルクの弾は、キャラメルの箱を逸れて、その背後に張られた幕にぽすんと当たって、ころりと落ちた。
「…駄目だー」
難しいですね、と苦笑う啓太に、楽しめればいいのさ、と丹羽が笑う。遊びに来たのだから、と。
それでも王様は、賞品を取れるんだろうなぁ。
それは、想像でさえなく、既に現実に確定した話である。
軽く銃を肩に担いで、丹羽が言った。
「啓太、どれが欲しい?」
「俺が選んでいいんですか?」
「ああ、いいぜ。何でも言えよ」
啓太は、目を輝かせて、台の奥へと向き直った。小箱に詰まった菓子、小さな置物、ぬいぐるみ、レコード…CDではなく!、ゲームソフトの外箱。
真剣に品物を物色する啓太の視界の隅に、その時、素早く動く何かが映った。流れるような自然さで、皿からコルクを摘み出すしなやかな手。
あっという間に弾を篭め、長銃を構えるその姿は、冷徹な瞳と相まって、まさにスナイパーといった風情である。
一発必中。一撃必殺。狙った獲物は逃がさない。
ヒットマンが引き金を引いた時、誰もが結果として、獲物が落ちるのを当然と感じ、そして、その思いが裏切られる事はなかった。ぱちん、と弾かれて、下に落ちた物を店主は無造作に拾い、そして差し出す。それを台越しに受け取った中嶋は、啓太達に視線をやって、にやりと笑ってみせた。
「ぐわーっ、先越されたーーーーっ。ヒデーーーーっ、ずるいぞーーーーー!」
「先も何も、勝負事ではないだろうに」
「いんや!勝負だ!勝負しろ!どっちがたくさん落とせるか、だ!」
ムキになる丹羽に対して、やれやれ、とこれ見よがしに溜息をついて、中嶋は軽く鼻で笑う。
「別に構わんぞ。俺が勝つだけだからな」
「その高い鼻っ柱、へし折ってやるぜーっ」
丹羽が自分の長銃にコルクを詰めている間に、中嶋はさりげなくその懐に、先程受け取った戦利品を落とし込んだ。啓太は、しっかり見てしまった。ほんの一瞬だったけれど、見間違いようもないほど、それははっきりと見てとれた。
白をベースに黒と赤と黄色でできた小さな置物。小さな手を耳まで挙げたそれは、いわゆる、招き猫、と言われるもので。
啓太は、改めて台上に並べられた品を点検する。他には何処にも、同じ物はない。偶然でなければ、たったひとつだけ置かれていたそれを狙って、彼は落としたのだという事で、そして、勿論、偶然などではないのだという事も、啓太には判っていて。
彼はいつも、さりげなく優しい。あんまりそっけなくて、本人も周囲に気づかれないように振る舞って、それでよく、人に誤解されるけれど。
中嶋のこんなところを、人に教えたいような、教えたくないような、不思議な気持ち。
これが例えば、和希だったら。
彼の優しいところ、格好いいところ、可愛いところ、全部、周りに知ってほしいと思うだろう。
だけど、中嶋は秘密にしたい。気づくのは、啓太と丹羽と、それだけでいいんだと思う。
…まぁ、今回は王様は気づいてないけど。
気づいたら、大騒ぎになっている。中嶋には、深く感謝しなくては。
「啓太の欲しい物、僕が取るから言って?」
成瀬が、啓太の背中越しに、耳元で囁いた。その甘い声と耳に当たった息に、ぞわぞわとした感触が背筋を這い上って、啓太は思わず、飛び上がりそうになった。耳を押さえたくなったのをぐっと我慢できたのは、自分でも立派だったと思う。
振り向きかけた啓太の目は、ちょっぴり涙目だったが、幸運にも成瀬は気づかなかったようだ。
「ほら、あの人達、大騒ぎだから。こっちはゆっくり、楽しもうよ」
微笑む成瀬に、啓太は頬を染める。成瀬には、裏心なんかこれっぽっちもないのに、妙に意識してしまっている自分が恥ずかしくて。
そうだよ。相手は和希じゃないんだから。
啓太の赤い顔を、別の意味に捉えてくれたのか、殊更に優しく成瀬は微笑み、おねだり、とでもいった風情に、首を傾げてみせる。彼は、背が高くて、体も大きくて、とても華やかな、端正な面立ちで、だから尚更に、その様がとても可愛らしい。
啓太も笑いながら、つい、頷きかけたら。
「俺が取ってやるって、言っただろーが。啓太!どれが欲しいか、早く言え!」
忙しなく弾篭めする丹羽の声が、割って入った。
「…いえ。そちらはそちらで、どうぞごゆっくり…」
「つっても、片っ端から落としちまうけどな!狙いは、早い者勝ちだぜ!」
学園のカリスマに、誇大発言はない。嘘偽りなら、日常茶飯事であったが。
学生会の二人によって、次々と打ち落とされる物達は、まるで、駆逐される、とでもいった風情だった。
「後、3回分!」
そして補充される、新たな弾丸。
「…これだと、本当に僕がハニーにプレゼントする物がなくなっちゃいそうだね…」
深く溜息をついて、そして、成瀬は長銃を手に向き直る。
「見ててね、ハニー。取れた物は、全部、ハニーに捧げるから」
そして。
三人の男達によるこの襲撃は、射的場のおじさんの「もう勘弁してくれ」との涙の訴えによって終わりを告げるまで、続けられることとなったのだ。
どっさり荷物でふくらんだ、啓太の抱えた紙袋には、彼らの狩猟の成果が詰まっている。丹羽も中嶋も、品物はいらない、というので、結局、全てが啓太の手元に残った。煙草以外は、であるが。
中嶋が懐に入れたそれらも、結構な量になっていて、秘密裏に学園に持ち込めるような状態ではなかったのだが、あれはどうするつもりなのだろう。
まぁ、啓太が心配するまでもなく、彼はなんということもなく、寮に持ち込んでしまうような気がするし、実際、常にそうなのであるけれど。
啓太は、荷物をテーブルに置いた。丹羽と中嶋は、彼らの部屋に戻っているけれど、夕食時には、この部屋にやってくるはずだ。啓太達の使っている部屋の方が広かったし、一緒の方が楽しいので、ここに料理を運んでもらって、4人で食べようという事になったのだ。
だけど、まだ時間もある事だし。
「お茶入れましょうか?それとも、温泉、入ります?」
啓太が言うと、何故か、成瀬はうっとりとした顔をした。その目は完全に、夢見る夢子さんだった。
「…あの?」
「そうだなぁ。温泉に入ろうかな。…啓太と一緒に」
成瀬は、啓太の発言から、「あなた、お食事を先にします?それともお風呂?」という、新婚さんの定番を連想し、勿論、啓太は連想しなかった。ぱちくりと目を瞬いて、そして、あっさりと言の葉を紡ぐ。
「一緒だと狭いですよ。ほら、ここの専用露天風呂、一人用だから」
正論だった。つっこみどころなどないほど、真っ当な意見だった。
「じゃあ、共用露天風呂の方に行きましょうか?広くて気持ちよさそうだし、王様と中嶋さんも誘って…」
「いや、いいよ。ここでいい。僕、一人で入ってくるから!」
奇妙に激しく首を左右に振る様も、露天風呂へと向かう成瀬の、何やらがっくり肩を落とした様子も、理由が全くわからず、首を傾げる啓太は、常の如く、…まぁいいか、で全てを終わらせ、成瀬の風呂上がりの為に、茶を作って冷やしておこうと立ち上がった。



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