カードの裏側 +++ act.6 3/3


醒めない夢

(6のお題 キスの甘さ/「as far as I know」様)


初めに西園寺が言った事を、啓太は鮮明に覚えている。
「お前の気持ちに、興味などない」
天井に取り付けられた明かりが逆光になって、啓太を押さえつけた西園寺の顔は殆ど影になっていて、それでも彼が微笑っているのが判った。
彼は、啓太の想いを必要としないのだ。
だから、啓太はずっと和希が好きなままでいられた。
和希が好きだった。大好きだった。この世界に愛という感情があるんだったら、それはきっと、和希に対して抱いた、この気持ちがそうなんだと思った。
暖かくて。穏やかで。温い湯に浸かっているみたいに、ふわふわとした幸福感。
何もしなくても、会話もなくても、同じ場所にいて、同じ時間を共有して。
それだけで、満たされた。ずっとこうしていたいと思った。
いつか離れても、遠く離れても、傍にいられなくなっても。…和希は啓太がいつまでも傍にいられるような人じゃないから、それは故ない事とも言えないのだけれど。
和希は、世界で一番、幸せになってほしいと思う。ならなくちゃ駄目なんだと思う。
例えば、近い未来。学園を卒業して、この島から出た遠い場所で、テレビのニュースや新聞で、和希の今を知って。いつか、綺麗な女の人と結婚した事を知って。
一緒にいられなくても、和希が幸せでいるんだったら、それを嬉しいと思うだろう。
この気持ちは、ずっと変わらない。絶対に変わらないだろう。
大好きな人なんだ。
誰よりも、何よりも、大切なんだ。

だけど、西園寺は、違う。
全然、違う。

「…どう違う?」

西園寺と一緒にいると、痛くて、苦しくて。身を切られるように、辛い。哀しくて哀しくて、何度も泣いた。火傷をしそうな程熱くて、凍えそうな程冷たくて。
常に乾いていた。渇ききっていた。満たされることなんか、全然なかった。

「…俺、王様、も、七条、さん、も、大好き、なん、です…」

子供みたいにしゃくり上げて、言葉を詰まらせて。
こんな醜態、きっと彼は嫌いだろう。
だけど、全部言ってしまおう。だって、最後なんだから。
もう、これっきりなんだから。

丹羽も、七条も、啓太にとっては大切な人達だった。優しい先輩で、彼ら個人も、とてもとても魅力的で。彼らは、西園寺が好きで。
啓太よりもずっと長いこと、西園寺の傍にいて、近い場所にいて、そうである事が何よりも相応しい人達で。

なのに、啓太は彼らよりも西園寺の近くにいたいと思うのだ。西園寺の幸せなんか、願えない。いつか、綺麗な女の人と結婚して、なんて、考えただけで、胸が潰れそうになる。

啓太は、自分が醜いと思う。
西園寺を、自分だけの物にしてしまいたい自分。いつも一緒にいたいと欲する自分。他の誰にも見せたくない、自分だけを見て欲しいと願う自分。
自分の事ばかり。まるで、執着と独占欲の固まりだ。なんて、浅ましいんだろう。
こんな自分は、西園寺に嫌われたって、当然なのだ。



不思議な沈黙があった。
「…なるほど」
小さく、だけど深い溜息が聞こえた。
「確かに、私と遠藤とでは、違うようだ…」

もう、全部話してしまった。見たくなかった自分も、何もかも。啓太には、もう何も残っていない。守るべきものも、何も。
彼は自身の言葉を違えぬ人だから。
彼が「終わりにする」と言ったのだから、彼は啓太を捨てるのだ。その場にへたり込んだまま、泣き喚いた啓太に振り返ってくれた事だって、多分、あんまりにも啓太が哀れっぽかったから。
今、この時、彼が啓太の言葉を聞いてくれているのだって、彼にとっては最大限の譲歩で。最後だからこそ与えられる恩寵のようなもので。
それだけ心を割いてくれる事が、その程度には啓太に心を分けてくれていた事が嬉しくて、哀しかった。

「本当に、お前は馬鹿だな」
「判ってます」

夜、会える。それで、満足しなければならなかったのに。
最後の一欠片まで、全部欲しがって。一欠片だけでも手の中に残したいと願って。
そして、全てを失った。
本当に、馬鹿だ。

涙も枯れ果てるかと思う程に泣いて。泣き疲れる程に泣いて。
そして、風の冷たさに気がついた。
どれ程、時間が経ったのだろう。
顔を上げると、西園寺は啓太の前に膝をついて、彼を見つめていた。その瞳が、不思議に柔らかくて、暖かで。
啓太は慌てて、己の顔を拭う。
「ごめんなさい。こんな事につき合わせちゃって」
多分、もの凄い大騒ぎを演じてしまったのだ。愁嘆場という言葉がぴったりだ。まだ、構内に人もいる、と思ったのだって先程の事で。先程といったところで、どれくらい前の事だか啓太には判らないのだけれど。
「もう行って下さい。時間を取らせてしまって、すみませんでした」
明日は、噂になってしまうかもしれない。だけどもう、誰かに見られたら、なんて気にする必要もない。
氷の女王様に振られた下級生がまた一人。
そんな話がしばらくの間、笑いをもって語られるのが精々で、珍しくもない話題は、恐らく、大して時間を経ずとも消えるだろう。せめてその間、西園寺の迷惑にならなければいいなと思う。
「話、最後まで聞いてくれて、ありがとうございました」
作ったものではなく、本心からで微笑んだ。全部、本当の気持ちだった。なのに。
西園寺は、そうと判る程にはっきりと顔を顰めてみせた。
「…お前、また私を追い払うつもりか?」
「……え?」
いや。だけど。え。
あれ?

「お前は今、私と遠藤とが如何に違うかを語っただろう」

それは、西園寺さんが望んだから。西園寺さんが「言え」って言ったからだ。

「そうだな。それで、お前はどう思った?」

俺が和希をどんなに好きか、なんて、西園寺さんは全然、気にしないって判っているけど。気にされないんだって事を目の前に突きつけられるのは嫌だった。今みたいに、どうでもいい事みたいに口にされたくなかった。
俺は和希が大好きなのに、西園寺さんには気持ちを残して欲しいなんて思っている。自分勝手だし、我が儘だ。西園寺さんに対しては、本当に本当に欲張りだ。

ぐしぐしと顔を擦る啓太に。

「ああ。お前には、その違いが何なのか、判らないんだな…」

独り言のように呟いて。

「遠藤と同じだったら、私が困る」

西園寺は、はんなりと微笑う。

「私は、人類愛が欲しい訳ではないからな」

ジンルイアイ。

何やら、壮大な単語を聞いてしまった。

「それに、お前が醜いんだったら、私も醜いな」

美貌を彩る柔らかな微笑。
こんなに綺麗な彼なんて、今まで見た事がない。

「丹羽と臣が、好きだと言ったな?」

…え?

「…部屋に閉じこめて、鎖で繋いでやろうか…」

……ええ?

「お前が幸福じゃなくても、全く構わないぞ。私もな」

…………えええ?





結局、その後、どうなったのか、というのは。
…ご想像にお任せしたいと思う。



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