カードの裏側 +++ act.3


残らずあげる

(6のお題 キスの甘さ/「as far as I know」様)


足りないのなら、他の男にさせればいい、なんて。
そんな言葉を投げつけて。
俺が傷つかないとでも思っているんだろうか。

だけど。

いっその事、本当に、そうしたらいいのかもしれない。
そうしたら、こんなものはただの行為だって、誰が相手でも同じなんだって、こんな気持ちは嘘っぱちなんだって、判るのかもしれないから。





「…啓太、どうかした?」
「え?何が?」
見つめ返す和希の瞳が妙に真摯で、啓太は少しどぎまぎする。
「疲れてるんじゃないか?」
「そんな事ないって」
「いや、あるよ」
啓太の言を切って捨てて、和希はふいと啓太の方へと手を伸ばした。
思わず、首を竦めた啓太の額に、ひんやりとした和希の手が添えられる。柔らかく触れたその手は、軽く滑って、啓太の頬を包み込んだ。
「熱はないみたいだけど」
顔が赤いのは、熱のせいじゃない。こんな風に和希に触れられるのは何だか気恥ずかしくて、だけど啓太は、避けようとはしなかった。ただ、目元まで赤く染めて、和希を上目遣いに見遣る。
ちなみに、放課後の教室である。未だ、級友達も多く居残っている。はいはい、いつものこと、いつものこと、と言いながら、健康的な男子高校生達としては、もうちょっと周囲にも気を使ってほしいと切に思ったりする。この甘ったるい空気は体に悪い。絶対に悪い。
既に冷やかす余裕もない、半ば自棄糞なこの空気が、周囲を殺伐とさせていくのだと、バカップルは全く気づかない。しかし、本当にそうなのか?
その天文学的な鈍さに定評のある伊藤啓太と違って、実は故意なんじゃないか説が囁かれていたりする男は、常の如く周囲の微妙な空気を綺麗に無視して、啓太の頬をもう一撫でして、名残惜しげにその手を離した。
「啓太、今日の予定は、どうなってたっけ?」
「俺?今日は、学生会で臨時の仕事が入ったっていってたから、それの手伝いに行く予定だけど…」
「それ、取りやめて」
「へ?」
「中嶋さんには、俺が言っておくから。俺につき合って」
「え?だけど…」
「俺、今日は予定がないんだ。一緒に出かけない?外に買い物に行くとか。ゲームセンターに行ってもいいし」
「だけど、和希…」
学生会には、もう行くって約束しちゃったんだよ…。
俯きがちに続ける啓太に、いつもだったら笑って、じゃあ仕方ないな、と頭を撫でてくれる和希が、今日は違っていた。
「それも全部、王様がいないから、だろ?だったら、今日だけでも、王様に仕事をしてくれるように、俺が頼んでおくから」
今日一日だけでいいから、と。
そう告げる和希の言は、どこか哀願するようで。
そんな和希を振り捨てるなんて、啓太には決してできない相談というもので。
啓太はただ、怖ず怖ずと、頷いたのだった。



丹羽を説得するのを、和希だけに任せるというのも気が引けて、結局、二人で探し回って、丹羽を見つけて、今日だけは、とお願いした。
だって、和希がそうしたいと言ったのだから。
和希の願いだったら、何でも叶えたいと、啓太はいつだってそう思っているのだから。
「…あー、まー、元々は俺の仕事なんだし。いいんだけどよー」
困ったように、丹羽が頭を掻く。
「だけど、中嶋は機嫌悪くすると思うぜー」
「…約束を破るのは、本当に申し訳ないと思ってるんですけど…」
「いや、そっちの方じゃなくてよ」
恐縮する啓太に、丹羽は苦笑する。
「啓太は、奴のお気に入りだからな。遠藤と出かけるのを優先って、そりゃあ気も悪くするだろ?って話だ」
お気に入り、なんて。
そんな事あるはずがない。
啓太が行くより、丹羽がいた方が、仕事も進むし、ずっと嬉しいに決まっている。
そんな気持ちを、笑って緩く首を振るだけで示して。
「明日は学生会室に行きますし、そうしたら、中嶋さんにはまたちゃんとお詫びしますから」
啓太が口を開くのを遮るようにして、和希は丹羽に言い放ち、そして、啓太の手首を握って引いた。有無を言わさず、とでも言った風なその様子は、全くいつもの和希らしくない。戸惑う啓太にも気づかぬまま、丹羽に軽く一礼し、和希は身を翻した。



「…ねぇ、和希…」
啓太の手首を掴んだまま、足早に進む和希に、啓太は躊躇いがちに声を掛ける。それで、和希は我に返ったようだった。
「あ…、ごめん…」
己の行動に、初めて気づいたのかもしれない和希が、掴んだ手を離した、その手を今度は啓太が握りしめる。こっちが正解だと示すように。和希が謝る事なんかひとつもないんだと、そう告げるように。
「俺ね。マックのポテトが食べたいな」
急な話題転換に、和希が目を瞬く。
「時々、無性に食べたくなんない?ほら、特にこの学校の食事って、美味しいんだけど、体によさそうなものばっかりじゃん。あの、脂っこかったり、しょっぱかったりする、体に悪そーなのを、口がほしがってるって感じがするんだよね。てかさ、あれは本当に、何か入ってるんじゃないかな。中毒になるような何か」
ジャンクフードの麻薬めいた魅力を切々と語る啓太をただ、まじまじと見つめているのみの和希だったけれど。
それでも、ぎゅっと握ったままの手は、啓太の気持ちを雄弁に語っていて。
「…それじゃあ、今日はマクドナルドだな」
しょうがないな、と言いながら、悪戯っぽく和希が微笑う。
「うん。俺が奢るから」
前に一緒に行った時、和希が「初めて食べた」と言っていた、それでも「美味しい」と言っていた100円のハンバーガー。
仕事サボらせたのは、俺だよ?という和希に。
誘ったのは、俺だもん、と啓太は返す。
「いいんだよ。和希に、ご馳走したい気分なんだから。素直に奢られなって」
和希は大人で、啓太は子供で。
和希は大金持ちだけど、啓太はそうじゃなくて。
だけど、そんな事は関係ないんだ。気持ちの問題ってやつなんだから。
そんな思いが伝わったのだろうか、和希がふんわりと微笑う。啓太の大好きな、幸せを表したような、その微笑み。
えへへ、と照れたように笑い返して。
「…ありがとう」
和希には聞こえないだろうくらいの声で、呟いた。

本当は、少し、学生会室には行き難かった、なんて。
和希に言う訳にはいかなかったから。

握りしめた手が温かくて。
胸の奥まで、ほっこりと暖めてくれる。
和希はいつも、啓太の居場所を作ってくれる。
いつだって、啓太を肯定してくれる。
甘やかされ放題な自分に半ば呆れてしまうけれど、だけど、和希の隣は心地好い。
ふわふわと暖かくて、優しくて。ずっとこうしていたいと思う、冬の朝の布団の中みたい。
「…俺、和希の事、好きだなぁ」
「俺も、啓太の事、好きだぞ?」
「そっかぁ。それじゃあ、俺達って、両思いだね」
「そうだな」
苦笑するみたいに、和希が笑う。こんな軽口にもつき合って、合わせてくれる。
そんな優しさが嬉しくて、胸に染みるようで。
もう一度、握りしめた手に、力を込めた。

いつも、一緒にいたい人。
ずっと、触れていたい人。





こんな風に抱き合って。もう幾度となく、一緒の時を過ごしたのに。コトの最中、あの人の腕にしがみついて、そんな事だって幾らもあるのに。
それでも、決して触れられない人。

迷惑に思われるだけだと、判っている。
だけど、一切合切、残らず全部、差し出して。
そんなの、あの人にだけなんだと。
他の誰にも、こんな事、させたりなんかしないんだと。
あの人は、決して、気づかないんだろう。



 ◆→ NEXT






 ◆◆ INDEX〜FREUD