2000年度 阪上ゼミ報告書
U. M. S. H.
U: さあ、始まりましたね。
S: そうですね。この"はじめに"のスペースでは障害児教育について調べようと思ったきっかけをみなさんに知ってもらいましょうか。まずUさんのきっかけは?
U: 私は以前から町田市内にある障害児の学童保育所でボランティアをさせてもらい、そこでの職員さんや保護者の話とか、子ども達とふれあうようになって初めて障害児の学童保育の存在を知ったのがきっかけでした。
S: そうですね。実際に子どもたちにふれあう事は楽しいし、色々な障害についての理解もできて勉強になるよね。私も知的障害児施設の保育ボランティアをして、障害児だけでなく地域の子ども達との交流ができないものかな?と思ったのが学童保育に興味を持ったきっかけです。
U: そうだね。障害を持っていない子どもたちが集まる場所はいっぱいあるけど、障害を持っている子どもたちが学校(養護学校)の放課後に集まる場所なんて全国でも数えるくらいだよね。ましてや障害の有無に関係なしに子どもたちが自由に学んで遊べる場所なんてほんのわずかですよね。
S: 春から障害児の学童保育について調べてきたけど、障害の有無に関係なく安全に楽しく放課後を過ごせる場所ってなかなかないから、そういう場所が増えていくといいなって思います。やっぱりスペース海(後述)みたいな活動は特殊なのかな?スペース海の職員さんが言っていた"共育"はすごく素適な考え方だと思うんだけど。
U: "共に育つ"っていう意味の"共育"だよね。子どもたち同士だけじゃなくて、指導する側も子どもたちから学ぶ事はあるんだね。まさに"共育"は人として何かに気づく、とても大切な環境だね。
S: そうだね、それではそろそろ学童保育や子どもたちの障害について説明しましょう。まずはスペース海についてからです。
U: それではまた、"終わりに"でお会いしましょう。
『スペース海』は不登校児や障害児と共に活動をしている施設です。平成12年の時点では『スペース海』に関わる約60人の子どものうち障害児は25人で、障害の種類は自閉症、ダウン症、水頭症などです。これ以上の規模拡大は考えていないそうです。年齢制限はありません。
@6月23日
@の返信メール 6月27日 (スペース海の職員Nさんより。)
A7月3日
Aの返信メール 7月3日 スペース海の職員Nさんより。)
この後は電話で日程、時間について連絡したのでメールでのやりとりは以上で終了した。
ここではスペース海の職員さんに伺った話をみなさんにお届けします。
<スペース海の方針>
子どもに対しては、できない事をできるようにしようとは思わず、できる事をのばしようにし、そして一緒に喜ぶようにしている。障害児をできない事の多い存在として接しない。子どもには向かい合う大人が必要だと思う。そして、「経験の積み重ね」させてあげたいと思っている。スペース海のスタッフしては子どもをスタッフ側にあわせるのではなく、スタッフが子ども一人一人に合わせてどこまで変わっていけるかを考えている。親に対しては、子どものありのままの状態を認めながら、それでもあきらめない親でいようというメッセージを送っている。自らの体験も含め障害児の親は、子どもに障害があるとわかる→普通に近づけようとする(治療教育:療育)→「この子はダメなんだ」というあきらめ、という道をたどりがちのようなので「ありのままを受け入れながら、あきらめない」という方針でいる。
<過去からの現在に至るまでに苦労した事(している事)>
お金の苦労が一番大きく(常時活動の助成は受けていない。だから自由な活動ができるという面もあるが)、スタッフへの保障をきちんとしていかなくてはならないと考えている。他には子どもの状態によって親の考え方が違う事。
<スペース海があって良かったと思う事>
様々な人たちとの出会い。来ている子どもたちの役に立っているという想い。その子どもたちから力を得て、自分の子どもへの関わり方に還元できていること。
<将来の展望>
管理的になりたくないので、設備的にも人数的にも規模の拡大は考えていない。スペース海自体は昼間にワークホーム(小規模作業所)になることや、グループホーム化を考えている。これは今、来ている子どもたちの卒業後のことを考えてである。構想は昼間は作業所、夕方は個別指導、夜は学習塾として活動する事である。これを縦のつながりとすると、横のつながりとしての将来への望みは全国各地にスペース海のような活動をする場所、拠点が増えていく事である。方針や理念に違いはあっても常に確認し、どこで重なっているのかを知りながら進んでいきたいと考えている。
全国には以下のような知的障害児の学童保育の施設があります。その中からいくつか紹介します。ほんの一部分ですがもっと詳しく調べてみたい人は知的障害児のH・Pをご覧ください。
町田市で親たちにより運営される障害児学童保育のHP。障害児の親たちが自分たちの手でつくった障害児のための放課後活動の場所で、"学童保育的な施設"といえる。
障害をもつ子どもたちの学童。『放課後の文化的な活動』を中心に活動しており、内容は絵画、陶芸、野菜作りなど。
親でもない先生でもない大人や地域の子どもと関われる場所、家で過ごすことが多い放課後を楽しく遊んで過ごしている。
札幌市内最大の共同学童保育所「しらかば台つばさクラブ」のHP。現在は1〜6年生までの小学生72人が入所し、そのうち7人の障害児を受け入れている。
東京都昭島市で活動する障害をもつ子どもの親たちの自主グループ。HPには来年度から障害児のための学童保育について準備できるようになったとある。一番の問題は場所の確保とも書かれている。
月曜日から金曜日まで土浦養護学校とつくば市内の公立小学校の障害児が通っている。保育方針は自然に親しみ身体作りをすることにより発達を促すこと。また障害を負っていない子どもとの交流も保育目的の一つとある。
自閉症という名称は今から50年以上も以前にカナ−というアメリカの小児精神科医がそれまで知恵遅れとされていた子どもの中に人との情緒的接触の障害を特徴とするものが存在すると報告したのがはじまりです。1960年代になると発達障害の一種だと診断されるようになりました。
見る・聴く・触る・嗅ぐ・といった知覚を理解する事の障害、周囲の出来事を見たり聴いたりして、その出来事の意味を知る機能である認知といわれる働きの障害によって精神機能の発達に遅れや偏りが起こっています。つまり自閉症は脳の障害が原因でおこっているのです。育つ環境に問題がある訳ではありません。
「自閉症」は「自閉的」な「心を閉ざした」子どもの発達経過ではなく、「自閉症」という病気(障害)を負った子どもの発達経過なのです。
では代表的な症状を挙げていきます。
治療法は現在のところ確実なものがありません。しかしコミュニケーションをとるために物を介さずに身体を触れ合って遊ぶ必要があります。
乳幼児期には場面を説明するような言葉かけをしたり、全身の筋肉を使うような遊び(三輪車、ボール遊びなど)をすることがポイントです。
学校では個別指導が基本ですが、状態と課題に合わせてどのように集団に入っていくかを計画的に考える必要があります。
青年期になると自分の欠点を認識するようになります。ゆっくりとていねいに状況を説明したり、その人が困難に感じていることの解決策を具体的に教えていきます。
自傷行為や乱暴・興奮が強い場合や、不安感・敏感性が強く厳格・妄想状態になっている場合、睡眠のリズムが乱れている場合には向精神薬や睡眠導入役を使用する事もあります。
ダウン症は、正式の名前をダウン症候群といいます。この名前は、1866年、イギリスのラングドン・ダウンという医師が由来しました。ダウン医師は発達の遅れを持つ子供の中に両親は違っていても、兄弟のようによく似た子供達がいることを発見しました。顔は、彫りが深くなく、頬がまるく、目尻が上がっていてまぶたの肉が厚いこと、また体は小柄で、柔らかく、髪の毛もカールではなくてまっすぐ薄いことなどです。それが、モンゴリアン(蒙古人)と似ているとして、それが、ダウン医師はヨーロッパ人のなかでに能力の劣った蒙古系の人種が生まれてきたと考えました。そしてモンゴリズム(蒙古賞)という名を付けたのです。しかし、これは間違いです。ダウン症は人種の違いではありません。蒙古人やアジア人に多い障害でもありません。世界中どの国にも、どの人種にも、ほぼ同じ割合で現れる障害なのです。
1959年に、フランスのレジョーヌによって、ダウン症児は何らかの原因で染色体がひとつ多いことがつきとめられました。1968年になって、最初に研究発表をしたダウン医師の名前をとってダウン症とする事に決まりました。今では蒙古症という呼び名は使われていません。ダウン症の赤ちゃんは生まれつき障害をもって産まれてくるので、遺伝だと思っている人もいるかもしれません。でも、決してそうではありません。卵子や精子がつくられるときに、染色体が一個ずつに分かれなかったためです。誰に責任があるというのではなく、人間が生物である以上、避けられないことなのです。ダウン症児は、平均して1000人に一人の割合で生まれてくる、という統計があります。
ダウン症の子は発達がゆっくりしているために、多くの障害のない子供達の勉強の速度についてゆけません。よくわからないのに、学年だけが、すすんでいくのでは、本当の意味がありません。
ダウン症の多くの子供達の多くは、養護学校か、ふつうの学校の中にある障害児学級で学んでいます。ここでは、ひとりひとりの発達にあった教育が行われています。みんなと違う学校や学級で学んでいるために、知的発達に遅れのある子は何もわからないのだ、と思いこんではいませんか。たしかに今まで長い間、知的障害児は、学校教育を十分に受けることができませんでした。そのため、読み書きができない子が多かったのですが、それは、わからないのではなく、ゆっくりと教えてくれる学校がなかったからです。今は読み書きのできる子が、とても多くなっています。
また、赤ちゃんの頃から障害を軽くする訓練をしたり保育園に通うようになったため、ダウン症児の発達は、以前に比べてとてもよくなりました。障害児もふつうの学校で、障害のないこと一緒に遊べるようにしよう、そのために様々な援助やくふうしようという動きもすすんでいます。現在、日本で行われている交流教育は、障害のある子とない子のふれあいの場をつくることによって障害のある子には社会性の発達を、障害のない子には障害児にたいする正しい理解を進める目的としています。
*おすすめ映画「八日目」・・・働きづめのサラリーマンとダウン症の青年の心の交流を美しい映像と音楽で表現した映画です。ぜひご覧ください。
水頭症と聞くと"頭の中が水浸し?"というようなイメージが湧きませんか?ところが実際には髄液の産生(普通、「生産」と言いますが、医学の世界では「産生」と言います)・循環・吸収などの異常により、「脳室が正常以上に大きくなった状態」を指します。髄液が正常以上に産生されその吸収が追いつかないとき、あるいは何らかの原因で(生まれつき、あるいは生後二次的に)髄液の循環路が閉塞したりすることによって、脳内に過剰に髄液が貯留して水頭症になります。
次に水頭症の原因を年齢、病気との関係で見てみましょう。主な代表的疾患を示します。
続いて以下、年齢ごとに代表的な症状を挙げてみます。
ではこの水頭症をどうやって治療するかです。現在では水頭症に対しては外科的治療が主流です。水頭症に対する手術の代表は「シャント」(shunt)です。シャントとは「短絡」という意味で、脳で吸収されなくなった髄液を身体の別の場所に管で短絡させて吸収させようとするものです。短絡先として最もよく使われるのはお腹です。脳室とお腹を結ぶシャントを正式には「脳室腹腔短絡術(シャント術)」と呼びます。英語でいうと"vetriculo-peritoneal shunt"、略して「VPシャント」と日本でもよく呼ばれます。これとは別に、脳室と心臓をつなぐシャント術もあります。お腹の大きな手術をしたことがあったり、シャントに使うチューブからの感染によって腹膜炎を起こしたり、あるいは管のお腹の方が何度も詰まって、もう新たに管を入れるところがなくなったりしたときには腹腔へのシャントができません。この場合は、首のところの静脈から心臓に管を入れて髄液を血管系(静脈)に戻す手術を行います。これは「脳室心房短絡術(ventriculo-atrial shunt: VAシャント)」と呼ばれます。今から3〜40年くらい前は、VAシャントが中心でした。しかしなんらかの感染を生じると血管が詰まったり、あるいは血管を介して感染が全身に拡がり、時にはそのため腎臓に重篤な機能障害を生じて命取りになったりすることがありました。ですから現在VAシャントを使うのは特別な時だけと考えて下さい。それはともかくシャントが水頭症の治療に大きな役割を果たしたことはいうまでもありません。しかし一方で、シャント手術にまつわる様々な合併症が患者さんを一生苦しめることも事実です。アメリカの脳神経外科の世界では、"Once shunt, always shunt."という言い回しがあります。「一度シャントをいれたら、一生シャントをはずすことはできない」という意味です。水頭症そのものは悪性の病気ではないのに、シャントを入れたらそれがいつ詰まるかという問題を常に心配していなければなりません。特に患者が女性の場合には、妊娠時にシャントの機能が悪くなることがあり、赤ちゃんを生むのが命懸けになってしまいます。ですからシャントなしで水頭症を治療することは水頭症に携わる医療関係者みんなの夢でした。そんな夢を実現させてくれたのが、「内視鏡的第3脳室底開窓術」という新しい手術法です。手術では内視鏡で覗きながら第3脳室の底に穴をあけて脳室内に貯まっていた髄液を脳表に流れるようします。いわばバイパスをつくるわけです。バイパスを通過した髄液は正常の循環路に入り吸収されていきます。日本でもこの手術はこの5年ほどのあいだに急速に広まってきています。経験のある脳神経外科医の手によって手術されれば、まず合併症もなく安全に行えます。しかし、残念ながらこの方法は全ての水頭症に行える手術ではありません。この手術の恩恵にあずかれるのは、正常の髄液の循環路が障害された閉塞性水頭症の患者に限られます。髄液の吸収が障害されている交通性水頭症ではやはりシャントが必要なのです。
U: みなさん、いかがでしたか?誰にでもできる障害児共育を理解していただけたでしょうか?
S: 私たちもこのレポートでいろいろな事を勉強しました。私は特に水頭症についての理解が深まりました。調べる前は何も知らなかったのですが、代表的な疾患や症状がわかりました。Uさんはどうでしたか?
U: 実際にダウン症の方と触れ合ってみて、とても楽しかったです。音楽の乗りもよくって、おしゃべりで明るい方が多いですよね。その方は、世話好きで、色々身の周りのことをやってもらったりと、こちらがお世話してもらったりなんかする場面もあったり・・・(笑)Sさんはそんな経験はある?
S: (笑)保育ボランティアの時は子どもたちに元気をもらったよ。みんな明るいし、元気いっぱいだったし。子どもたちが障害に関係なく交流できて、楽しく遊べる場所が増えていかないかな?どうすればいいと思う?
U: んー?難しい問題だよね。障害の有無関係なく、どれだけのひとが、関心があるかだと思うよ。スペース海のような場所をつくろうと思ってもなかなか、それについてくるお金が無いというのも問題のひとつだよね。でもお金があるから、実行するのではなく、場所をつくりたい増やしたいっていう、こころが大切だよね。
S: やっぱり何をするのも気持ちは大事だよね。障害について理解しようとか、積極的に関わろうという気持ちが行動を起こしていくのかな?このレポートが興味を持ってくれる一助になるといいなと思います。
U・S: みなさんに私たちが伝えたかったメッセージは届いたでしょうか?
U: この私たちのレポートをご覧になった後に、皆さんがどんな感じ方をしたかはわかりませんが、誰にでもできる障害児共育という意味を少しでも考えていただければ嬉しいです。
<参考資料>