宿題2 皆さんの成果

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宿題2の指示内容

 図書館の分館にある、新聞の縮刷版(どの新聞でも良い)のあなたの生年月日の紙面の中から印象に残った記事をひとつ選び、日付、新聞名、頁、記事のタイトル、記事の要約(100字以上)、あなたの感想(50字以上)を書きなさい。

<書式の例>

1967年1月4日、日本経済新聞、23頁

「総理大臣、官邸の池の氷でスケート三昧」

(記事の要約を100字以上)

(あなたの感想を50字以上)


1978年3月3日、日本経済新聞、6頁

「コスタリカとシンガポールに八百半デパート出店」

 中堅スーパーの八百半デパート(本社熱海市、社長和田一夫氏、資本金五億二千五百万円)は中米のコスタリカ、シンガポールに相次いで出店することを決めた。特に、シンガポールへの出店は三店目で、これが開店すると、同社とシンガポール政府の合弁会社、シンガポールヤオハン(社長和田一夫氏、資本金三百万シンガポールドル、八百半の種子比率四五%)は年間売上高一四〇億円、約一五〇〇人の従業員を持つシンガポール最大の小売業になる。

 ついこの間経営が事実上破綻した八百半が私が生まれた当時どんどん世界に進出して行こうとしていたことはこの新聞を読んで初めて知りました。

  

1978年8月15日(火) 朝日新聞 夕刊 7ページ

  『戦争の悲劇』いま身近に

 東京の日本武道館に猛暑の中5千七百余人の遺族が集まり全国戦没者追悼式が行われた。敗戦後33年目の終戦記念日、訪れる人々の高年齢化と共に「孫」達の列席が目立つようになってきた。大部分が押しつけられてやってきた人達でした。参加して戦争についてもっと知りたい、と思う人もいれば興味のないという人もいて様々な形で受け止めていた。

 8月15日といえば終戦記念日。毎年追悼会のニュースが流れているがやはりこの年も新聞に載っていました。ここに参加している若者もほとんど戦没者をあまり知らない人が多くそういったことでも現代の若者と酷似していると思いました。興味のある人だけ知っていてないひとは全然知らない、そんなところがです。私は何から何まで知っていなくても、戦争が何をもたらしたか、どれだけの人が死んだかそれだけを知っていればいいと思います。そのためにもずっと追悼式は続けてほしいです。

  

1978年4月7日、日本経済新聞、23頁

「ヤングに”負けた”ヤング商法」

 経営再建中だった紳士服大手製造卸のヴァンヂャケットが、6日午後、事実上倒産した。アパレル業界の倒産としては過去最大で、負債総額は五百億円にのぼった。ヴァンは、39年から40年代始めにかけて、ヤングの間に「アイビールック」を大流行させたが、ヤングの移り気ファッションを読み切れず、倒産した。

 19年前といえば、かなり昔のことの様に思えるが、新聞を読む限り、日本は良くも悪くも今とあまり変わっていないようにおもわれた。

  

1978年7月13日 日経新聞より

「日産、米向け車種を一新」〜付加価値高め円高克服〜

 米国における日本車種がこのところの円高値上げにより急落を見せている為、日産自動車はその影響を最小限にくい止めるため、秋より売り出す七九年型車のモデルを一新し、対米輸出専用車に仕立てあげる動きだ。

わたしの感想
 
円高対策、しかしこの当時は1ドル200円です。私はこのレートに驚きましたこれでは旅行に行けないですね。

  

1978年10月22日 朝日新聞 17頁

「古い酒はうまい」

 日本酒は冬に仕込んだものを翌年の秋飲むのが一番うまいとされていた。しかし、通の間では精選した米を使い低温で熟成した吟醸酒は、三年目がうまいと昔から言われていた。そこで品評会を行った結果、古い酒でも独特の深い味わいと香りをかもしだし、古い酒ならではのうまさを発見する事が出来た。

 わたしは大学に入ってから酒を飲み始めた。しかし、まだ酒が美味しいとは思わない。それはなぜなのか?古い酒を飲んだら美味しいと思うだろうか?この記事を見てそう思った。

  

1978年11月10日(金曜日)

 八月十日に東京から始まった展覧会「アンネの日記」展に過去十会場に入場した人は、三十万だった。入場者は女性が圧倒的に多かった。年齢別ではアンネと同じ十三ー十五歳の中学、高校の女性が目立った。ユダヤ人としてのアンナの置かれた立場、それと戦った彼女の強烈な精神とたゆまない表現能力に入場者は涙した。

 この記事はあまりニュースと言える記事ではありませんが、印象にのっこったので選んでみました。以前、私は「シンドラーノリスト」という映画を観ました。私達の世代は知らない時代を恐ろしいと思いました。

  

1977年11月10日、日本経済新聞(夕刊)

 「マナーが必要」

 最近、スーパーやデパートなどでの、消費者の買い物マナーについて、小売店からの批判の声が強まっている。子供に「お菓子を買って」とせがまれると、店のたなから適当にとり、その場で開けて食べさせる親もいる。このような客が1部にいるばかりに、結局そのツケは商品の値上げというかたちで消費者に回ってくるのである。

 こういうことが私が生まれた頃からすでに問題になっていたのだ。今でも我々消費者のマナーが良くなったとは言えないと思う。私もその場で商品の袋をあけるようなマナー違反は絶対したくないと思った。

  

1978年9月15日、日本経済新聞、13更

 「病める先進社会」

 欧米の先進社会では、犯罪、交通事故、離婚、自殺、ストライキ、失業などの「先進社会病」に悩まされている。わが国は今のところ比較的良い状況にあるものの、決して予断を許されない。平凡で所得も高い人達が起こすケースが多いところに、先進国における社会病理の特色がある。

 私の産まれたときには、まだ日本は平和だったんだなぁと思いました。今の日本は犯罪がとても多く、欧米をどうこう言える立場ではありません。離婚率も着実に高くなっています。この頃の人は日本がこうなるなんて予想もつかなかっただろうなと思うと、すごく時代の差を感じます。  

  

 1978年12月25日、日本経済新聞、?項

 「マーガリン生産 急増」

  マーガリンの生産量がこのところ急増している。マーガリン(家庭用)と消費の相関度が高い食パンの消費が低迷しているのだが・・・・。業界によると(1)バターの需要がマーガリンに置き換わっている (2)食パンだけでなく料理用の需要が広がった−などがマーガリンが伸びた理由だが、もう1つ、円高の影響でマーガリン製品が値崩れし、それが消費拡大につながった面もあるという。

 今時当たり前のように私たちの食生活に登場するマーガリンも、私が生まれた当時が生産の最盛期だったのかもしれない。毎朝パンを食べて学校へ向かう私にとってマーガリンは良き友である。昔は、マーガリンは高級品だったらしい。それを、今、簡単に買える時代に生きていて、私たちは恵まれているのだろう。 THE END

 

1977年4月30日 朝日新聞 夕刊

 臨時長崎県議会は四月三十日、本会議を開き原子力船「むつ」の佐世保での修理は「核燃料体抜き」を正式に決めた。政府が昨年二月久保勘一長崎県知事と辻一三佐世保市長に「むつ」修理を要請してもらい一年二ヶ月。長崎県は原爆被爆県、全国有数の水産県という特殊事情をもとに、既に核燃料体付き修理を決めている佐世保市とは異なる結論を出した。が辻市長も「政府から改めて要請があれば、拒む理由はない」と行っており政府は長崎県の報告を下に、早急に:核抜き:の場所を決め長崎県と佐世保市に修理を再要請するものとみられる。

 私がこの事件を扱った理由は、今「もんじゅ」などの核開発問題が大変問題になっているからである。私は、核開発に賛成である。だがこのような事件が続くようではせっかくの核が台無しになってしまう。唯一の被爆国の日本として責任ある行動を政府にとってもらいたい。

  

1978年7月7日(金) 日本経済新聞 23項

「国鉄、あすから値上げ」

 八日からの国鉄運賃値上げを前にした六日夕、東京駅など国鉄の主要駅は通勤、通学定期券や新幹線などの回数券を”先買い”する人たちが並んだ。今回値上げされるのは、特急、急行などの料金を除いた運賃と入場券。国鉄運賃は「近距離ほど割高になる」仕組みになっているため、最低運賃は現行六十円から八十円に、現行七十円区間も百円になるなど、近距離の平均アップ率を上回る値上げになっている。

 私が生まれた頃は、国鉄だった。JRになったのはいつだったかなと思う。運賃が値上がりして80円とか100円とか言っているのがとても時代を感じた。TV番組表を見たら、キャンディーキャンディーが、リアルタイムでやっていておかしかった。以上

  

1978年12月29日、日本経済新聞、1項

 国債依存は39.6%程度

 政府は28日臨時会議を開き、54年度の「予算編成方針」「経済見通し及び経済運営の基本的態度」を決めた。大蔵省はこれに伴い、来年度の一般会計予算の歳出規模を38兆6千億円程度、国債発行額を15兆2千7百億円とする大蔵省案を固めた。年明け後、1月5日に各省庁にないし、復活折衡を経て11日に政府原案を決める。

 今年の予算に比べてかなり少ない予算であるのに気づいた。これを考えると日本がどれだけの早さで発展していったのかがよく分かっこれからも伸び続ければいいのですが・・・。 

  

1978年1月17日、朝日新聞

『歌え』と刺す、大学生けが

 16日午前3時50分ごろ、東京都三鷹市に住む、亜細亜大学法学部4年中園和久21歳方で、遊びに来ていた同大3年の藤野隆さんと中園が喧嘩となり、藤野さんは包丁で背中、顔などを刺され3ヶ月の怪我。三鷹署員が中園を傷害の疑いで逮捕した。調べによるとコンパの後、中園宅に飲み直しに行き中園が藤野さんに、歌を歌うように強要したがこれを拒んだことに、「生意気だ」と喧嘩となり帰ろうとする藤野さんに襲いかかり、居合わせた2人が止めに入ったがまにあわなかった。

 僕は、酔った勢いで人の足をかんだことがありますが、多分僕だったら刺さなかったと思います。これから、飲み会とかが沢山あると思いますが、酔った勢いとはいえ犯しては行けない過ちをしないようにしていきたいと思います。

 

1978年12月8日 日本経済新聞  1頁

「私鉄、20日値上げへ」

<要約>大手私鉄13社の運賃値上げを審議していた運輸審議会は7日、普通運賃、定期を合わせた13社平均で12.8%の値上げはやむを得ないとの答申をまとめ福永前運輸相に手渡した。これにより、初乗り運賃は一部の特殊線区を除いて70円となる。

<感想> 70円!! 今、自宅近くを走っている私鉄(京王帝都電鉄)だと、初乗り130円。うーん、この19年間で60円UP! これは大きい。だけれども、その分物価も上がっているわけで、やはりそれはやむを得ないのかも・・・。しかしそんな中、京王線が今年から来年にかけてなんと運賃の値下げを実施。新宿〜京王八王子間、400円が350円に。JRだと同区間で450円だから大きな差が開く。やっぱり乗るなら京王線で決まり。京王線の宣伝ぽくなってしまってすみません。(^_^;) 

 

1977年10月27日、朝日新聞、23頁

[UFOでは?夜空に光るオレンジ色物体」

 26日の夕方、約10分間にわたり、極めて明るいオレンジ色の物体が北海道から関西にかけて夜空を飛び、各地の天文台、気象台、県警本部などに問い合わせが殺到した。が、天文学者やアマチュア研究者たちは、いん石か寿命のつきた人工衛星が落下したものではないか、とみている。

 私は<UFO>を見たことはないけれど、2、3年前に、妹が「昨日、寝てるときに宇宙人が、私をさらいに来た。」と、寝ぼけたことを言っていたのを、思い出しました。 

 

1979年2月2日(金) 日本経済新聞

「ライオンズが来た街 所沢」

 九州・福岡からはるばる千二百キロ、西武ライオンズが埼玉県の住宅都市、所沢へやってきた。首都圏のベッドタウン所沢は、プロや球場の誕生で、街の表情を変えていく。しかし、交通問題をどうするか、など、それまでに解決しなければならない懸案は多い。

 ライオンズははじめから所沢のチームだと思っていたので、驚いた。自分が生まれた日の新聞を読んで、小さな発見があり、面白かった。ちなみに私は、西武のファンではなく、巨人ファンです。

  

1979年1月9日(火曜日)、日本経済新聞朝刊より

「陸上競技場の改装、美津濃が仮契約」

<要約> 美津濃が、中国で最大規模の「北京市工人体育場」(収容人員約8万人)と「北京先農壇(せんのうたん)体育場」(収容人員約3万人)の陸上競技場のトラックなどを改装することになった。工期は3月上旬から9月末までで、受注額は約2億円であった。どちらの競技場も1977年くらいに完したが、競技場のトラックと各種助走路が使いものにならなくなったらしい。

<感想> 私は、高校まで陸上競技部だったので、この記事に1番に目をひかれた。トラックは土のグラウンドだったかもしれないけど、助走路には普通、「オールウェザー」と呼ばれるゴムのグラウンドが使われる。これがまた、とても高価だったりする。1平方メートルで、何百万円とするそうだ(現在は)。故に、現在では、とても2億では工事できないだろうと思った。 最後に、美津濃とは、今あるメーカー「mizuno」のことであろうか、と言う疑問が残った。

  

1978年(昭和53年)9月23日 土曜日  朝日新聞

P15 『家庭』 「若返りの妙薬」 老人結婚相談室 繁盛記

 神奈川県立老人福祉センター(横浜市)の「茶飲み友達相談室」と小平市の「老人結婚相談室」が繁盛しているという。50年度に65歳以上の住民実態調査をしたところ、「孤独を感じる」が最も多く「家、金はあってもつれあいがなくわびしい」などがあった。そのため、これを目玉商品とした。この結果、「茶飲み友達ができて元気になった。」「病気をしなくなった。」「生きるはりができた。」など好評。長寿国日本、長い老後を支えあえればいいのではないか。

 こんな前から、このような活動を行っていたなんて、すごいと思いました。年をとるだけでも、孤独を感じやすくなるのに、つれがいないのは寂しいことです。そうすると、ぼけてしまったり、感情を素直に出せないようになります。このように、人と接したりときめいたりすることが若さを保つ秘訣なのでしょう。今でこそ、老人の再婚にも抵抗がなくなってきたけれど、当時は批判もあったことだと思います。これからは、老後の幸せもいろいろ道が増えて、長寿国日本の高齢者がみんな幸せだと思います。

 

 1977年11月15日 日本経済新聞 2

「円、高値更新245円」  

 高騰を続ける円は15日東京市場でも寄りつきで245円まで急騰、同市場での最高値を更新した。円が一段と値をあげたのは我が国の「黒字減らし」が一向に進まないため、円の先高観がいぜん消えていないことが主因と見ている。

 自分が生まれたときこんなに円が安いなんて信じられない。親はこの時期に海外旅行したなんてすごいお金がかかったと思う。

 

1978年1月13日、朝日新聞、7頁

「アルジェリア大統領突然ソ連を訪問」[モスクワ12日=新療特派員]

 アルジェリアのブーメジエン大統領(革命評議会議長)は、12日午後(日本時間同日夜)シリアのダマスカスから空路モスクワを突然訪れた。ブーメジエン大統領は最近、アラブ諸国の歴訪を終えたばかりであり、ソ連首脳と会談し、エジプト、イスラエル、米国主導型の中東和平への対抗策を探るものと見られる。

 この日、私の生まれた穂は13日の金曜日、そして仏滅でした。特にこのニュースに興味があったわけではありませんが、今のロシアがまだこの頃はソビエト連邦なんだな、と思いました。

 

1978年 4月17日 日本経済新聞 1頁

 日中条約交渉の再開「尖閣」避けて通れず

 安倍官房長官は17日午前の記者会見で、中国漁船団による尖閣諸島領海侵犯事件の処理について「(尖閣諸島領有権問題の)タナ上げは考えていない」と述べ、日中平和友好条約締結交渉再開に当たって尖閣諸島領有権問題は避けて通れない、との考えを明らかにした。

 尖閣諸島領有権問題は、ついこの間話題になっていたが、この頃からすでに問題になっていたとは驚いた。日中平和条約を再開するには、尖閣諸島が重要な鍵になっていることがよくわかった。

  

1978年12月11日、日本経済新聞、18頁

「聞き捨てならぬ車内CM」

 「車内に流れるCM放送は、それを聞く気のない乗客にとっては苦痛。人格権の侵害だ」と、東京と大阪で最近、相次いで車内CM放送の差し止めと慰謝料を求める訴訟が起こされた。訴えられたのは、小田急電鉄、帝都高速度交通営団と大阪市営地下鉄。CMは沿線行楽地の四季おりおりの情報、駅周辺の商店街やデパートなどのガイドなどを約5秒間でアナウンスするというもの。被告側は、「CMは好評を得ており、乗客に不快感や苦痛を与えるとは思えないので中止はしない」と受けて立つ構えだが、音に対する感じ方は微妙な個人差があるだけに、裁判所がどのような判断を下すか注目されている。

 私は小田急線をよく利用するが、車内広告など聞いたことがない。ということは、この裁判で勝ったのは、訴えた方だったのだろう。確かに車内で聞きたくない音が耳に入ってくるのは苦痛である。今でもこういう事はよくある。ただ、現在これに当てはまる音といえば、ウォークマンやPHS。‘時代は変わったなぁ’としみじみと感じた。

 

1978年3月20日、日本経済新聞、9頁

「お掃除革命」

 放っておけば勝手にあちこちを動き回って、掃き清める、ふき取る、吸い取るなどの能力を発揮して床面を掃除してくれる自在走行ロボットがお目見えした。清掃ロボットはこれまで窓拭き用がかなり普及してきているが、屋内だこれだけの機能を果たすのは世界でも初めて。ビルや公共施設の清掃に従事している人は現在50万人を越すと見られているが、夜間作業が多いこともあって人数も不足気味だしコストも割高。このロボットが“お掃除革命”の先兵になるかもしれない。

感想 自分が生まれた時代にもうこんなものが開発されていたなんて、ちょっと驚きました。そのうち家庭版清掃ロボットができるかもしれませんね。 

 

1976年1月4日、日本経済新聞、3頁

「高齢者の失業急増」

 景気が回復しているにもかかわらず、定年後、再就職のできない失業者が急増している。経済企画庁が総理府発表の労働力調査報告をもとに最近の年齢階層別の失業状況を分析したところによると、本年七月現在で五十五才以上の完全失業者は前年同期に比べると70%増にものぼっていることが明らかとなった。

感想 仕事を生き甲斐としていた仕事人間がまだこれからと言うときに、突然の解雇で仕事がなくなり目標をなくしてしまって、気の毒におもった。

 

1979年3月9日  日本経済新聞  291頁

「インド洋に新艦隊  米が検討  中東の安全保障へ」

 米国防総省が明らかにしたところによると、カーター政権は新たに「第五艦隊」を編成、インド洋に配備する事を検討中。これは、ソ連の中東・アジアへの「南下政策」が最近顕著になっていることに対応。とくに米国は、1 中東の政治的安定に重大な関心を示している。 2 ペルシャ湾からの原油輸送路の守備を決意。この二点を内外に示す為の計画である。

 米ソ冷戦終結と叫ばれている現在。そして、私が生まれた年では、米ソ対立の真っ最中。当時は中東地域においての石油利権争いは熾烈を極めていた。当時の記事の、根底にある重な内容は、米ソ間の石油利権争いが当然のごとく行われていた、と言う事実であると思われる。

  

日本経済新聞 1978年5月3日 17頁

「広島、3連勝!!」

 今期の広島は巨人と対戦するときいかにもはつらつとしている。本拠の広島で連勝した余勢をかって、この日の後楽園でも投打の主軸が頑張り、これが最下位に低迷するチームかと思うほどのあざやか試合運びで巨人に3連勝だ。「高橋里がよく投げ、ギャレット、山本浩らがいいところで打ってくれた。どこか巨人をいじめないと面白くないからね。」と、古葉監督は胸を張った。

 僕はこの記事を読んで、とにかく「なつかしい!」の一言だった。この記事以外のプロ野球欄を見てみても、現・中日監督の星野仙一がまだ現役で4勝目を挙げていたり、阪神の江本がセーブポイントを挙げていたりするのである。彼らは、僕が野球に目覚める年齢まで残っていたギリギリのメンバーであり、とにかく懐かしかった。

  

1977年8月29日、日本経済新聞、11頁

「さばくをオアシスに、緑化など開発可能性さぐる」

 8月29日から9月9日までケニアのナイロビで「国連さばく会議」が開かれる。地球の全陸地面積1億4889万平方キロメートルの3分の1がさばく地帯である。さばくを国際的に見直し、進歩した科学技術の光を当てようというのがこの初めての会議のねらいである、という記事です。

 私が、゛さばく゛と聞いて頭に思い浮かぶことは、日中は40度を超え太陽が沈み夜になるとマイナスの世界になるということです。もしも砂漠が緑化されたら人口増加による土地不足解消などにつながると思います。何よりも嬉しいのが、自分の生まれた日にこのような会議が初めて行われたということです。日本を含め世界中でも、このようなことに税金が使われるのなら不満も少しは収まるのではないだろうか。誕生日が一緒なのでこれから注目していきたいと思います。

  

1977年8月9日、朝日新聞、1頁

「核兵器廃絶 長崎も訴え 恒久平和へ新たな誓い 33回忌」

 長崎市は9日、32回目の原爆忌を迎えた。年々、被爆者の老齢化が高まり、当時の状況が風化しつつあるなか、式典にはH・シャーリー・アメラシンゲ国連総会議長らが国連代表として初めて参列した。「平和は長崎から」のスローガンのもと、決意も新たに平和への願いを訴えた。その一方、長崎では今年もまた、原水爆禁止運動の統一が流れ、今もなおさまざまな問題が解決されていない点に注目の目が注がれている。この惨事を忘れないためにも広島と共に全世界に核兵器の完全撤廃を訴えかけてゆかなければならない。

 僕たち世代が知らない当時の状況が風化されつつある今、後世に2度とこのような大惨事を起こさないためにも平和の有り難さに感謝していかなければならない。そして、全世界が兵器をもたない平和な世界を夢見て1人1人が努力していく事が大切である。    

 

1979年 2月 17日 日本経済新聞、7頁

「人口血液、六人の体内に」

 ミドリ十字と神戸大学医学部はこのほど「人口血液」の健康人による臨床試験に世界で初めて着手し、すでに六人に対して「人口血液」の注入を終えた。試験に使われている人口血液はミドリ十字が五十年に合成に成功した「フルオゾールDA」、内藤良一同会長が第一号被者になった模様。すでに試験した被験者にはいまのところ自覚的副作用はないという。さらに検査を進めた上で、三月中には成果がまとまる見通し。

(感想) 近年何かと話題になっていたミドリ十字のことが記事になっていた。この当時で人口血液の実験が世界一というのには驚いた。まだこの分野は研究の歴史が浅いので、未だにはっきりしないことがあるのだろう。医学の進歩はめざましく感動させられることも多いが、問題も多い。研究する人たちはそれぞれの研究・開発に責任をもって、自分の命をかけるくらいでやるといいと思う。政府も研究に対して良い意味でもっと関与し、偉い人間ではなくて本当に賢い人間を使っていくべきだと思う。

 

1978年 6月29日  日本経済新聞  8頁

「カラーTV低調・国内出荷台数 五月も前年比マイナス」

<要約> カラーテレビの国内販売が、年初の好調から一転して低迷している。日本電気機械工業会が二十八日まとめた五月のカラーテレビ統計によると、同月の国内出荷は三十九万七千二百台で前年同月に比べて七・七%減となり、四月の同一・二%減とあわせ、二ヵ月連続して前年比マイナスとなった。このため、輸出、内需を合わせた五月の総出荷は同一九・七%減と、前月(一九・一%減)を上回る今年最大の落ち込みとなった。また生産台数も五月は同二〇・九%減の六十七万台で、再び七十万台の大台を割った。

<感想> ボーナスシーズン入りを控えていてもカラーテレビが低調しているということは、この頃には、ほとんどの家庭でカラーテレビを購入していて、買う必要がなくなっていたのだろうか。たしかに、私の家でもカラーテレビが置いてあった。テレビというものは、そういつもかも買い換えるわけにはいかない大型電化製品なのだから・・・。 

 

1978年11月6日 日本経済新聞 17頁

「家庭と教育」についてのコラム 三浦朱門

 子供を変える教育は肉体的なものであり、言葉で教育することはむなしい。近頃のように教師が体罰を加えないのでは、ブラウン管に写っている学校講座の先生と変わりがない。だから、今日のような学校の形では良い教師も悪い教師も同じ事なのである。

 現在も学校の在り方とか、教育問題がよく新聞にのっているが、今とは体罰に対する考えがずいぶん違うと思った。

 

1978年10月6日、朝日新聞、20項

「福祉タクシー」

 車イスでタクシーに、と身障者にタクシー料金を補助する「福祉タクシー」制度が、このところ一気に倍増、来年度には、都内のほとんどの区、市に広がる勢いだが、新宿区内のある身障者の団体が、この制度に異議を唱え、同区議会に制度の改善を求めた。料金補助分のほかに、区がタクシー会社や組合に支払っている乗車一回当たり百円の「事務手数料」は、実質的に「サービス料」同様の扱いを受けているが、身障者を乗せるから「サービス料金」を支払うという発想は、身障者差別につながらないか。区はこの「サービス料金」を全廃すべきだ、という主張である。

 自分的にはこんな細かいことどうでもいいと思う。ただ、「福祉タクシー」の制度には自分も賛成だ。こんな細かい事で差別する人の気が知れない。

 

1978年 8月11日 朝日新聞 第1貢

「東京給水制限入り」 5年ぶり 来週更に強化も

 この日、東京都内で、48年以来、五年ぶりの給水制限が始まった。午前〇時ちょうど、東京都水道局の金町浄水場など13ケ所浄水場、給水所、ポンプ所で送水圧を下げるボタンが押され、水の出が良くなった。この操作などで、都水道局は一般家庭で6%の節水を目指していた。首都圏の水瓶は、相変わらず減り続けており、利根川流域で雪雨があったが、結局焼け石に水。このままでは「危険ライン」の1億トンを割るまでに、あと5,6日という状態。

 生まれた日の新聞を見るのがこんなにも不思議な感覚を起こすものだとは思わなかった。しかし、残念なことに、出身地が地方なので、この新聞を見てもあまり親近感は沸かなかった。その中でも、現在の自分に最も関係のある記事を、と言うことで、この項目を選んだ。最近も、やはり夏となると、よく水の節水を飛びかけるのを聴いたりします。20年近くも前ですでに節水があったと言うことは、生まれた頃から水は汚れても、減ってはいないのだなとしみじみ時の流れを感じました。

 

1977年6月7日、日本経済新聞、10頁

『日欧の貿易紛争−輸出主導の景気回復は問題』

【記事の要約】対欧への日本の貿易収支は大幅な黒字である。そのためにもっと為替レートが円高になって日本からの輸出が減少して、逆にヨーロッパからの輸入が増えれば問題の解決になるのである。ところが、日本政府は、円高になることや輸出が減少することは国内企業が不況になると心配して、大蔵省が為替介入で円高を阻止する。輸出増で国内景気を回復させようとすることが問題なのである。(165字)

【感想】1977年(昭和52年)のちょうど20年後(1997年)の日本においても国内が不況で為替が円安傾向で対米輸出が増加して、アメリカ側から、日本は輸出によって国内景気を保持しようとしているのが問題なのだ指摘されて、為替を円高にしたほうがよいと言っている。つまり、日本はいつも貿易黒字から非難を受けているので20年前と変わらない。歴史は繰り返すのか?(162字)

 

1978年(昭和53年)2月1日(水曜日)日経新聞 23頁

「新幹線にナタ男」 

 1月31日正午頃、博多発東京行き「ひかり60号」が名古屋を出てすぐに最後尾に乗っていた男がカバンの中のまき割り用のナタを振り回して窓ガラスを次々にたたき割り始めた。ドアガラスや窓ガラス10枚わって、3枚重ねとなっている窓ガラスも、完全に割れたものもあった。事件が起こった後ろ3両は、騒然となったがたまたま乗り合わせた警察官に逮捕された。

 この記事を読んで自分が生まれた日に新幹線の中でこのような事件があったということに大変驚きました。犯人が「何か突発なことをして自分を認めてほしかった。」と、自供しているというのを読んでこれから先このような人が出て来てほしくないと感じました。

 

1978年7月10日、日本経済新聞(夕刊)、1項

「再び円高201円台」

 週明け10日午前の東京外国為替市場は再び円高・ドル安傾向が強まり、正午の円相場は1ドル=201円55銭と、先週末の週値より1円75銭の円高・ドル安となっている。東京市場の円相場は5日に200円50銭と200円の大台われ寸前まで急勝したあと、高値警戒感もあって6,7日と続けて値を下げた。しかし、円買い・ドル売りが増え、円は202円前後まで上昇。 日本は、山陰唯一の革新市政を守れるかどうかで注目されていた。

 自分が生まれたときの新聞に目をとおしたところ、円が201円台と今では考えられないことが目に写ったのがこの記事を選んだきっかけです。生まれた日にこんなに円高になっていたということは、初めて知ったことであり、とても勉強になった。人間はお金に関する記事があると知らず知らずに読んでしまうのかと考えてしまった。

 

1978年10月21日、日本経済新聞、22頁

「はやってます。ファミリーバイク」

 自転車にかわる手軽な乗り物としてファミリーバイクが登場して二年半。「乗りやすい」「買いやすい」「(免許を)取りやすい」の三拍子に「自分の手で車を動かせる喜び」を加え、いまやすっかり女性のハートを射止めた格好だ。家庭電化で余暇時間を得た主婦が、バイクの機動力によって行動半径をぐいぐい広げているとも言える。向こう三軒両隣に限定された中年の主婦の世界が広がることは、女性の社会参加を進め、家庭内での年頃の子供たちとの対話の回復にもつながろう。冷たいイメージの都市生活に変容をせまるともいえるかもしれない。半面、現在の四輪車を主役とした交通体系のなかでは、まだ“ママッ子”。次第に事故も増え始めている。主婦の二輪車文化、どのような形で定着していくのだろうか。

 私はこの記事を読むまで、ファミリーバイクの存在をまったく知りませんでした。もちろんそれは、19年前のことだからなのかもしれませんが、もしかしたら今は生産されていないのかも知れません。それはきっと、流行り廃りのはやい世の中に流されてしまったからではないかと思います。そのことを裏付けるのに電動自転車の存在が挙げられます。19年経った今は主婦の間で電動自転車が流行っています。電動自転車の場合、免許を取る必要もないし、自転車なのでバイクほどの大きい事故も減ります。過去と現在を比較すると日進月歩を感じさせられます。今は見ることのないファミリーバイクですけれども19年前にファミリーバイクが内に閉じこもっていた女性を周囲に目を向けさせ、女性の社会参加をひろげたきっかけなのだと分かりました。 

 

1979年1月17日 朝日新聞22項

『悪質な‘キセル’続々』

 <きっぷを正しく買っていただく運動>を、昨年12月21日から今月10日まで続けていた国鉄は、この期間、車内検察や特別改札を強化し203万件約19億2000万円収入実績を上げた。このうち、キセルなど不正乗車として処理したのは、約4万件1億1500万円にのぼった。

『感想』 僕の生まれた日に、すでにキセルの取り締まりをやっていたのに、ビックリした。今もなお、キセルをする人もいるだろうけど、自動改札などができたことによって、キセルをする人は少なくなったと思う。18年間ですごく変化したものだと思いました。 

 

1977年7月13日、日本経済新聞、21項

「この1番 ○北の湖 ●高見山 思い切りぶつかれる」

 北の湖が、この日、高見山と22回目の取り組みを行った。結果は北の湖野15連勝。これで北の湖は高見山に対して、横綱になってから通算15連勝と言う記録を打ち立てた。高見山は、横綱の平幕時代には7連勝していただけに、横と戦うと言うプレッシャーに、苛まれているらしい。北の湖は、高見山はごまかさずにあたってくるから、相撲をとっていて楽しい、と言っている。

 「戸締まり用心、火の用心」などといっていた高見山にも、こんな現役時代があったのかと思うと、人にはそれぞれ歴史あるのだな、などと思った。

 

1978年5月30日、日本経済新聞、23頁

「“しっかりせよ”日本の青年(外国人は見ている)」

(要約)日本の青年は勤勉で正直だが、半面、甘ったれで自己中心的なうえ、主体性に欠け、外国人とも付き合うことが苦手な青少年の育成に力を注いでいる財団法人が在日外国人に日本青年についてアンケート調査をした。その結果学問的にはよくほめていたが、受験戦争には反対だった。また、大学生の勉強不足を嘆く声がめだった。文化面については、日本文化を大切にしていないとの声が多かった。国際性については、外国人との接し方が下手、はっきり物を言わない、笑ってごもかすなど非難が多かった。外国人から見た日本青年は自分の意見を持たず、人生の真の喜びを得ていないようだ。

(感想)私は、このアンケートの結果を見て納得できる点が多数あった。日本人は、なかなか「NO」と言えず人の意見に流されがちだ。既に外国人には、日本人の印象が悪い。だから、私達は少しでも好印象にするためにも、自分の意見をしっかり持ち「NO」とはっきり言えるよう心がけるべきだ。

 

1977年9月17日

 60年代公民権運動の果実が実り、少数派‘優遇’米加州が撤廃した。発行当日の9月17日、サンフランシスコ市では、積極措置撤廃に反対する市民数千人が、黒人運動指導者ジェシージャクソン師が呼びかけたデモに参加し、「撤廃法は悪法だ」と叫んで、金門橋を行進した。賛成派はこれに対し、「少数派に対する割り当ては誤りだ」「ジェシーは去れ」横断幕を垂らした小型機二機を、デモ隊の上空に飛ばした。

 僕自身、人を差別している意識はないのだが、やはりよく考えてみると外国人を差別していたり、女性を差別しているようなことがある。このような問題は、僕自身でも分からないが、それはおそらく僕自身の差別意識が薄いからであると思う。また、「差別」という、言葉自体が差別しているのであろうか?とりあえず、大変悩ませられる日である。

 

1978年11月16日/日本経済新聞/23頁

「初年度納付金、55万円台に」

(要約)東京都私立中学高等学校協会は、15日来春の都内私立中学の募集要項を発表した。来年は『ひのえうま』生まれの進学の年で入試倍率は、大幅に下がる見込み。ところで、都内私立中学の学費平均ははとうとう55万円台となった。しかし、年々アップ率は下がる傾向にあり、値上げ自粛ムードがかなり進行してきたようだ。

(感想) やはりこの頃は、男女共学は少ないですね。都内私立中学133校(内訳/男子校39/女子校76/共学17/その他)そんな中で桜美林中は共学の1つとして掲載されていました。ちょとした発見でした。話は変わりますが、僕も『ひのえうま』の年に生まれたかった。迷信なんか…けどちょっと怖いかも。

 

1978年2月1日、朝日新聞

 ソ連の軍事衛星コスモス954号がカナダ上空の大気圏に再突入した事件で、頭の上にまで原子炉が飛び回る宇宙時代の現実が、あらためて明るみに出された。ソ連は原子炉についてのデータを全く公表しておらず、秘密のベールに包まれている。

 1978年は、アメリカとソ連が冷戦中で、様々な世界的問題があったのだろうなと考えさせられる。今は原子炉のデータを公開しないという事は許されないと思うので、この問題に時代を感じる。

 

1978年6月17日・朝日新聞・第3項 

[水俣なおイバラの道]

 水俣病補償金の支払いなどで経済危機に陥ったチッソの救済策が、16日水俣問題関係閣僚会議で決まった。チッソは、熊本県の県債発行融資で補償金支払いの責任を果たすという。患者にとっても、補償金不払いの不安が遠のくわけで、表面的には一番波風の立たない方法がとられたと言える。だが、今回の総合対策でチッソの経済や患者の救済はどうなっていくのか・・・。のこされた問題はあまりにも多い。

 記事を読み、チッソの経済状況=日本の経済発展状況と考えてる念があまりにも大きくて、驚いた。今日の新聞とのちがいを見たようで、面白かった。

 

1978年  5月17日、日本経済新聞、1頁

『 国鉄値上げ三段階で』

 7月1日からの一括値上げを予定していた国鉄運賃が、運輸省の判断で修正され、運賃は、7月1日特急、急行などの料金は、10月1日、通学定期の割引率引き下げは来年1月1日の3段階に分けてそれぞれ値上げされる見通しになった。利用者への影響を十分配慮する必要があるのと物価も最近鎮静傾向であるために、値上げ時期を3段階に分けて行うのが妥当ではないかと運輸審議会で決定された。

 最近は、私鉄も値上げラッシュで、JRと私鉄の初乗り運賃は130円と変わらなくなってしまった。以前は、私鉄の方が安いというイメージはどこに行ってしまったんだろう。私の記憶が正しければ、私が小学2年生の時は、東急東横線の菊名−渋谷間がなんとおどろき、破格の140円であった。今では、<250円>考えられないことだと思う。歳を感じる今日この頃である。

☆☆☆ちょっと耳寄り☆☆☆

 宿題には、関係ないんですけど気になった記事が一つあるのでご報告しておきます。見出しは、「時計付き新電卓」 時刻がひと目で!計算が答一発!そのうえ必要なときにアラームがなる!いつでもどこでも気軽にポケットに・・・・・・多忙なビジネスに新兵器。普段は時計、ふたを開ければ8行電卓。値段は、12800円と13500円という記事です。古い新聞など見ていると、その時に、起きた事件や出来事の他に新商品の広告が載っているので、何が開発されたのかが新たな発見になった。

 

1978年4月23日、日本経済新聞、8頁

「広がる湖クリーン作戦(地方レポート)」

 神奈川県では、都市部の公共下水道事業に加えて、箱根町と協同ではじめた芦ノ湖周辺の下水道事業が本格化してきた。この下水道整備にかかる費用は130億円。うち神奈川県が37億円負担する。こんな大金をかけてまで神奈川県などがこの事業に乗り出したのは、芦ノ湖の汚れが年ごとに目に見えてひどくなってきているからだ。芦ノ湖を訪れる観光客は年々増え、当然施設も増えているが、排水処理施設の設置の対象となるのは全体の2、3割にすぎない。その他の大半は簡易な浄化槽を設置している程度であるため、かつては16メートルもあった透明度は今では4ー6メートルになってしまった。事実上湖に垂れ流している状態だ。「死の湖」と化してしまわないよう、こうしてこの事業が動き出したのである。

 私が生まれた時代にやっと下水道事業が本格的に動き出したにも関わらず、私が聞いた話によると、現在でもなお日本の下水施設は30%程度しか普及していないそうだ。それに比べ、ある国では殆ど普及している国もあるそうだ。日本は環境に対する取り組みがいつも他国に比べて遅いような気がする。よりよい生活を送れるようにするには、国の発展よりもまず、自然環境の発展を目指すべきだと思った。

 

1978年11月10日 日本経済新聞  22頁

 東京・上野の池之端文化センターを舞台としたコレラ事件で、結婚披露宴の折り詰めに入っていた東南アジア産のロブスターが感染源だと見られているが、このせいで、9月の東京・築地都市中央卸売市場等では、ロブスターの取引が途絶え開店休業状態に追い込まれた。

 コレラというと東南アジアやアフリカというイメージがあったので驚いた。1年位前の0-157のカイワレ産業と一緒だ。いつの時代でも問題は同じだと思った。

  

1978年8月2日、日本経済新聞、7頁

「1ドル=190円割れ 対応急ぐ産業界」

(要約) 1ドル=200円の大台割れショックがさめやらぬなかで円相場は、1日190円台をも大きく割り込んだ。異常としか言えないような円の急騰に産業界はあせりのいろを深めている。かつての花形自動車とカラーテレビには急ブレーキがかかりつつある。

(感想) 前は、円がもっと高いと聞いていたが、それがちょうど私のうまれた頃としって驚きました。今は、100円台前半が当たり前なのに200円の時代があったと自分の目で初めて見たのでうれしかったです。

 

1979年1月13日、日本経済新聞7頁

「共通一次元年雪で幕開け」

要約 初の国公立大、共通一次入試は、関東では突然の雪の中で始まった。34万2000人が、一斉に挑戦するマンモス入試、関東以北の多くの地域が雪、西日本では雨や曇りと、全国的にあいにくの天気だったが、大きなトラブルはなかった。一方、共通一次の実施本部である大学入試センターでは、朝から各地の気象台や、試験会場などと連絡をとり続け、1日中ピリピリとした雰囲気に包まれていた。

感想 まさか、私が生まれた年に、センター入試の前の名前、共通一次入試が始まったのは、驚きでした。また、受験生が、34万2000人と今年の受験生の半分の人数でした。国公立大志望者が年々増えてきていることが分かりました。

 

1978年4月10日、日本経済新聞

「天気」

 9日、日本の南海上にあった高気圧は鳥島の南東海上に去り、黄海から東シナ海にかけては南東に伸びる気圧の谷となった。10日から11日にかけて本州の南海を低気圧が通る見込みで、天気は下り坂に向かうが関東地方への影響は弱いだろう。

 東京は、晴時々曇り。最高気温は、24.5度。最低気温は、9.1度。とても過ごしやすい天気である。毎日がこれくらいの気候であることを願いつつある今日この頃である。

 

1978年 9月1日(金) 日本経済新聞

戦後最大の規模で ―脱線列車の救助作戦も―   11ページ

 1日は、<防災の日>。全国各地で、大地震の発生を想定した防災訓練が行われた。午前10時、国鉄北千住駅で下り、「ひたち2号」が脱線、営団地下鉄も全面ストップで大混乱、という想定で北千住駅西側の広場で列車事故訓練が開始された。訓練のしめくくりは、火災を起こした倒壊家屋の消火と対岸からの火流を防ぐ訓練。放水の水葉、渇水で目減りの激しい荒川の水を幾分、申し訳なさそうに使用、大訓練の幕を閉じた。

 60年に1度、大地震が起こるといわれているが、関東大震災からはや74年。今、東京はいつ起こってもおかしくない状況にある。だから、大地震がきても助かるように、立派な家に住むことが、今の私の夢の1つである。 

 

1978年8月30日(水)日本経済新聞(夕刊)

 世界で有数の長寿国となった日本だが、年をとる心構えはまだ未熟であるので、フランス作家のフランソワーズ・サガンさんに魅力ある老い方を聞いてみたところ、彼女は年齢を気にせず、恋人を持つことが一番。と語った。日本人はちょっと年齢を気にしすぎているのではないか。

 今は芸能界でも年上女房なんかは普通なのに、昔は恋愛感もまだ固まっていて女性が美しく老いる要素の恋もしにくかったのだなと感じた。

 

1978年12月5日 日本経済新聞

「契約却下なら考え直す」

 巨人入団希望変わらぬが (江川選手) 巨人と入団契約して注目されている江川卓投手(23)は4日「あくまで巨人入りしたいが、もし巨人との契約の却下が決定したら、その時点で改めて態度を決める」と語った。同投手はこの日NHKの「NC9」に出演するため東京・渋谷のNHK放送センターに姿を見せ、同夜放映された録画撮りを終えたあと記者会見し「法廷闘争などで世間を騒がせたくない」と心境を語り「あくまで巨人入りが希望だが、却下が決まったらその時点で阪神と契約するか、ノンプロへ行くか、または「野球浪人」をするか−を改めて考える」と話した。

 僕が生まれた時に、まだ江川が巨人に入るかどうかもめていたとは、全く知らなかった。でも、結局巨人に入団して大活躍をするのだからそんなには気にならなかった。 

 

1976年12月9日 日本経済新聞(朝刊) 23項

「選挙違反 すでに1300人検挙」

 総選挙の違反取り締まりは全国各県警本部で急ピッチに進められているが、警察庁が8日まとめた7日現在の検挙は584件、1307人であった。違反の内訳をみると買収が392件、990人で最も多く、次いで文書違反が64件、123人、戸別訪問64件、121人、自由妨害52件、59人、詐欺投票5件、7人、その他7件、7人。1307人の検挙者のうち逮捕されたのは569人で、このうち買収が411人と多数を占めている。買収事件の摘発は投票後に急カーブで増えている。一票の“現金買収価格”は1000円が圧倒的に多く、激戦区などで5000円を配ったところもある。この傾向は物品供与にもみられ、票の取りまとめや投票依頼で有権者に配った品物は清酒、ガソリン券、味噌、醤油、菓子類など生活用品がほとんどを占めていた。

 今の選挙法では、規制が厳しくなり連座制などがあって、選挙違反で逮捕される人はほとんどいないので、一回の選挙で569人という逮捕者の多くにびっくりした。 ちなみに当日は、1ドル=296円55銭、平均株価4717円58銭でした。

  

1977年2月13日 日本経済新聞 19貢

『地上80m、恐怖の8時間』

 飛び石連休中日の十二日、南房総の景勝地、鋸山でロープウエーが故障し、ゴンドラ二台がストップした。特に上りのゴンドラは、山頂近くの地上八十メートルのところで宙吊りとなり、つるべ式の救命袋で全員が救出されたのは事故発生から八時間以上たった午後八時すぎ。幸いケガ人はなかった。

 事故の起きた千葉県は、私の出身地なのですが、私が生まれる直前に、近くでは大変なことがあったんだなあと思いました。他でも色々と世間は大変そうでした。自分の生まれた時の事がわかって面白かったです。

 

1978年 4月6日、朝日新聞、3版

「今日から新1年生」

 新学期がはじまる4月6日、各地の小学校で、入学式が行われた。東京都教育庁の調査では、都内の小学校学校の新1年生は、14万2千4百85人。昭和29年のベビーブームに次いで、なんと、2番目の記録になった。神奈川県では、小学校の数を増やすそうだ。

 1997年の今、子供の数が少なくて、田舎の学校が、廃校になったというニュースが多いのに、私達の時代の子供の多さにびっくりしました。  

 

朝日新聞1978年7月23日(日)1ページ

「日本側が条約案提出 ー日中交渉、一気に核心へー」

 北京で再開された日中平和友好条約交渉は、22日、佐藤駐在中国大使ら日本代表と韓念龍外務次官ら中国代表との間で行われた2回目の事務的レベルの会議で、日中双方が基本的な外交姿勢や同条約に対する考え方について意見を述べた。そのあと日本側が新しい、日本側が新しい条約案を提出。議論はそれまでの総論的な意見のやりとりから、一気に具体論には言った。

  今ではもう締結されたこの条約も、この時には必死に努力をしていた。中身に、相互不可侵などあったので、やはり戦争をひどく意識していると思った。どうせなら、締結した日に生まれればよかった。 

 

1978年12月6日 朝日新聞、23貢

『チャーに逮捕状、ファンと覚醒剤パーティー?』

 東京出身で、キャニオンレコード所属のチャー(23)=本名竹中尚人が覚醒剤を使用していたと疑いを強め、保安二課などが覚醒剤取締法違反容疑の逮捕状を用意、捜査を始めた。チャーは、若手ロック歌手では原田真二、世良公則とともに“新、御三家”の一人とされ人気があった。

(私の感想) 私が生まれたときなので、「チャー」のことも知らないのだが、もしほんとに薬をやっていたのなら、この人は、自分の意志が弱く、自分に対して自信がないんだと思う。   

 

1978年10月5日 朝日新聞 3頁

「燃えた 社会人の向学心」

立教大学法学部は初めての試みとして、22歳以上の社会人を一般入試とは別枠で25人以内を来春から入学させることになった。9月30日締め切りで願書を受けていたが、4日現在志願者は254人で、少なくとも10倍以上の競争率となった。志願者の内訳は男性が146人、女性が108人。年齢別では20代の174人が最も多い。主婦も20人志願している。書類選考を行い、その合格者は11月11日に論文と英語の試験をするが、英語の辞書の持ち込みもできる。12日に口頭試問で最終合格者を決定、16日に合格発表される。大学当局は、「向学心に燃える社会人の何と多いことか」と驚いている。

 今は社会人受験が結構当たり前になってきているので、この記事を読んでびっくりしました。桜美林大学でも社会人入試が行われているし、どの大学でも最近は行われていることだと思っていたので、いつ頃から始まったかなんて全然気にしていませんでした。

 

1976年8月6日、日本経済新聞、23頁

小さな窓の新幹線

 この秋から窓の小さな新幹線がお目見えする。年間平均五百件も窓ガラスのひび割れ事故が起きているため、その防止策と、割れたガラスを取り替えやすくするようにと、従来の縦64p、横1.45mの窓を、縦64p、横63pと、飛行機並の大きさに変更する予定。

 このころの新幹線の窓が、年間に五百枚も割れていたのには驚いた。それと、現在は大きくなっている窓を飛行機並に小さくしようとするのもなんかおもしろいです。

 

1979年3月28日、日本経済新聞、

「マイコン内蔵家庭用ミシン」

 蛇の目ミシン工業は二十七日、四月十一日からマイコン内蔵の 家庭用ミシン「ジャノメ・メモリアル5001型」を新発売すると、発表した。これまで発表されたマイコンミシンでは不可能だったことが、できるよううになったり、簡単に操作できるようになった。マイコンミシンはこの頃発表が相次いでいたが、国内メーカーで価格、発表時期を明らかにしたのは蛇の目ミシン工業が初めて。

 現在何事もなく使っているミシンが、自分の生まれた年に発売されたなんて、とても脅かされました。今のミシンとはまだ発売されてから、18年しか経っていないと思うとともに、僕は今のミシンと同じ歳なんだな、ふと考えさせられました。

 

 1978年4月27日 日本経済新聞 22項

「来月から酒値上げ」<増税分、左党にシワ寄せ>

 二十六日の参院本会議で酒の税率アップ法案が成立し、五月一日から日本酒、ビ−ル、ウイスキ−の値段が増税分だけ値上がりすることが本決まりとなった。この税率アップに対応して、ビ−ルは大びん(633ミリリットル)195円から215円(アップ率10.2%)、ウイスキ−はサントリ−オ−ルド(760ミリリットル)で2200円から2350円(アップ率6.8%)となっており、左党にはお気の毒な結果となった。

 つい最近、ウイスキ−が値下げされ、焼酎が値上げされた。ウイスキ−が好きなしぶい私にとってはありがたいニュ−スだったが、私の生まれた日の新聞にもお酒の話題がのっていて、なんだかこれからの私の酒豪人生を予感させる記事だと思った。(と、いうのは言い過ぎですが...)私がこの記事の中でいちばん気になったのは、「左党」という言葉です。なぜ酒が値上がりすることで左翼の政党にシワ寄せ?と思い、辞書で調べたら「酒飲み」と書いてあった。ひとつりこうになったと思った。

 

1975年6月6日、日本経済新聞、11頁

味の『エアライン・サービス』

 全日空が6月の5日から東京の松坂屋銀座店で、全国から空輸した毛ガニ、活伊勢エビ、帆立等の特産品を売る「味のエアラインサービス・コーナー」を開設した。航空会社の空輸食品は、初めてで記念品としてすずらん4千本を無料販売する。コーナーでは、四季折々の生鮮食品を10日ごとに品目を変えて販売する。

 自分の生まれた日の新聞を改めて読んでみると特にスポーツ面ですが、懐かしい野球選手の活躍等見れ、結構面白くて、読みいってしまい ました。

 

1980年2月4日、朝日新聞、15頁

「ふえる子どもの胃かいよう」

 胃かいようや十二指腸かいようは、おとなの典型的なストレス病と相場は決まっていたが、並木教授らの研究グループが昭和37年以来、内視鏡で発見した14歳以下の小児かいようの例数は、46年ごろから増加きざしを見せ、49年から二ケタの数字になって、以後ますます増加しながら54年には33例に達している。ただ、小児かいよう、なかでも十歳以下の子どものかいようは一般に治りやすく、薬による対症療法で2−3週間、長くても5週間で治ゆするのが救いだが、並木教授らの長期間の観察によると、子どものとき発病した者は、おとなになってもかいようになりやすい傾向があるという点は注目される。

*感想* 現在でもこの問題については、よくテレビなどでよく取り上げられている。私もこの問題についてはとても興味がある。私も最近まで高校生でこの問題の当事者だった。私も受験生のときに胃かいようになったことがある。なので、この問題については、すごく身近に感じられる。

 

1978年11月16日、朝日新聞 3版

「長期宇宙旅行、人体には無害」

 140日間にわたって宇宙で無重量生活を続けて帰還したコワリョーノク飛行士の健康状態について乗っていたソ連の科学者は15日「数ヶ月の宇宙旅行では、回復不能の姿調は何も起こらなかった。」と述べた。

 私は、この記事を読んで、科学技術の進歩がめざましく発展していったことにとても驚きました。火星に住むという私の夢も、もしかしたら叶うのかも。 

 

1975年12月25日、日本経済新聞、16ページ、TV欄

 10chで夜6時からキューテイーハニーがやっていた。8chの昼12時からは笑っていいともがやっていない。ドキドキ生放送という番組がやっていた。8chの夜8時からはマチャアキのするぞーと言う番組がやっていた。山口百恵や、南沙織、岩崎宏美がゲスト。11PMが4chで夜11時15分からやっていた。タイトル(ピンク度話題度100パーセント、イレブン学賞)。なんと、泉ピンコが出ていた。0時30分ゴロには、ほとんどの局が放送を終了していた。

 21年前のテレビ番組が、新鮮に思えてきた。非常に時代を感じた。11PMは、小学校の時からみていたので、懐かしく思えた。以上。

 

1977年1月22日、朝日新聞、23面

[走る「こだま」ドア開く 数回 ひやり・・・時速百数十`]

 21日、午後9時46分頃、福岡市内を走っていた博多発広島行き「こだま442号」が時速120キロ近いスピードで走行中、ドアが3ヶ所、瞬間的に開く事故が起きた。乗客に怪我はなかったが国鉄新幹線総局は39年に秋に新幹線が走り始めて以来ほとんど例のないこと、といっている。原因は電気系統の故障ではないかと総局は見ているが、詳しい原因は不明である。新幹線のドアは非常コックを操作すれば走行中でも開く、これまで、何度か飛び降り自殺の例がある。

 う〜ん、恐ろしい・・・実は今日(15日)17時頃、国立駅で飛び込み自殺があったのです。おかげで、中央線が遅れて教習所をキャンセルしなければなりませんでした。しかし他人に迷惑をかける自殺はいけませんなあ・・死ぬのは勝手でしょうが・・・聞いた話によると電車の飛び込み自殺ってほんとに体がバラバラになるそうです。友達が実際に見て糸みたいな神経(!)やカツラみたいな頭皮(!)などを見たといってます(ウエ〜)それを駅員さんが、ビニール袋につめていたらしいです・・・グロテスクになってすみません。こんな自殺が時速500キロで走るリニアモーターカーで起きたらまさに木っ端微塵でしょうなあ・・・。とにかく、電車に限らず、乗り物による事故は恐ろしいです。気をつけましょう。教習所に通ってる僕としては身にしみます。

 

 1979年2月10日 日本経済新聞 5頁  

「フランス首相は強い味方か」

 ケベック州の分離独立論議が沸騰するさなか、フランスの バール首相が八日、カナダを訪問した。州民の圧倒的多数が、フランス語、フランス系文化に誇りを持ち、独立か否かを問う州民投票が今秋にも予定されているだけに、バール首相が何を語るか注目の的だ。

感想 1994年にケベック州の分離独立を問う州民投票が行われたのは記憶に新しい。独立の気運が高い中、ふたを開けてみれば反独立派の勝利、の結果に「あれ、独立しないの?」と拍子抜けた人は多いはず。実際私もそうだった。私が生まれたときから,(それよりも前から)議論されていて、なお、複雑な状況が残るケベックに今後も目が離せません。

 

1978年10月14日、毎日新聞、ページ不明

「今日から君もテロリスト!」 〜明日のオウムはあなたかも・・〜

 軍事用の神経ガスや高性能爆弾の製造法が誰でも30ペンス(約100円)で手にはいる。イギリスの科学雑誌ニューサイエンティストの最新号は、特許庁でコピー代さえ払えば誰でも気軽に簡単にちょっとアブナイ大人のオモチャが手に入れることができるらしい。これではテロリストや爆弾マニアの思うつぼだ、として問題にもしている。 これを取材して記者自身がなんと米軍が1960年代から使用している神経ガス「VX」の製造説明書のコピーを郵送してもらったという。なかにはなんと原爆以外の軍用爆発物としては最も強力な「HMX」という爆弾の説明書もあるという。

 感想:なかなかいい企画かもしれないです。本音のところは私も欲しいです。べつに学校に仕掛けてどうしようというわけではありませんが・・。ですが本当にいいんでしょうか?こんなことして?私はいけないと思います。だってマジで物騒ですよ、こんなのがあっちこっちに仕掛けられてたら。おちおち町も歩けないです。できれば個人的に私にください。

 

1978年8月14日、日本経済新聞、

「オリあけた主婦に秋田犬襲いかかる。」

 十三日午前六時四十分ごろ、東京都国分寺市日吉町一−三−二三、同市役所員、高野慎介さん(42)方で、同一−三−一三、主婦、福原真知子さん(49)は高野さんの飼っている秋田犬のオス、キヨシ(三歳)鉄製のオリから出し、散歩に連れていこうとしたところ、犬は突然福原さんに襲いかっかた。福原さんは病院で治療を受けたが、全身数十カ所をかまれたり、ひっかかれ重傷。小金井署の調べでは、高野さんは十二日から旅行のため日頃から親しいうえ、柴犬を飼っていて犬のことに詳しい福原さんにキヨシに餌を与えるよう頼んだという。同署では猛暑でキヨシの気が立っていたのではないかと見ている。

 私はこの記事を読んでみて、今年の夏に起きた幾つかの野良犬が学校のウサギ小屋を襲った事件を思い出しました。やはり野良犬も夏の暑さに勝てず、気が立って暴れたくなる時もあるのだなあと思った。

 

1978年4月13日、朝日新聞、20頁

「バッサリ高校生長髪、東京農大一高厳しい規則」

 「高校生だってオシャレがしたい」という学生達と、「校規の乱れはもう許せない」教師達。昭和44、5年の学園紛争以後広まった頭髪、服装の自由化と、逆に規制の方向に動こうという意見。教師側と生徒達の対立を農大一高の例にみる。

 20年近くも経つのに、いつの時代も似たようなことでもめるなあ、と。そもそも「校規」なんて皆納得のいかないものだから「乱れる」のでは?と思いますが。ところで、記事の中の「今流行りの『リーゼントカット』」には時代を感じて、笑えました。 

  

私が生まれた昭和53年8月13日の出来事

 どうやら、この日には、日本にとって大変重要な出来事が起きていたらしいです。「日中平和友好条約に調印」これが、この日の第1面の記事です。しかし、こんな記事は面白くないので、面白そうなテレビ欄について書きます。この時代の深夜番組は、AM0時50分が最後で、それ以降は、朝6時10分までありません。内容で興味を惹かれたのは、ボクシング世界ジュニア・フライ級「具志堅用高vs金莫童(韓国)」などスポーツです。

感想 具志堅用高や、阪急vs近鉄・ロッテvsクラウン・日ハムvs南海など、今とは違う名前の野球球団があり、大変面白かった。(ところで、クラウンというのは、今で言うとどこの球団なのでしょうか?)

 

1977年3月15日、日本経済新聞、1項

「ASEANの経済開発ー協力しテコ入れ」

 福田首相は、21、22日の両日開く日米首脳会議で、要請通りASEAN(東南アジア諸国連合)への経済協力問題をとりあげ、日米両国が協力してASEAN諸国の経済開発にテコ入れるように強く呼びかける。これは、東南アジアの政治、経済の安定が日米両国にとって重要課題であるとの判断によるものである。この会談で、ASEANに対する支援体制の強化について基本合意を取り付け、8月に予定されている第2回ASEAN首脳会議への出席までに、日米両国政府でさらに具体的な詰めを急ぐ方針である。

 8月に、ASEANはラオス、ミャンマーが加盟して9か国になりました。ASEANは、徐々に力を増しています。(タイのようにバーツが急落した国もありましたが、、)いまや、日米両国にとってASEANはなくてはならない国です。その国々をここまで理由をつけて助けた時代があったなんて、、時代を感じさせられました。  

 

1985年8月19日、朝日新聞、22頁、

「報酬もらい出産 ー米国の医療現場からー」

 米国では、子宝に恵まれない夫婦と契約し、その夫の精子で人工授精して赤ちゃんを産んであげようという、いわゆる代理母を募集している「代理母センター」が、30社もあるという。

 この記事を見て、子供が欲しい人と、産んでもいい人がいて、お互いに、助け合えていいな。日本では、聞いたことがないので、国民性の違いを ちょっと感じました。