イン・パラディスム〜天国にて-おまけ


永遠の安息を 彼等に与えたまえ
主よ 絶えざる光を
永遠の安息を 安息を彼等に与えたまえ
彼等の上に 照らしたまえ

イン・パラディスム(邦訳)/サラ・ブライトマン



「本っ当に、しつこい野郎共だな」
呆れ返ったようにゼロは、自身で新たに作り出したばかりの骸を見下ろした。こんな事で時間を取られてしまうとは、全く、大迷惑だ。
待ち伏せられ、後ろから斬りつけられた瞬間、反射的になげうってしまった荷が、周囲に散乱している。
盛大に息を吐きながら、ゼロは頭を掻きむしった。既に絶命した相手に、腹立ちまぎれにげしげしと足蹴りを喰らわすと、その後は直ぐさま、荷をかき集め始める。
「げっ。血がついちまったっ」
それも、布地の色の薄い部分をまるで狙ったかのように、ぺったりと。
無言でもうひとつ、蹴りを追加する。
しかし、こんな事をしている暇などないのだ。
「早く帰んないと、また、アイツが…」
噂をすれば影、と、こういう場合でも言うのだろうか?
大通りを人波に逆らって、ふらふらと歩いてくる少年の姿が目に入る。全く物慣れないその様子は、まるで山奥から出てきたばかりの田舎者とでもいった風情。奴隷の鑑札をつけてはいるが、何故か、奴隷らしさを感じさせない素直な瞳。それでも、背中に生えた羽は、人目を引かずには於かないような、紛う事なき純白だ。
最近では、すっかり癖のようになってしまった舌打ちをひとつ。
「バッカやろ。勝手に外、出んなってったろーが!」
路上の隅に死体を蹴り込むと、ゼロは慌てて、裏路地から表通りへと飛び出す。弾かれたように振り返ったアベルは、ゼロの姿を認めると、まるで花が開いたように微笑った。
ゼロの傍らに居場所が定まった、という事が、彼をそんなにも安心させたのだろうか。アベルは、随分とゼロに対して、まっさらな笑顔を見せるようになってきたように思う。
だけど、ゼロとしては、そんなアベルを目にするのは、変に気恥ずかしいのと相まって、ひどく居心地が悪い。
「お前は、こんな初歩的な言いつけも守れねーのかよ」
染まった頬をぶっすりとした表情で誤魔化す。アベルの変化を嬉しいと思っている、という事を素直にさらけ出すのは、まだ照れくさい。
駆け寄ってきたアベルは、ゼロの腕に抱えられた荷物を引き取ろうと手を伸ばしながら、反論した。
「だけど。買い物は奴隷(ぼく)の仕事です。なのに、ゼロ様にまかせっきりだなんて」
対してゼロは、アベルの手から荷物を逃すように反らす。
「お前みたいなのは、商人どもにはカモだよ、カモ!ボられて終いだ。買い物なんか、任せられるか」
差し出された手は、しばらく宙を彷徨った後、力無く落ちた。
「…ごめんなさい。役に立たなくて」
「……別に責めてる訳じゃ…」
アベルは、しょんぼりと俯いている。言葉に詰まったゼロは、憮然と横を向いた。
「もう、いい」
沈黙。
それでも、何とか気を取り直そうという努力のありありと見えるアベルが、ゼロが手に握りしめている物に目を留めた。確かに、それを手にしている為に、腕に抱えた荷物全体がひどく不安定だった。
「それ、こっちに下さい」
せめてそれくらいは、とアベルが再度手を差し出す。
「いや。これは、汚れちまったから…」
途端に、アベルの表情が明るくなる。
「じゃあ、帰ったらそれ、洗います」
「駄目だ」
「洗濯だったら、大丈夫です。僕でも」
「それでもなんでも、駄目だ」
よりにもよって、アベルの為に買った服につけてしまった血を、本人(アベル)に洗わせる、なんて、絶対に、させられない。返り血がついた経緯についての説明はいざ知らず、洗った当人にそれを渡さねばならない己は、想像するだに間が抜けていた。
路上に設置されたごみ箱に、その服を無造作に突っ込むと、ゼロは踵を返した。先に立って歩き出す事で、聞く耳を持たないの意を示す。
しかし、このゼロの頑強な態度に、アベルは本格的に落ち込んできたらしい。足早に歩むゼロの後ろをとぼとぼとついてくる。
ただ、機械的に動かされる足。沈黙は、ひどく重かった。
こんな事をしたい訳ではなかったのに。
何だかもう…。
「…腹減った」
そう言えば、そろそろ食事時ではないか。きっと、空腹故にこんなにも思考が暗い方へ暗い方へといってしまうのだ。
何かすぐに食べられそうな物も買っていくべきか、とゼロが思いを巡らせた時、背後のアベルが小さく口を開いた。
「ご飯、作っておきました。帰ったら、すぐに食べられます」
「気が利くじゃねーか」
思わず振り返ったゼロの視線の先、アベルの表情が少し綻ぶ。そして、彼は三度、しかし今度は少しおずおずとした様子で、ゼロへと手を差し伸べた。
「…全く。しょうがねーなぁ」
ゼロは、手にしていた荷物をきっちり半分、アベルに押しつけると、再び、彼に背を向ける。
「帰んぞ」
「はい」
その後、ゼロは何も話さなかった。アベルも口を開かなかった。ただ、彼の後をついてくる。彼の荷物を半分持って。だけど、今度は、先程のように気まずい空気はない。背後のアベルは、多分、微笑んでいる。
嬉しそうに。
幸せそうに。
たったそれだけの事で、何となく幸せな気持ちになってしまっている自分が、ゼロは不思議だった。



服なんか、また新しく買えばいい。
今日も明日も明後日も、彼は傍らにいるのだから。



END






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