始源の瞳





疲れを知らぬ軽やかな足取りは、しかし、空を進むかの如きでは決してない。大地を掴み、蹴り出すその足は、傲慢なまでの力強さに満ち、周囲を圧倒した。『それ』が疾風のように走り過ぎていく瞬間、光り輝くような粒子が空に撒き散らされる。
その者の放つオーラが、毛色をも染め変えてしまっているのではないか。そんなふうにすら思えるほど素晴らしく豪奢な黄金の色は、まさにその存在が『王』であることを誇示していた。
背にしおう尾は、それ自体、命あるもののように蠢き、その空間に張り巡らされるかの如くに広がった。全てを包み込むように。彼の世界を主張するように。
その数は、九つ。
幾人の上忍を屠り、食らったのか、耳まで裂けた口は喉奥まで赤く、空よりも海よりもなお青い瞳は、殺戮の愉悦に揺れていた。
『それ』を突き動かすのは、生きとし生ける全てのものに対する怒り、あるいは憎しみ。
それとも、違ったのだろうか。『それ』は、その力に対する当然の貢として、贄を求めただけだったのだろうか。
力あるものが力なきものを支配する。それは、自然の理だ。
揺らめくオーラと相まって、まるで青い炎のようなその存在。
『それ』は、人間より強く、人間より賢く、人間より美しい。
彼は、ただ魅入られたように立ち尽くしていた。その存在の進行方向上で、無防備に立ち尽くす、という行為が、どんなに危険なのか、彼がいつも大人達に「可愛げがない」と言われる部分が告げていたが、彼はその忠告も全く無視した。
なんて奇麗な生き物。
里を壊滅寸前にまで追い込んだ『九尾』と呼ばれる獣は、彼の眼前で、ふとその足を止めた。
燃える瞳。揺らめく黄金。熱い吐息が頬を弄る。
濃密な血の匂いは、不思議と甘やかだった。




空はどこまでも青く澄み渡り、風は篭った緑の匂いを湛えて吹き抜ける。
「…いーい天気だなぁ…」
こんな日は、木陰で昼寝に限るなぁ、とうっとり妄想を膨らませていたカカシは、もしかするとその時、本当にうとうとと居眠りしていたのかもしれない。
「せんせーってば!」
「う?」
気が付くと、彼の生徒その一が、背中に圧し掛かっていた。しかし、その上忍にあるまじき失態については露ほども触れず…すなわち、初めから気づいていたけど、気づかない振りをしてたんだよん、というポーズを取りながら…、カカシはゆったりと背後を振り向いた。屈み込んで地に手をついて、という姿勢で、背中に圧し掛かった子供を振り落とさない範囲内で。
「草むしりは終わったのか?ナルト」
「俺の分は、もうとっく。先生が一番遅いんだってば」
見ると、周囲は随分とすっきりきれいになっている。どうやら、真面目に仕事をしていたらしい。珍しい事だ、と思うにつけ、背中にぐうという響きのようなものが伝わってきた。
「腹減った…」
「お前、本当に一生懸命やってたんだね」
えらいぞ、と、その短く刈られた金髪をあやすように撫でてやると、ナルトの顔は、真っ赤になった。
「真面目にやってないの、先生だけだってば」
目元まで赤く染めていては、非難がましい視線の効果も半減だったけれど、一応、その目線の先を追って、カカシは改めて、己の周辺を見渡した。
確かに、己の周りの草が、最もむしられていない。
「…んー」
これはどうやら、本当に居眠りをしていたようだ。
ぼりぼりと頭を掻くと、ナルトが憤然とした様子で、カカシの横に屈み込んだ。
「手伝ってくれんの?」
「俺はお腹空いてんの!終わんなきゃ昼メシ食べらんないじゃん」
確かに今日の彼らの仕事は、午前中に終わらせる予定だった。しかし、それはそう厳密に時間が定められている訳でもないので、昼食後にまた、作業を続けても全然構わない。
横の子供をちらりと見ると、彼はまだ顔を赤くしたままだ。怒った風な口調は照れ隠しだと正しく見て取って、カカシはつい緩みそうになる口元を慌てて引き締めた。
意地っ張りなこの子は、笑われた、と見るや、今度は本当に怒り出すだろう。
この子は、本当は人に触られるのが好きなのだ。今でこそ、こんなに可愛い反応を返してくれるようになったけど、もっと前には、触れるたびに、びくびくしていた。触られるのが嫌いなのかな、と思って、少し距離を置いてみたら、今度は、自分から近寄ってくるようになった。そのおずおずとした様子は、まるで人に慣れない野良猫みたいで、「嫌なんじゃないの?」って聞いたら、小さく首を振って、「…せんせい、俺に触るの、気持ち悪くない?」って、まるで蚊が鳴くような声で言ったんだ。
YESと言われるのを何よりも怖がってるのは、一目で判った。いつだって底抜けに明るいあの子からは、全く想像もつかないような、淋しい瞳。
ああ、ほんとにね。よっぽど、里の連中に痛めつけられてきたんだろうね。らしくもなく、優しい気持ちになってしまうよ。
「全然。お前の髪、触り心地よさそうだからさ。つい触りたくなっちゃうんだよ」
そう言ったら、返ってきたのは泣き笑いの表情。だから触らせてよ、のお願いに、特別だかんな、との嬉しいお許しの言葉。
洗い晒した髪は、ちょっとぱさついてたけど、きらきらと光を弾くような金色。
この子は、大きな大人の手が好きだ。守られているみたいで、安心するんだろう。だから、この子に触れる時はいつも、自分が大人でよかった、と思う。
ふと、カカシは顔を上げた。横でせっせと草をむしるナルトは気づいていないようだが、少し離れた場所から、ナルトと同じく、自分の分担は終わらせたのだろう少年が、こちらを見ている。そのむっとしたような様子は、睨んでいる、といった方が正確かもしれない。
「…んー」
視線を空に泳がせて、ちょっと考えて、そして、隣の子供へと手を伸ばす。
「なに、先生」
「髪の毛に葉っぱがついてたよ」
絡んだ葉を摘み取って、そのついでに、その髪の毛をわしゃわしゃと掻き乱す。
「だーもー、子供じゃねーってば!」
嬉しいのと照れくさいのとがない交ぜになった内面は、その真っ赤な顔にストレートに表れている。だけど、その途端に、少年の瞳が鋭く引き絞られた。きりきりと弦を引く音でもしそうだ。
なんてまぁ、判りやすいんだろう。本心を隠す事に慣れきった大人には、気恥ずかしくなるくらい。
「お前達、先に昼飯行っていいよ。こっちはもうすぐ終わるからさ」
ちょっと離れた場所に立つ彼らに声を掛けると、
「何だ、それーっ」
途端に横から上がる不満の声。
「お前は、手伝ってくれるんでしょ?後で、俺と一緒に弁当食べよ?」
おかず分けたげるからさ、と続けると、唇を尖らせて、それでもちょっと嬉しそうに、「しょーがねーな」と吐き出した。草をむしる手に力が篭ったのも、きっと照れ隠し。
少年のことが好きなのが、これまたストレートに判る少女が、嬉々として彼を食事に誘う。多分、これでまた、カカシは少女の好感度をアップさせたんだろう。
少年の方は、カカシに、まるで射殺せそうなくらい鋭い視線を投げてきたけれど。
少年は、目の前の少女は一顧だにせず、踵を返した。その足取りには、憤然とした内心が仄見えていた。
本当に、子供だね。自分に好意を持ってる女の子も上手くあしらえないし、ちょっと気になる相手には、憎まれ口を叩くくらいでしか、自分をアピールできない。腹が立つ、気に食わない相手だって、心理的に排除する事もできない。
未熟で愚かで、でも、嫌いじゃないけどね。そーいうのも。
だけど、ごめんね。
悪いけど、譲ってはあげられない。己は12年前からずっと、この子に夢中なのだから。
だから、ごめん。諦めて。
お前も可愛い生徒だもん。決して、殺したい訳じゃないからさ。
「さ。ちゃきちゃき終わらせちゃおうかね」
「そしたら、先生の弁当、全部、食っちゃお」
冗談とも本気ともつかない言葉は、笑って流す。昼食前の一運動として、弁当争奪ってのも、まぁ、いいかも。
「だけどお前、最近、本当に真面目だね」
「俺、任務はどんなんでも、ちゃんとやろうって決めたんだ」
そう答える間も、顔は上げない。手は、雑草をむしり続けている。
『次代の火影になるくらい強くなって、里のみんなに自分を認めさせるため』…か?
そんなの、絶対、無理なんだけどね。
お前が強くなればなるほど、里の連中は、お前の中に封じられた『九尾』の姿に怯えるし、ますます、お前を排斥するだろう。
そもそも、お前があそこまで憎まれるのって、みんな、お前が怖いからなんだから。
地縁血縁の者が根こそぎ『九尾』に殺されたから、なんてのは、あからさまに口実だ。
強い者が弱い者を殺す。それが自然の成り行きで、そうやって弱い者達を殺してきた、そんな人間の集まりなんだから、この里ってのはさ。
その上、お前自身も判ってないけど、お前は自分の中の『九尾』をコントロールできる可能性を、周囲の者につきつけた。
たった一匹で、忍者五長老の一、火影の支配する里を壊滅させた程の妖弧。その力がコントロールできたなら。
それは、世界の軍事バランスを崩す超兵器になりうる。
ま、俺はそんなん興味ないけど。
「…だけど」
ナルトの手が、ぴたりと止まった。
「飽きたーっ、もう飽きたーーっっっ!もっと、すんげー仕事したいよーっ!!」
空に向かって吠えるナルトに、溜息ひとつ。
うんうん。お前の気持ちも判らないでもないけどさ。
だけど、先生は今の仕事、結構好きだなぁ。
迷子の猫の捜索、芋掘りの手伝い、草むしり。
政府要人の暗殺とか、破壊活動なんかより、よっぽど気持ちいいじゃないか。
木陰で昼寝もできるしね。
カカシの横で、ナルトはころりと横になった。
「も、腹減ったし、疲れたし」
見下ろすカカシの隻眼を捕らえて、ちょっと考えるような素振り。悪戯っぽく照れくさそうに笑って、そのまま、ずりずりと移動する。
腰を持ち上げて座るカカシに凭れるようにして、背中合わせに子供が座る。
「…いい天気だなー。昼寝したら、気持ちよさそう」
素直な瞳が、カカシを見上げる。空よりも海よりもなお青い、瞳。
カカシは体を反転させた。
「んぎゃーっ、なにすんだー!」
背中から転げそうになって、じたばたともがく子供を抱きとめて、そのまま強く抱きしめる。


 ああ、本当に。




 なんて奇麗な生き物。



END



ミスター・カカシは『九尾』が好きです。
ナルトとどちらが好きか、と訊かれたら、迷わず「『九尾』」と答えるでしょう。
…そんなアナタが大好きです。








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