魔法使いの恋人〜クインタ・エセンティア 3/3





「大丈夫。僕、これで結構、優しいから。無理強いっていうのも、まぁ、たまにはいいかなー、とも思うけど、基本的にノーマル嗜好だし」
何言ってるのかよく判らないけど、とてつもなく、不穏な感じがする。ただ、じりじりと彼から後づさるばかりの僕だったけど、それでも、続く言葉はその耳に引っかかった。
「少なくとも、あの人よりは、ずっと、マシだね。あれはサドだよ。絶対」
『あの人』って…、先生の事?
何で気づいたかって、ただ、僕とシモン君の共通の知り合いなんて、先生だけだからさ。
だけど、シモン君はちょっと目を眇めて、僕を見つめた。どうやら僕は、よっぽどほっとしたような、そんな顔をしたらしい。だけど、それはしょうがないと思うんだ。今の僕の現状を考えてみてほしい。こんな時、知り合いの顔を思い浮かべられたら、それだけで『地獄で仏』って気分になるから。
まぁ、先生は、どこをどうひっくり返したって、仏ってタイプではないけどね。ふてぶてしくって、激しく俺様だし。だけど、だからこそ、精神安定剤にはなってくれる。
もし、こんなわけわかんない状況に陥っても、あの人だったら、研究室でのいつもの態度そのまんま、変わんないんだろうって思うから。
シモン君が、面白くなさそうな顔でこっちを見やる。僕の考えてることなんて、まるっきりお見通しだったらしい。つけつけとした感じで、こう言ったから。
「あの人の助けを期待してるんだったら、無駄だよ」
シモン君は、先生のこと、「サドだ」って言ったけど、彼自身だって大概だと思う。この後、言ったことを考えれば。
「あの人、ナガセ君のこと、『いらない』って言ってたから。絶対、こない。あんなに利己的な人、他にいないんだからね」
喉元から胸奥にかけての部分が、ずっしりと重くなる。息苦しくって堪らない。
「…判ってるよ」
僕は、心臓をぎゅっと鷲掴みにされたみたいな気がした。
先生にとって、僕はただの通いの掃除夫ってだけだ。助けにきてくれるなんて、これっぽっちも思ってない。そもそも、僕がここにいるなんて、知ってるはずもないんだし。
そこで僕はふと、思った。
それとも、違うんだろうか。
先生が助けにくる、って、シモン君は思ってる?何故?
思い出す。忘れ物を取りに戻って、洩れ聞いた二人の声。冷たくって感情のない、まるで敵同士みたいな言葉の応酬。
まるで敵同士みたいに。
唇の端を、冷笑の形に持ち上げて、彼が嗤う。いつもの明るい笑顔がないと、彼はとてつもなく冷たく酷薄に見えるんだ、という事に、今更ながらに、僕は気が付いた。
彼のこんな顔を、僕は初めて見たんだ。多分、もっともっと僕の知らない顔があって、きっと先生だってそれは同じで。
「僕、先生の事、全然、知らないし」
…何だか、言ってて重苦しい気分になってきた。
「僕なんか、先生にとってはただの使用人ってだけで…」
鼻の奥がつうんと痛くなる。自分で自分の言葉に傷つくなんて、まるでバカみたいだ。
「だけど、シモン君だって同じじゃないか!僕のこと利用して、それで先生をどうこうしようなんて考えたって、そんなのぜーんぶ、無駄なんだから!!」
言葉にしてしまったら、それが正解なんだと思った。まるで、パズルのピースがはまるみたいに、するすると謎が解けていく。二人は本当は敵同士で、僕は先生への人質とか、誘き出す餌とか、そういうものなんだって事が。
ただ、本当は敵同士だってことを、僕には気づかれたくなかったから、二人はずっとずっと僕を騙してきたんだって。
「…何、言ってんの?」
「嘘つき!僕、全部知ってるんだから!」
我ながら、地団駄する子供みたいだと思ったくらいだから、その時の僕っていうのは、とんでもなく扱い難い代物だったんだろう。シモン君も、ちょっとの間、目を白黒させていたけど、そのうち、深く静かな溜息をついた。
「……何だかよく判らないけど。ちょっと、落ち着いた方がいいよ、ナガセ君」
そして、おもむろに小さく指を鳴らす。また、あの時の黒い影。前回、見た時には、強張って動けなかった。今でもやっぱり怖いけど、それでも反射的に体が動いたのは、僕がものすごく怒っていたせいかもしれない。
僕は、目の前を過ぎりかけた影を、勢いよく両手で叩き込んだ。まるで、蚊でも退治する時みたいに。
そして、小さめのボールくらいの大きさのそれは、それだけで消えてしまった。それこそ、蚊みたいにあっけなく。ぱちんと爆ぜる感触だけを残して。
シモン君は、目をまん丸く見開いて立っている。まるで、信じられないものでも見たような顔をしていた。
「もう、こんなんじゃ誤魔化されないんだからね!」
二人して、僕のこと騙してた。二人のこと、本当に大好きだったのに。
まるで、体が床にずぶずぶとのめりこんでいくような感覚。感情はぐちゃぐちゃで、怒ってるんだか哀しいんだか、もうよくわからない。だけど、お腹の奥の辺りで、何だか圧倒的な爆発的なエネルギーが、真っ赤な溶岩みたいに滾って、それが吐き出し口を求めて渦巻いているような、奇妙な感じ。出てくるためには、何かが足りない。まだ、『力』が足りない。
「…なに?!」
焦ったようなシモン君の声。まるで、悲鳴みたいにも聞こえる。
次の瞬間、何か熱いものが僕の中に流れ込んできた。
先生の部屋で見つけた宝石みたいにひんやり硬くて、それでいてベルベットみたいな肌触り。とろりとした甘さを湛えた、南国の花みたいな芳香。
蠱惑的で官能的で、きっと誰もが魅了される。だけど、これは毒なのだ。決して、それとは知らせず、または知っても、それで本望、とあえて相手に呷らせる、確実に相手の息の根を止める猛毒。
これは、シモン君だ。何故か、そう思った。
シモン君を取り込んで、ほら、もう少しでお腹一杯になる。きっと、そうしたら、僕の中から何かが生まれ出る。真っ暗で底の見えない大きな穴を這い上がるようにして、出たい、出たいと呻き声を上げているソレが開放されたら、きっと僕はものすごく気持ちがいいだろう。この胸の中のぐちゃぐちゃも、全てなくなってしまうに違いない。
その時、何かがぱりん、と甲高い音を立てて割れた、ような気がした。
瞬間、世界は、直前までの僕の内側の大穴から、さっきまでのここ一部屋で隔離されたものから、ごく普通に、外へとつながる広々としたものへと変貌した。
窓の外からは、小鳥の鳴き声が聞こえる。燦々とした日差しが差し込む明るい室内は、白昼夢の入り込む余地なんかまるでない平和さだった。
今までのは、みんな夢?
僕は、まるで体中の力という力が搾り取られたような気分だった。もう、体を支えてもいられない。ぐったりとソファへと倒れ込む。上質なソファは、まるで木偶人形みたいになっていた僕の体を受け止めて沈み込んだ。
「…まさか、来るとは思わなかったよ。指名手配されてる人間が」
シモン君の呆然としたような言葉のみを残して、僕の意識は、またしても暗い、だけど今度は底が見えなくはない闇へと滑り落ちていった。





何だか、世界が揺れている。水の中にいるみたいに、ゆらゆらゆらゆら。
「だーかーらー。随分時間を掛けて、慣れさせたでしょう?僕としては、破格なんだよ、こんな心遣いは。あんた、『いらない』って言ったじゃない。だったら、僕に譲ったっていいでしょ?!」
「誰が『いらない』なんて言ったんだよ。俺は『飼う気はない』ってったんだ。犬猫の子供じゃねーだろーが、ナガセは」
先生の声。おかしいな。先生がこんなとこにいる訳ないのに。
ああ、きっと夢なんだな。先生が来てくれたらいいなって、シモン君と仲良く話してるといいなって、そんな風に思ってるから、見てるんだろうな。
まぁ、いいよね。僕がどんな夢見てたって、そんなの僕の自由だもんね。
考えるってんでもなく、漫然とそう思ったら、何だかすごく気が楽になった。
「犬猫なんか、飼ったって面白くないね。僕は、ナガセ君がいいんだ」
「ふざけんな。これは俺んだ」
「『飼う気はない』んでしょーが」
「誰が飼ってるっつった。これは、俺の所有物だ。髪の毛一本だって、お前にやる気はない」
「ケチ。髪の毛一本くらい、いいじゃんか」
「魔道士に髪の毛渡すバカが何処にいるよ。どうせ、なにかに悪用する気だろ」
「悪用なんて、人聞きの悪い。魅了香を調合する時に入れるだけさ」
くすくすと笑う気配。
「ナガセ君、僕の顔が好きだからね。今度は、上手くいくと思わない?」
「…このガキャ、面食いなんだ。身の程知らずに」
…僕を小突いたのは、多分、先生だ。目は開かない。だけど、朧な意識の中で、誰かが僕を覗き込んだような気がした。
「…この子、瞬間的にだったけど、僕の理力を根こそぎ食ったよ。『理力食い』って呼ばれる連中が存在するって聞いた事あったけど、実物を見るのは、初めて…」
「ただの『理力食い』だったら、いいんだけどな」
「……あんた、何か気づいてる訳?だったら、全部、吐いちゃいな」
「…王国一といわれるお前の理力を丸ごと呑み込んで、それでもまだまだ、底が見えなかった。…初めから、底がないタイプなのかもしれない」
「まだるっこしい事言わずに、とっとと吐け。苛々する」
「『門』持ち、かもしれないって事さ…」
「『門』って…」
絶句するような間の後に、深々とした溜息が降りてきた。
「…だったら、魔道士にでもならないと、危険だね。聖霊どころか、神だって降ろせるような器を持ってて、自分で自分の身を守れないときたら」
「言っただろうが。こいつはオレんだって。こいつくらい、オレの研究室を綺麗に保てる奴は、他にいないんだ。魔道士協会なんぞに奪われてたまるかよ」
「……素直じゃないったら」
先生の声。シモン君の声。遠くになったり、近くになったり。ふわふわゆらゆらと暖かい空気。
シモン君が微笑ってる。先生も、微笑ってる。そんな気がする。暖かい空気。
僕は何だか、すごく幸せだった。
「あ、微笑ってるよ、ナガセ君。何かいい夢でも見てるのかな」
ぷにぷにと頬をつつかれる感触。
「やっぱ、かーわいいよね。お子ちゃまで」
シモン君には言われたくないなぁ、という思考だけを残して、僕の意識は再び、深い眠りの淵へと沈み込む。今度目覚めた時、半分も内容が理解できなかった彼等の会話も、すっかり忘れてしまっているだろう、という確信めいた物が浮かんだのだけれども。
先生とシモン君がここにいる。ただそれだけで、他の事はどうでもいい、と思えてしまう自分が不思議だった。





     この世の真理の結晶
     最も高貴な真実の物質
     第五の実体クインタ・エセンティア−賢者の石



END



  追記。

目が覚めたら、目の前に先生がいた。「何でいるの?」って聞いたら、頭を叩かれた。それも、思いっきり。素朴な疑問を素直に口にしてみただけなのに。
打たれた場所を擦りながら見上げると、シモン君が心配そうにこちらを覗き込んでいた。シモン君は本当に、たくさん謝ってくれて、泣き出さんばかりだった。勿論、シモン君が心配していたように『友達を止める』つもりは初めからなかったんだけど、それを伝えたら、彼はすごく喜んだし、ほっとしたみたいだった。
僕としても、今まで通りの関係でいられるんなら、その方が嬉しい。友達としてのシモン君は、僕は大好きだったから。
今も、目の前にはいい匂いのする紅茶とふかふかのケーキ。湯気の向こうには、綺麗なシモン君の笑顔。それだけですっかり幸せな気分になって、僕はケーキを頬ばった。
シモン君と話すのは、楽しい。とても知識の豊富な彼は、軽やかにたくさんの話題を跨いで、僕には予想もつかないような意見を飛び出させる。だけど。だけどである。シモン君の言うように、先生が僕を気にかけてる、なんてことは、絶対ないと思う。
だって、本当に心配してくれてたんだったら、煙草一箱と引き替えに、僕を半日シモン君の家に置いてけぼりにする、なんてしないと思わない?!あんな事があった後でさあ!!
「一箱じゃないよ。あの人が帰ってきてから、また一カートン渡す約束だから」とかいう、シモン君の弁は、ちっとも僕の心を慰めてくれはしなかった。悪いけど。



(1999.5.--前半部 2000. 8.--全編発表)



オトモダチの初コミックスおめでとー記念として書いた物でした。
限定コピー本として、プレゼント品にしたもの。
喜ばれたんで、嬉しかったです。えへへ。
結構、こーいうの好きなの。限定一部。何だか、トクベツな感じするっしょ?
その本の中から、オリ設定の話だけ、こちらにアップ。
元となったコミックスは、徳間書店刊キャラコミックス「愛しの暴君」
作者は嶋田尚未さま。
皆様、本屋さんで見かけたら、よろしくね。
(バリえっちありのボーイズものなので、苦手な方はご注意です)








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