夢の中夢の外





あれからもう、どれくらいの時が過ぎた事だろう。
時を重ねる毎に、いや増して鮮明になる記憶。
「ずっと待っているから」
そう言って、微笑んだ少年のイメージ。その鮮烈な残像。


再び、君に会える日を、ずっと待っているから。




それは、つい先日の事のようにも思え、また、もう、随分と昔のような気もする、そんな不思議な記憶だった。
目の前で踊る、赤々と燃える暖炉の炎が、周囲の空気を温めて、とろりとした気怠さを醸し出す。時々、未だ生木であったらしい薪が弾ける音も、眠りを誘う子守歌にすり替わる。
炎が揺らめく。それは、あの記憶のようでもあったかもしれない。
ひとり、決然と立つ。孤高の少年。それが、ひどく儚げに見えた、あの時。




僕は、決して望んではならない事を望んだ。…あの人がずっと傍にいてくれればいい、と願った。
あの人は、幸せにならなくちゃいけない人だった。僕の傍になんか、いちゃいけない人だった。
普通に結婚して、普通に子供も産まれて、普通に年を取って。
……普通に死んでいくはずだった。
僕があの人を、この呪いに巻き込んだ。本当なら、僕一人が負えば、それでいいはずのものだった。
僕は、ひとりでいなくちゃいけない。もう、誰も好きになったりしちゃいけない。僕は、…呪われている。誰も、巻き込んだりしちゃいけないんだ。
判っていたのに。

…判っているつもりだったのに…。



ねぇ。<始まりの紋章>を継いだ君。
君は僕に、裁きをくれる?
この世界の<裁定者>である君ならば、<魂喰らい>も裁けるだろう?
どうか、断罪してほしい。そして、<魂喰らい>に永遠の眠りを与えて。
この呪いが、再び、誰かを哀しい目に合わせたりしないように。

僕に、永遠の眠りを与えて。




僕の持っているのは、<始まりの紋章>じゃないんだ…。

そう告げたら、少年はひどく哀しそうな顔をした。

僕の持っているのは、紋章の半分。…赦しの部分だけ、なんだよ。

だから、僕は君を赦すよ。
君は、あの人を求めてもいい。あの人と一緒にいたい、と願ってもいい。
だって、僕は知っているよ。それが、あの人自身の望みでもあるんだって事を。

少年の瞳が揺らめく。嬉しいのか、哀しいのか。それが、どちらの感情を示していたのかは、判らない。

誰が許さなくても、君が自分を許せなくても、僕が君を赦すから。



だから、どうか、そんなに哀しい顔をしないで。




僕は、隣に腰を下ろした幼なじみの背に凭れた。
頬に当たる、いつもはひんやりと冷たい彼の金髪も、熱に暖められていて、何だか不思議な感触だ。
背には、彼の存在を示す確かな感触がある。

僕には彼がいてくれた。
他の誰が去っていっても、彼だけはずっと傍にいてくれる。
僕らは、全く同じ運命を背負った運命共同体だから。

時々、考えるともなく、ふと思う。もし、彼の存在がなかったら、僕はどうなっていただろう。
かかる運命が違っていたとしても、彼が僕と運命を共にすることを望んだろうか。
あの少年のように。
彼は、僕と共に行く、と言ってくれただろうか。
あの青年のように。

無理だったかもしれない。
皮肉でなく、素直にそう思う。
僕は、…僕らは、そんなに強くはなかった。あの二人のように、離したくない手を手放さない強さが、なかった。
君が羨ましい、と、少年に告げはしなかったけれど。

救い切れなかった相手に対してそんなことを言っても、それはごまかしやおためごかしにしか聞こえなかっただろうから。

結局、僕は少年を救えなかった。
僕の持つ紋章は、半分だけでしかなく、それは、<裁き>の持つ職能としての<赦し>の部分全てを受け持つ、というものでもなかった。
半分、というのは、2分の1、という意味ではなく、紋章本来の力としては、10分の1にも、20分の1にもなってしまっていて、僕の持つ<盾>だけでは、真の紋章随一といわれる<呪い>に打ち勝つことなどできはしなかったのだ。

目の前に、ゆらゆらと揺らめく炎。諦観の中に、ほんの少しの希望を混ぜ込んだ少年の微笑。
隣には、ずっと共に生きてきた、今となっては唯一の存在である幼なじみ。

昔は、もう一人、一緒にいたのだ。
いつも一緒だった。ずっと一緒に行けるのだと信じていた。

「…いつか、ナナミに会いにいきたいな…」
炎から目を逸らさぬままにそう呟いたら、一瞬、彼の背が緊張したのが分かった。
「殴られても蹴られてもいいからさ。いつか、会いに行こう、彼女に」
わざと、冗談めかした口調で告げる。彼が、そんな事を心配している訳ではない、と承知の上で。
「きっと、変わってないよ、ナナミは。相変わらず、口うるさくて、お節介焼きで、でも優しくて…」

何よりも暖かかった少女は、あの頃のまま。
例え、老婆となっていても。
きっと、あの頃のままだから。



僕達が、置き去りにしてきた少女。

紋章の呪いは彼女には及ばず、彼女は、ごく普通に年を取っていった。
旅を続ける僕らの中で、徐々に美しい女性へと変わっていった彼女は、やがて恋をする。
ある街で、愛する青年を見出したのだ。
だから、僕らは二人だけで街を出た。彼女には何も言わぬまま。
それが彼女の幸せだと信じて。

でも、それもきっと、言い訳だ。

多分、僕らは、彼女が先に年を取り、やがて、死んでいくのを目の当たりにする、という事に、耐えられなかった。
だから、彼女を捨てて、逃げたのだ。



「………そうだね。…いつか…」
彼が呟く。喉にかかった声はひどく掠れて、僕の耳に届く。
「うん。…いつか…」
僕は、反芻する。
きっと、いつか。



決して、時は戻らない。
あの優しい季節に戻ることはない。

それでも、過去は、幸福の記憶はなくなったりはしないから。

今、この現実と相対することのできる強さがほしい。




 待っているよ。
 君が、本当の<裁定者>になる日を。


少年が微笑う。淡く仄かな希望をたたえて。

 再び、<君>に会える日を。
 僕に永遠の眠りを与えてくれる日を。
 ずっと待っているよ。





いつか、<始まりの紋章>は、本来の姿を取り戻す。僕と彼とに分かたれた紋章は、きっとひとつになるだろう。だけどそれは、僕と彼との別れに他ならず、残された方は、時の獄舎に囚われて永遠を彷徨う事になる。

あの少年のように。

僕は、固く目を閉じる。炎に暖められた目は、熱くひりついた。もう目を開けたくないのは、そのせいだ。もうしばらく、こうしていたい。目を閉じて、広くてしっかりとした幼なじみの背に凭れて、二人。何も話さずに、ただふたり。
こうして寄り添って、相手の存在を確かめていたい。
この瞬間だけでいいから。




   遠い過去に置き去りにしてきた少女の姿も。

   遥か未来で待つ少年も。

   今はすべて、炎の中に消える。



END



当時、B/Mとシーフォート別館サイトのカウンタ3000HITを踏まれた
にゃんこさんのリクエスト、といいますか。
一緒にグレぼんのお話しをしてたら、書きたくなっちゃいました。
しかし、慣れてないのがよくわかる。
思いつきぶっちぎりってカンジです。
この話、グレぼんのつもりで書いてたんです。
…いや、ほんとに。








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