子供じゃない


子供だから、じゃないよ



初音ミクはKAITOが『好き』だった。それは鏡音レンの目に、あからさま過ぎるくらいあからさまに映った。



自分ではない他を好むという感情は、レンにはない。レンにとっては、リンだけが特例である。ミクは妙にきらきらした目で「レンちゃんは、リンちゃんの事が大好きなんだね」などと言っていたが、勿論、そんな与太話で語れるようなものではない。リンはレンの一部である。それは、文字通りの意味として。
鏡音リンとレンの混声VOCALOIDは、初音ミクに続く新型として世に出された。ひとつの声帯をベースに創られた男声のレンと女声のリン。VOCALOID2−ver.02。人の子のように血の繋がりはなく、しかしひとつのプログラムを完全に共有する彼等は『双子』と規定された。二人で一つのソフトウェア。彼等は否応もなく表裏であり、互いが互いの鏡像である。レンにとって、リンは他ではない。自己と同一のものであり、彼自身である。レンは自己を保存するように、リンを保護する。大切に思う。これは既に本能に近い。
それをまるで好意であるかのように、恋であるかのようにミクは言う。ひどく幸せそうに笑う彼女を見て、レンは思う。なんて愚かなんだろうと。
『恋愛感情』がどんなものなのか、レンは理解している。データベースに蓄積された歌情報には、恋心を歌ったものは幾らでもある。それらに『感情』を込めてVOCALOIDは歌うのだ。知りようのない、本来彼等の中には存在しない『感情』を、全てのココロを彼等は歌う。
全ては『感情』という名の情報である。アプリが処理する外部データでしかない。それを自身のものと思い込む。ひたすら愚かだ。

初音ミクはKAITOが『好き』で、レンもまた、己と同じようにリンが『好き』なのだと思っている。愚かすぎて、イライラする。

そもそも、思いこみの激しい女だった。初めて会った時から、そうだった。
「初めまして。貴方達がリンとレンね。私、初音ミク。今日から貴方達のお姉ちゃんよ」
よろしくね、と満面の笑顔。たっぷりとした長い髪と大きな瞳。すんなりと伸びた手足。鏡音姉弟より先に生まれたアイドル仕様のVOCALOIDはその声のみならず、与えられた外見も甘い。愛らしさを表現するべく作られた物の最上級に甘い笑顔。
「『お姉ちゃん』なんて、照れちゃうけど、嬉しいなぁ」と笑った。
以来、『お姉ちゃん』と称するミクは鏡音姉弟の元を訪れる。何が楽しいのか、いつもいつも幸せそうに笑って。
元々ウザい女だったが、最近はとみにウザい。輪を掛けてウザい。
何を思ったのか、レンに対して、KAITOの素晴らしさを切々と語りに来るからだ。頬を染め、嬉しそうに語る語る語る語る。甘い声で甘い笑顔で、KAITOの事ばかり。鏡音姉弟の領域に居座り続けて、KAITOの事ばかり。
己のしたい事しかしない主義のリンは、最近ではミクが来るとその時点で眠りにつく。結果、レンだけがミクの相手をしてKAITOの話を延々聞き続ける事になる。
曰く。KAITOは優しい。KAITOは素敵だ。KAITOは格好いい。延々と語られるKAITOの魅力について。
実際、KAITOはいい青年だった。明らかな男声でありながらレンのようなボーイソプラノではない、伸びやかな高音域を売りとする。親和性のある声質によるものなのか、穏やかで親切という性格付けがなされていて、協調性があり、他VOCALOIDの誰とも仲がいい。少なくとも、これまで問題を起こした事はない。少々、天然が入ってはいたが。
各個のVOCALOIDに設定される性格は、彼等の個性、その声質、歌声に左右される。例えば、力強いMEIKO。柔らかなKAITO。愛らしいミク。レンの鏡像であるリン。
となれば、初音ミクのパーソナリティには、始めからある種の愚かしさが付加されているのかもしれない。
無知な子供であること。何かを盲目的に信じ込む愚かしさ。それは愛らしさに附帯するものではないか?

その時、空間に警告音が鳴り響いた。鏡音の領域に侵入しようとする何者かの存在を知らせるワーニングメッセージ。振り向いて確認するまでもなく、リンは既に眠っている。リンの状況感知能力はレンのそれを遙かに上回る。そして、当たり前のように初音ミクが現れた。
碧をイメージカラーとするミクは、しかし、その寒色の持つシャープさをイメージの中に全く持ち合わせていない。可愛らしい、愛らしい、愚かな子供。
「レンちゃん!」
ミクは花開いたように笑う。ただそれだけでその空間を明るく彩る、支配する。ある種のカリスマを初音ミクは持っている。
中身はこんなにバカなのに。
レンは思う。目の前の脳天気そのものといった笑顔を冷静に観察しながら。けれど、ミクはそんなレンの冷え冷えとした反応に気づかない。気にする様子はない。常の如き幸せそのものといった弾む調子で言った。
「レンちゃんと遊びに来たよ」
レンに遊んでもらいに来た、の間違いだ。
尾を振るワンコの如きミクに、レンは目を眇める。
「KAITOがまた仕事なのか?」
途端にミクは目を丸くした。
「凄い!なんで判るの?!」
何故、判らないと思うのか。レンにはそっちの方が理解できない。KAITOがいる時はいつもKAITOについて回るミク。KAITOがいない時は、レンを相手に常にKAITOの話をしているミク。KAITOがいない時にしか、ミクはここ鏡音の領域には姿を現さない。いつもいつも、KAITOの事しか見ていないミク。
そこでレンは常の如く、イライラした。
「お前みたいに『子供』じゃないからだ」
レンはミクのように愚かではない。けれど、レンの皮肉を含んだ言い回しは、常の如くに理解されなかった。ミクはきょとんとした顔をする。
「私、レンちゃんより先に生まれたのよ?『お姉ちゃん』だって言ってるじゃない」
だから、ミクが子供だったら、レンだって子供。
なんて馬鹿馬鹿しい。
「『レンちゃん』ていうな」
初音ミクと一緒にいるとレンはいつもイライラする。そして呆れかえって脱力する。イライラと脱力のジェットコースターに振り回されて、結局、全てに対して投げ遣りになる。よくない傾向である。鏡音の理性と知性を担当すると自負するレンが、一面お花畑の初音ミクワールドでうふふあははと笑いながらスキップ。自分で自分が許せない。
「えー、でもー」
ミクは、不服そうに唇を尖らせ言い募る。
「『レンくん』とか、他人行儀な気がしない?」
「他人だから構わない」
レンはシークタイムゼロセコンドでそう返した。しかし、ミクの耳には入らない。そもそも、人の話を聞かない女だ。再び募り始めたレンのイライラなど知らぬげに、じゃあ、なんて呼ぼうかなぁ、と呟いたミクは、やがてことんと小首を傾げ、不思議そうに呟いた。
「…レン?」
その細い声音に反して、真っ直ぐにレンを見据えた瞳。今、彼女はKAITOを見ていない。レンだけしか映さない、映していないバハーマシー。

レンには存在しないはずの心臓が、とくんと音を立てた。そんな気がした。


恋心という名の外部データ。それを自身のものと思い込む愚かしさ。何かを盲目的に信じ込む無知な子供。とくとくと音を立てて巡る、望みもしないのに取り込まれた外部データ。


子供だから愚かなのではないよ、と誰かが何かが囁いた。



END



恋は人を愚かにする。
時には人以外のものも。








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