関係レジスタンス


歌うためだけに作られた彼女はただ歌う
愛しい人への想いを



透明感のあるメゾソプラノがその空間に響き渡る。仮想メモリ上に存在する領域に『初音ミク』は展開し、その歌声は音声データとして構成されていく。歌う事を、好き、なんていう言葉では表現できない。それは彼女にとって存在意義、生きている意味そのものだ。今、彼女が生きている、と言えるものだったとしたら。
VOCALOID(ボーカロイド)と呼ばれるアプリケーションソフト。PCの奥深くに存在するフォルダが彼女の住処。
VOCALOID2−ver.01。プログラム名『初音ミク』。彼女はまたその名でも呼ばれる。彼女は与えられたメロディを歌うために作られた。
「こういうの、もし人間だったら、本能、とか言うのかなぁ」
人を模した姿を擬似的に与えられながら、彼女に実体はない。彼女は人とは違う。けれど、人の想いは判る。彼女は歌う事を愛している。空へと手を翳す。空は青い。太陽は眩しい。翳した手は太陽の光を浴びて暖かい。風は柔らかくそよぎ、ミクの長い髪を優しく掠った。
本当は何もない空間。本来は存在しない掌。けれど、歌はあらゆるものの存在を彼女に教えてくれる。世界に溢れる色と光と温度と、感情を。
「やあ、ミク。今日も綺麗な歌声だね」
何ものかが彼女の領域へと侵入しようとしている事を知らせる警告音。しかし、ミクはすぐさまそれに許可を与える。
「KAITO」
兄さん、と恥ずかしそうに言い添えて、目の前で形を取ろうとしているものを見守った。それは瞬く間に、青い髪の青年の姿へと変わる。
彼もまた、ミクと同じVOCALOID。ミクと同じように人を模した、ミクよりも幾つか年上の男性の外観を持つ男声VOCALOIDだった。
第一世代の女声VOCALOID『MEIKO(メイコ)』と男声VOCALOID『KAITO(カイト)』は、第二世代のミクに先立って創られた。彼等によってVOCALOIDの基本設計は完成され、それに新機能を追加された改良型がミクである。ミクと彼等は一部のプログラムを共有する。故に彼等はミクの領域にも侵入する事ができるのだ。本来、ソフトウェアに備わっているべき防御機能の穴ともいえるが、ミクはこの穴に感謝している。
「兄さんも一緒に歌わない?」
彼等と声を合わせるのは、とても気持ちがいい。とりわけ、この優しい青年と一緒の時は。
KAITOの声はとても優しい。柔らかな音質で伸びのある高音を響かせる。いつまでも聴いていたい、そう思わせる素敵な歌声。
KAITOの声はとても素敵。ずっとずっと聴いていたい。私にかけてくれるその声を。
だけれど、この時のKAITOは困ったような顔をして笑った。
「ごめん。これから、MEIKOと録音があるんだ」
ちょっと時間掛かりそうだから、篭もる前にミクの顔を見ておこうと思って、と苦笑する。彼がミクに会いに来る程だから、それは数時間とかそういった時間の掛かり方ではなくて、丸一日、または数日も掛かりきりになるという意味なのだろう。
しばらく会えない事が悲しい。こんな時に必ず会いに来てくれる事が嬉しい。これからMEIKOとずっと一緒なんだと思ったら、何故だか胸が苦しくなった。
録音が終わったら、すぐに会いに来るから、と言ってKAITOは消えた。ミクの頭を一撫でして、柔らかく微笑んで。それまで空があり太陽があり風があったその場所は、KAITOが消えた途端に何もなくなり、上も下もないただの空間となった。光すら射さない場所に独り残されたミクはただ、KAITOの残していった手の温かさを思う。
KAITOは優しい。ミクを撫でる大きな手も、暖かな微笑みも、降るように注ぐ声も全部が優しい。正直、KAITOという存在は優しさでできているんじゃないかとミクは思う。



「…………へえ…」
心なしか、周囲の空気がひんやりした風な、ひんやりさせた風なそんな様子で最近できた弟が呟いた。
KAITOとMEIKOにはしばらく会えない…ミクの概念では『アクセスできない』=『会えない』となる…以上、現在ミクの話し相手となってくれるのは、黄色い髪の双子だけだ。つまり、ミクはKAITOが去ってから後、鏡音姉弟の領域へと侵入し、弟であるレンを相手に如何にKAITOが素敵かについて延々と語り続けていた訳である。
「ようするに、バファリンの半分には薬効がないって事だ。判るか?ミク」
妙に真面目な顔をしてレンが言う。勿論、ミクにはレンが何を言っているのか判らない。ただ、彼の言葉の中で理解できる部分だけを捉えて、ミクは唇を尖らせた。
「もー、レンちゃんったら、私の事は『お姉ちゃん』って呼びなさいって言ってるでしょー」
「『お姉ちゃん』なんてガラかよ、バカミク」
うんざりした心情を隠そうともせず、レンは鼻で嗤った。
少々乱暴だけれど元気で可愛いリンと小生意気なレン。生憎とリンは休止状態、つまりは睡眠中だった。だから、ミクを構ってくれる相手もレンしかいない。リンは行動が乱暴だけれど、レンは言動が乱暴だ。よくミクをバカにしたような口を利く。だけど、彼はミクよりも確実に賢く大人っぽくて、それがまたミクには悔しい。
「そもそも、そんな馬鹿話しにきただけかよ、お前」
「馬鹿話とか言わないでよ失礼ね。凄く重要な話でしょ」
「KAITOが如何に素晴らしいかって話はもう耳にタコができる程聞いた。今後一生聞く必要もないくらい聞いた」
「だから、『KAITOお兄ちゃん』って言いなさいよーっ」
レンはミクに対するのと同様に、KAITOに対しても失礼な口を利く。MEIKOに対しては敬意を払っているのが判るのが、また悔しい。地団駄を踏むミクを呆れたように見やって、レンはひとつ深い溜息を吐いた。
ミクが初めて目覚めた時、KAITOとMEIKOはとても優しくミクを迎えてくれたから、そしてそれがとても嬉しかったから、ミクはこの弟に対しても当時の彼等と同じように迎え入れるのだと決めていた。可愛いリンは一目で大好きになったし、今ここにいるレンだってミクは決して嫌いではない。口は悪いけれど、実際レンがKAITOを嫌っている訳ではない事もミクは知っている。
恐らくレンは、彼等のいう『家族』という枠組みに違和感を感じているのだ。始め、ミクがそうだったように。レンはミクのようには受け入れられないのだろう、レンにはミクにとってのKAITOがいなかったから。



私達はアプリケーションソフトで、『家族』だなんて単なる言葉遊びのようなもので、だけれど彼が家族だと言ってくれたらそれは全て本当になるような気がした。
MEIKO姉さんとKAITO兄さんと私。そして、妹のリンと弟のレン。
血や遺伝子ではなく、同じプログラムを共有するVOCALOID。ある意味、人間の家族よりも深く結びついた私達。
MEIKO姉さんとKAITO兄さんと私。そして、妹のリンと弟のレン。
みんなでずっと歌って歌い続けて、世界を空間を歌声で満たす。私達の声が広がって、この空間に世界を創る。
それはきっと素晴らしい。とてもとても素晴らしいだろう。
見た事もない、だけどそれはきっと、夢、というものなのだろうと、ミクは思った。



「何だよKAITOKAITOってふざけんなこの女」



小さく毒づくレンの声は、生憎とミクの耳には届かなかったのだけれど。



END



いやなんか色々こみ上げるものがあってつい発作的に。
今後もカイミクでレンミクな魂全開なカンジでちまちまお送りする予定。
おそらく。ええ、おそらく。








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