WATER GARDEN〜水の王国 +++ 深緑のエデン編Ver.4


運命はただ 父なる神の御手に かかる如く
偶然と必然とで 精緻に織られたる
一枚のタペストリーに すぎぬゆえに
ゆめ疑うべからざる 神の御業を

「失われし世界」僧侶の言葉より抜粋



大公宮前の広場は、いつでも活気に溢れている。この国の貴族の頂点に立つ、いわゆる大貴族であり、政治上の最高権力者でもある、名実共に君主である人物の宮殿を前に、他国人にはいっそ、不敬なのではないか、と取られる程に。実際、他の西方諸国、殊に〈第二帝国〉とも称されるカナン王国であったら、絶対にあり得ない、それは状況であった。
これは、カガリヤという国の気質によるところ大なのかも知れない。
カガリヤに於いて〈貴族〉とは、搾取する者、を意味しない。貴族共和制、と呼ばれる、遥かな過去に一般的に存在していた、といわれる政治形態をそのままに使用しているこの国では、貴族が貴族である特権はただ、政治への参加権が与えられる、という一点に尽きるのである。そして、それも別に利益になるというものではない。元老院議会で支払われる報酬など、必要経費を除けば微々たるものだ。
名誉。
ただそれだけが、貴族に対する報酬ともいえ、この国にとっての最善の道を選び取る、それが彼等の誇り。
それだけで充分なのだ。彼等には。
そして、善政に浴している限り、国民は貴族に対する親しみ混じりの敬意を忘れない。
世界中に散る一般市民であるカガリヤの商人も、滞在中の国々で仕入れた情報を本国へと持ち帰り、元老院へと報告する義務を持っているが、それが西方に於いて、『カガリヤ人は、女子供に至るまで皆、間者』などという陰口をきかれる要因になっているのだろう。
それは、正確かつ早い、『世界一整備された』と、言われる、カガリヤの情報網であった。
世界有数の経済都市であり、世界一整備された情報網を駆使し、西方屈指の海軍力を誇るこの小さな国の人々の根底には、貴族に対する親しみがある。例え、それが大公であっても。
そして今日も人々は、大きな声で笑い合いながら、賑やかに大公宮前の広場に集うのである。



「ウツノミヤ君って、とってもいい人だね」
ウツノミヤの立ち去る背中を見送った後、ケンタは感嘆の息をつきながら、マエダを振り返った。当然、誇らしげな同意の返ってくるものと確信しての、それは所作だった。
「…ああ……」
マエダは短く答えると、ケンタに背を向けた。そして、そのまま歩き出す。びっくりして、ちょっとの間、立ち竦んでしまったケンタであったが、すぐに小走りに後を追う。問うような視線を投げ掛けるとマエダは、ケンタと目を合わせないままに言った。
「昨日の場所って、こっちだったよな」
昨日、二人で行った、この石造りの街の直中のオアシス。
「ついてこいよ」
一度行っただけだというのに、マエダは場所を覚えているのだろうか。
確信ありげに歩く彼を半信半疑に見上げたが、マエダは足を止めようとはしない。
仕方がない。
ケンタも、マエダの後を追った。再び追い付いた後、マエダの様子を窺ってみたが、彼は、口元を引き締めたまま、あくまでもケンタの方は見ようとしない。
…ケンタの視線に、気付いていないはずはないのに…。
ケンタは、すっかり困惑してしまった。
もし、これが自分だったら、シプヤが人から褒められたりしたら、とっても嬉しくって、誇らしいだろう。
己のお目付役兼家族代わりの少年を脳裏に浮かべて、ケンタは思った。
マエダは違うのだろうか。だけど、初めてウツノミヤの事を語った時の彼は、口の悪さと照れくさがり故にそんなに褒めたりはしなかったけれど、くすぐったそうな、それは確かに、乳兄弟だという少年への愛情の窺えるものだったのに。
その時、視界が広がった。
「どうだ。ちゃんと覚えてただろう?」
如何にも得意そうな表情を見せて、マエダはケン夕を振り返る。ケンタが考え事をして、マエダの背中ばかりを見て足を動かしているうちに、結局、庭園に着いてしまったらしい。
「凄い!マエダ君、本当に覚えてたんだ!一度しか行った事、ないのに」
もし、マエダが道を間違えたら、すぐに指摘しよう、などと思っていた事はおくびにも出さず、ケンタは夢中の拍手を送る。既にマエダは、誇色満面の体を示していた。
「まーな。目印も何にもない砂漠を渡るのに比べりゃ、この位、ちょろいもんよ」
腕を組んだ威張りんぼのポーズのマエダに、つい微笑が洩れる。マエダのこういったところが、とても『可愛い』と思えてしまうのだ。
(こういうのって、僕の方が年上だから、なのかなぁ。やっぱり)
そうなのだ。信じられない事ながら、ケンタはマエダよりも、少なくとも1才は上であるらしいのだ。その外見もさる事ながら、二人の世間慣れの度合いの差が、マエダの方をこそ年上に見せてしまうのだが、ケンタにはそのような自覚はない。今まで周囲に年下の人間など一人もいなかったケンタには、初めてできた友人であるという事と相まって、マエダの存在をただただ、嬉しく思うだけだ。
ケンタは、マエダの前で常のごとく、嬉々とした様子で彼を見上げ、草地に腰を落ち着け、話し出した。
「マエダ君、〈流浪の民〉だっていったっけ。じゃあ、砂漠を越える商人なんだね」
ケンタの瞳が憧れに輝いた。その瞳にはきっと、世界中の国々、風物、伝説に語られる不思議が映っているのだろう。ひどく遠い眼差しになる。
「…いいなあ。僕、この街から出た事ないから。きっと、すっごく大きいんだろうね。見てみたいなあ」
「おーよ。この国全部よりも、もっとデカいぜ。それが、どこまでも広がってる。砂の他には、何にもねーんだ」
ケンタが、素直に賛嘆の声を洩らすのに、マエダはすっかり得意になっていた。彼に、もっともっと珍しい話をしてやりたい、とそう思って、マエダは続ける。
「満月の夜なんか、すっげーぞ。月明かりで砂が銀色に光って、ランプなんかなくったって、明るくって。そんな夜は時々、馬を走らせたりするんだけど、決まってウツノミヤが、『危ない』だの、『迷ったりしたら』だの、うるさく言って…」
「何となく判る。ウツノミヤ君、そういう事言いそうだもんね」
ケンタは、笑って返した。そして、話がウツノミヤに移ったというのに、やっばり、くすぐったそうな喜びを表したマエダの表情に、ケンタは、道中の疑問を口にした。
「マエダ君、ウツノミヤ君の事、嫌い??…じゃないよね。ウツノミヤ君が『いい人』なのが、嫌なの?」
ケンタは、マエダを真っ直ぐに見つめる。マエダは、思わず口ごもった。
「……唐突に、鋭いところを突く奴だな」
恨みがましく言い返す。しかし、ケンタは小首を小さく傾げたのみで、マエダから、問い掛けを含んだ視線を外さない。マエダは深く息を吐いた。不承不承、といった様子で、口を開く。
「…あいつが、俺の乳兄弟だってのは、前に言ったよな」
ケンタが、頷いたのを見てとって、ぽつりぽつりと話し出す。
「俺は、あいつの両親に育ててもらった。だけど、あいつの両親ってのが、部族の長なんだ。つまり、あいつって、後継ぎなんだよ。……お前も言った通り、あいつはいい奴だ。正直者だし、学もある。…かなり、トロくさいけどな。だけど、気の弱い奴で、部族をまとめる事なんてできないだろうって、周りの奴等に言われてる」
マエダの話しをケンタはただ、黙って聞いていた。だけど、ケンタの視線に促されるままに、マエダは更に先を続ける。
「俺は、あいつの立場を奪う気なんか毛頭ねー。あいつがもっと強気になれば、ちゃんと長だって務まるんだ。なのに、俺が『若長』なんて呼ばれちまってよ。腹立つ事に、あいつも、それでいい、みたいな態度を取るんだ。だから…」
マエダは、言葉を切って俯く。その顎を抱えた膝の上に落とすと、背中が丸まった。じっと、そんなマエダを見つめていたケンタは、徐に彼の腕を引いた。
不意を突かれたマエダは、そのまま引かれた方向へと倒れ込む。…ケンタの膝の上へと。
ケンタの膝枕で転がってしまってから数秒後、ようやっとその事実を認識したマエダは慌てて起き上がろうとしたが、頭上からの手にやんわりと押し止められた。
「そんなに考えつめちゃ、駄目だよ…」
降り注がれる声。
「マエダ君は、人の上に立つ人だから。きっと、ウツノミヤ君にも判っているんだよ、その事が。…だけどね…」
確信に満ちたその言葉に、不服そうに彼を仰ぎ見たマエダだったが、後半、少し調子を変えた声音に、問うような視線を向ける。切られた言葉の続きを促すその視線に、ケンタは困ったように笑って、その手で軽くマエダの瞼を覆った。
「きっと、マエダ君は、もっとたくさんの人の上に立つ事になるから。…その事に、ウツノミヤ君が早く気付くといいんだけど…」
ケンタの予言めいた言葉は、そのまま、占い婆の〈帝王の予言〉を思い起こさせて、マエダの心にゆっくりと染み込んでいく。
ケンタに言いたい事も、訊きたい事もあったのに。
でも、もう今は、そんな事はどうでもいい。
内緒話のように囁くその声がとても気持ちがよくて、マエダはそっと目を閉じた。掌の当たる睫毛の感触でそれを見て取って、ケンタは瞼を覆っていた手を外すと、ゆっくりとマエダの髪に手を差し入れた。
さらさらと梳かれるその手の動きが気持ちいい。
数秒か、数分か、もしかしたら、数十分か。とろとろと微睡んでいたのかもしれない。
「ちょっと寒くなってきたかな…」
ケンタの独り言に不意に現実に引き戻され、マエダは勢い込んで起き上がった。いきなりなその行動に、驚きも露わなケンタの前で、握り拳で乱暴に顔を擦ったマエダは、すぐに深刻な顔で向き直る。
「さっきまでの事は、誰にも言うなよ!」
『さっきまでの事』とは、どれを指しているのだろう。ウツノミヤの話か。それとも、ケンタの膝枕で、まるで甘えでもしているかのような挙動を見せてしまった事か。羞恥に顔を赤らめたマエダの様子から察するに、その両方なのかもしれなかった。
だけど、そんなマエダが、とても微笑ましくも可愛い。
ケンタは、慈愛の微笑を見せて言った。
「言わないよ」
「本当だな。絶対だぞ!」
「絶対だよ」
「誓うか?」
マエダはあくまでも真剣である。
ケンタは、大きな目を更に大きく見開いた。そして、小さく微笑う。
「〈蒼天 我が上に 落ちきたらんとも
  地 割れて我を 呑み込まんとも…〉」
天と地とに立てる、それは最上の誓いの言葉。
そんなに簡単に使っていいものでは無論ない。よって、使う場所というものも、ひどく限定されている。それはそういう言葉だった。
「その後、 〈我が思い 変わることなし
 よし 運命(さだめ)が我らを わかつとも…〉
 って、続くんだっけ?」
ケンタの言葉に驚きを見せた後、しかし、すぐにマエダは、悪戯っ子めいた表情を作る。
「マエダ君、それじゃ〈婚姻の誓い〉だよ。だけど、……そうだね」
マエダの反応に同じく笑って応じたケンタは、面白がるような表情を見せた後、厳粛な調子で呟いた。
「〈…我が思い 変わることなし
 よし 運命が我らを わかつとも
 我が心 御身よりわかつことの かなうもの
 そは 《死》よりおいて 他になし〉」
 そして、そのままマエダを見上げる。
「僕は、永遠に変わらぬ友情を、ここに誓うよ」
虚をつかれたマエダは、その心情を露わにしてしまっていたのだろう。きっと、情けない顔を見せているに違いない。驚きと、狼狽と、涙の出そうな感動。
その表情を誤解したのか、ケンタは、ひどく狼狽した様子で言った。
「ごめん!迷惑だったよね。だけど、これ、僕の正直な気持ちだから…」
「謝るなよ…」
ふらりとケンタに手を伸ばす。何も考えぬままに。そのまま、ケンタの手を取ると、マエダはしっかりと握り締めた手を、己の胸元まで引き寄せた。
「〈蒼天 我が上に 落ちきたらんとも
  地 割れて我を 呑み込まんとも
  我が思い 変わることなし
  よし 運命が我らを わかつとも
  我が心 御身よりわかつことの かなうもの
  そは 《死》よりおいて 他になし〉」
風が流れる。その空気までもが深緑の色に染まっているかのような、緑の楽園。
反復されるその言葉に、二人は確かに、互いの心を誓い合ったのだ。
「…ちっと照れるな。こーいうのも」
しかし、すぐにマエダはその手を離して、ケンタに背を向けた。その様が、台詞通りのものをそのまま示していて、背中越しにかけられたその声に、ケンタも苦笑して同意する。だけど、その後もマエダは、背を向けたままだった。不審に小首を傾げて、ケンタがその顔を覗き込もうとした時、マエダが口を開いた。
「…俺、明日と明後日は、商品の買い付けに同行しなくちゃならないから、会いにこれない」
唐突に告げられたその言葉に、ケンタは顔を曇らせる。
「…それじゃ、次に会えるのは明々後日になるの?」
隠し切れない失望の滲むケンタの問いに、マエダは唇を小さく噛んだ。
隊商とは、国から国を渡るもの。各々の国特有の商品で、いつも積み荷を満載にして。
例えば、カガリヤに東方の金細工や白絹といった品を持ち込み、東方にカガリヤのレース織物やガラス製品を持ち込む。そして、販売物がなくなれば、新しく商品を仕入れて、他国へと出発するのだ。
隊商が仕入れに動き出したら、それは、出立が近い、という事を意味する。
「…俺達は、3日後にこの街を発つ」
「……っ。今度は、いつ、来れるの?」
「判んねー。『祭りのお陰で、この街では随分稼ぐ事ができた』って、長は言ってたし。しばらくは、東方の街を転々とする事になると思う」
金のあるうちは、危険な橋を渡る必要もない。それ程に、砂漠の旅は危険なものだった。例え、旅慣れた〈流浪の民〉であっても。
「………『しばらく』って…」
「3年くらいは」
「……………そっか…………」
ケンタは、マエダに背を向けた。泣き出しそうな顔を見せて、困らせたくなどなかった。
物心付いた頃から、『諦める』という事には慣れている。だから、今回だって大丈夫。そのはずだ。
そう己に言い聞かせて、ケンタは口を開いた。精一杯、声が震えないように注意して。できるだけ、さりげない調子に聞こえるように、と願いながら。
「寂しくなるね、マエダ君と会えなくなると」
「…それだけか?」
「え?」
何だか、不機嫌そうなマエダの声に、ケンタは、俯き加減だったその顔を上げた。マエダは既にケンタに向き直っていたが、その怒ったような様子にちょっとどきまぎする。
「お前は、それでいいのかよ」
「……だって、仕方ない…」
「そーかよ。お前と離れたくないのって、俺だけかよ。いーよ、もう」
「何言ってんのさ。僕だって、離れたくなんかないに決まってるじゃないか。だけど…」
「だったら!」
マエダは、半ば強引にケンタの台詞を遮った。
「お前、俺と一緒に来い」
「え?」
「お前も孤児だって言うんだったら、何にもしがらみがないって言うんだったら、一緒に来いよ。砂漠の旅は大変だけど、俺がお前を守ってやれる。それで、一緒にいろんな国を見て回るんだ。俺も、もっと西の方へはまだ行った事がないけど、お前と一緒だったら、きっと面白いと思う」
マエダの顔は、子供っぽい喜びに輝いていた。
この石造りの街を出て、東に広がる大砂漠を越えて、話にしか聞いたことのない東方の国々へ…。
「…もし行けたら、素敵だよね」
「『行けたら』じゃねーよ。『行く』んだよ」
マエダが言うと、どんな事でも実現可能なように聞こえてしまうのは、何故なんだろう。
ケンタは思った。
何だか、どんな夢でも叶いそうな気がしてくる。
何も言えないままにマエダを見上げるケンタに、マエダは己の首に掛けられていた鎖を外し、それをケンタの手に押し付けた。渡されるままに受け取った物を見てみると、それは古いメダリオンだった。かなり角が摩耗してはいたけれど、鈍い銀色の輝きは少しも失われてはいない。
「…白金…?」
減多に採れぬゆえに希少価値も高いその金属を、ケンタはまじまじと見つめた。そして、そこに東方の文字で彫り込まれた〈マエダ〉の名も。
ケンタの凝視を違う意味に取ったのか、マエダは、言い訳するかのように言う。
「それは、ちゃんと俺の物だぞ。赤ん坊だった俺の持っていた、たった一つの持ち物だ。一番、大切な物だけど、お前に預けておく」
マエダを見上げたケンタに、そのまま言い募る。
「いいか。お前は、明々後日、それをここに返しにこい。明々後日、九点鐘だ。それは貸しとくだけなんだからな。絶対に、返しにこいよ!」
3日後、返しにいったら、きっとマエダは、ケンタをそのまま、連れて行くだろう。
ケンタは、マエダの言いたい事を正しく理解した。それは、取りも直さず、国を捨てて、一緒に来い、という事。
ケンタは、何か言おうと思った。何か言わなければならない、と思った。このメダリオンは受け取ってはならない、と思った。今、返さなければならない、とも。
だけど、喉の奥が詰まってしまったかのように、声が出ない。地に根が生えてしまったかのように、足が動かない。そして、メダリオンを固く握り締めた手も。
そんなケンタの様子は意に介さないかのように、マエダは落ち着いた様子で、「今日もこれから、隊商の用事があるから」と告げた。マントについた埃を軽く払って走り出したマエダを、ただ、呆然と見送ってしまう。
「じゃあ、明々後日!忘れるなよ!」
去り際のマエダの言葉が、耳について離れない。
先程の誓いの言葉が、不吉な響きを持って、ケンタの脳裏を過ぎっていった。


   よし 運命(さだめ)が 我らをわかつとも…


  どうしたらいいんだろう。一体、どうしたら…。



END
(1995.5.3発表) 



ここまで&外伝が、過去、同人誌にて発表した作品になります。
この後はこれから書くのです。
現在、稼働中のジャンル(FE&B/M…とシーフォート)が優先ですので、
こちらは、気が向いたら、というつもり。








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