澄める月





イケスカナイやつ。
うちはサスケの印象は、と、うずまきナルトに問うならば、そんな言葉が即答で返ってくるだろう。
サスケという少年は、とにかく、ナルトと正反対だった。
同性であるナルトの目から見ても、端整で、でも弱々しさは微塵もない面立ち。
いつも大人びて冷静な瞳と同じく、その髪も烏の濡れ羽色。
闇に紛れるその色彩は、いかにも忍びの者には好都合だろうし、里のエリート、といわれる一族の一人である彼には、何より相応しかったろう。
だけど、ナルトがサスケを気に入らないのは、彼がそんな恵まれた容姿をしているせいではない。
問題は、その中身、だった。
なーんか、いっつもスカしてて、とにかく、ヤな奴!なのだ。
理屈じゃない。多分、相性の合わない相手、というのは、どうしたっているものなのだろう。



バカなドベ。
うずまきナルトって、どういう子?と、うちはサスケに問うならば、そんな言葉で端的に称した事だろう。
ナルトという少年は、とにかく、サスケと正反対だった。
こまっしゃくれた顔立ちには、いつだってへらへらとした笑いが乗っている。
いかにも手入れの悪そうにぱさついた髪は、きらきらとした光の色で、晴れ渡った空のように青い瞳は、彼が異種であることをはっきりと物語っていた。
だからという訳ではないだろうが、とかく彼はみそっかすで、何をするにも、周囲から浮いている。それに気づいていないのか、突飛な悪戯で騒動を起こしては、周り中から顰蹙を買う。その「バカ」としかいいようのない道化っぷりには、とにかく、イライラさせられるのだ。
理屈じゃない。多分、相性の合わない相手、というのは、どうしたっているものなのだろう。





今日も、いつもと同じように、平和な日だった。いつものように、Dランク、と位置づけられる単調な任務をこなし、日が沈む頃になると、いつものように、彼等の担当教官が、緊張感のない声で彼等を呼び集める。
「はーい。しゅーごー」
ぱんぱん、と手を叩いて子供達を呼び集めたカカシは、いつものように、へろへろと笑う。
「今日は、よく頑張ったなー、お前達」
言いながら、その手はナルトの頭をわしゃわしゃと掻き回している。サスケのむっとした視線なんて、よく判っているはずなのに、それを綺麗に無視して見せる。
サスケは、この上忍のそんなところが大嫌いだった。
子供扱いされるのも嫌だが、自分を無視するその姿勢も嫌だ。そして、甘やかされて、子供扱いされて、それを喜んでいるバカなドベも嫌だ。
こいつには、プライドというものはないのか。
憤然としたサスケの心情には全く気がつかないように、ナルトは顔を赤くして、唇を尖らせて頭上の上忍を見上げる。
「子供扱いすんなってばよ」なんて拗ねた口調で言ったって、甘ったれて嬉しがってんのがまる判りだってんだよ。
ああ、腹が立つ。



アカデミーにいた頃、ナルトは、当時の級友たちの父親が、彼らの頭をくしゃりと撫でたり、彼らをひょいとその肩に乗せたりしているのを見た。そして、あれは、どんな感じがするんだろうかと、そう思った。彼らには親がいて、自分にはいなくて、それを僻んだりはしなかったけど、したくはなかったけど、ただ、一体、どんな感じがするんだろうか、それが知りたかった。
ナルトの大好きな二人の先生、特に担当教官のカカシは頻繁に、ナルトを抱きしめてくれたり、頭を撫でてくれたりする。それは、とっても暖かな感じがして、そんな風なものに慣れていないナルトは、何だか無性に恥ずかしい。
「子供扱いすんなってばよ」
カカシの手から逃れるように身を捩る。自分でも、顔が真っ赤に染まっているのが判る。本当は、ものすごく嬉しいのだと、バレてしまっているのだろうか。
「いいじゃん。お前の頭って、ちょうど手ぇ乗せやすい位置にあるんだもん」
ほら、頭の形も手の大きさにぴったり、と、更に伸ばされた手をひょいとかわす。
「もっとわりーってば。置物じゃねーぞ」
いー、と舌を出したナルトに、カカシは大仰に溜息をついて見せた。
「体を支える物がほしいなんて、先生、おやぢー」
にひひ、と笑いながらの子供の追い討ちに、カカシは茫洋とした苦笑を洩らす。
「『おやじ』ねぇ…。先生、まだまだ若いつもりなんだけどなぁ」
「そんな事ないってば。せんせーってば、『お父さん』みたいじゃん?」
ついつい、本音がぽろり。しかし、ナルトが内心焦ったようには、カカシは捉えなかったらしい。彼には珍しく、ちょっとむっとした様子でナルトを見下ろした。
「『お父さん』ってねー。お前、12でしょ?お前の年の子供作るったら、俺、いくつよ」
単純に逆算して、13年前。
「……全然、作れるか」
こちらもぽろっと出た言葉に、ナルトの好奇心はむくむくと頭をもたげた。
「せんせーってば、せんせーってば、……何才?」
「こらこら。おトシゴロの青年に、年齢なんか訊いちゃいかんぞ」
ははははは〜。
気の抜けような笑い声には誤魔化されず、じっとりとナルトはカカシを見つめる。
「21才」
「嘘だ。ぜっってー、嘘!」
「本当だぞ。写輪眼の持ち主はだな、普通のようには年は取らないんだ」
にこにこしながら口にするその説明は、胡散臭い、の一言である。しかし。しかしだ。
本当に嘘なのか?
でもでも、もしかしたら、本当なのかもしれないってばよー。
「んなわきゃねーだろ、ドベ」
むっとして振り向くと、そこにはナルトの天敵、イケスカナイサスケ。
「いつまでもくだらねー事で、だらだらしてんじゃねーよ。タコ」
『くだらない』かぁ?…という、ちょっと寂しそうな呟きは横に置いておいて、ナルトは口をへの字に曲げて、サスケを睨み据えた。
サスケの斜め後ろでは、サクラが、呆れた様子でこちらを見ている。
大好きな女の子の前では、多少なりとも格好をつけたいのが人情というもの。しかし、サスケはそんなナルトの心情など歯牙にもかけず、木っ端微塵にしてくれる。
そんなところも、嫌いの一部。
「はいはい。じゃあ、今日はこれで、解散にしようかね」
「…もー、だから、頭に手ぇ置くの止めろってばぁ!」
この先生が側にいると、シリアスな空気なんて、全然、長続きしないのだけれど。
「もう終わりなんですか」
サスケが、感情なんか抜け落ちたような声で言う。サスケは、カカシ先生に対してはいつもこんな風で、そんなところもまた、ナルトには気に入らない。自分だって、あんまり人の事は言えないような態度なのだが、そこはそれである。
こーいうのを、インギンブレーっていうんだよな。
しかし、そんな諸々も、カカシ本人は全く気にしていないようだった。
「んー。今日は、満月だからね」
彼が顎をしゃくる。見ると、未だ明るさの残る空には、白い月がぼんやりと浮かんでいる。その形は、なるほど、真円であるように見える。
しかし、満月だという事が、何故、早く任務を切り上げる理由になるのだろう。
子供達には、どうにも納得できない。特に、この担当教官のいい加減さを身をもって知っているともなれば。
「だからね。今日は、早く寝ちまいなさい」
だから、何が『だから』なのだろう。
「先生ってば、怠け者」
飄々としたカカシに対する子供達の評価は無論、満場一致でナルトに一票、であった。





夏の宵の風には、日中の酷暑の名残を宿して、ぬるく澱んだ気配がある。しかし、それでも、ふわり、と頬を撫でるそれは、湯上がりで火照った肌には充分、心地いい。
カカシのいう事を聞いて、という訳でもないのだが、早めに風呂にも入り、実際、後は床につくだけ、という状況下にある現在、サスケにむっつりとした表情を崩させないのは、目の前にある、全く人の使った形跡もないからっぽの布団の存在だ。
どこ行きやがった、あのドベ。
サスケよりも早く、ナルトは風呂を使っていた。入れ替わりにサスケが部屋を出た時は、相変わらず、暑いのなんのと、毎度毎度よくそんなにネタを見つけられるものだ、と呆れるくらい、ひとり、ぎゃーぎゃー騒いでいた。
大きく開け放たれた窓からは、四角く切り取ったかのような夜の闇。そして、真円の月。
まるで、戯れに灯してみた煙草の火のように、闇に浮かぶ赤々と燃える色をしたそれは、ひどくくっきりと、その存在を誇示している。まるで、月そのものが異界のものであるかのように、世界から隔絶されたもののように見える。
サスケは、窓辺へと近づく。月は、ひどく大きく、まるで、周囲を圧するかのように大きかった。そして、それとは対照的に、窓の下に張り出した屋根の先、塔の最上階の屋根の上にぽつんと見えている蹲った子供のシルエットは、儚く、頼りないくらい小さかった。



月は、まるで空に迫り上がってくるかのようであった。
人間の体内の水は海の水と同じ成分。だから、人間は、潮の満ち引きを生み出す月の引力に惹きつけられて、その魔力に魅せられて、決して離れられないのだと、そう言っていたのは、誰だったろう。
あの時も、こんな大きな満月が空には在った。
そこで彼は、ふと思う。
…『あの時』とは、いつの事だっただろうか。
満月の夜は、不思議だった。あるはずもない記憶が、まるで細かな空気の泡のようにあとからあとから湧いて出て、それでも、それらの記憶はその片鱗すら、彼の手には残らない。
ただ、何だか胸の潰れてしまいそうな、哀しみにも似た想いのみが、薄いベールのように、彼を覆い尽くすのだ。
何だか無性に人恋しい。今、誰かがここにいてくれたら、きっと、その人を好きになる。
とてもとても、好きになる。
寒さを感じた人のように、そっと己の肩を抱き寄せる。
らしくもない。全く、自分はどうかしている。
その時ふと、頭上に影が差した。
「…なにやってんだよ、ドベ」
見上げると、そこには、闇色の少年が立ち尽くし、彼を見下ろしていた。



「……サスケぇ」
ふにゃら、とした微笑を向けられて、サスケは何やらどぎまぎする。
それが今まで向けられた覚えもない類の、そう、それこそ、彼がカカシやアカデミーのイルカなどに振りまいていそうな代物だったからかもしれない。感謝を含んだような素直な微笑は、実際、いつだって鼻っ柱の強さだけは折り紙付きの彼を、ひどく子供子供したものに見せていた。
そもそも、サスケにとっては、ナルトに笑顔を向けられる事自体が稀ではあったのだが。
「…なにやってんだよ、こんなトコで」
再度、サスケは繰り返す。世話かけさすな、ドベ、と続く言葉は、常ならば、ナルトを頭から火を噴いたように怒らせただろうし、そうしたら、サスケだってずっと気楽にその応対をする事ができたろう。
「…悪りぃ」
俯いて、ぼそぼそと呟いたナルトに、今度こそ、サスケは絶句してしまう。
ナルトが、サスケに、謝るなんて!
『俺がどこで何しようとお前には関係ねー』くらいの事は言われるだろうと思っていたし、事実、それはその通りなのだから。部屋から抜け出したのがサスケで、探しに来たのがナルトだったら、サスケはナルトにそう言っただろう、とまさに確信を持って言えた。
気まずいような沈黙が流れた。
間の持てなさに困惑していたのは、ナルトも同じだったのだろうか。
「…もう少ししたら、部屋には帰るってばよ」
そわそわと身を揺すって、如何にも不承不承という様子で、言う。
だから、先に帰ってろよ。
そのままむっつりと黙り込んだナルトの心の声が聞こえてきそうなその様に、サスケの視線が険を帯びた。
「だから、何だよ」
ナルトが、顔を上げる。見上げた視線の先には、ぱりぱりに表情を凍らせたサスケ。
「俺がどこにいようと、俺の勝手だろ」
ドベに追い帰される謂われはない。
サスケの言葉の裏もまた、聞き取ったのだろうナルトの視線も、刺々しいものへと変化する。
「ただ、月が見たかっただけだってば」
お前に迷惑なんかかけねーから、邪魔すんなよ。
「俺も月が見たいんだよ」
お前の事なんか関係ねーんだよ。
睨み合いは、そう長くは続かなかった。ナルトは視線を外すとまた、立てた膝の間にその顎を載せるようにして、体を丸めた。
「…ここにいんなら、座れよ。見下ろされてんのは嫌いだ」
ぶすくれたナルトに対して、「そのわりには、ひょろでかいカカシといる時は、嬉しそうだよな」と言いたくなったが、ぐっと堪えた。ナルトとカカシの二人に拘っているようで…事実、その通りであるのに、サスケ当人は気づいていない…何だか自分がバカみたいだと思ったから。
並んで座る。横目で窺った少年は、まるで普段とは違って見えた。
風呂上がりのせいか、彼の目尻は仄赤く染まっている。くるくると表情を変える瞳は、大きいばかりだと思っていたのに、実はつり上がり気味だった事を初めて知る。目を細め、空を見上げる彼の顔は、異様な月の光に照らされて、白々と浮き上がり、不思議と艶めかしかった。



サスケは、ナルトの横に座って、ナルトと同じように、月を見上げている。洗ったばかりの髪はさらさらでつやつやで、冷たく光る綺麗な闇色。どこにいても悪目立ちするような、自分の金髪とは全然違う、忍びになるためにあるような、暗闇の色。
ナルトは、隣の少年に気づかれないように、こっそりと溜息を洩らす。
別に、サスケ本人が嫌いな訳じゃなかった。だけど、サスケは嫌いなのだった。
ナルトは、12年前、里を襲って、たくさんの人を喰らった九尾の妖弧を封じた、いわば、『九尾』の入れ物で、だから、里人から「ケガレている」と思われてて。
ようするに、ナルトは里の大人からは、まるで毛虫かゴキブリみたいに嫌われている。
それを知った時から、ナルトの目標は、里一番の忍びの称号『火影』の名を得ること、になった。
誰もが認めざるを得ない。その名を。その力量を。その存在を。
みんなに認めさせたい。この自分の存在を。
だけど、サスケは既に、そうなのだった。ナルトみたいな努力など全く必要もなく、サスケは全てを持っていた。
成績がよくて、体術も得意で、大人達からも将来を嘱望されるような一族の出で、才能があって、「かっこいい」と女の子達から騒がれるサスケは、それでも、そんな周りの好意なんか、迷惑だといわんばかりの態度で無視して、周囲を一切、遮断していた。
ナルトが願っても願っても、決して与えられる事のない、好意。
そんなものはいらない、と打ち捨てて、ちっとも顧みないサスケ。
サスケはわがままで、贅沢者だ。自分がどんなに恵まれているのか、ちっともわかっていないのだ。
だから、サスケは、嫌いだ。
だけど、本当はナルトにだって、判ってる。それは、サスケのせいじゃない。
確かにサスケは贅沢者で、だけど、サスケは周りに好かれてるけど、ナルトが好かれないのは、決して、サスケのせいじゃないのだ。
ああ、本当に嫌になる。



隣から洩れ聞こえてきた溜息に、サスケは前方を向いたまま、口の端をへの字に下げた。
売り言葉に買い言葉で、並んで座って共に月見をする、などという、たわけた状況に追いやられてしまった己が、腹立たしい。全く、溜息をつきたいのは、こちらの方だった。
しかし、彼に嫌われている事は知っている。だから、隣に自分がいる、というのは、さぞかし気が重い事だろうとの推察はできる。
何故、嫌われるのか、心当たりはなかったが、サスケも彼が嫌いであったし、それはお互い様というものであろう。そもそもサスケは、その外見が好きだというミーハーな少女達を除けば、人に嫌われる率の方が高かった。
ただ、黙って空を見上げる。先には、赤々と燃えるような月。
不可思議な静けさは、さやさやと梢を渡る微風の息遣いまで、彼らの耳へと届させる。
隣にいるのがナルトだ、という事を鑑みれば、その沈黙はひどく珍しかった。サスケ自身は、決して雄弁な性質ではなかったし、実際、一人でいる事の方がずっと多かったので、喋らない事は常態であったのだが、隣の少年は、いつだって黙っていられない、誰かと話さずにはいられないタイプであると思っていたので。
「………なんかさ。すっごい月だよな」
やはり、この静けさに耐えられなくなったのか、ぽつりとナルトが呟いた。しかし、月に面を向けたままのそれは、独り言のようでもあった。
実際、サスケの返事を期待している訳でもなさそうで、独り言、というのもまた、当たっているのかもしれない。
サスケは、何も言うべきことが見つからなかった。確かに、『すごい』としか表現しようのない月ではあったが、「そうだな」と返すのも、何だか間が抜けている。
サスケが何も言わなかったからだろうか、ナルトは更に続けていった。ほんの少し、俯いて。己の膝を見つめるように。
「…ホント言うと、独りでいたくなかったんだ」
ちょっとだけだかんな、と、慌てたように付け加えられた、いつもだったら、決して口にする事はないだろう、言葉。
例え、隣にいるのがイケスカナイサスケであろうとも、独りでいるよりは、ずっといい。
ナルトがあんまり、普段と違っていたからだろうか。それとも、異様な月のせいだったのだろうか。いつもだったら、すっかり無視してしまえるものなのに。
「カカシでなくて、悪かったな」
「…なんだ、それ」
つーか、なんでカカシ先生?
きょとんとした顔は、すっかりいつものナルトのもので、サスケは思わず滑った己の口を激しく呪った。
馬鹿なことを言ってしまった。
しかし、それでも、一緒にいたい人物として、具体的な相手があった訳ではないらしい事は、お馬鹿に正直なナルトの表情にはすっかり表れていて、それはそれで、何やら嬉しくなってしまう自分が不可思議で、苛立たしくも、悔しい。
しかし、ナルトにはそんなサスケの心情になど、全く興味はないらしい。何やら不機嫌そうになってしまったサスケから、さっさと視線を逸らして、また、月に見入る。
「…ホントに、すっげぇ月…」
繰り返すとナルトは、深く細い溜息を吐く。
「まん丸い月がでっかくって、俺、なんかざわざわしてくる」
細められた瞳が、一瞬、血のような深紅に染まって見えたのは、錯覚だろうか。
月の色を映したような紅の色は、人間の持ちうるものでは、決してない。
考えるよりも先に、体が動いていた。ナルトの肩を掴んで、こちらに顔を向けさせる。びっくり眼を見開いた瞳は、いつもと同じ空の青。
「…何だよ、もう」
不機嫌そうに打ち払われたその手も甘受して、サスケは小さな溜息をついた。
バカみたいだ。この脳天気なドベに、妖気を感じる、なんて。
写輪眼は、真実を見抜く瞳という。うちは一族に伝わる破魔の瞳も、存外、役に立たないという事か。
しかし、そんなサスケは、ナルトにとって、不審感を催すものであったらしい。
「……お前、腹でも壊してんじゃねーの?」
何か変だぞ、と言いたいらしいが、他に表現法はないものかと思う。
「…月のせいだろ」
今度は、深々と溜息をつきながらのサスケの言に、それでも、ナルトは納得したらしい。単純すぎる、と言いたいが、それもまた、あながち間違いでもないような気がする。
つまり、今夜の月のせい、というのも。
異界の月は、人の心の帳を開いて、あまりにも赤裸々にその内実を照らし出す。心の闇を全て吐露して、それでも構わないような気がしてくる。
「なんかさ、俺、満月って見てると、どっかに行きたいって思う…」
ぽつりと呟かれたそれは、今夜だけの、異界の月の下でだけの、秘密の、しかし、確かな本心の告白。
「…『どっか』って、どこだよ」
「どっかは、どっかだよ」
明らかなのは、ここではない、という事。
大人達は隠しているつもりだったのだろうけど、いつだって周囲から一歩退いて、全体を観察するという姿勢の身についたサスケの目は、ナルトが何故か、周りの大人達から排斥されている、という事をはっきりと読み取っていた。
ここではないどこか。そこに行けば、彼はもっと楽に生きていく事ができるのだろうか。何の偏見の目もない新天地。そこにさえ、行ければ。
サスケは、ドベは嫌いだった。バカはもっと嫌いだ。そして、目の前の少年は、バカなドベ、だ。
それなのに、何だって、こんな気持ちになるんだか。
「バカじゃねーの」
冷たく言い切る。するとナルトは、顔を上げて、サスケを見た。夢の中を彷徨ってなどいない、確かな現実の瞳は、しっかりと目の前のサスケを見据える。
光溢れる空の瞳。
「お前、『木の葉隠れの里の忍者』なんだろ。『ここ』にいなくて、どうすんだよ」
驚きに見開かれた目が、一瞬、泣き出しそうにきゅっと歪んだ。けれども、気づかなかった振りをする。すぐにまた俯いてしまった彼は、そんな事は気づかれたくなかっただろうから。
「……………そっか」
「決まってんだろ。そーいうトコが、ドベだってんだ、お前は」
へへへ、と、まるで泣いているような笑い声を洩らしながら、「そっか」と言うナルトに、同じ数だけ、「そうだ」と返してやる。何度でも何度でも、繰り返して言ってやる。
お前は、『木の葉のナルト』なのだと。
納得するまで、何度でも。

 お前は、ここにいるんだから。
 俺の隣に、いるんだから。
 絶対、いなくちゃいけないんだから。


 こんな、ぶっきらぼうな優しさなんか示されたら、嫌いになれなくなってしまう。
 サスケは、イケスカナくなけりゃいけないのに。
 ずっとずっと、嫌いでいさせてほしいのに。

 だから、やっぱり、サスケは嫌い。
 嫌いなままでいさせてくれないから。
 だから、サスケは嫌い。





ひとつ布団に潜り込んで、子供達は眠っている。そもそも、布団の数が足りない、と、彼ら二人に支給されたのは、一組のみだったので、その状況は間違ってはいない。いないのだが。
ナルトは、サスケの胸元に身を摺り寄せるようにしていた。人の体温を求めるように。
サスケもまた、そんなナルトを抱え込み、その金色の髪に顔を埋めていた。まるで、彼を己の懐に引き込もうとするかのように。
「…寝てる間は、素直なんだけどねぇ」
カカシは、目元に落ちかかってその表情を隠しているサスケの前髪の端を、軽く引っ張った。
「……熟睡してるよ…」
どんな時でも、隙は見せない。それが忍びの鉄則なんだけど。
だけどまぁ、今回は見逃してやりましょう。その未熟さも、彼の宝物を腕に抱いている事も。
よっぽど安心したんだろうね。今、己の腕の中にある存在に?
起きたらまた、大騒ぎするんだろうけど。この体勢で眠ってた、なんて事に気づいたら、お互いさ。
ついつい、苦笑が洩れる。
そもそも写輪眼は、うちは一族の特定の血筋にのみ現れる、特異体質。
つまり、うちは一族は、その条件さえ満たせば、写輪眼を持つ忍びをコンスタントに量産できる。
忍びになるために、人を屠るために生まれてきたような一族。
彼等を賞賛する里人の畏怖と畏敬の視線の中に込められていたのは、確かに恐怖。
お前はまだ小さかったから、理解していなかったのかもしれないね。一族と里とのそんな確執なんて。
そうでなければ、「一族の再興」なんて希望、持つはずがない。
うちは一族が滅びた時、哀しみを装ってお悔やみを口にしながら、心の内で胸を撫で下ろしていた人間が、里人の過半数を越えていたって事、賭けてもいいよ。
実際、あの時、カカシだって、「はたけ」じゃなかったら、始末されていたかもしれないのだ。
人間の恐怖の生み出すパワーといったら、計り知れない。
笑っちゃうね、本当に。
「お前ら、実は激しく似た者同士だっていう自覚、ある?」
吐息に乗った問いは、軽い囁き。
まるで、全く同じ材質を捏ねて、同じ型取りをして焼き上げて、色づけを正反対にしてみた一対のような二人の子供。
里から「バケモノ」と呼ばれる子供が二人。
彼等は共に、ひどく負けず嫌いで意地っ張りで、そして、余人には決して覗き込めない孤独の淵に立っていた。



 誰かに側にいてほしい。

 ずっとずっと独りぽっちで。

 イママデトテモサビシカッタ



空には、青白い面を向ける、清浄な月。
抱き合って眠る子供をただ、月の光だけが淡く照らし出していた。



END



…このシリーズ(だったの、実は)も、ちょっと謎だなぁ。
なんつーか、雰囲気だけで進んでるっぽいところとか。
だけど、そーいうのも嫌いではないです。はい。








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