「うそだと思うなら本当にしてよ」





「お前、本当に男か?」
軽く組んだ手には、ぴったりと張り付くような黒革の手袋。その立ち居振る舞いは、彼が戦いを生業にする者であるとはっきりと示していた。その白皙に薄ら笑いを浮かべて、しかし、決して彼生来の苛烈な光を失わない赤い瞳は、あの時、確かに日本を見下していた。



「日本って、プロイセンと仲いいよね」
「いきなり、どうしましたか」
「いきなりじゃないよー。ずっとそう思ってた。日本とプロイセンって、いっつも一緒にいるしさ」
軽い口調ながら、不満そうに唇を尖らせたイタリアに、日本はその目を瞬かせた。
そんな様すら愛らしいなんて、流石、誰しもに愛される国。日本はしみじみと感じ入る。勿論、彼のそんな内心など、露程も面には現れてはおらず、日本は常の如くの無表情に近かったけれど。
イタリアは明るく朗らかで美しい。長い歴史の中で甘さも苦みもかみ分けた愛おしい国だ。だから、彼が皆に愛されるのは当然である。
心配する事なんて少しもないのに、と日本は思う。イタリアは誰しもに愛される。プロイセンだって、例外ではない。正しく言うなれば、プロイセンのイタリアに対する愛は、一般的な好意を越えて、既に遺伝子の中に組み込まれていると言って過言ではない。
日本は微笑む。困ったような微笑みは、日本にとって常態といっていい表情である。
「プロイセン君はイタリア君のことをいつも気にかけていらっしゃいますよ?」
「プロイセンが俺を気にかけてるとか、関係ないよ」
日本はぱちくりと目を瞬いた。イタリアの発言が何を意図してのものだったのか、判らなかったのだ。けれど、イタリアはプロイセンが彼に向ける愛情の重さに見合うだけの好意をプロイセンには持っていない。それはそうだ。イタリアには、既に最も大切な『友人』がいる。愛される者はかかる愛情に無頓着なものなのだ。
プロイセン君もお気の毒に、とぼんやり思う中、イタリアはむむむ、と日本を見据えた。
「俺、日本の事好き」
「…それは、ありがとうございます…」
ますます、イタリアが何を言い出したのか判らない日本は戸惑った。イタリアとドイツは日本の古い友人で、あの薄暗い時代を共に歩み戦った彼等は、今でも日本にとっては大切な存在である。彼等に嫌われているとは思っていないが、好いてくれていると知るのは、勿論嬉しい。嬉しくはあるのだが、イタリアの真意がさっぱり判らないのでは、どのように受け止めるのが正しい対応であるのかも判らない。
しかし、己こそが愛の国だと自認するイタリアには、日本の引き気味の反応は望むものではなかったようだ。あーっ、信じてないねー、と不満の声を上げる。
黒々と丸い猫みたいなアーモンドアイが、魅力的。芯のある黒髪もさらさら。不思議な色合いの肌もシルクみたいに艶やか。落ち着いた声の調子も柔らか。日本のどこもかしこも触りたくってたまんない。
日本は完全に面食らった。イタリアが何を言い出したのか、全く理解できない。これはまるで口説き文句だ。
いいや、彼に他意はない。他意はないはずだ。多分、イタリアにとって、これは常と変わらぬ話し方で。そうだ、彼にとってハグやキスが挨拶であったように。
そもそも、彼等の審美眼に日本は適っていないのだし。
勘違いなどしないけれど、聞き慣れない賛美は、日本にひたすら羞恥の感情を起こさせる。顔を赤く染めて、はくはくと口を開閉する日本に、イタリアは更に言い添えた。
「日本が女の子だったら、一も二もなくアタックして恋人になってもらったのに」
ああ、そういう事か。日本は合点がいって、安堵する。日本が女だったなら、の話だ。異性であれば、物珍しさは好印象にもなり得る。理解したら、途端に気持ちに余裕ができた。
「イタリア君は相変わらず女の子がお好きですねぇ」
いつものようにのんびりと言ったら、何故かイタリアは悲しそうな目をしたのだけれど。
日本は、イタリアと対峙すると、いつも少し困惑する。決して嫌いな訳ではない。古い友人で、あの薄暗い時代を共に歩み戦った仲間で、日本は今も昔も変わらず、感謝と親しみ混じりの好意を彼に抱いている。
イタリアは明るく朗らかで美しい。日本とは全く違う国だ。だからだろう、日本はいつだって、彼の言葉の裏にある感情を掴み取りきれない。この愛すべき国を悲しませたい訳では決してないのに。
恐らく、彼とはあまり相性が良くないのだろう。そして、それは主に日本に原因がある。
「何の話でしたか。ああ、そうだ。プロイセン君のお話でしたかねぇ」
イタリアとの溝を感じた時、常にそうするように、日本は何も気付かなかった風を装って、そのままのんびりと話を変えた。
プロイセンと仲がいい、という話だった。
「プロイセン君とは、色々とお付き合いもありましたから」
日本が初めて彼と会ったのは、幕末と呼ばれる頃の事である。鯨と友達になりに来たとのたまった某眼鏡との間に条約が結ばれてから、そう時も経たぬ折の事だ。いわゆる不平等なそれは、同等な物を後から来た者にも与えねばならなくなり、後の日本をそれはそれは苦労させる事となった。日本にとっては、屈辱に塗れた苦闘の時代だ。
あの頃、プロイセンは小さな弟の事を散々自慢していたのだ。
日本は、しみじみとした様子でイタリアの隣に行儀良く座るドイツを見つめる。
「あんなに小さかったドイツさんが、もうこんなに立派な若者になるんですからねぇ」
時の流れとは偉大なものだ。
十年一昔と人の世に言うが、国にとっては百年一昔である。プロイセン自慢の弟は、今やヨーロッパでも指折りの優秀な国だ。
あの人、ああ見えて、人を見る目はあるんですよね。
何気に失礼な事を考えながら、日本はドイツにふんわりと微笑み掛けた。その慈愛に、ドイツは居心地悪そうに身動ぎする。
「日本。物言いがお爺ちゃんみたいだよ」
「爺さんなんですよ」
イタリアはもう悲しそうな目をしていない。哀しみや怒りは、彼の中には長く留まらない。移ろいやすいとも言えるのかも知れないが、明るく楽しいもので満たされた彼を見ていると、日本はとても安心するのだ。
どっこいしょ、と卓に手を掛け、立ち上がる。お茶のお代わりをお持ちしますからね、と言い添えて。



昔ながらの家屋で犬のポチ君とふたり、いや、一国と一匹でのんびり静かに過ごす事に充分満足しているが、たまにある来客は勿論、日本にとって喜びである。友人が昔と変わらぬ姿を見せてくれるのは何よりも嬉しい。
「…ドイツさんとイタリア君には、素直に感謝したいと思うんですけどねぇ…」
「あ?何の話だよ」
彼がそこにいるのは判っていたから、驚きはしなかった。元来、日本は気配に聡い。
「家に上がる前に、ポチくんの足は濡れ雑巾で拭いて下さいました?」
プロイセン君、と言い様、日本は振り返る。
褪せた金髪は白金に近く、冷たくさえ映る引き締まった相貌を表情の豊かさが緩めている。イタリアとドイツがラフではあるが一応はきちんとしたシャツとパンツ姿であるのとは対照的に、プロイセンは伸びきったTシャツに短パンという姿である。だらだらとした寛ぎモードに実に相応しい。
細身ではあるが硬く鍛えられた体つきの彼は、軍服がよく似合っていたものだった。軍隊こそがプロイセンであるといわれた時代の話である。
無論、彼の手にぴたりと張り付くようにあった黒革の手袋もまた、今はない。
日本は小さく目を細める。
「おう。もう何度ポチを散歩に連れてってると思ってんだ。いい加減憶えるって」
国としての仕事を終えた…正確には、弟であるドイツに全面的に押しつけた…プロイセンは、暇にかまけて日本を訪れる事がある。主にポチくんと遊びに来る、が正しいところではあるが。
「今日の飯、何だ?」
日本の手料理を食べに来る、というのも、追加していい。
「肉じゃがにしようかなと思ってはおりますが…」
やりぃ、と無邪気に喜ぶプロイセンに、日本は言い添えた。
「それより、ドイツさんとイタリア君が遊びに来て下さってますよ」
「マジかよ、イタちゃん、来てんのか!久し振りだな」
プロイセンの表情は目に見えて、明るく華やいだ。
こんな時、日本はいつも思うのだ。彼等と一緒に来ればいいのに、と。
そうすれば、もっとイタリアと一緒にいられただろうに。少なくとも、欧州から日本までの道程は共にいられる。 それに、プロイセンはドイツと共に住んでいるのだから、ドイツ邸にいた方がイタリアと会う機会は多いはずだ。何しろ、ドイツとイタリアは仲がいいのだから。
プロイセンは、イタリアが好きだ。そう公言して憚らない。しかし、イタリアは日本が彼等と同盟を組んでいた頃から、恐らくはもっとずっと昔から、ドイツと仲がいい。彼等の関係が本当はどういったものなのか、日本は知らない。知らない方がいいのだろう。彼等だって、日本に知られたいとは思わないに違いない。西欧文化では男色は禁忌であるらしいから、彼等がそうであってもなくても、日本にそんな疑いをかけられたと思うだけで不愉快かも知れない。
ただ、日本としてはできるだけ彼等を二人だけにしてあげたいと思うのだ。
だから、日本はプロイセンには何も言わない。日本に来るより、ドイツ邸にいた方がいいだろうに、とは決して。
「さあさ。貴方も手を洗っていらっしゃい。一緒にお茶に致しましょう」
新しく湯飲みをひとつ取り出しながら、日本はそっと微笑んだ。



件のプロイセンがその場に現れた事に、ドイツとイタリアは大層驚いていた。彼の後から居間へと入った日本は、盆を捧げたまま、ちろりとプロイセンを見遣る。
「貴方、ドイツさんにも何処に行くのか伝えていなかったんですか?」
「子供じゃねぇよ」
「子供じゃないから言い置いてくるんです。一緒に住んでいる相手に対する礼儀ですよ」
くどくどしく日本が始めた説教を、あーはいはい、と適当にプロイセンが流す。全く仕様のない方ですね。ああ、ドイツさんには申し訳ありませんが。
「いや。…しかし、兄貴はずっと日本の家に滞在していたのか?」
「ずっとかどうかは判りませんが。もう何日か、一週間近くは御滞在ですかねぇ」
言うと、ドイツはまた居心地悪そうな顔をする。
「…なんというか。迷惑を掛けてすまない…」
今も昔も苦労性な所は変わらない。日本には、ドイツのこういった点はとても好ましく映る。
「いえいえ、ちっとも迷惑などではありませんから。ドイツさん、頭を上げて下さい」
心のままに浮かべた微笑み。汝の名は慈愛。
「おう。俺は淋しい一人暮らしの老人を訪ねてやってるんだからな。ボランティアだろ。なんて心優しき俺様!」
あーはいはい、と今度は日本が適当に流した。
「…お前って、ヴェストに対してと俺に対してじゃ、態度が違うよな」
「一緒のはずがないでしょう」
聞いたか。聞いたかよ。この爺、ありえねえだろ。なぁ、イタちゃん!
賑やかにプロイセンがイタリアへと絡む。日本を責めるように言いながら、イタリアに同意を求めて、多分、困ったようにイタリアは笑いながら、プロイセンを窘めるのか、消極的にプロイセンに同意するのか。
どちらもありそうですねぇ、などとのんびりと思いながら、でもどちらでも場は和む。プロイセンはイタリアに構ってほしいだけなのだし。
青春ですねぇ。ほんわかした日本の耳に届いたイタリアの応えは、しかし、予想を全く違えたものだった。
「………俺、プロイセン、嫌い………」

「え!何で!!」
「そうですよ、何で!」

ステレオの如く声を揃えたプロイセンと日本に、イタリアの機嫌はますます降下する。
何となく理解した様子のドイツは、「…察してやってくれ…」と溜息を吐いた。



臍を曲げてしまったイタリアは、結局、辞去するまでずっと口数少ないままだった。夕飯を食べていっては、と誘ってみたが、忙しいのならば仕方もない。ドイツと二人、連れ立って帰っていく姿を玄関先で見送って後、日本は隣に立つ青年へと顔を向ける。
「私と貴方って、仲良く見えるらしいですよ」
二人が辞した後も、プロイセンは当然のようにここにいる。一緒に帰ればイタリアと共にいられるのに、とは、やはり、日本は口にはしない。
プロイセンは、なんて事もないような風情で言った。
「悪かねーだろ」
「まぁ、ねぇ…」
「…何か言いたそうだな」
イタリアは、日本とプロイセンの仲がいいから、妬いているのだ、と、ドイツがそっと教えてくれた。日本からすれば、イタリアとプロイセンの方が仲がいいだろうと思っていたから、びっくりである。アジアにある己よりも、同じヨーロッパの国同士の方が、共有するものも多いだろうに。
日本がプロイセンと出会ったのは、150年ほど前の事だ。イタリアと国交ができたのも同年であるから、イタリア、プロイセンとの付き合いは、ほぼ同じくらいの長さという事になる。
なのに、何故だろう。
ちろり、とプロイセンに目線をやる。すると、プロイセンは、「何だよ」と唇を尖らせた。
確かに改めて考えてみると、彼に対しては己は随分と扱いがぞんざいだ。常の八つ橋というものが、ほぼなくなっているに等しい。他のどの国に対しても存在する垣根がとても低い。
出会った当初はそうではなかったと思う。
彼等が長らく閉ざしていた扉をこじ開け、当然の権利だと言わんばかりに、この極東の片隅に在る日本の元へとやってきた時。列強と称された一団の中に、プロイセンもまた在った。
彼等の傲慢さに対する憤慨。己とは全く異なる造形への興味。綺羅綺羅しい異文化への憧憬。
当時の彼等に対する感情は、ひどく種々様々なものが渦巻いていて、現在の日本にも上手く説明する事はできない。
当時、日本は、彼等に対して猛烈な怒りを向けた事があった。
きっかけは何だっただろうか。既に憶えてはいない。けれど、恐らく大した事ではなかっただろう。彼等は意識すらしていない当たり前の事で、現在の日本は彼等がそうである事をよく知っていて、けれど当時の日本にとってはひどく気に触る、そんなこと。
ある日、遂に堪忍袋の緒が切れた日本は、刀を抜いた。
刀は滅多な事では抜いてはならないものだ。それは人を殺傷する力を持つものだから。しかし、一度それを抜いたら、その刀を血に濡らす事なく収めてはならない。
それだけの覚悟がないのなら、始めから抜くな、という意味だ。
その刀を抜いた。
あの頃の日本は諸外国を、列強を斬って捨ててしまいたいと、差し違えても構わないと心の底からそう思っていた。
中でも列強の筆頭であった翠の瞳の若者。傲岸不遜な西の大国。大英帝国と呼ばれた男。
一瞬、浮かび上がった幻影は鮮明で、それでも瞼に映るそれはあくまでも幻影だ。日本にとっては150年前など、昔と云うもおこがましく、けれど今は昔の話である。
プロイセンはにっかりと笑って、日本の頭をがしがしと掻き回す。
苛烈な光を秘めた赤い瞳はその白皙をきつく引き締め、けれど同時にその瞳に宿る、己の力を無邪気に信じる者の輝きは、どこか憎めないガキ大将のようで。



「まぁ、ねぇ…」



仲、悪くないですよね、確かに。



END



複雑に考えないで。とっても簡単なこと。
貴方が好きだという気持ちを嘘にしないで。

枢軸組と日本

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好意の一方通行。
イタリア→日本→東西兄弟→イタリア。
以下ループ。








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