「ぜったい、謝らないからね」





「日本って、韓国には甘いよね」
「おや。アメリカさんにそんな事を言われるとは思いませんでした」
日本がくすくすと笑うのを横目に見て、アメリカは憮然と日本が持ってきたばかりのコーヒーを口に運んだ。アメリカ風といわれる薄めのそれは、いつも日本が彼に出してくれるものである。
突然、日本宅の庭に現れた韓国は、常の如く訳の判らない事…大抵が自分がしでかした失敗について…を口走り、常の如く日本に謝罪と賠償…超展開により何故か全て日本が悪い事になっている…を迫り、そして「だから日本は、俺におっぱい揉ませるんだぜ!」で締め括った。有無をいわせず縁側から室内に侵入しようとしたところ、韓国の位置からは死角になっていたらしいアメリカがそこにいた事に気がつき、ひょえーっ、と一声叫ぶとこれまた訳の判らない事…アメリカへの追従とおべんちゃらが言いたいのだという事だけは判った…を口走って、走り去っていった。その間、アメリカには一言も口を挟ませなかった。挟む気もなかったけれど。
「古来、ここでは天災が多くありまして」
日本は全く動じない様子で語る。火山地帯で地震が多く、台風の通り道で、韓国も乱入する。韓国は天災と同じ扱いなのか。アメリカは何やら納得がいかない。今日、己もまた急に日本宅に「遊びに来たんだぞ」と押しかけた自覚があるが故に尚更に。そして、韓国と同じく、日本は突然訪ねてきたアメリカに対しても眉を蹙めて、前もって連絡しろと言っているだろう、といつもの苦言を口にして、そうした後にアメリカを招き入れるのだ。ようこそ、とゆったりとした微笑みを浮かべて。
「韓国って、元々日本の養いっ子なんだっけ?」
日本は、おや珍しい、とぽつんと口にした。言葉に感情は一切乗ってはいなかった。
「韓国さんに興味がおありですか?」
口元に笑みを掃いて、けれど底の見えない黒い瞳はただ凪いでいる。別に興味なんかないよ、と言いたかったけれど、言っても日本の瞳は決して変わらない。ただ感情の乗らない声で、そうですか、と返すだけだ。それが予想できる程度には、アメリカはこの国と長くつき合っている。
韓国は、現在の日本に真っ向から喧嘩を売る唯一の、と言っていい国だった。世界を二分したあの大戦争の前、日本に酷い目に遭わされた、と主張しながら、韓国は日本を挑発し続ける。韓国自身が主張したように、日本がまた韓国を殴るかも知れない事なんか、想像もしていないみたいに。
実際、昔の彼、米国の敵であった頃の彼だったら、今現在の韓国のような国の横っ面を張り倒すくらいはやってのけていたはずだ。
何処からどう見ても、韓国は現実が見えていない。この世界で日本が取るに足りない存在だなんて思っているのは、当の日本と韓国くらいで、なのに無礼千万な韓国を日本は全く気にしていない。あの戦争より後、一貫して日本は敵を作るまいとしてきたけれど、理由はそれだけではない、と思う。アメリカがそれを禁じたからだろう、と日本は言うかも知れない。けれど、それはただの言い訳だ。日本はアメリカを体よく利用しているのだ。既に往年の牙など欠片も残っていない、無害な老人であるといったような顔で。
無言のアメリカに対して、日本は困った風もなく、のんびりと口を開いた。
「韓国さんは、元々は中国さんの弟さんですよ。ええ、一時期私が引き取っていましたけれども」
それは台湾さんも同じですねぇ、と続ける。台湾はそもそも、中国の妹だった。中国との戦争の結果、日本の手元に引き取られて、アメリカとの戦争の後、日本の手を離れた。それは韓国も同様だ。韓国が日本に引き取られたのは中国との戦争の後、ロシアと彼との戦争の結果だったけれども。
彼等は共に日本に育てられ、どちらもその後、中国の元には戻らず、独り立ちした。そういう事になっている。
実際、中国は台湾を手元に残したがっていて、アメリカも日本もそれを否定しない、そういう事にもなっている。肯定もしてはいない訳だけれど。
中国によく似た華やかな容姿に日本的な感覚を持った、難しい立場に立たされながらも存外ちゃっかりと逞しく生きている少女をアメリカは嫌いではない。
「台湾は、日本の『マイフェアレディ』なんだっけ」
「ええ。台湾さんは、私の古典を引いて『若紫』と言ってくれますけどね」
本当によくできた娘です。そう言って微笑む日本は、彼女への慈愛を隠さない。
『テイルオブゲンジ』はアメリカは読んだ事がない。けれど、大筋は知っている。当の日本が前に教えてくれたのだ。いわゆる光源氏計画、というものについて。曰く昔から変わらぬ男の夢であるらしい。『マイフェアレディ』はよく知っている。つまりはどちらも、男は自分の育てた娘と結ばれる。ラブストーリィである。
何処からどう見ても台湾は日本の事が好きだ。なのに、日本はそれにさっぱり気付かない。気付こうとしない。ただ、感情の見えない深い闇色の瞳は穏やかに微笑んでいる。その様を目にする度に、アメリカは何やらもやもやとした気持ちになるのだ。
「で。日本は中国の弟で」
「弟じゃありません」
日本が即答した。その瞬間だけ、日本の感情がちらりと滲んだ、ような気がした。
あの方は、もう何度も何度も千年単位で同じ事を繰り返しおっしゃいますけどね。ぶつくさと呟いた日本は、ただの遠縁です、と真顔で言う。遠縁だったら、ただの、でもないような気がしたけれど。
「この極東で、中国さんと縁のない国など存在しないんですよ」
年齢的な意味で、と日本が続けて、アメリカは、あー、と気の抜けたような声で返した。
欧州のように戦争は頻発しなかったというアジアには、アメリカにしたら想像もつかないくらい古い国が未だに生き残っている。地域の長老であるという中国は、自称四千才である。四千才ってどのくらいだ。世界四大文明?なんだそれ。生まれた時から近代国家であるアメリカには、さっぱり理解できない。しかし曰く、中国はその年齢と等しい時間、数多の極東の国々が生まれては滅んでいったのを見続けてきた国なのだ。物のわからぬ子供の頃に中国に会って、「兄と呼べ」と言われると、素直に頷いてしまう。極東の国は皆、そうなのであるという。己にとっては充分古い昔である過去を思い出し、何となく身につまされて、アメリカの目はつい遠くなった。そんな時代、アメリカにも覚えのある幼い頃が日本にもあったのか、と思うと不思議にもなる。
感情で色を変えたりしない黒い目をしていて、皆同じ黒い髪。凹凸の少ない顔立ちをした極東の国々の中で、とりわけ日本は子供っぽく見える。全てが小さく作られた目鼻立ちと滑らかすぎる肌のせいだと、彼の顔をまじまじと観察できる程近くにいるアメリカは今では知っている。なのに、この日本は中国に次いで年長だという。二千才を超えているとか、何の冗談かと思う。
「君達って何だか凄く複雑だよね」
「私にしたら、貴方がたの方がずっと複雑ですよ」
欧米文化は複雑怪奇。彼は今でもそんな事を言う。だけど、アメリカにしたら全くもって理不尽な言い様だ。何千年も前からの決まりが今でも動く極東の方がおかしいに決まっている。将軍が治めていた頃の事を「ちょっと前」…その頃にはまだアメリカは生まれていない…と言う日本の感覚だって、アメリカからしたら相当おかしい。
アメリカにとっては想像も付かないような昔から、彼等は存在している。
永い時間を存在するとはどういう感じのするものか、前に…アメリカにとっての「ちょっと前」に…彼に尋いた事がある。
時は全てを洗い流す、と言っていた。辛い事も苦しい事も嬉しい事も楽しい事も、全部通り過ぎていく。日本にとって、過去とはそんなものなのだと。
洗い流されない存在は、彼の中にはそう多くない。多分、中国はその数少ない中のひとつなのだ。
もやもやとした気持ちは更に黒い色を帯びる。
「アメリカさん、豆大福召し上がります?」
「食べる」
日本は『あんこ』といわれる豆のジャムが大好きだ。特に大福には一家言あるらしく、とくとくとその良さを語ったりする。近所の和菓子屋で作っている砂糖控えめで塩味を利かせたものには、アメリカには味自体が少ないように感じられるのだけれど、それを言って前に酷く冷たい目で見られたから、それ以降はアメリカは日本の出した食べ物に対してあれこれ物を言う事は止めている。
そして、豆大福に添えられた飲み物は、砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒー…アメリカに対していつも出される物…ではなくて、緑茶だった。前に砂糖とミルクを入れたら、信じがたい者を見る目で見られたが、アメリカにも譲れない一線はある。…だって、この茶は苦いのだ!
以来、アメリカの緑茶には日本は砂糖とミルクを添えてくれる。決して、日本の手では入れてはくれないのは、彼なりの拘りらしい。日本は色んなものに拘りがありすぎるとアメリカは思う。もっと気楽に生きればいいのに。 日本はアメリカに追従している、言いなりの犬だと一部で揶揄されているのをアメリカは知っている。そう見えても仕方ないと思えるくらい、日本はアメリカに逆らわない。特に他国の目のある場所では、決して。
しかし、その実、彼はアメリカに対しては辛辣だ。かつての敵国である事は判っている。当時は日本に対して、アメリカも随分と酷い事もした。けれど、現在の日本の言葉の中にはアメリカへの苛立ちはあっても怒りはなく、見下しはあっても恨みはない。味音痴と言って見下し、日頃の節制が足りないから太るのだと言って見下し、それでもアメリカを軽蔑はしない。…よく考えたら、見下しネタが食べ物関係の事ばっかりなんだぞ、と今更のようにアメリカは気がついた。
だけど、アメリカは日本に叱られるのは嫌いではない。前にそう告げたら、「貴方、マゾヒズムの気があるんですか?」と思いきり冷たく言われたけれど、日本以外にそんな態度を取るヤツがいたら、一息にひねり潰してやると思う。日本だからだ。日本ならいい。
アメリカは日本が好きである。日本が新しく提示する遊びは奇妙で、だけど面白くて、いつだって刺激的だ。日本はアメリカを退屈させないし、辛辣だけど、時には意地悪だけど、開国してもう随分になるのに未だに道理を知らない子供のようなところもあって、そんな彼と一緒にいるのは楽しい。
日本はアメリカにとって、時に厳しい父親で、甘やかしてくれる母親で、アメリカが護ってあげなくちゃならない弟分であり、一緒に遊ぶ友人でもある。
なのにいつからか、アメリカはもやもやとした気持ちを抱えるようになった。日本の事を考えると、もやもやする。アメリカは色々な事を深く考えるのが不得手だ。感情とか感覚とか、そういったものに従って動く。脳味噌まで筋肉で出来ている、と嘲笑ったのは、二枚舌三枚舌の謀略家であるかつての兄だ。
日本はいつかアメリカを裏切る、と思っている者達がいる事は知っている。アメリカの周囲にいる人間達、つまりは政府中枢に近い人間達の中にもそういう考えを持っている者達がいて、けれどそれは仕方のない事なんだろうと思う。あの日本がいつまでもアメリカに付き従う事などあり得ないという彼等の思いは、決して口にはしない出さない、けれど彼等の胸中はアメリカの目には空に火で書いた文字の如く読み取れて、それくらい、先の大戦の記憶は強烈であったという事だ。けれど、彼等は知らないのだ。日本は決して裏切らない。日本が日本である限り。
日本は同盟相手を裏切らない。それが最善であり、最も利益があると判っていても、だ。愚直なまでに信義を通す。それが日本なのだ。前の戦争の時もそうだった。枢軸と名乗った仲間達を決して裏切らなかった。彼等は日本を捨てたのに。「それでも構わないのです」と彼は微笑うだろう。いつものように穏やかで、感情の色の見えない顔で。彼にとって、自己犠牲は美徳なのだというけれど、そうじゃない。そうじゃないのだ。
韓国の挑発も台湾の恋心も、日本を動かさない。敵国だったアメリカが今は彼の隣にいるのも、きっと日本にとっては同じ事だ。
日本の事を考えると、もやもやとした気持ちはアメリカの中に完全に巣くってしまう。全くもって理解できない。日本のせいなんだぞ、とアメリカは憤然と思う。けれど、それを言ったら「ならばわざわざ会いになんか来なければいいじゃないですか」と冷たく返す日本の顔まで完全に予想できて、しかもそれは妙にリアルに脳内に音声再生されて、アメリカは盛大に顔を蹙めた。ああもう。

「本当に酷いよ。君ってば、本当に信じられないよ。日本は俺に謝るべきなんだぞ」
「意味が判りません」

アメリカの百面相を前にして、それでも全くそんなものは気にも留めない風に、日本はいつもの湯飲みにたっぷりと入った彼の気に入りの緑茶を静かに啜っている。



END



謝罪も賠償もいたしません。

アメリカと日本

* 
* 
もやもやアメリカ、脳内日本と冷戦中。
突然やってきて、急に不機嫌になってぷいと帰る。


全くもって複雑怪奇です。








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