アンジェリック・クライシス





「…5、4、3、2、1…」
ドゴーーーーーーーーンッッ
空気をびりびりと切り裂く轟音が、コンクリート造りの床を揺さぶった。伏せられた頭上を熱風が煽り立て、髪をなぶる。
爆破地点は、ここから1ブロック先の中央集積室。室内の親機を破壊する事によって、ここ周辺の端末は使用不能となった。当然、今まで作動していた警備システムも…。
爆風の多少弱まったのを見て取って、健太は一気に通路を駆け抜けた。侵入警報は、沈黙したままだ。己の思惑通りにはまった事に、つい口元が綻ぶ。
「前田君!次の爆発は、10分後だよ!!9分以内に、パーキング・エリアまで来て!脱出用の足は、確保しとくから!」
〔OK!5分ありゃ、楽勝だ!〕
腕時計に仕込んだ通信機の感度も良好だ。
その時、また爆音が響いた。…通信機の向こうから。
床が軋んで揺れる。ガリガリ、と何かを引っ掻くような音。遠くにたくさんの人の恐慌の気配。電波回線を遮る耳障りな雑音が、通信を一時的に途切れさせる。
「……まっ、…前田君?…大丈夫だった?」
〔………………………〕
繋がった。回線は生きている。しかし、何も声が聞こえてこない。前田が無事である事は、露ほども疑ってなどいなかったのだが…。
〔……『次の爆発は、10分後』じゃなかったのか?…〕
「…今のは、さっきのの二次爆発じゃないかなあ、…と思うんだけど…」
〔………………………〕
「親機だけ、破壊するつもりだったんだけど。もしかすると、火薬の調合、ちょっぴり、間違えちゃったかもしれないなぁ…」
〔………………………〕
「えへ」
〔『えへ』じゃねー!…この後、またドカドカ、あっちこっちで爆発すんじゃねーだろな〕
「大丈夫。それはない、…と思う。他に引火して爆発しそうなもの、側になかったもん」
〔今、したじゃねーか〕
「…んじゃ、通信切るからねー。時間までにパーキングだからね!」
回線を半ば強引に打ち切ると、健太はポケットに収められている、爪ほどの大きさの球状の物体を幾つか取り出し、その手に握りしめた。健太手製であるそれは、殺傷力には乏しかったが、その分、閃光と爆煙を多量に撒き散らす。目眩ましには、もってこいだ。
周囲に注意を傾けながらも、足早に進む。いつまでも通信にかまけている訳にはいかないのだ。時間もないのだから。…別に前田のつっこみから逃れよう、とした訳ではない。
(…それにまぁ、後10分位だったら、何とか保つだろうし)
聞き捨てならない健太の思考に対して、今ここに、「何がだ?」とつっこむ人間はいない。



「…ったく、井口の野郎…」
あの様子では、この後、何処で爆発が起こるか、判りゃしない。
(死んだら、化けて出てやる)
憮然としながらも、前田は破壊された集積室前を一気に走り抜けた。手は自然に、ホルスターから回転弾倉式銃(リボルバー)を引き抜く。
コルト・パイソン357。
双子の兄などには、「もっと小回りの利く実用的なものを」と軽侮混じりに忠告されたが、一番、手にしっくりくる、長年の愛用品である。しかし、今回は…。
(…そーいや、なるべく目立たないようにしなくちゃいけないんだったな)
別行動になる前に健太が、耳にタコができる程に言を費やしていた事をふと思い出し、前田は舌打ちした。幾らなんでも、マグナムで撃ち抜かれた跡、なんてものは、目立つだろうな、という事くらい、容易に想像できる。
いっその事、忘れていた振りをしようか、という思いが、ふとその脳裏を過ぎったけれども、そんな事をしたら、また何を言われるか判らない。
(…あいつ、口うるさいんだもんよ)
「…ちぇっ」
心底つまらなそうにもう一度舌打ちして、前田は愛銃を元通りホルスターにしまい、予備の45口径の自動拳銃(ピストル)に持ち変えた。
約束の時間まで、後7分。
ここから1分余りの距離の駐車地域に辿り着けばいいのだから、まさに『楽勝』だ。…何事も、起こりさえしなければ。
前田の走り抜けた後を、銃弾が追い掛けるように撃ち込まれる。前田は、脇道に当たる通路へと、転がるように飛び込んだ。



健太は、目星をつけた一台のジープを除いて、その場にあった全ての車のタイヤを撃ち抜いた。…前田のような射撃の腕はなくとも、2m距離にある目標物を外すような事は、流石にない。そして、残ったジープのドアを文字通り飛び越え、運転席に滑り込み、エンジン・キーを特製鉤針で回す。1回、2回。……3回目でエンジンに火が入る。
「…よお、相変わらずの腕前だな。お前、今の仕事クビになっても、その道で生きていけんぜ」
「……褒めてるつもり?それ」
嫌そうに振り向いた先、前田が駆け寄ってくる。後部スペースに投げ入れられた、ビニールシートに包まれた物の、如何にも重そうな沈み込む感覚に、健太は不審に眉根を寄せた。
「…何?それ。どうしたの?」
「拾った」
「……もしかして、それの為に遅れてきたの?」
「人聞きの悪い事、言うな。時間ぴったしだったろーが」
「32秒の遅刻」
「…細かい事、言ってんじゃねー」
ぶーたれつつ前田が助手席に入った事を横目で確認し、健太はアクセルを目一杯に踏み込んだ。…とほぼ同時に、背後で爆発が起こる。爆風に押されるように、ジープは建物内から猛スピードで飛び出した。
「しっかり掴まっててよーっ。ちょーっと、荒っぽくなるかもしんないからねー」
言いながら、健太はそのステアリングを一気に引き絞る。タイヤは路面に噛み付いて、焦げたゴムの匂いを発散させた。そして、一瞬にしてトップ・スピードに入る。それは、見事なスピン・ターンであった。
そのまま、閉じ掛けていた門扉を弾き飛ばし、幅の狭い公道に入る。なりの大きなジープを器用に操り、裏路地の如き道を幾重にも迂って、多少なりと大きな車道に出る事ができてから、ようやっと健太は詰められていた息をゆっくりと吐き出した。
身元のバレるようなドジは、踏んでいない…はずだ。
先程起こした爆発騒ぎは、家宅捜査のきっかけを掴めなくてやきもきしていたであろう警察当局の、絶好の口実になるだろう。あの組織は、最近かなり過激な手口で急成長を遂げた新興勢力だったから。上手くいけば、組織解体にまで持ち込める。任務成功の上、組織には打撃を与え、これはもう、万々歳だ。
犯罪の急増するこの時代、警察や国家正規軍…その昔、〈自衛隊〉という名前だった、というのは、歴史の授業で習い覚えた知識の一つだ…では対応し切れない事件も数多い。そんな現状を憂慮して設立された機構。それは表向き、一財団に属する軍事情報研究所であったが、小さいながらも、最新装備で固めた軍隊をも持ち、現実問題、彼等が動いて解決に至った事件も数多い、と言われる。彼等二人は、研究所内情報局局員である。
久し振りに何事もなく、任務を完了させる事ができた。夜風が肌に心地いい。充実感で身震いしそうな程、感情は高まっていた。こんな時、本当に今までこの仕事を続けてきてよかった、と心底思う。
我知らず、浮かんでいた額の汗を手の甲で拭うと、健太は助手席へと笑顔を向けた。
「………前田君、何でそんなトコにいるの?」
「…自分の胸に手を当てて、よく考えてみろ…」
健太の足元に、体半分はまったような姿だった前田がよろよろと這い出してきて、投げ出すようにしてその身を助手席へと沈めた。流れる空に顔を上げ、幾度か大きく息を吸う。心なしか、顔色が悪い。
「…もしかして、ちゃんと掴まってなかったの?言ったじゃない、僕」
「もっと早く言わなけりゃ、意味ねーだろーが!」
「…そんなに、怒らなくったってー…」
「誰が、怒らせてんだ!!」
言いざま、前田が口元を押さえた。
「前田君、車酔い?!ね、大丈夫?!」
「……勢いで、吐きそうになった。大丈夫だ。もーちっとくらいなら。…今は、話し掛けるな。俺を怒らすんじゃねー」
顎をドアに凭れさせたまま、棒読み状態で話す前田に、健太は打ち萎れて顔を前に戻した。そのまま、目線を周囲に配る。取り敢えず、今は運転に専念した方がよさそうだ。それが、前田の乗り物酔いをひどくしない事にも繋がるだろう。
「……前田君…」
「…あんだ。『今は話し掛けるな』って…」
「ごめん。だけど、後ろ。…悪いけど、もう一働きしてもらわなきゃいけないみたい…」
バック・ミラーを凝視する健太に、顔付きをも一変させて、前田は背後を素早く振り返った。
…いる。確かに、ついてくる車が一台。
「…あそこにあった分以外にも、車が残ってたとは思わなかった。迂闊だった…」
ひとりごちる健太の声も耳に入らぬげに、前田は後方をじっと見据えている。
「…あれ、追っ手……だよな」
コルト・パイソンの撃鉄を引き上げる音に、前田の呟きが重なる。
「……多分…」
その時、銃弾が空を裂いて、走行中のジープを追い越していった。
「確実な線で、追っ手だと思うな」
「しつっけー奴等だぜ!」
健太のいらえに、前田は舌打ちすると、お返しとばかりに撃ち返し出す。普段であれぱ、確実に相手を仕留めるであろう前田の銃弾は、しかし、何故か当たらないようだった。やはり、乗り物酔いが尾を引いているのかもしれない。
運転に専念している健太には、背後の攻防戦の様はよく判らなかったけれど、耳に入ってくる前田の、焦りを内包した毒づくような呟きから、大まかなところを読みとる。
「…ちいいっ、まだるっこしいっ!」
前田の怒気を含んだ声。そして、後部に身を乗り出しているらしい気配。掛けられていたビニールを剥ぐ音。
………何だか、ちょっと、嫌な予感がする。
「井口ぃ。そのまんま、真っ直ぐ走ってろよ!!」
………何だか、すっごく、嫌な予感がする。
「いっけーーーーっっ!!!」
耳元で、空気を唸らせる轟音が響き、半ば前に引っ張られるような力が加わった。
ドグワーンッ!!
大地を揺るがす衝撃。
「どうだ!これなら、避けられまいっ」
前田の勝ち誇ったような声が、高らかに響く。
見たくない。背後に広がっているであろう惨状を、絶対に見たくない。しかし……。
「…前田君、さっき、何を拾ってきた訳?」
「ドラゴンATM」
外れていてほしい類の悪い予想は当たるもの。前田のさらりと口にした、歩兵用対戦車ミサイルの名に、健太の目の前は、すうっと暗くなった。その兵器の威力と先程の衝撃を考え合わせて、追っ手どころか、道路までも吹き飛ばしてしまったであろう事は、想像に難くない。
「………あれほど、目立たないようにって、言ったのに…」
涙が出そうになってくる。
「ま、任務はきちんとこなしたんだから、いーじゃねーか」
「…今回の任務って、麻薬カルテル潜入の上、情報入手。…それだけじゃ、なかったっけ?」
「情報は手に入れただろーが。脱出途中に、ちっとドジ踏んだけどな。あれくらいだったら、行き掛けの駄賃ってモンだぞ」
(…さっきのミサイル発射さえ、なかったらね…)
健太の心中の呟きは知らぬげに、前田は座ったままうんと伸びをした。
「ま、今日び、銃撃戦なんて珍しくもねーんだ。こんな辺鄙な時間帯、目撃者だって多くない。おまけに、この車だって盗難車って事になるんだし。この車をどっかに捨てて、他の車に乗り替えちまえば、絶対バレない」
「…僕に、車を盗んでこい、と?」
任務に必要な場合ならばいざ知らず、一般状況下での盗難は、できうるならば、したくない。
「人聞きの悪い事を言うな。『徴収』するんだ」
健太の肩が、がっくりと落とされた。その様を誤解したのか、前田が軽くその肩を叩いて言う。
「心配するな。大丈夫だ。絶対、上手くいくって」
「………何を根拠に、そんな事…」
疲れ切った瞳に、前田の明朗快活な笑みが眩しい。だから、こんなに目眩がするのだ。そうに違いない。
「なんせ、俺達、ツイてるから」
「………不運の神様が?」
彼等の背後、遠くでパトカーのサイレンが響き始めている。先程の前田の案を急いで実行に移す為、健太は強く、アクセルを踏み締めた。



「……また始末書かなあ……」
「局長には、お前が報告に行けよ」
「何で僕だけ」
景色は、流れるスピードをぐんと上げた。比例して、まだ肌寒い風が、さらに強く顔に吹きつける。
「これ以上、あのアヒル親父に嫌味言われたら、俺、奴の事、ぶん殴るかもよ」
「………………判った」
(…報告書に何て書けば、穏当に見えるかなあ…)
既に書類の文面について思いを巡らせ始めた健太は、前田の道路破壊のみならず、己の仕掛けた、火薬の配合を間違えた爆薬が、結局、建物を半壊させてしまったという事実を、まだ知らない。
今まで暗闇に沈んでいた街並みが、少しずつ、浮き上がるように姿を現し、その存在を主張し始める。
「…井口ぃ」
「…何?」
「日の出だ」
昇り始めた太陽が、目に痛いくらいに眩しい。今日も、いい天気になりそうだった。



END
(1995.12.28発表) 



多分、これ書いた当時は、アクションとかカーチェイスとか
やってみたかったんだと思われます。
そして恐らく、イメージの中にあったのは「ダーティペア」だったのでしょう。
設定に無理があるのも、ご愛敬。








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